第二章 ダークサイド・ホテル

第8話 煙草は猛毒(Time Limit)

 雲間の月が闇夜に浮かんだ午後八時。

 紫村たち三人は、新宿の高級ホテル『シカゴ』の前に辿り着いていた。正面には窓ガラスの並列した白く豪華な建物が空のほうまで伸びている。高さは24階だ。

 彼らの今回の目的は、このホテルのどこかにいる『有賀モネ(29歳・国会議員)』と接触し、禁煙法撤廃の確約を取り付けることだ。議員の肩書を持つ有賀と協定を結んでおけば、総理大臣暗殺後の展開において有利にことを運べる可能性が非常に高い。

 つまりこのミッションは、法の抹殺を目論む彼らの第一歩として重要なのだ!


「よしみんな、煙草の摂取は済んだな?」


「ああ」

「バッチリよ」


 マルヴォが訊き、二人が答える。

 三人は数分前、現場付近で隠れて煙草を吸ってきた。言わずもがな、作戦中は煙草を吸うことが出来ないからだ。


「シムラ、アイコ。お前ら、一体どのくらい?」


「一時間だ」

「あたしもそれが限度よ」


「なるほどな。オレもそのくらいが限度だ。そのあとどうなるかは自分でもわからねぇ」


 今三人が確認し合ったのは、『自分が煙草を吸わずに活動することのできる時間』である。


 ニコチン。


 喫煙者の行動可能時間は、ニコチンによって縛られている。

 ニコチンとは、煙草に含まれる化学物質のひとつで、その毒性もさることながら非常に強い中毒性を持っている。依存性だけで言えば、危険薬物のそれをも上回るほどに強烈だ。

 このニコチンが彼らの体内から切れたとき、極度の焦燥・集中力の低下、極端な体調不良などが巻き起こる。ひどい場合は痙攣すらも引き起こしてしまうほどに厄介な中毒症状だ。このニコチンの性質により、彼らは定期的に煙草を摂取しなければならない運命にある。

 その他煙草に含まれている化学物質は、アセトン、ブタン、ヒ素、カドミウム、一酸化炭素、トルエンなど4000種類にも及ぶ。うち200種類以上が有害で、発がん性のあるものは50種類にも及ぶ。

 煙草はつまり、猛毒だ。

 彼らの猶予は、常に短い。


「よし、行くか」


「ああ」

「ええ」


 無論、彼らはそれを理解している。

 自らに毒を盛り、得体の知れない蝕みと共に生きている。

 過酷な運命を自ら背負い、受け入れ、戦い続けている。


 何故なにゆえ――なぜそこまでして、彼らは煙草を吸い続けるのか。

 一体何の意志を持ち、彼らはそれを口に運ぶのか――。


『毒を持って毒を制す』という言葉がある。

 なにも毒があるのは煙草だけに限らない。空気や食物、オトコやオンナ、床や手すりにだって毒は潜んでいる。この世を生きている限り、無菌状態なんてあり得ない。

 毒に触れ、毒を持ち、毒と戦い、毒を制す。

 それが‶生きる〟ということを、彼らは知っている。

 人が生きていこうとすることに、深い理由なんてない。

 つまり彼らが煙草を吸うことに、深い意味なんてない。

 よって究極的な結論は、以下の一言に全て集約されている。


(吸いたいから、吸う)


 それだけだ!



「よし、行くぞみんな!」


「ああ!」

「ええ!」


 かくして三人は、『シカゴ』に足を踏み入れた。

 制限時間は、一時間。

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