(4)

「……こんな所に村があったなんてな……」

 朽ち果てた道標をしげしげを眺めながら、ラウルは誰にともなく呟いた。

 長い年月を、誰もいないこの村は過ごしてきたのだろう。質素な小屋は倒壊し、敷石は苔むしている。いたるところに草や木が生い茂り、まるで村を覆い隠そうとしているようだ。

 隣村フェージャで病人が出たという知らせが入り、慌しく出かけていったのが今朝のこと。

 急なことだったので、卵を背負い一人で往診に出かけたのだが、幸いなことに病人は風邪を少々こじらせていただけで、簡単な診察と薬を処方するだけで済んだ。

 感謝する村人に昼食をご馳走になり、昼過ぎにゆっくりとフェージャを後にした。この後は特に予定がある訳でもない。そう思い、いつも通るエストまでの道を少々外れて、辺りを散策していた途中、彼は見つけたのだ。

 時の流れに埋もれた村。そこは、まるで聖域であるかのように、どこか人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。

「何て読むんだ、こりゃ」

 村の入り口には、恐らくは村の名前が彫られていたのだろう板切れが転がっていた。共通語や神聖語なら読めるラウルだが、これは全く知らない文字で書かれている。それも大分朽ち果てて、ところどころ欠けてしまっていた。

(大分昔の村みたいだが……爺さんに聞きゃ何か分かるか)

 もしかしたら、ここは六十年前に『影の神殿』によって滅ぼされた村の一つかもしれない。そうであれば、無闇に足を踏み入れて死者の眠りを妨げるような真似をすべきではない。

 そんなことを考えるラウルの視界の端で、何か動いた気がした。

(気のせいか?)

 朽ちた小屋と小屋の間、狭い路地になっているところで、何か黒い布のようなものが揺れた、気がした。

(卵の奴がこんな状態じゃなきゃ、何か感づいてただろうが……)

 背中の卵は未だ沈黙したままだ。ラウルは咄嗟に物陰に身を潜めつつ、何かが動いた辺りを凝視する。

(まただっ)

 再び、先ほどより遠くで何かが動いた。小鳥や小動物の類ではない。あれは明らかに、人だ。

(畜生、もしかして……!!)

 そう思った瞬間に、周囲から複数の人の気配が漂うのを感じて、ラウルは咄嗟に手にしていた薬箱を地面に落とし、反対の手で腰に差していた小刀を引き抜いた。

(ちっ……)

 往診の帰りということもあって、今のラウルにはこの小刀一本しか身を守る手立てを持っていない。しかも背中には卵。いくらほとんど重さを感じさせないとはいえ、動きが制限されることは否めない。まさに最悪の状況だった。

(……何人いる……?)

 周囲に目を配りつつ、じりじりと後退する。背中だけは守らねばならない。そう、この卵だけは……。

「『影の神殿』が、何の用だ?」

 先手を打って言ってやると、明らかに周囲から動揺が返ってきた。それを見逃さず、ラウルは大きくその場から飛びのくと、神聖語の祈りを唱える。

『全き闇よ!! 覆い尽くせ!』

 ラウルを中心に、辺りが闇に包まれる。

「なっ……!」

 闇の中から聞こえる声を頼りに、一気に距離をつめる。小刀を振るうラウルの姿を、相手は捉えることが出来たか。

 キィンッ! と金属のぶつかり合う音が響いて、血飛沫と共に短剣が地面に転がる。うめき声を無視して飛びのき、次の標的を探すラウル。

「やれっ!」

「はっ」

 闇の中でくぐもった男の声が飛び交い、複数の気配がラウルに襲い掛かる。

(ちっ……!)

 迫り来る刃をかわし、あるいは小刀で受け流す。暗闇の中に白銀の煌きだけが交差し、男達の呼吸だけが響き渡る。

 暗闇の中で動き回ることは、ラウルにとっては造作もない。しかしそれは相手も同じようで、最初は戸惑っていた彼らも次第に調子を取り戻したのか、的確にラウルを捉えてくる。

 そうなると、圧倒的にラウルが不利だった。

(さん、し、五人か……ちっ、無力化できたのは一人だけかよ、ついてねえな)

 次第に囲いを狭められ、追いつめられていくラウル。かわし切れなかった攻撃に腕や肩から血が滲み、鈍い痛みが走る。

(腕が鈍ったな……くそっ)

 必死に振るう小刀を握る手は次第に汗ばみ、柄が滑る。それを見逃してくれる相手ではない。何度か刃を合わせるうちに、とうとう小刀が手から滑り落ちた。

「ちっ……!!」

 体をかわして刃を掻い潜り、地面に落ちた小刀を拾おうとした、まさにその時。

「ぐぉっ……」

「ぎゃぁっ!」

 急に辺りから悲鳴が上がったかと思うと、途端に周囲の気配が掻き消えた。

(……なんだ?)

 何が起きたのか分からないが、ともかく助かったことは確かだ。短い聖句を唱えて闇を消し、辺りを見回す。と、どこからか呑気な声がかかった。

「思ったより引き際がよかったですねえ」

 はっと声の方を見る。誰もいなかったはずの村の入り口、石畳を押しのけて成長した巨木の陰に、金色の髪が揺れていた。

(……敵、じゃないな)

 金の髪に白い肌、ゆったりとした長衣に身を包んだその人物からは、殺気を感じない。手には長い杖。魔術士である証だ。

「……助けていただいた、のでしょうか」

 固い口調で尋ねるラウルに、その人物は穏やかに笑いかけてくる。

「助けたつもりはありませんが、結果としてそうなったみたいですね、神官さん」

 不思議な声だった。男とも女ともつかない柔らかい声。その主もまた、一見して女性か男性か、判別がつかない。魔術士の制服とも言うべき長衣は体の線を隠してしまっているし、整った顔立ちは性別を越えて美しい。

(……女である方に金貨十枚、といきたいとこだが)

 些か不謹慎なことを考えつつ、ラウルはその魔術士に改めて感謝の意を表した。

「助かりました。一人ではとても捌き切れなかった」

「おや、そうでしたか。闇の中での戦いぶりからして、私の助けなど必要ないかと思いましたけど」

 どうやら、ちょっと前からこの魔術士は観戦をしていたらしい。

(この俺に気配すら悟らせないなんてな……)

 これでも感覚は鋭い方だ。あの街では、神経を常に鋭く尖らせていなければ生きてはいけなかったから。

「では、何故?」

 少々身構えつつも尋ねるラウルに、

「この地を荒らされたくなかったのですよ」

 そう言って、眩しいものを見つめるように目を細めて村を見渡す魔術士。その口ぶりからして、この村に縁のある者なのだろうか。

(いや、それにしちゃ若すぎるよな。この村はどうみても、十年二十年なんてもんじゃない、五十年以上は経っている感じだし)

 それに対して、魔術士は二十代中頃、ラウルと同じくらいに見える。もっとも、先日村にやってきたとんでもない魔術士姉妹の例もある。年齢を外見で判断するのは余りにも浅はかというものかもしれない。

「ここは、何という村ですか」

 何の気なしに聞いてみると、魔術士はいともあっさりと答えてくれた。

「ルシャスの村、そう呼ばれていました。随分と……そう、すでに一千年も前のことになりますか」

「一千年!?」

 昔もいいところである。目を丸くするラウルに、魔術士は言葉を付け足す。

「正確にはもっと昔……魔法大国ルーンが繁栄を極めていた時代、大国の支配下にあった辺境の村ルシャス。今となっては歴史にも残っていない、忘れられた村です」

 どこか自嘲めいた笑いを浮かべていた魔術士は、ふと話題を変えた。

「私は『北の塔』にお世話になっている魔術士で、リファといいます。あなたは、この辺りの方ですか?」

「これは失礼、申し遅れました。私はこの近くにある村のユーク分神殿に仕える神官で、ラウル=エバストと申します」

 いくら格好をつけて喋っても、背中の卵が雰囲気を台無しにしているのが何とも切ない。

 と、その名前と背中の物体に合点がいったのか、リファはぽん、と手を打った。

「ああ! あなたが噂の卵神官さんですか」

 途端にがっくりとうなだれるラウル。

(だから……その呼び方は……)

 誰が言い始めたかは知らないが、全くもって不愉快な呼び名である。

 へこんでいる彼に気づいていないのか、リファは楽しそうに話を続ける。

「なるほど、それが竜の卵ですか。私も長く旅をしていますが、こうして間近に見たのは初めてですよ。アルとユラが目の色を変えるわけです」

(ん?)

 何か、言葉の中に不穏な単語が混じっていなかったか。

 そう思う間もなく、背後から甲高い怒声が飛んできた。

「ちょっとリファ!? もー、一人でどっか行かないでって言ったでしょぉ!?」

「あらあらアル、勝手にふらふら動いたのはあなたの方じゃありませんでした?」

 おっとりした声が追いかけてきて、ラウルは深い溜め息とともに肩を落とした。

 声の主はつかつかと村の入り口までやってくると、苦笑するリファに食って掛かる。

「探したんだからね! エストまでもうちょっとだっていうのに、急に寄り道したいだなんて言ってぇ……」

「ですからアル、リファさんは……あら? ラウルさんじゃありませんの?」

「え? あー!! なんであんたがここにいんのよ、卵神官」

「だから、そんな名前で呼ぶなって……」

 口やかましいチビ、『姉』アルメイアと、おっとり美人の『妹』ユリシエラ。

 『北の塔』三賢人が二人との、あまり嬉しくない再会だった。

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