第29話 剣の道 12
◆
風呂場から逃げたアカネが向かったのは食卓であった。
食卓に行けば何か食べ物がある。
とりあえず何か食べて落ち着こう。
そういうよく分からない思考の元で辿り着いた所、そこには既に姉がいた。
「あらおはよう、アカちゃん」
「あ、おはよう、お姉ちゃん」
「何か食べる?」
「あ、うん」
姉はいつものように優しい。
優しく微笑んでくれている。
変わらずそこにいる。
――だけど。
昨日のことがあって、ちょっとだけ返答に詰まってしまった気がする。
「元気ないぞー」
「元気ないよー」
「え……?」
視線を食卓に向ける。
するとそこには元気そうな鼻を垂らした丸坊主の男の子と、利発そうな女の子がいた。
「ショウタ君とヒトミちゃん、来てたんだ」
「おう、来たぞ」
「お邪魔しています」
この二人は兄妹である。兄の方が十歳、妹が六歳という幼い兄妹であるが、妹のヒトミちゃんは六歳とは思えない程にしっかりと兄を支えている。
二人ともあおぞら剣術道場の門下生である。
そんな二人にもユズリハは優しい笑顔を向ける。
「朝練で来ているのよね? 練習熱心だこと」
「ごはん食べに来た!」
「ユズリハ先生のごはん、お母さんのより美味しい」
「ごはん目当てじゃないのよ」
「あは、あはははは……」
姉が冷や汗を掻くのと同時に、ちらとこちらを見てくる。
「ん、どうしたの、お姉ちゃん?」
「あ、うん、えっとね……その……」
自分の髪をいじりながら、ユズリハは言い難そうに少し口をもごもごとさせる。
しかし、うん、と一つ頷いて結審した様に言葉を紡ぐ。
「……アカちゃん、あのね――」
「いやあ、びっくりしたなあ、もう」
だが、そこで割り込みが入った。
豪快に入ってきたのは、ムサシだった。
彼は上半身裸で下の履き物だけ穿き、鎖で繋がれた聖剣を手に持っているという傍から見ると変質者に見紛う恰好であった。いや、見方を変えれば野生味溢れる男に――
「変態だ!」
「誰ですこのおじさん?」
子供の目は辛らつだ。
そんな率直な感想を真正面から受けたムサシは、のんびりとした口調で笑う。
「おじさんじゃなくておっちゃんの方がいいなあ」
「誰だこのおっちゃん!?」
「誰なんですこの変質者?」
ヒトミの彼に対する評価が目に見えて低くなっている。そこを危惧しながら、アカネは紹介をする。
「あ、このおっちゃんはね、お姉ちゃんのお友達なんだよ」
「よろしくねえ」
ムサシは笑いながら剣を脇に置いて食卓の傍の椅子に座る。
そんな彼の様子をじっと見た後、ヒトミはユズリハの方に向いて問う。
「この人、ユズリハ先生の彼氏なのですか?」
――ずきり。
何故か胸が痛んだ。
……いや、違う。
もう分かっている気がした。
本当はずっと前から分かっていた気がした。
ずっと目を背けていた。
だけどまだ認めない。
まだ、絶対に認めない。
そのような心の葛藤を繰り返している横で、兄妹はユズリハに問う。
「ユズリハ先生の彼氏!? いたんだ!?」
「男の人を見る目は考えないといけないですよ」
「騙されているのか!?」
「あまりにも男性を選びすぎて半周してしまったのでしょう」
「おっちゃん、ひどい言われ様だなあ」
ムサシが苦笑し、ユズリハも苦笑いをする。
「何とも言えないわね……ああ、彼氏じゃないっていうのは言えるんだけどね」
「そうそう。おっちゃんと見た目吊り合っていないでしょう? こんな美人なお姉ちゃんと」
「だよな! ユズリハ先生は美人なのに何故か男いねえもんな!」
「美人なのに男選び過ぎだと思います」
「あ、それ――」
「止めて! ……この流れは前に見たことがあるわ……」
ユズリハが事前に察しして制止する。このままであれば再び美人の大合唱が始まったことだろう。
「で、だったらこのおっちゃんは誰なんだ!?」
「お兄ちゃんは相変わらず阿呆だね。お友達って言っていたじゃない」
「こんな物騒な物を持って! これかっこいい! だから没収だ!」
と、唐突にショウタは食卓を立つと、ムサシの横に置いてあった『聖剣』を手を掛けて取ろうとする。
だけど――
「うわっ!」
「おっと、危ないねえ」
ショウタはその剣を掴めずに前のめりに倒れそうになる所を、ムサシは足で支えた。手では支えられないと思ったからの判断だろう。
ショウタはそのまま倒れずに床に座り込む。
「あ、ありがとう……」
「いやいや。ごめんねえ、色々と言い忘れてたけど、この剣って滅茶苦茶重いから子供じゃ持ち上げられないんだよねえ」
ほら、と片手で持ちあげて、ムサシはショウタに持たせる。
勿論、完全には渡さずにある程度は支えているとは思うが。
「うわっ……めっちゃ重い!」
「でしょう? だから持ってかないでね?」
「うん……ごめんなさい」
よしよしと左手で少年の頭を撫でる。
一連して大人の腕力と子供の腕力の違いが顕著に表れた様相のように見えるが、しかしそこにアカネは違和しか感じなかった。
(……何で持てるの?)
ムサシの腕はかなり細い。腕力もない。握力もない。それこそ子供よりもない。
なのにあれだけ軽々と持っているのはどういうことだ?
「……あの『聖剣』はね、認めた者だと凄い軽いらしいのよ」
その疑問を読み取ってくれたユズリハが耳打ちをしてくる。
「え……? そうなの……?」
「うん。今の所認めた者ってのはセイちゃんしかいないらしいけれどね。私も持てなかったよ」
「お姉ちゃんが持てない……モテない……」
「……なんかその言い方止めてほしいな……」
「お姉ちゃんも持てないくらいに重いのにおっちゃんが持ったら軽くなる。足にもくっつく。……まるで生きているみたいだね」
「生きている人で重さが変えられるんだったら羨ましいけれどね」
「お姉ちゃん、体重気にしているの? そんなに太っていないよ」
「そ、そんなにって……」
「だって一部が……」
歯噛みする。
睨み付ける。
「だ、大丈夫よ。わ、私だってアカネの年頃にそんなあったわけじゃないから」
「ほ、本当!?」
「え、ええ。本当よ」
「……ん? ちょっと待ってよ……」
昨日回想した記憶の中の姉をもう一度浮かび上がらせる。
――あった。
あの時からあった。
たっぷりあった。
「お、お姉ちゃん……」
「ご、ごめんなさい……」
「認めたあ! お姉ちゃんが私の未来を閉ざしたああああ!」
「言い方がひどすぎるわよアカちゃん!」
「姉妹仲いいねえ」
のんびりとした声のムサシ。
「あ、そういえば……お嬢ちゃん」
彼は何かに気が付いたかと思うと、彼女の肩を叩いた。
「昨日、ユズリハにはお願いしたんだけどさ、お嬢ちゃんにも言っておくことがあるんだ。というか聞いておくこと、かな?」
「え……?」
アカネの脳裏に思い浮かんだのは昨日の出来事。
ムサシとユズリハの会話。
そこから何を言われるのか。
一瞬で想像が付いたのは、否定の言葉。
(まさか……剣士になるのは辞めろ、というのかな……?)
恐怖だった。
憧れだった『聖剣』ムサシからそんなことを言われたら、絶対に立ち直れない。
折れる自信がある。
だから聞きたくない。
だけど防ぐ術はない。
「……っ」
覚悟を決めて腹に力を入れて言葉を待つ。
「お嬢ちゃんさ……」
ムサシが言葉を放つ。
「――俺のものにならない」
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