1〜4

 名は体を表すという言葉がある。

 俺であれば、俺自身に降りかかった出来事や、過去と現在、繙多はんだ渡会わたらい刑事のことなどを語っているという行為がそれにあたるのだろう。

 渡会わたらい刑事は下の名前が確か剛志つよしだったはずで、刑事として日々事件を追っている姿を見ればなるほどと納得せずにはいられない。

 では、繙多はんだはどうなのか――。


 男が、ダイニングチェアに横を向き、腰掛けている。

 正面に立った繙多はんだは、ハリウッドスターばりに整った顔を少しも動かさないまま、男をじっと見下ろした。

 その人となりを知らなければ、ひどく冷たく、むしろ機嫌が悪く怒っているようにも見えることだろう。

 いや、実際繙多はんだは、相対する男性にいささか苛ついているのだけれども。


「少し、口を閉じていて貰えませんか。俺はデュパンのように過ごすのが好きなんだ」


 高校の頃聞いたピンクノイズの話を思い返しながら、俺は二人の男を眺めた。

 腰掛けたままの男は、繙多はんだのたとえを理解出来なかったのだろう。

 その表情を見れば、口を閉じているように言われたからではなく、反射的なことだったと分かる。

 男が一瞬、口をつぐんだ――その隙を、繙多はんだが見逃すはずもない。

 節くれ立った右手が、男の額を押さえた。


「お、おい、何なんだ!」

「覗かせて貰う」

「は? 覗くって何を」


 繙多はんだがそれ以上、答えることはない。

 その場に立ち会っている渡会わたらい刑事も、俺も、説明するつもりがなく――何せそれを説明したところで信じるはずがないと、俺達は理解しているのだ――男は困惑に表情を歪めた。


「貴方はただ黙っていればいい。俺は勝手に、覗くだけなのだから」

「なに、を……」


 表情を変えないまま、繙多はんだが言葉を紡ぐ。

 男を襲うのは、急激な眠気だ。

 抗う気力さえ持てなかったのだろう、文句を言いかけたままで、目を閉じた。

 一拍、二拍。

 部屋の外からはざわめきが聞こえているけれども、この部屋に限ってはひどく静かだ。

 四人分の呼吸音だけが、空気を震わせている。


「頼んだぞ」

「ああ」


 一瞥もくれずに言う繙多はんだに俺は、短く返した。

 全く、不便なものだ。

 俺だけでなく渡会わたらい刑事も、もしかしたらそう思っているかもしれない。

 いや。

 その特殊能力ちからを知っているなら――それに伴う制限を知っているなら、誰しもが考えることだろう。


 額に当てていた右手を、少しだけ離す。

 親指と人差し指、それと、中指。

 三本の指で、俺達には見えない何かを摘んでいる。

 繙多はんだの手の中にあるのは、紐だ。


「じゃあ、覗かせて貰おうか」


 静かに、ゆっくりと右腕を広げる。

 それから、ストリンジェンドだんだんせき込んで――腕がしなるほど、一気に、引く。

 一瞬、男の額あたりがぶれた。

 解いたのだ。

 そこにあった、紐を。


 ――真実を、ひもとく。


 それが、繙多はんだ真実さだざねの持つ特殊能力ちからだ。




 ひもとくとは、具体的にどういうことなのか。

 以前――ほんの四、五年前――そう繙多はんだに訊ねたことがある。

 繙多はんだが住む平屋建ての、居間でのことだ。


 アイツはシャーロック・ホームズが好きだ。

 けれどもアイツはポアロも好きだし、コロンボも、ミス・マープルも、エラリィ・クイーンも好きだ。

 勿論、金田一耕助も明智小五郎も好きで、そして殊の外、C・オーギュスト・デュパンを気に入っていた。

 だからアイツは日中、雨戸とカーテンを締め切って、ろうそくの火を灯しながら本を読んだりするのを好んでいる。

 『私』役はもっぱら俺で――デュパン達と違って俺達は同居していないけれども――一緒に読書をすることもあるし、語り合うこともあるのだ。


 俺の唐突な問いかけに、繙多はんだはおもむろに本から顔を上げた。

 訝しんでいるのは分かったけれども、無言でその表情を眺めれば、俺が引くつもりがないことを悟ったらしい。

 顎に親指を当てて暫く黙り込んで、そうしてから、軽い溜め息と共に俺を見やった。


『感覚的な問題だ。言葉にすることは難しい』


 確かにそうかと納得して、けれどもやはり、どんなものなのかは気になってしまう。

 かといって、自分で体験したいとも思えない。

 いや、感覚がどうなのかは気になるけれども、俺の真実をひもとかれるというのは、さすがに嫌だった。

 やましいことがなくとも、普通はそう思うだろう。


『真実を知りたい、知らなければならない――ひもとかなければならない。そう、心の中で言葉にする。強く念じる。そうすると、場所にすると額が多いが、とにかく、紐が見える』

『紐?』

巻子本かんすぼんをまとめている紐があるだろう。あれだ』


 とはいえ別に、常からひとの額に、紐が見えているわけではない。

 ひもといたからといって、たとえば額がぱかりと開くわけではない。

 そして、なにも、紐は額にだけあるわけでもないのだと、繙多はんだは言った。


『それで、繙多はんだ。巻子本の紐というくらいなら、巻物なのか』

『そうとも言えるし、そうでないとも言える』

『曖昧だな』

『感覚的な問題だからな。お前だって、説明出来ないだろう』


 片方の目をすがめて視線を向けてくる繙多はんだに、苦笑してみせる。

 確かにそうかと、俺はその日二度目の言葉で、二度目の納得をしていた。

 それでも俺がまだ、すっきりしないとばかりの表情をしていれば、繙多はんだは少し考えてから口を開いた。

 この男は、別に無口な男ではないのだ。


『紐と捉えているのは、単なる俺の感覚だ。俺と同じような力を持つ人間が他にいて、それがどんなものなのかと訊ねたら、たとえばある人は鍵と言うかもしれないし、ドアと言うかもしれない。ドアといっても、現代の多くの住宅についているような洋式のドアなのか、日本家屋の昔ながらの引き戸なのか、もしかすると自動ドアと言うかもしれない』

繙多はんだは本好きだから、そういう形として捉えている?』

『それか、名に縛られているのかもしれないな。多くをひもとくという名に』


 お前はどう思う、と繙多はんだは言った。

 どう、だろうか――ふと心の中でつぶやいて、じっと考え込む。

 名に縛られる、そういうことはあるだろうか、と。

 けれどもすぐに、恐らくある、と俺はそう思った。

 そしてそれと同時に、勝手に縛ってくる力が働いているだけではなくて、自ら縛られに向かうのだとも思う。

 縛られなくてもよいものを、そうでなければならないのだと思い込む。

 ただそれは、自らだけの問題でもないのだろう。

 周囲の人間が、そうとする――意識的にしろ、無意識にしろ――そんなことがあるのじゃないだろうか。


繙多はんだが……繙多はんだ真実さだざねという男が、真実をいてみせる――それは周囲にとっちゃ、サスペンスドラマで犯人を崖に追い詰めるシーンだとか、そういうものに似ているんじゃないか』

フォーミュラお約束か』

『むしろ、視聴者が、周囲がそうと期待している、という点だ』


 ろうそくの火に照らされながら、繙多はんだは少し笑った。

 どうやら俺の答えを楽しんでいるらしい。

 何も面白いことを言っているつもりは、ないのだけれども。


『つまり?』

『つまり……』


 先を促され、一瞬言葉に詰まる。

 けれどもその表情を見れば、言い切らない内はどうにも許してくれるつもりがなさそうだと、結局口を開いた。


『名前に縛られているのは繙多はんだだけじゃなく、周囲もそうなのかもしれない。たとえその特殊能力ちからがあることを知らず、そんな特殊能力ちからがこの世に存在していることを知らなくても、ひもとくという文字に、そんなことがあれば面白いと、期待しているのかもしれない』

『ふぅん。それはそれで面白いな』


 背もたれに深く身を預けて、ふん、と鼻で笑う。

 どうやらお気に召したようだ、と思いながら、手に持ったままの本の表紙を、何気なく指でなぞった。


『それなら、そうか、俺はお前に期待しているということなのだろうな』

繙多はんだが俺に?』


 目をしばたたかせると、一人がけのソファでゆったりと座る繙多はんだが、組んだ足先を機嫌良く揺らした。


語部かたりべが語り部であることを、俺は期待している』

『それは……』

『だからお前は、語るといい。これからも』


 自慢げに鼻で笑った繙多はんだは、サイドテーブルに置いていたVOSPを揺らして、機嫌良く舐めた。

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