肆
「――さんは府内のとある路地裏で発見されました。発見された当時は身体の傷がひどく、発見が遅れていれば死亡の恐れがあったほどの重傷だったそうです。尚、怪我が回復し次第、襲われた際の情報を聞く予定です――」
「……物騒だなあ」
朝方。橘宅にて、テーブルに向かい朝食をとっていた朱奈がテレビニュースを見て思わず声を漏らす。
「《影》の仕業なのかしらねぇ」
「たぶん。でもまだただの犯罪者かもしれないんだって」
なんて皿洗い中の母親と会話をしつつ食事を続ける。
本日の献立にはメインに焼き魚、味噌汁に炊きたてのお米ととても日本らしい和食である。
「おはようございます……」
と、朱奈よりも遅れてリビングに入ってきた寝起きの声は、南雲陽也。彼は訳あって幼馴染みの橘家に居候しているのだ。
「おはよー」
「おはよう、陽也くん。今よそうから座って待ってて」
「……ありがとうございます」
会話の終わりに一つ伸びをして朱奈の隣に座る。
「ねぇ、陽也」
「ん?」
少々ぶっきらぼうに朱奈の呼びかけに応答しながら運ばれた料理に手を合わせ、黙々と朝食を口に運ぶ。
「さっきニュースで流れてたんだけど、男性が深夜に路地裏で殺されかけたんだって」
「は、深夜に?」
「やっぱ《影》かな?」
「……かもな。でも、そんな遊び半分みたいな感じでどっか行くのか?」
「気分じゃなかったとか」
「そんな人みたいなことあるかよ……」
今日流れていたニュースのような事件は《影》の仕業か犯罪者のケースが多い。とはいえ、今ではどちらかというと昔と比べては犯罪率は減ってはいるが、いなくなったわけではない。今では《影》関連の事件の方が圧倒的に多い。
「事情聴取できるようになったら分かるでしょ」
なんて話していると、テレビはここで一日の占いに変わる。
「んげっ! やだあ、十位〜? ……言動に気をつけよう……え、やだ……」
占いの結果が自分の思ってたのより悪かったらしく目に見えて朱奈が肩を落とす。
「呆けてないで食え。ごちそうさまです」
「えっ! ちょっと!」
朱奈がテレビに、釘付けになっている間に陽也が食事を終わらせたらしく、食器を片付けている。
テーブルに残っているのは、朱奈の分の食事だけである。
「待ってよ!」
自分だけ食べ終えていない状況を察して急いで残りを消化していく。
「いってらっしゃい」
陽也の後を追ってリビングを出ていった朱奈に母が笑顔で言葉を送る。振り返らなくても聞こえていればいいというように玄関へ向かう二人を微笑ましく見つめていた。
橘家の玄関を出て、二人は十字軍の学校へ向かう。
「おっはよーい!」
道中。背後から元気よく大きな声で朝の挨拶をしながら、歩く陽也と肩を組むのは薫。
「おはよ、薫」
「うるせぇな、朝から」
「へへ、小学生の時から通信簿に『元気で素晴らしい』っつって書かれてた実力だぜ!」
なんて言いながら薫は組んでいた肩を放して誇らしげに語る。
「はいはい」
それを呆れた様子で軽く流して足を早める。
「あっ、ななな! 今朝のニュース、みたか?」
スタスタと歩いていく陽也を追いかけ、持ち出したのはあのニュース。深夜に襲われたという男性の話だ。
「見たよ。どうなんだろうねって話してたとこなのよ」
「やばいよな? もしかしたらさ、今後警備体勢変わるかもしれなくね?」
「えー! それってまさか……組まなきゃいけないことに……!?」
十字軍とはいえ、彼らはまだ高校生で育成中の軍生徒だ。見回りする時間帯は限られている為、もしかすると日が出ている時間帯の見回りの強化のために見回りの班を本格的に、つまりは最有力の名家中心のしっかりした編成にされるかもしれない。
《影》については明らかになっていることが少ない。なので生徒たちの間ではいつかそんなことになるかもしれないと度々話題になっていたりした。
「やっぱり……」
学校に到着して、その報告はされた。
緊急朝礼。ずらりと校舎に囲まれた広い校庭に軍生徒たちが立ち並び、校長を任されている十字軍上層部の大人の話を清聴していた。
普通の学生であれば校長の話は苦痛でしかないのだけれど、生徒たちは緊張した面持ちで言葉を待っている。
「――今朝のニュースのことは皆見たと思うが、この事件について話し合った結果今までの方針を変えることにした。今までは編成を自由にさせていた。今後のことも考えてのことだったが、その編成をもう少し機能的なものに変更する」
薫達が懸念していたことが当たったらしい。
まず、編成を自由にさせていたのは《影》を捉えるのは一人だけではどうにもならない。数人で行動するにも見知った間柄ではないと息が合わない。動きが悪くなってしまっては救えるものも救えないからだ。
かくしてこの日の緊急朝礼は編成変更についてを含め詳しい立ち回りを告げて終わった。
昼休みの時間。
陽也達はいつものように食堂で昼食を取る。
「あぁあぁぁぁ……。やだぁ」
そこには先日も同じ状態だった気がする頭を抱えた朱奈の姿が。
彼女が何を嫌がっているのかというと、朝礼での編成変更が原因にほかならない。
今回告げられた編成はより多く。そしてより怪我人を出させないために強化された。
多くて七名に編成される班は、陽也達による《影》の発見、追い詰める役目の普通科。捕縛できる名家が集まったクラス特攻科。一般市民や十字軍の治療に長けたサポート科から選出され結成される。
一見してみればより効率よくなり、被害も抑えられ、上層部を呼ばなくて済むので嫌がる要素はないのだが。
「あぁ……、名家の奴にこき使われる未来しか見えない……」
朱奈の嫌がる理由。それは、実力があるものとそうでないものとの格差から生まれる差別である。
よくある話である。橘家は実力のある名家の一つ。現に彼女の父親は上層部にいるのだ。だが、跡取り娘の朱奈は守護霊との修行よりも、陽也達と遊ぶことを選んでいた。加えて父は修行を強要していなかった。そうした幼少期を過ごした彼女は家を背負って《影》に立ち向かうことよりも、程々に目立たないところで立ち回るほうを選んだのである。
そのせいもあり、他の名家の生徒からは陰口が発生する。
今回の編成で、自分達の班に名家の生徒がリーダーになれば、嫌味を言われるだろうと思っている。
彼女はあからさまに他人を見下してくる人間が苦手だ。名家として胸を張らないのもそれが理由で……。
「いたいた。ここにいたのねあなた達」
絶賛頭抱え中の朱奈のもとに現れた人影。
「は、はあい。菫さん」
気まずそうに苦笑いを返す朱奈。分かりやすく顔が引きつっている。
「探したわよ。折角チームになったんですから挨拶ぐらいはしておかなきゃでしょ?」
いやに“折角”という言葉を強く発音して言われる。心なしか朱奈の眉間にシワが寄った気がした。
今回、新しく朱奈達3人のチームと一緒に組むことになった名家の軍生徒とはまさしく彼女、菫乃原である。同時に朱奈が最も会いたくない名家のお家柄の軍生徒の一人である。
「ふん、相変わらず湿気た面してますね。本当にあの橘家と南雲家の跡取りですか」
「……」
この期に及んで更に畳み掛ける発言をしたのは菫乃原の一歩後ろにいた真面目そうな黒髪の少年。菫乃原のような家紋のマントはつけていない。
「おー、
朱奈と陽也の空気を察したのか薫がなるべく明るく笑顔で対応する。
名家には分家の様な形で仕える家柄が存在する。一番大きな家柄となれば五つは仕える家柄が存在するという。
薫からの挨拶に倉麻は冷たい目を向ける。元々チャラいのが苦手なのか、それとも別の理由からなのか……。
ともかく、名家らしい二人からは朱奈達への好意というものはゼロだということがよくわかる。
「全く。私がリーダーになったというのに挨拶さえしに来ないなんて何考えてるのかしら」
「あはは……」
「見損なったわ橘さん。いくら汚点とはいえ、あんまり気を抜かれると調子狂うじゃない」
「いや、名家とかなんとかっていうのが煩わしくて。……ごめんね」
「まあいいわよ。これからは1チームとしてやっていくわけなのだから、それなりに従ってもらうから」
「うん。よろしく、ね」
あからさまな嫌味を吐き、二人は食堂を後にした。
「ふぅ……。ごめんね、二人とも、私のせいでまた……」
食堂を出ていったのを確認して、今まで息を止めていたのかという程の重いため息をつく。
朱奈が誤っているのは先程名家に言われた「汚点」ということに関してである。
先程もいったように、朱奈は名家だからと縛られることを好まない。父親の背中を見てきて小さいときから感じていたむず痒さなのだ。まるで食物連鎖のトップにいるようなのは自分に合わないと彼女は思う。
「んなのお互い様だろ。俺だってそうだし」
橘家だけではない。かくいう南雲家の陽也も実は地に落ちた名家という言われ方をしている。
「…………」
脳裏に焼き付く暗闇に光る赤い目と涙、耳の奥にこれでもかと刻まれた叫び声。
「むしろ、俺のほうが橘家を巻き込んじまったんじゃねえかってな」
食べ終わったあとの皿に残るカスを箸で弄りながら、呟く。その声は食堂にいる大勢の話し声でかき消された。
「あんた達怒っても良かったのに」
陽也のつぶやきなんてもちろん聞こえてない朱奈が明るくそう言う。
「はは! 図星だから返す言葉なんて持ち合わせてねーっての」
朱奈にあわせて薫が乗っかって明るく声を上げる。
「能天気なやつだな」
そんな様子の二人を見て陽也は和んだのか、柔らかく笑った。
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