第5話 だれしも目的を持っている

 トネヒサが不在ふざい探偵事務所たんていじむしょ

 ウタコが事件にいどむ。

監視かんしカメラを使わないと面倒だから、使わせてもらう」

許可きょか確認かくにん。7のIを推奨すいしょうするよ』

 空中にウィンドウが開き、指で操作される。別のウィンドウが開いて、映像がうつった。

 どこかの建物。コンクリートの壁に顔のような落書きがある。誰かがバケツで水をかけて、たわしでこすっている。しかし、消えないどころか、色が薄くなることもない。

「壁の材質ざいしつそのものを変化させている、ってわけじゃないのか」

 ケンジは、普段とあまり変わらない表情。

「別の場所も見るか。ねんのため」

『16のTを推奨すいしょうするよ』

 ウィンドウがいじられ、別の場所の映像があらわれた。

 見える影から、大きな橋の下の可能性が高い。足元には草がしげる。壁にえがかれているのは風景画ふうけいが。数名が布でふき取ろうとしても、何も起こらない。

「カメラで見えやすい場所にあって、助かったね」

「場所のデータと照合すると、やっぱり。カメラのあるとこだけ? 目立ちたがり屋か」

 ウィンドウが操られ、次々と表示されていく映像。窓は20を超えた。遠くにいながらデータの羅列られつとして認識できる。顔に力を入れるウタコ。

「しかも、全部違うラクガキ。暇人ひまじんか!」

 宙に浮かぶ多数のウィンドウ。その中にある落書きが、次々とめくり取られていく。シールをはがすように。あとは全く残っていない。英数字と記号が元の姿になっている。

 小さな両手が目まぐるしく動き、ウィンドウが現れては消えていく。

「なるほど。マルチタスクのいい技だ」

「もう、ほとんど消えてるよ」

 最後の落書きが壁からがれちた。ウィンドウが一つを残して消える。あっさりと事件じけん解決かいけつした。

 しかし、クラッカーの場所は特定とくていできない。

「百あったのに、痕跡こんせきが何もないって。いまいましい」

 ツインテールをらし、ウタコが地団太じだんだむ。

「こっちも痕跡こんせきを残してないから、おあいこじゃないかな」

「すごいですね。縫野ぬいのさん」

「うむ。もっとめていいぞ。ほれほれ」

「しかし、やけにあっさりしている」

 何かを考えている様子のケンジ。それを、半目気味はんめぎみの目で見つめるウタコ。

「さきに、ねぎらいの言葉を言え」

「お疲れさまです」

 心を込めて伝えるチホ。髪がサラサラと流れる。

 小柄こがらな女性が、ほおゆるませた。

「カード、忘れず消すんだぞ。データはPCにあるからな」

 小さな指先で光に変換される、エクセキューションカード。

 左腕の装置そうちから外されたメダル。遅れて装置そうちが消える。データの流れが、プログラムが見えなくなった。三次元のホログラムという認識にんしきしかできない、現実の景色けしき

 ケンジは、クラッカーの目的について仮説かせつを立てる。ただの破壊はかいではないと考えていた。


 休日。

 薄暗い部屋の中、人影ひとかげが動いた。

 ベッドの上で布団ぶとんたたまれる。右側からおりた男性は、カーテンをけなかった。

 さし込んでくる明かりだけで、着替えが始まる。動きはすくない。着るのは、寝る前に椅子の上に用意してあった服。

 寒さは感じない。暑さを感じるようになるのは、もうすこし先のこと。

 すこし貧相ひんそうな体つきの境川さかいがわケンジは、自室じしつを出た。

 ミネラルウォーターをコップに注いで飲む。やはり照明はつけない。建物の外から聞こえる生活音が、平日よりは落ち着いている。コップを洗った。

 トイレに入って、すぐに出てくる。冷蔵庫から栄養補助食品えいようほじょしょくひんを取り出し、自室じしつに戻った。

 明かりがともる。

 相変わらず、木のベッドと机と椅子しか大きな物がない。木製の床を歩くケンジ。転がっている情報端末じょうほうたんまつ無視むしして、椅子に座る。

 手入れをしていない、まとまりのない黒髪。白地に黒い格子柄こうしがらのシャツ。茶系のパンツ。ホワイトハッカーになる前と、何も変わっていない。開いていないカーテンの向こうをながめながら、朝食を終えた。

 机の上にあるタワー型のPCやモデムやルータは、食事の邪魔にならない。それらからびるコード類も同様どうように。

「夢で思いついたアイデアは、すぐ忘れるなあ」

 PCの電源を入れて、青年がつぶやいた。ディスプレイからの光をびる。夜のあいだに、ひげがびている。

 暗号通信あんごうつうしんのアプリケーションを起動きどう。11という名前でルームを作成した。

「すぐ来るだろうから、済ませとくか」

 ケンジが部屋から出ていく。つぎの扉の先は洗面所。電動シェーバーを使って、ひげをった。分解ぶんかいして清掃せいそう。組み立て。大きくびをして、歯を磨きはじめた。

 部屋に戻って、椅子に座るケンジ。PCのディスプレイを見つめる。

「やっぱり、簡単かんたんすぎたかな」

 キーボードの操作そうさにより、メッセージが入力された。

 プログラムが働き、意味不明いみふめいの文字列へと変換へんかん暗号解読あんごうかいどくにより元の文章へと戻って、表示ひょうじされる。つまり、読むにはアプリケーションが必要。

 すでに、ルームには5という名前の存在がある。

「この私を待たせるなんて、えらくなったみたいだね。ホワイトハッカー君」

 表示されたメッセージを見て、ケンジは苦笑いした。メッセージを返す。

「ごめん。出かける準備をしてた。情報じょうほうがある」

さとられないほうがいいよ。慎重しんちょう慎重しんちょうを重ねたまえ」

 目じりを下げるケンジ。

「オープンにしても、誰も入ってこられないルームじゃ、失格しっかくかな」

「おかしいね。ここにいるよ。一時間もあれば、一般人いっぱんじんにセキュリティをやぶられるかもね」

「そんな一般人いっぱんじんはいないと思うけど。気を付けるよ。それじゃ」

 アプリケーションを終了し、PCの電源を落とす部屋のあるじ。机の引き出しを開けた。メガネのケースを取り出して、あしのポケットにしまう。

 玄関げんかんで靴をはき、鉄のドアが開かれる。

 クリーム色の集合住宅の二階。その西側。ケンジが右を向く。住人の姿は見当たらない。ドアに鍵がかかったのを確認。左手の階段へと歩いていった。

 くの字に折れ曲がった部分。広い場所をぬけて、階段をおりる。鉄筋てっきんコンクリートづくりの建物を出た。歩道を南へと歩いていく。

 南西の遠くに高いタワーが見える。金属製で網目状あみめじょうの骨組みが目立ち、色はグレー。電波の送信がおもな用途ようと。600メートルをこえる高さを誇るため、観光地もかねる。

 道行く人が増え、せわしなく動くようになった。三階建て以上ある、背の高い建物がふえてきた。

 ケンジが向かったのは、四階建ての白い病院びょういん外来用がいらいよう駐車場ちゅうしゃじょうがなく、敷地しきちのほとんどを建物がしめる。手前のへいあたりでゆっくり歩いて、あしのポケットをさわった。中身は出されない。ひねった上体じょうたいを戻して、再び歩き出す。

 西から、正面の入り口を目指していく。さきほどと違い、ケンジの歩く速度は変わらない。

「シイナギ病院びょういん

 チホが、へいについている看板を読んだ。視線を入り口に戻す。自動ドアは、すでに閉まっていた。

 鉄の骨組みをコンクリートで覆った、無機質むきしつな建物。

 内部の壁は、弾力性だんりょくせいのある合成樹脂ごうせいじゅしでつつまれている。冷たさを隠すように。壁は暖色系だんしょくけい。床は白色に近い。いたるところに設置せっちされた照明が、やわらかな光を放っている。

 まっすぐ進むケンジ。ロビーに並ぶグリーンの長椅子に、順番待ちの人たちが座っていた。40平方メートル以上ある空間くうかんは、まだ余裕がある。

 ロビーの先にある受付うけつけ。自分と同じくらいの身長の女性に、ケンジは話しかけない。左寄りに進み、受付ちかくの装置そうちへと向かう。画面を指でさわった。

 面会予約完了めんかいよやくかんりょう面会可能めんかいかのう表示ひょうじされる文字には、感情がない。

 上に移動するためのエレベーターへとむかう途中で、受付うけつけを見た。制服姿の女性がいる。体の起伏がすくない。人の年齢を把握はあくする能力のうりょくが欠けているケンジに、何歳か判断はんだんすることはできない。受付うけつけの左へと歩く。

 鉄のかごが到着。ドアが開き、何人かと一緒に乗り込んだ。二階で数人がおりる。三階でも人がおりて、中には一人だけ。四階で、かごは空になった。

 ケンジが降りたのは、個室の多い階。静まり返っている場所には、治療困難ちりょうこんなんな者が多い。足音すらほとんど聞こえない。

 やわらかな色の壁に囲まれて、ケンジが立ち止まった。管理責任者かんりせきにんしゃと書かれている部屋の前。扉をたたく。

「着替え中だけど、それでも入る気かい?」

 若い女性の声が返ってきた。

「ここで話すのは、セキュリティに問題もんだいがあると思うな」

問題もんだい発生はっせいするような話をするのかい? 君は」

 笑い声を上げるケンジ。

「変な夢を見たんだよ。すぐに起きた。男が出てきたから」

「女性だったら、そのまま寝ていた。と、言いたそうだね?」

「どうかな。メダルの音でも鳴れば、はっきり目が覚めそうだ」

「ギャンブルはほろぼすよ」

「その話はいいよ。ああ、そうだ。約束やくそくはまだたせそうにない。でも、必ず」

 大きく息をはく、格子柄こうしがらのシャツ姿の男性。廊下を歩いていった。

 あまり足音を立てない後ろ姿を、部屋の中から見ることはできない。机の上のタワー型のPCはスリープ状態。

 部屋にいるのは一人だけ。入り口から左奥の、傾斜けいしゃのついたベッドで横になっている少女。腰の部分から頭にかけて、ななめに持ち上がった状態じょうたい

 服は病院支給びょういんしきゅうのもので、かざがない。がた。身長、約140センチメートル。ボブカットの髪に、寝癖ねぐせがある。

「ちょっと、早いよ」

 鉄林てつばやしエミカはガードがかたい。

 上半身を起こして、ベッドの横に両足を出す。立ち上がった。ゆっくりと歩いて、鏡の前で止まる。

 右腕を持ち上げようとして、やめた。左腕で髪をさわる。寝癖ねぐせのある場所には届かない。

 ため息を吐く、十五歳の少女。体を動かし始めた。

「う……」

 不自然に止まる右腕。可動範囲かどうはんいがあまり広くない。大きく動かすと痛みをともなう。それでも、動かし続ける。顔を赤くしながら。


 一階に到着するエレベーター。

 ケンジが入り口へと歩いていく。解放的かいほうてきなロビーに着くと、方向を変え、左に曲がった。緑色の長椅子がならぶ場所へ向かう。

 見知った顔が、心配そうに見つめている。男性は右隣に座った。

具合ぐあいが悪いのかと思って、心配でついてきちゃった」

 チホは、まだ心配そうな顔のまま。

「お見舞みまい。家の外で会ってないのに、よく分かったね」

偶然ぐうぜんだよ。服を見て、追いかけたから」

 ケンジが着ているシャツは、白地に黒の格子柄こうしがら。目を引くハデさもなければ、めずらしくもない。隣の女性をじっと見つめる。

 大きな目。髪は内巻きのセミロング。明るい花柄のシャツに、フリル付きのスカート姿。豊満ほうまんとは言いがたいものの、幼児体形ようじたいけいではない。

「服、変かな?」

 すこし困ったような表情のチホ。ケンジも同じような顔になる。

「いや。お洒落しゃれだと思って。歩き疲れたから、ちょっと休憩きゅうけいしようかな」

 言葉とは裏腹うらはらに、立ち上がった。歩き始める。チホも後を追う。向かった先は、ロビーの北側。そなけのノートPCを操作可能そうさかのうな場所。入り口からは右手に当たる。

 ヒマつぶし用ではなく、体の不自由な人が、操作そうさに慣れるためのもの。キーボードとディスプレイがPC本体と一体化していて、横幅は14インチほど。ネットワークは外部とつながっていない。

 一人の少年が席に着いていた。

 華奢きゃしゃな体がゆれる。キーボードを操作中そうさちゅう。右手に比べて、左手を動かす速度がおそい。苦しそうに息をもらした。

「指一本で押しても、怒られないぞ」

 ケンジが声をかけた。エミカと歳が近く、同じような境遇きょうぐうの少年。姿を重ね合わせている。

「平気だよ。痛くても動かさないと、もっと動かなくなるからね」

 あどけない顔で笑う少年。ゆっくりと、左隣に腰を掛けるケンジ。

「同じ病気びょうきの人を知ってるから、詳しい説明はいらないよ」

「おねえさんも、座ってよ」

「うん。ありがとう」

 ならんで座る三人が、それぞれの名前を伝えた。

 少年の名はレイト。十四歳。グレーのシャツに黒いパンツ姿。身長、約140センチメートル。

「PCなら、なんでもできるんだ」

 宇津木うつぎレイトは、ケンジのほうをちらりと見る。

「なんでもじゃないよ」

 操作のおぼつかないレイトに、ケンジがたすぶねを出す。二人の様子を見守るチホ。口角こうかくが上がっていた。

 コツコツと高い靴音をひびかせて、南から女性が歩いてくる。スーツ姿。ショートヘアで、ヘアバンドをつけている。身長、約165センチメートル。

「帰りましょう」

 透きとおるような声が響いた。

「早いよ。シオミさん」

 不満そうな顔のレイトは、PCをスリープモードにした。席を立つ。

 立ち上がり、名を名乗るケンジとチホ。表情を変えない女性も、名前を告げた。

 絵馬えまシオミは保護者代ほごしゃがわり。

 三角巾さんかくきんにレイトの左腕を入れる。体をくっ付けるほど近づけて、首のうしろではしを結ぶ。固定された。

 照れたような表情を戻して、少年の右手がふられる。

「また会おうね。おにいさん」


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