第12話 夏のある日

 梅雨も明けた八月の初め、僕は防爆実験施設の見学室で北条さんの実験を見つめていた。


 彼女の前には前回から改良された鳥籠型の実験装置、そしてその中には麻酔をかけられ静かに眠っている魔獣がいる。


 彼女は目を瞑ると魔法術式を詠唱しながら、右手をゆっくりと実験装置の前にかざした。前回と同じように装置全体が紫色の光を発し始める。


 やがて装置から紫色の光は消え、今度は北条さんの手から赤い光が装置に向かって流れ始めた。それとともに部屋全体が緊張感に包まれる。前回はここで爆炎魔法が暴走してしまって失敗だった。


 北条さんは眉一つ動かさず淡々と詠唱を続けている。僕はそんな彼女の様子を手を合わせながら見守っていた。


 赤い光はしばらくの間、鳥籠全体を包んでいたが、やがて魔獣に向かって収縮していき、そのまま音もなく消え去った。


 北条さんは詠唱を止め、後ろで装置のモニタを眺めていた椛島先生の方へ慌てて振り向いた。椛島先生はにやりと微笑むと何も言わず北条さんに向かって親指を立てる。


 信じられないといった表情でこちらを見る北条さんに向かって、僕も笑顔で親指を立てる。彼女は少し躊躇いながらもはにかみながら僕にピースサインを返した。



 ************



「しかし、こんな短期間で“ノイズ”の問題を解決しちまうなんてねぇ」


 実験の後、僕たちは大学の食堂で昼食をとっていった。


「椛島先生のおかげです」


 北条さんの言葉に椛島先生は手を振りながらながら笑う。


「やだねぇ、私は言われた通りにちょっと装置を改造しただけだよ。実装はほとんど術式コードの中でやってるんでしょ」


「渡辺くんが椛島先生から貰ったノイズの時空間分布を解析して、それでノイズには1分間に10〜20回の遅い周波数のものとおよそ10Hzの速い周波数のものがあることがわかったんです」


 北条さんが椛島先生に説明を始める。


「さらに解析を行なうと遅い周波数のノイズは被験体の心拍数と同期しているのがわかって……」


「ノイズを抑え込んだ?」


「いえ、逆にノイズを実験系の中に織り込んだんです。このノイズは空間指定の座標系に一定の歪みを与えることがわかりました。そこで、座標系自体を時間の関数にしてノイズの周期に併せて変化させることにしたんです」


 それを聞くと、椛島先生は少し驚いたような顔で口唇を尖らせた。


「へぇ……。じゃあ、速い周波数の方は?」


「そっちは渡辺くんが」


 北条さんはそう言うと、にやりと笑いながら僕の方へ目をやった。


「あれは原因はわからないんですけど、おそらく魔力中枢から出ているノイズで、かなり正確な振動をしてたんです。ただ、座標系に組み込むには振動が速すぎるために難しくて……。そこで術式自体を離散化したんです」


「離散化……?」


「ええ、正確には術式の発動点付近にゲートを設けて、特定の位相の時にだけ発動するようにコードを作り直したんです。まぁ、これはノイズの周波数が速くて正確だからこそできたんですけど……」


 椛島先生はしばらく黙って僕たち二人を見つめていたが、ふっと息を吐くと急に声を上げて笑いだした。


「はっはっはっ! いや、あんたたち二人はいいコンビだよ。正直、今村くんからほむらちゃんを紹介されたときは、『面白そうな子だからだめもとでも手伝ってあげよう』くらいの気持ちだったけど……。あんたたちなら本当にあれを実用化まで持っていけるかもしれないねぇ」


 椛島先生はそう言うと、自分は午後の会議があるからと先に席を立った。僕と北条さんはもう少し食堂に残って今後の研究プランについて相談することにした。


 しばらく北条さんと話していると不意に誰かに見られているような感じがして、僕は何気なく後ろを振り返った。少し離れたところに座っていた僕らと同じくらいの年齢の男女数人が慌てて顔を背けたような気がした。よく見ると彼らは僕らと同じ研究棟の他研究室に所属する大学院生たちだった。


「……ごめん」


「えっ、なに?」


 北条さんの急な謝罪を聞いて、僕は彼女の方に振り向いた。


「なんだか、また変な噂が立ってるみたいだから……」


 北条さんは伏し目がちに呟いた。


「ああ……。別に気にしてないし、北条さんが謝ることでもないし……」


 実際、あの祭りの後くらいから僕と北条さんに関する噂話がされているのはそれとなく僕の耳にも入っていた。きっと祭りのときの僕らを見た人間がいたのだろう。


 ――あの子、今村さんがいなくなったと思ったらもう他の男に乗り換えたの?


 ――今村さんと比べてなんかぱっとしない感じ。実は誰でもよかったんじゃない?


 正直なところ、北条さんと噂されること自体は僕にとってはまんざらでもなかったのだけれど、それが彼女を侮辱するような内容であることは気分が悪かった。


「そんなことより術式の並列化に関することなんだけど、ちょっとヒントになりそうなものを見つけたんだ」


 僕はそう言ってカバンから一枚の紙を取り出した。北条さんが興味深そうにその紙を覗き込む。


「ええっと……、『複数標的への効率的な攻性黒魔法の発動に関する研究』……ってこれ、軍の委託研究資料じゃない!?」


「そう。情報公開制度のために公開されているのをネットを漁って見つけたんだ」


「でも、軍の委託研究だと読めるのは研究課題と概要だけで中身は公開されてないんじゃないの? 核心部分は論文にだってなってないはず……」


「普通はね。この研究責任者のところを見て」


「『研究責任者:南禅寺秋徳』? これって……」


「南禅寺秋徳。現在の櫻国での情報魔法学を創始したと言っていい人物であり、黒魔法のエキスパートでもある。国内では数少ない『ウィザード』の称号の持ち主。そして、僕の修士時代の指導教官メンターでもある」


「たしかに、最近、アカデミアに嫌気が差して自分が設立したベンチャー企業に移籍したって聞いたけど……。あなた、南禅寺秋徳の弟子だったの!?」


 北条さんは半ば感嘆したような呆れたような表情で僕を見ていた。


「まぁ、弟子と言っても僕が修士をしていた時にはすでに大学の研究室を畳む関係でばたばたしていて、スタッフもほとんど残ってなかったし、ほぼ放置状態だったんだけどね……。その分、好き勝手にやらせてもらえたけど」


「それで、あなたの“先生”からは研究内容について聞けそう?」


「わからない。でも、メールしてみたら『近いうちに第75行政区に仕事で行くからそのときに会って話そう』って返事が来た。もともと細かいことは気にしない人だから研究内容を話せばヒントくらいは貰えそうな気がするんだ」


「そう……。ところで、渡辺くん。あなた、あれから体調は大丈夫なの?」


 そう言うと、北条さんは少し顔を近づけて僕の目の下を指差した。


「目の下にひどいくま


「あ、ああ……。最近、寝付きが悪くて。たぶん、熱帯夜のせいじゃないかな」


「我慢せずにエアコンつけて寝た方がいいよ。最近は夜でも熱中症になるらしいから」


「うん……、そうするよ」


 僕は咄嗟に嘘をついた。


 ここ数日の寝不足は、毎夜のように見る、あの夢のせいだった。


 夢の中で僕は北条さんと並んで街を歩いていた。


 いや、その言葉は正確じゃない。正しくは僕にそっくりの誰かが北条さんと並んで歩いていた。僕はそれを後ろから眺めていた。


 僕にそっくりな誰かと話す北条さんはとても楽しそうだった。僕はそれを見て、自分はここにいると叫びたかった。しかし、なぜか声を出すことができなかった。


 僕は二人に追いつこうとした。途端、無数の手が後ろから伸びてきて僕の身体を掴んだ。


 そのとき、その僕にそっくりな誰かがちらりとこちらへ振り返り、


 笑った。


 その顔を見て、僕はそれが今村零士だと思った。


 僕が懸命にもがけばもがくほど二人はどんどん僕から離れていく。


 そんな僕の姿を今村零士はにやにやと笑いながら眺めていた。


 やがて、無数の手は僕を暗闇の中へと引きずり込んでいった。


 僕の身体が完全に暗闇に飲まれたところで、僕はきまって叫び声を上げて目を覚ました。目覚めた僕はエアコンの効いた部屋の中でびっしょりと汗をかいていた。


 あの無数の手のざらりとした感触と"彼"の勝ち誇ったような笑みを思い出しながら、僕は自分が今村零士に嫉妬しているのだろうかと考えずにはいられなかった。そう考えれば考えるほど、胸の奥から自己嫌悪の感情が湧き上がってきて吐きそうになった。


 そして、こんなことはとてもじゃないが彼女には言えなかった。

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