ep19/36「それでも、わたしを見ててくれる?」
不可視の鎧をはぎ取られたマカハドマは、生身の姿を大気中に晒していた。
仕掛けるなら今、と少女たちは断ずる。百の
『今度こそ……』
「終わらせるっ!」
酷使し続けたアヤカとハナの身体は、限界に達しようとしている。それでもと踏み出した一歩は地響きを轟かせ、リリウスの巨体を空間転移させる助走となった。
鬼の首を討ち取らんとする
今や裸同然の宿敵目掛け、リリウスが飛ぶ。
「直接、
マカハドマの喉元でこじ開けられた空間からは、煌々と燃え盛る巨人が姿を現していく。必殺を意図した一撃は、リリウスの巨躯をマカハドマの至近へと飛ばしていた。
そう、
「座標を、ずらされた……ッ!」
強引にずらされたに違いない転移座標は、マカハドマの真正面。刀の間合いに踏み込まされてしまったリリウスに、もはや退路は無い。
「いくらなんでも、速いっ!」
『避けきれな――――』
光輝一閃。続けざまに振るわれた刀は、下段からの斬り上げで大気を裂いて行った。円弧の軌跡を描いた刃は天高くそびえ立ち、遅れて猛烈な衝撃波が襲い来る。
その剣速たるや、これまでの比ではない。
バランスを崩して初めて失ったと気付く脚は、既にマカハドマの居合の餌食となっていた。
両腕を失い、片脚までもが切り落とされたリリウスになす術はない。
マカハドマがスッと刀を引き、凍れる刃がリリウスの心臓目掛けて伸びて来た瞬間でさえ、2人はただその光景を見つめることしかできなかった。
「……ぐっ!」
人間で言えば心臓にあたる部位に、容赦なく突き立てられた鉄塊。刀は背まで貫き通すほどに深々と食い込み、傷口からじわじわとリリウスの身体を凍らせつつあった。
コックピットシート上で身体を跳ねさせる彼女もまた、心臓を貫かれる末期の痛みに息を詰まらせていた。本当に心臓が止まってしまったのかどうかは、分からない。
まるで弾けたゴムボールのように潰れた肺は、いっそ間抜けですらある吐息を漏れ出させるだけだった。
そしてハナの声は、今はどこからも聞こえてこない。
――――ああ、なにも出来なかったな。
霞む視界で天井を見上げるアヤカは、モニター映像が夜空を映し出していることに気付いていた。恐らくは機能を停止したリリウスが、力尽きるままに後ろへ倒れたのだ。
帰りたかった、二人で帰るべき場所を守りたかった。
もはや叶わぬと知る願いを胸に、アヤカは力を振り絞る、感覚の消え失せた脚を引きずるように身体を起こし、彼女はようやく寝返りを打っていた。
「ハナ……っ」
左のコックピットシートに収まるハナを見つめ、彼女は感覚の消え失せた右腕を伸ばしていった。
見つめる先で苦し気に歪み、ぴくりとも動こうとしないハナの横顔。アヤカよりも深くリリウスと繋がっていた彼女には、あるいは取り返しのつかないことをしてしまったのかも知れない。そう思えば、心臓を貫かれた痛みなど霞むほどに胸が痛みだす。
「ごめん……ごめんね……っ」
左腕を差し出した。
右手も全て撃ち尽くした。
ハナの指をも断ち切って、その全てを懸けて挑んだというのに。
もう立ち上がることさえできない。アヤカはもはや身体が痺れて遠のきつつある痛みとは別に、もっと根本から湧き出てくる痛みに押しつぶされようとしていた。
「なにが……何が足りないのッ! ここで倒せなかったら、ぜんぶ無意味じゃない……」
もう一度立ち上がるための脚が残っていたなら。
この胸を貫く刃を引き抜く腕があったなら。
自分にたった2本の腕と2本の脚しか無いことを、これほどまでの怨嗟を以て自覚することがあっただろうか。この身体が人のカタチでさえ無かったなら、守れたのだろうか。
ふいに心に忍び込んで来た想いは、馬鹿馬鹿しいと切り捨てるべき悪あがきでしかない。
その、はずだったのに。
『腕なら、
突如として脳裏に響いたのは、違和感さえ覚えるほどに硬質なハナの声。
ハナが生きていた。そんな喜びが湧き出すよりも先に、アヤカは戸惑いに塗りつぶされた思考をフリーズさせる。
「ハナ……? いきなり何を言って――――」
ハナの呟きを理解できぬまま意識を混濁させていた彼女は、気付けばその意味を理解してしまっていた。
なんとも奇妙な表現ではあったが、自分には3本目の腕が生えていたことを、たった
「けど、そんなはず無い……!」
2本の腕をどう動かせば良いのかが分かるように、アヤカは既に3本目の腕の動かし方を既に知っていた。たった今、思い出していた。
今や忘れることが出来ない腕の感覚は、生まれてからずっと備わっていた身体の一部として脳に刻み込まれている。
そして、4本目の腕の曲げ方を思い出した。
2つ目の口の開き方を思い出した。
3つ目の首の回し方を思い出した。
アヤカの内臓に、なにか冷たいモノが落ちたような感覚が走る。恐怖だった。
自分の身体はこんな事も出来るんだ、という閃きこそがリリウスの姿を解き放っていく。あまりに唐突な感覚に忌避感を覚えながらも、アヤカは心の底では理解してしまっていた。
人型に縛られている身体感覚こそが、リリウスの
リリウスの全力は、きっと
力を望むならば、相応の代償を。
そのことに気付いてしまえば、もはや後戻りはできない。
『多分、これからどんどん変わって行っちゃう……アヤも、わたしも』
際限なく拡張されて行く身体感覚の中に、ハナの声が滑り込んで来る。アヤカよりも深いところでリリウスに繋がっているハナだからこそ、その変容は更にリアルであるはずだった。
しかし、言葉の奥に怯えを垣間見せながらも、ハナの口調は決意の色を帯びている。
『それでも、わたしを見ててくれる?』
あるいは拒絶されてしまうかも知れないと、ハナの声音は不安に揺れていた。
戦士でも兵士でもない。ただの
きっとどんなに熟考しても答えは一つだと思えたから、アヤカは躊躇わなかった。
泣き出しそうに張り詰める声を聞けば、迷う理由など欠片も見当たらなかった。
「――――ぜんぶ見ているわ。最後まで」
そう約束したもの、とアヤカは心中に続ける。
2人で帰る場所を守る為なら、どんな力に縋っても良いとさえ思えた。既に動かぬ四肢を駆動させてくれるのなら、たとえ悪魔に魂を売り渡そうとも構わなかった。
リリウスに書き換えられた体性感覚は既に脳へ刻み込まれ、あとはアヤカの受容を待つのみ。受け入れてさえしまえば、後戻りなど許されない変容が始まってしまう。
そんな彼女の脳裏をよぎっていくのは、アカリの言葉に他ならなかった。
――――大切だと思うなら、手を離さないで。
「そう……手が離れてしまうより、
あなたが隣にいてくれるなら、それ以上は望まない。アヤカが心の底からそう願い、身体感覚の変容を受け容れたのはまさにその瞬間だった。
再起動開始。リリウスの三つ眼から、真っ赤な光が溢れ始める。
「1人になんか絶対にさせないわ。行きましょう、最後まで2人で」
『アヤ……』
「だからまだ終わってなんか、ない……リリウス、
――――
両腕を失い、片脚を失って仰向けに横たわっていたリリウス。その巨体を剥き出しの海底に縫い留めているのは、マカハドマが突き立てた刀に他ならない。
リリウスが動けるはずは、無かった。
しかし、リリウスは上方へ突き出した肩をぱっくり割れさせると、合掌する手にも似たそれをぎこちなく伸ばしていった。肩から生えた2つの手は刀身を掴み、リリウスの胸に突き刺さっていた白刃をずるりずるりと引き摺り出していく。
足元のリリウスを見下ろすマカハドマとて、それをただ傍観している訳では無い。止めを差せていなかったと知るやいなや、鬼はすぐさま2本目の刀を突き下ろしていた。
一見すると乱雑に、且つ躊躇なく食い込んだ2刀目はリリウスの頸椎を突き抜け、首を地面に縫い留める。
しかし、まるで自らの姿を忘れてしまったかのように、リリウスの身体は泡立ち始めていた。腕が、脚が、頭が、死骸のパッチワークのような継ぎ接ぎと化して、原形であったはずのヒトガタを外れていく。
背からはヒレじみた骨が突き出し始め、肩口からは体表を突き破って4本目の腕が姿を現す。左右それぞれに生えた頭を振るリリウスは、三つの顔を持つと伝えられる阿修羅にも通ずる本性を露わにしつつあった。
鬼に切り落とされたはずの四肢さえ、見る間に生え揃い始めている。
自らに突き刺さっていた2振りの刀は、既に距離を取ったマカハドマによって引き抜かれていた。因縁の敵をギロリと睨みつけたリリウスは、前傾姿勢を支えるかのごとき尻尾を海底に叩きつける。
「躊躇なんか、しないで!」
リリウスの両肩は蓮が花開くが如く展開し、その内からは2つの頭部が現れている。
そのフィードバックを受けたアヤカにも、
元からあった頭部と合わせて、合計9つもの眼球。その一つ一つが蒼白く輝き出したかと思うと、リリウスはマカハドマに向けて9門もの閃光を吐き出していた。
「
たとえ一発でも当てようものなら、山をも蒸発させる放射線の奔流が大気を貫く。ハドマに対してはせいぜい牽制程度にしかならないはずの攻撃は、しかし、9門という暴力的な斉射によって必殺の一撃にさえ達していた。
それ故か、射線上からマカハドマの姿は消え失せている。
巨体からは想像できないほどの機動性で以て、マカハドマはレーザー照射を横っ飛びに回避していた。遅れて吹き飛ばされた氷片を追うように、ボゥッと輝く射線は夜空を薙いでいく。
『逃がさない……っ』
レーザー発振は、あと1秒も経てば終わってしまう。そんな中で、
途端に腕の周りで歪み出した景色は、超大質量物体をも飛翔させるほどの斥力が漏れ出している証。9つもの眼を眩いばかりに輝かせるリリウスは、その斥力を解き放っていた。
『
真っ直ぐ大気を貫いていたはずのレーザーが、蛇のようにのたうち回る。空間をも捻じ曲げる力場に飲まれたレーザーは進路を歪められ、マカハドマの下へと導かれて行った。
着弾、尋常ならざる機動性を発揮していたマハカドマでさえ、光速の矢からは逃れられない。背から襲い掛かるγ線の奔流に装甲を融かされ、鬼の首領は体勢を崩しかけていた。
そればかりではない。
マカハドマの眼前には、既に全長200m近い火矢が迫っている。機械仕掛けの頭脳には果たして、その正体が肘から切り離されたリリウスの前腕だと理解できたのかどうか。
鬼は咄嗟に構えた一刀で進路を逸らしきろうとするも、却って片腕が吹き飛ばされて行った。
「
リリウスは自切した左腕を発射し終えた直後の、膨大な反動に燻る海面を踏み締めていた。
アンカー代わりの尻尾を海底から引き抜く間にも、リリウスの肘からは新たな腕が生え始め、数秒もたたずに元の形を取り戻す。
地盤を砕いて走り出したリリウスは、上下左右4本の腕に炎を纏わせていった。隻腕のマカハドマへと走り寄っていく巨人は、獣じみた四足歩行で瞬く間に距離を詰める。
『今なら、やれるっ!』
「まだ、まだアアァ!」
あと1kmにまで迫ったマカハドマを見据えながらも、アヤカは自らを見失いそうになるほどの五感に脳髄を過熱させていった。
おぞましい身体感覚の拡張を経て、リリウスは際限なく人型を外れていく。浸食的恐怖、拡張されていく身体感覚へのゾッとするような快感。自在に振るわれるリリウスの四本腕は炎の大太刀と化し、アヤカの眼前で鬼に向けて突き出されていった。
リリウスは片腕でマカハドマを鷲掴みにすると、もう片方の腕で残る一刀を抑え込む。
奪い取った刀を四つ腕で振り上げていけば、莫大な力を溜め込んだ体表はパラパラと剥離し始める。そして次の瞬間には、何の躊躇もなく振り下ろされていた。
斬首よろしく叩きつけられた刀は、マカハドマの首を打ち据える。既に砕けた刃はフレームを切断するまでには至っていない、が、露出した急所めがけてリリウスは手を伸ばしていた。
血を分けた兄弟が殺し合うかの如く、この夜、同じサナギから生まれ直したリリウスとマカハドマは真正面から組み付き合う。
「そこね……!」
肩で相手を睨みつけながら、尻尾で敵を締め上げる感覚はアヤカの身体にも再現されていた。しかし、馴染みつつある感覚を、今さら忘れる事などできない。
今、出来るのはただ、敵の息の根を止めることのみ。
リリウスの四つ腕には、既に
『
「
装填完了、もはや狙いをつける必要さえ無い至近距離から、リリウスは急所目掛けて指を激発させる。
1発、2発――――順に撃ち込まれて行ったパイルバンカーの四連射が、せいぜい余波に過ぎない衝撃波で海面を叩き割る。
断熱圧縮で沸騰した海水は、一瞬にして水蒸気爆発。過熱蒸気はリリウスをも飲み込み、成層圏に達するほどのキノコ雲となって背を伸ばしていった。
「もう二度と、二度と……戻って来ないでッ!」
『今度こそ、還ってエエェッ!』
少女たちの祈りを込めた殺意は、リリウスの全身から蒼白い炎となって噴き出し始める。否、瞬く間に温度上げていくにつれ遷移するスペクトルは、人の眼には紫色として見える波長にまで達しようとしていた。
体表温度、摂氏1万℃以上。
今のリリウスに近付こうものなら、あらゆる物体は電子を剥ぎ取られるより他に無い。氷片の一片すらも残さぬように火葬を続けるリリウスは、鬼さえも焼き尽くす業火に成り果てていた。
もう二度と、鬼が地獄から這い戻って来ないように。
長い10秒間が過ぎ去った後、天をも焦がさんとする炎はかき消えていた。本来ならば有り得ぬオーロラが躍る夜空、その下で2つの巨躯はようやく動きを止める。
リリウスのシルエットは今や、奇怪な
その身体に抱くのは、今度こそ、疑いようもなく息の根を止めたマカハドマの骸骨。超常の決闘を繰り広げた二機は、ようやく闇を取り戻しつつある絶海にその身を凍り付かせるばかりだった。
あまりにも遅い夜明け。正真正銘の日の出が照らし出す海原には、いくつもの大渦が姿を現している。幾度となく割られた海面を癒すかのように、膨大な海水が流れ込んでいるのだ。
リリウスの足元で未だ沸騰し続ける水は、徐々に死闘の余熱をも奪い去っていく。
「終わった……のね」
先ほどまでの闘いが嘘だったかのように、しんと静まり返るコックピット。熱狂に踊っていた金文字は既に動かず、棺桶さながらの静寂にアヤカの声だけが響く。
意識が霞む。あと何秒、意識を繋いでいられるか分からない。その焦りに突き動かされるようにして伸ばす手は、必死に宙をかいて行った。
「ハナ……そこにいるよね」
『……うん』
アヤカが触れた手の先で、微かにハナの身体は震えていた。
そうして初めて、少女たちにとっての死闘は終わりを告げる。しかし、これからどこに帰ればいいのか、もはや2人には分からなかった。
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