■五月十四日(木) 隼人
「ねえ、
少女の声に、隼人は自分の勉強から顔を上げた。
声の主は
幼馴染で生まれた時からの知り合いだ。
茶髪なのはカラーリングではなく生まれつき。父親がアメリカ人なのだ。よく見るとかなりの美少女だが、性格が残念なため、生まれてから一度もモテたことはない。
ちなみに「日下部」は母親の苗字だ。なおみが小学校に上がるときに家族で日本に帰化したのだ。
二人は四人掛けのテーブルにノートや問題集を広げて勉強していた。
「おまえ、父ちゃんがアメリカ人なのに英語苦手なのな。……どれどれ」
「だって父ちゃんとは日本語でしか話さないもん。母ちゃんともね。もっとも母ちゃんと最後にしゃべったのは……」
「おい待て、なおみ。何が分からないって?」
なおみの言葉を遮って、隼人は問題を見つめた。眉をひそめる。
「だからこの単語……」
言いながら、なおみは隼人の表情を見て「しまった」と言うような表情になった。
「先週の『ターゲット』小テストで出題された奴じゃん! おまえやっぱり覚えてなくて俺が怒って」
「悪かった悪かった悪かった! ……んもう、早く潤、来ないかなぁ」
なおみは隼人からノートをひったくってぼやいた。
『ターゲット』というのは、隼人やなおみの高校で使われている、大学受験用の英単語集だ。
毎週小テストがあって、赤点を取ると再テストというシステムになっている。
「女の子相手に何やってんの」
不意に、声が飛んできて、隼人の頭をぱたんとはたく。
「……ちぇ、聞いてたのかよ」
「聞いてたのかよ、じゃないわよ。……ごめんねぇ、なおみ。これこんな奴で」
隼人を叩いたのは隼人の母親だ。
長く伸ばした明るい金髪を後ろでひとつに束ね、ばっちり化粧している。「林田隼人の母です」と顔を出すと間違いなく驚かれるのだが、正真正銘血のつながった親子だ。
「大丈夫です。隼人に期待してないんで」
なおみが笑う。
「なおみが男に何か期待するのかよ」
隼人が毒づくと、なおみは腕を組んで考え出した。
ここは隼人の母が仕事をしているマンションの一室。広いリビングの端っこだ。
リビングには幼稚園児くらいの子どもたちが五人ほどいる。DVDを見ている子、おもちゃで遊んでいる子、他の子と取っ組み合っている子、それぞれである。
隼人の母は無認可の保育園をやっている。なおみの両親も共働きで、特に母が忙しいので、ここで育ったようなものだ。今でもこうやって顔を出して、人手が必要なときは小さい子たちの相手をし、今のように子供たちが自分で遊んでいてなおみたちの手が必要ないときは、勉強をする。
中学以降、なおみはずっとそういうスタンスでここに来ている。
なおみは少し考えて、にっこり笑った。
「潤には、素直な反応を期待してる。隼人には何も期待できない」
「まあ潤は優しいからなぁ」
隼人が呟くと、母親は再度隼人の頭をぺしっと叩いた。
「隼人、おまえに思いやりがないんだよ。勉強できるからっていい気になってんじゃねえよ」
母親の言葉に、隼人は目を剥いた。隼人の主観とはまるで違う。
隼人は思わずなおみに向かって口を開いた。
「俺、それはむしろなおみに言いたい。頭がいいからっていい気になってんじゃねえよ。ちゃんと小テストを真面目にこなしてきちんと勉強しろよ。おまえ、俺より頭いいんだからさぁ」
「えー、あたし別に頭よくないよ」
隼人の指摘に、なおみは不本意そうに反論する。
隼人は腕を組んで言葉を続けた。
「頭いいよ。おまえ、小学校の頃、結構複雑なカードゲームのカード全部いきなり覚えただろ。びっくりしたぞ」
「ああ、あれは
「おまえのそのおたく的知識と記憶力を勉強に生かしたら、すごいことになるのに、本当に残念だなぁ」
隼人が素直な感想を告げ、なおみが不本意そうに黙り込んだときだった。
「ただいま。その残念の産物、受け取ってきたよ」
気づくと潤が立っていた。
柔らかい髪に優しげな目元。背はあまり高くない。港町高校の制服である詰襟に身を包んでいる。もちろん襟元はがっつり締めている真面目ルックだ。
「おかえり、潤。ちょっと待っててね。潤の分も麦茶持ってくるから」
隼人の母親が、隼人となおみの前に麦茶を置いて、キッチンに消えた。
「はい、なおみ。頼まれてたブレスレット受け取ってきた」
「わぁい、さんきゅー」
なおみは満面の笑みを浮かべて潤から紙袋を受け取った。
「これで頭良くなるわ!」
「……またかよ」
隼人はバカバカしくなって大きく息をつき、椅子の背もたれに腕をだらしなく引っかけて天井を見た。
「何言ってるの。前のときは、特に好きでもないミシェアの守護石ターコイズをメインにした
エキサイトするなおみを見て、隼人は軽く肩をすくめて潤を見た。潤が困ったように笑う。
ちなみに、そのミシェアもゲオルグも、カードゲームを端緒にまんがやアニメが作られ、現在も続編が続いているアニメのメインキャラクターである。
隼人たちが小学生の頃に第一弾が発売され、小学生の、特に男子の間で大人気だったので、隼人も潤もスターターセットは持っていた。しかし中学生になって忙しくなるにつれ、カードゲーム自体しなくなって久しい。
だがなおみは、中学生になっても熱が冷めないどころか、どんどんヒートアップしていった。
時間があるときには、大型ショッピングモールに入っているカードショップで小学生相手にカードバトルをしている。
中学生以上で来ている女子はなおみだけだ。そのかわり男子は中学高校から大学生までいる。みんなそのカードゲームに
隼人が「また」と言い、なおみが「前のとき」と言ったのは、中学二年生のとき。「これでテストは完璧よ」とトルコ石メインの数珠を両腕につけて学校に来たのだ。もちろん成績は、彼女史上最悪だった。まったく勉強をしなかったのだから当然の結果である。
「百歩譲ってそのゲオルグ様だとして、何で潤に取りに行かせるんだよ」
「ずっとお世話になってるセンター街店のお姉さんが潤のファンなの。潤が取りに行くんだったら、一割引きしてくれるって」
なおみの返事に隼人は頭痛を感じて額に手を当てた。大きくため息をつく。
「念のために言っておくが、それはあくまでカードゲームのキャラクターで、奴らの守護石っていう設定なのであって、しかも本家には『これをつければ成績アップ』とかどこにも書いてないのを、おまえが勝手にお守りにしてるだけだからな」
「判ってるよー」
なおみが不満そうに呟く。
「そもそも、『これをつければ成績アップ』って書いてあるのを買って身に着けたからって、本当に成績がアップしたら、苦労はしないよね」
潤がとどめを刺して、鞄からノートと問題集を取り出す。
「隼人に訊きたい問題をチェックしてきたんだ。……あ、問題の前に」
ぱらぱらと問題集をめくりながら、潤は何気ない風に顔を上げた。
「栄美ちゃんとどうなってる?」
「どうって、……あっ」
隼人は、解いてもいない問題の続きを書こうとノートにシャーペンで強く書きつけ、結果、シャーペンの芯がぼきっと折れてしまった。隼人は顔をしかめる。
「先週、デートだったんだろ?」
「……デートって言ったっけ?」
「いや。でも浮かれてたし、新しい服買ってたし、そうかなって思ったんだけど」
潤の言葉に、隼人は大きくため息をついた。何と答えたものか悩んで、結局言葉は出てこない。本当のことを言ってもいいのだろうが、……彼女の悪口になることは、言いたくない。そう思うと、何を言ったらいいのかまったく判らない。
相談したいという気持ちも少しあるが、母親やなおみがいるこんな場所ですることじゃないのは、隼人にも判っている。
ここぞとばかりに、なおみがにやりと笑う。
「『潤くんが好きだから間を取り持ってくれない?』ってお願いされたんだったりして」
「違う! ……けどダメージ的には似たような感じ」
「え、もしかして栄美ちゃん、あたしのことが」
なおみが芝居がかった仕草で両手を胸の前で組む。
「そっちじゃない」
けらけらと笑うなおみに、隼人はぐったりとテーブルに突っ伏した。
「栄美ちゃんって、あんまり恋愛っぽいイメージないよね」
潤が隼人の前に、チェックをつけた問題集を置く。それを手に取って隼人は、横に置いてあるメモ用紙を取り出した。書き始める。
「そんなこと言ったら隼人だって、女子からは『恋愛のイメージない』って言われてるよー。まさか、こんな惚れっぽい奴だなんて、思われてないじゃん。……まああたしは優しいから、そんな真相、ばらさないであげてるけどね」
「……惚れっぽくて悪かったな」
「認めるんだ?」
「おまえは頭いいんだから勉強しろ! 三番は俺が解くから、おまえは五番!」
逆ギレ気味に隼人は怒鳴り、潤がチェックした問題集を指した。
「だからあたし頭よくないって。……あー、五番はあたし、さっき解いた。ちょっとひねってて面倒くさいけど、そんなめっちゃ難しい問題じゃないんだよ」
とくとくとなおみが問題の解説を始める。それをメモを取りながら聴く潤。
……やっぱり頭いいじゃん。
隼人は心の中で呟いた。潤が提示した問題を二つともざっと目を通し、隼人は簡単そうな方から解き始めて、難しそうな方をなおみに振ったのだ。
……プラスアルファ、って言ってたな。
栄美に連れて行かれたイベントを主催していた会社名を思い出す。。
話を聞いていた限り、どの会員の話も、かなりとってつけたような話だった。声高に効能を謳っていたが、どれもかなり背景が怪しかった。
……こいつらの方が案外毅然と断れるんだろうな。
なおみは自分の判る話だと途端に口数が多くなる。典型的なおたくだ。そのなおみが嬉々として問題の解説をしている。この問題は、なおみのツボにハマったらしい。
……本当に、嫌味でも洒落でもなく、頭はいいんだよな。
なおみに対して感じるコンプレックスは、おそらく潤に対して抱いているものと同種だろう。
なおみを女の子だと思ったことは一度もない。男だとか女だとか関係なく、なおみも潤も、実は自分より頭がいいと、隼人は思っている。そこに異性かどうかという視点はない。
もっとも異性だと思っていないのはなおみの方も同じだ。潤のことを子分扱いしているが、隼人のことは同性のちょっと親しい友達くらいに思っているようだ。
なおみの言うように惚れっぽくて、しかも好きになった相手には、かなりの問題がある。このまま素直に進むとまずい。
隼人はため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます