お茶会四重奏
第14話 お茶会への招待状
「今のところ怪しい人影なし。平和です、どーぞ」
『裏の方も異常な〜し。ネズミもいません、どーぞ』
桜木の情報通り、二人は杉本家の近くで張り込んでいた。薫は裏を、隼は角の電柱に隠れて正面を見張る。夜の冷え込みに耐えながら、隼は周囲を見渡した。
とても閑静な住宅街だ。アパートや住宅が並ぶだけで、他に目立つものは何もない。
『なんかあったかー?』
暇そうな薫からの無線が入った。隼は軽く腕を擦りながら応答した。
「何もねぇよ」
『こっちあったぞ』
「はっ!?」
思わず大きな声を出した。慌てて口を閉じ、声を潜めて薫に尋ねた。
「何があった?」
『おっさんが塀んトコでコソコソしてんだけどよぉ』
──嫌な予感がした。
『立ちション始めたんだわ』
──そんなもの見てやるな。
一気に力が削げて、その場にしゃがみ込んだ。薫は無線の向こうでケラケラと笑っていたが、突然『飽きた』と言い始めた。帰らないよう強く釘を刺したが、無線機の向こうからため息と文句が聞こえる。
『もう帰りてぇわ。どうせ今日来ねぇって』
「すぐ集中力切れるトコ何とかしろ。ふざけんな」
──お前が張り込むぞって言ったんだろ。
十二時を過ぎた。
周りの家の灯りが消え始めた。杉本家からも最後の灯りが消え、隼は一層警戒して家を見張った。
「電気消えたぞ」
『見りゃわかるっつの。ちゃんと見張れよ? ぜってーサボんなよ?』
「こっちのセリフだ。アホ野郎」
だが、一時間経っても人の子一人現れない。やはり桜木の情報は嘘だったのか? けれど、それ以外に有力な情報はない。藁にもすがる思いで、隼は短く会話を繰り返しながら見張りを続けた。瞬きもせずに注意深く見ていた。
はずなのに──
家の中で住人が叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ──
何かから逃れようとする声が家中を埋め尽くし、物が壊れるような音が響いた。電気もつけずに暴れ回る住人の声は狂気の色しか感じられない。
「おい! なんか変だ!」
『緊急と判断! 突入するぞ!』
薫の一言と同時に弾かれたように玄関へと駆け出した。だがピタッと音が止んだ不審感に体が停止する。
住人の声も、薫の声もしない。肌に触れる風が人の体温と同じくらい熱い。上から降るように風が来ていた。
······遅れて窓を開ける音がした。
「そこかっ!」
二階の窓から飛び出して屋根を駆ける人影。大きなフードのついたマントを
「待て!」
隼は月夜に浮かぶ人影を追った。
隼は、自分の足にはそれなりに自信があった。だが相手は隼と互角、それどころかやや上回る速さで屋根の上を駆け抜けた。更には屋根の上で側転したり、バック転したりと素人には到底出来ない芸当を見せつけてくる。
世間一般にあれを──挑発、という。
「バ、カ、に、すんなやぁぁぁぁ!」
誰だってバカにされたら怒るだろう。
隼は滅多に言わない関西弁と、暴言を吐き散らしながら更にスピードを上げた。相手も隼を恐ろしく思ったのか、慌てて走るスピードを上げた。
月があるとはいえ、夜は暗くて良く見えない。が、おそらく飛び道具のような物を使い、路地のゴミ箱や、自転車を隼の前に引きずり出し、頑丈なものだとポストを倒して足止めを図ってきた。しかし、隼にそんなものは通用しない。
少秘警式体育『恐怖の鬼ごっこ』で鍛えられたフリーランニング技術で、次々と現れる障害物の
風向きが視えた。風の音しか聴こえない。まるで風そのものにでもなったような体の軽さに決意は固くなる。
「絶っっっ対逮捕したる!!」
隼は疾風の如き速さでじわじわと距離を縮めていく。「撒けない」と直感した相手は、隼の進む道に煙玉を投げつけて煙幕を張った。
突然の煙幕に隼も足が止まる。
しかし、
「──アホやなぁ」
睨みを効かせた隼の背後から静かに風が吹き始めた。風は次第に強くなっていく。
耳についたイヤリングがシャランと鳴った。葉の飾りをそっとつまんで引き抜くと、鋭く尖った長い
隼は鍼を煙幕へ真っ直ぐに先を向け、慣れた手つきで指揮棒のように操り、風を従わせる。命令を受けた風は渦を巻き、煙幕を
呆然と見入っていた相手に、隼が二ィと笑ってみせると相手は慌てて走り始めた。
マントをなびかせ街を駆ける人影は、月に照らされた黄色いテントの中に入っていった。アーチの文字に舌打ちをして、隼も追いかけて中へと入る。
“Trick Party”の文字が傾いた気がした。
* * *
真っ暗だった。
音郷の創り上げたあの部屋を思わせるくらい、真っ暗だった。
「どこや! 出て
「隼か!?」
薫の声が闇の中から響き、目の前で火の玉が躍る。薫の安心したような笑顔が浮かび上がり、何も言わずに鍼を戻した。
「薫、は······何でここに?」
「ん? ああ、お前が走ってった後の裏からも一匹飛び出してきたからよぉ。つーかさぁ、無線はちゃんと切ろーぜ? 途中お前の怒号と暴言にビビった上に死ぬ程笑ったんだぞ」
隼は頭が真っ白になった。無線のスイッチを切り、「気をつける」と細く返した。
顔が熱いのは火の玉のせいだ。
気が焦るのはここに犯人がいるから。
別に穴があったら入りたいなんて考えてなんかない──
「レディース エーンド ジェントルメェーン!!」
声が響き渡った。聞き覚えのある声だ。
「おやおや〜? レディはいないようで〜。いた方が盛り上がるんですがね〜。僕たちが〜」
スポットライトが照らすステージの中央に、ニコニコと微笑む少年がいた。ミラーだった。先日と同じ格好で、おどけたように振舞った。
「おや〜? 警察のお二人ですか〜」
ステージにいるミラーと一番後ろの客席に立つ二人。隼は体が動かなかった。
こんなにも離れているのに、得体の知れないものが身体にまとわりつく。命をじっと狙っているように。
こういう時、口を開けるのは薫くらいだ。
「なぁ、一つ聞くぞ」
そっと、
「何でもどうぞ〜。お答えします〜」
静かに、
「お前が」
忍び寄って、
「僕が?」
核心に、
「マッドハッターか?」
······触れた。
ミラーは笑顔のままだ。それを全く崩す気配がない。そしてそっと、言葉を紡ぐ。
「いいえ〜。僕
本来、安堵すべき言葉を得ると気が緩むものだ。
質問に対し、得たい答えを得たというのに、どうして身が硬直するのか。隼の頬を汗が一筋伝う。
ミラーの手に握られた黒と白の仮面が怪しげに照らされた。ミラーはゆっくりと仮面を顔に重ねた。
「もう一度言いますが〜、マッドハッターは僕
背筋が凍る。
「
全身に鳥肌が立つ。
「自己紹介が······
仮面をつけたミラーはさらに声を張り上げた。隼は信じたくなかった。己の直感的な推測を、ミラーの口から紡がれる言葉の意図を。しかし、それが覆ることの無いものだと、心のどこかで知っていたらしい。
案の定、笑えない冗談がステージ全体に響いた。
「はじめまして〜ぇ!
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