二幕_2


 ──お前は人ではない。

 連雀の言葉がのうによみがえる。

 ──俺たちと同じ鳥仙だ。

「………………そんなこと、どうやって信じろっていうの!?」

 ここは連雀と名乗った男のしき。その殿どの

 あおいはだぽん、と怒りにまかせておけを乱暴に湯の中につっ込んだ。

「もうっ! わけがわからない! あの男!」

 一人で文句を言いながら、手桶の湯を勢いよく体にかける。温かい湯があおいの体にこびり付いたどろを流した。

とつぜんわけがわからないことを言って、あげくに空から落とそうとして! し、死ぬとこだったじゃないの!」

 思い出すともはや恐怖以上に怒りを感じる。

 なんとか死なずに済んだのは吉備が助けてくれたおかげだった。我に返ると彼の腕の中にやさしく抱かれ、しかしがっかりなほどに下半身は田んぼの泥につかりまくっていたのだ。

 その後は吉備に抱かれたまま、再び連雀の屋敷へと運ばれてしまった。抵抗しようにももう、ろうと空腹とこしけたのとで力が出ないまま、集まってきた化けだぬきたちに囲まれて、あれよあれよとこの湯殿へと押しこまれたのだった。

 あおいはぬかぶくろで強く体中をこすり上げた。なつとくいかない怒りだとか、じんきようぐうだとか、連雀とかいう男のつっけんどんな態度だとか、そういった不満をぶつけるように力いっぱい体を洗った。泥のこびり付いた足を洗っていると余計に腹が立ってくる。

(なにが、「かわいそうに」よ)

 吉備の言葉を思い出して、あおいはけんにしわを寄せた。

 ──本当によくへんできないんですね。かわいそうに。

 優しいおもしをくもらせて、同情するように吉備は言った。そして帰りたいと泣くあおいに、吉備はおだやかに、けれどもしっかりと言いふくめるように続けたのだ。

「あなたは両親がちようせんの、純血二世。生まれついての鳥仙なのです」

 何かのちがいだと首をるあおいに、確信している様子で「間違いようがない」という。

「あなたは知らないだけなのです。人間の母親も気がついてはいないでしょう。わたしたちは三社祭でようやくあなたを見つけ出し、ことをあらてないようによめに出るという形で連れ帰ってきたのです」

 吉備や連雀たちの言い分はそういうことなのだ。あおいは人間ではなく鳥の仙、鳥仙という存在で、だから騙してさらったのではなく連れもどしただけなのだ、と。

(そんなばかな)

 あおいは糠袋を桶の中にぶん投げた。どう考えたって自分は人間で、人間でない部分なんて一つもない。背中に翼なんてものもない。それをどういうかんちがいで間違いないなどというのだろう。

 こすり上げた体を流し、おけの湯にそっとすべりこむ。ぜいたくにもなみなみと張られていた湯はいくらかあふれてゆかにこぼれた。「贅沢だわ」と口にして、あおいはそっと目を閉じた。

 湯屋になら行ったことがあるが、こんな備え付けの内風呂に入るのなど人生初めてのことだ。ほうこうしていた材木問屋には、妻のための風呂のほかにめかけのための風呂まであったけれど、まさか下働きのあおいが使えるはずもない。いつも裏庭の水場で水をかぶって体をこすり、何日かに一度の割合で近くの湯屋に通う程度だった。

「風呂桶を洗ったことは、何度もあるけど……ね」

 温かい湯はとろけそうなほどに心地ここちいい。ぜつみような湯加減だった。息を吸い込めばせいりようひのきかおりが胸いっぱいに広がる。「あー極楽ごくらく極楽」とほっこり息をつきそうになったあおいは、はっと慌てて首を振った。

「いけない! きっと、それがこんたんなんだわ。贅沢に慣れさせて、そんでもって、元の貧しい下働き生活に戻りたくないって気持ちにさせるという!」

 その手には乗るもんか! と湯をすくって顔にかけた。目を覚ますためだったけれど、とんでもなく気持ちがいい。おそろしいほどに逆効果だった。

 立ちこめた湯気と檜の香りはおどろくほどにあおいのいかりをしずめてくれる。

 あまりの心地よさに怒りをがれ、それどころか理性がぐらぐらとれてしまうのが自分でもわかる。この鳥界山とかいう所に住めば毎日こんなふうに風呂に入れるのだろうか、毎晩のんびりと極楽気分が味わえるのだろうか、死なずに極楽に行けるなんてまたとない機会ではないかなんて事を思わずちらりと考えてしまう。自分のびんぼう具合と現金さに落ち込みそうだ。

 うう、とてんじようあおぎ見た。

「……なんで、こんなことになっちゃったの」

 頭がぼうっとしてきた。そろそろのぼせそうだ。あおいはふらふらとおぼつかない足取りで風呂からあがったのだった。



 用意されていたえはまたもや絹のじゆばん、そしてきぬつむぎの贅沢な着物だった。はだみのいいそれにそでを通せば、なんだか本当に玉の輿こしに乗ったような気分になってくる。先日まで身につけていた綿めんの古着とはうんでいの差だ。

 脇に置かれていたつんつるてんのその古着を見ていると、自分がものすごくみじめな存在だった気さえしてくる。あおいはそんな考えを振りはらうように首を振った。

「わたしだっていつまでも貧乏下働きでなんていないわ。もっと仕事を覚えて家事のうでも上げて、もっと条件のいい働き口に移って。そう、貧乏だつしゆつ大作戦よ! なにも狸の里で豊かになる必要なんてない」

 自力で何とでもなる! そのために今まで必死に働いてきたんだ! そう胸を張って湯殿を出ると、待ち構えていたふかふかの狸がぺこりと頭を下げた。

「おえが済みましたらこちらでス。わたくし、あおい様のお世話をおおせつかっております、ポ太郎と申しますでス。ささ、こちらこちらへ」

「ちょ、ちょっと、どこに……」

 あおいがていこうを見せると、わらわらと狸たちが現れて、まるで波に?まれるかのようにしてあおいはろうを運ばれていった。

 通されたのは立派なおくしきの一間。美しいぼくさいあざやかな石楠花しやくなげかざられたとこの間を背にし、連雀は座っていた。ポ太郎があおいにも座るようにとうながしたけれど、それには従わず足をみ出す。

「連雀さんっ」

 連雀のするどまなしがあおいに向けられる。はくりよくに負けそうになりながらも、あおいは気合いを入れて息を吸った。言うことは二つ。「お風呂をありがとう」と「やはり帰ります」だ。

 ところが、かんじんなところでおなかが鳴った。……どうしようもないほど盛大に。

「…………いえ、あの」

 しんと静まり返って全員があおいを見つめる。連雀の視線も気まずいけれど、純真な狸たちのひとみもいたたまれないほどにずかしい!

 連雀にめ寄ることも出来なくて、結局あおいは身を小さくして腰を下ろした。

「あおい様。あせらずとも、ただいまお食事をお持ちいたしまス」

 あわれんだようにそっと耳打ちしてくる言葉が痛い。恥ずかしさに消え入りそうになっていたあおいはここでふと顔を上げた。

(食事? って、まさかあのたぬきぜん!?)

 ついうっかり席に着いてしまったけれど、断じてお断り申し上げたい!

『狸御膳』のきように立ち上がりかけたところで、狸たちが膳を手に入室して来た。鼻先を甘いご飯の香りがかすめる。吸い寄せられるようにあおいは目の前にしつらえられたそれをぎようした。

(──狸御膳じゃない!)

 うるしりの膳の上には湯気のたつ白いご飯。しるでかさ増ししたぞうすいでもなく、ひえあわも麦も混ざっていないしようしんしようめいかがやかんばかりの白めしだ! しかもその横には汁物、そして焼きたけのこと青菜のおひたし、まるまると大きな焼き魚まで並んでいる。

 あおいの口の中はえきだいこうずいが起きていた。父が死に、奉公に出て以来こんな立派な食事にありつけるのは初めてのことだ。

「どうした? いい加減腹が減るころだと思うんだがな」

 連雀のため息まじりの声に、あおいはあわててつばを飲み下した。さっき腹の音をしっかり聞いたくせに、しれっとしてそんなことを言うなんて意地悪だ。負けるもんか。もう一度勇気を振りしぼる。

「連雀さん、わたしお食事をめぐんでもらいに来たんじゃないの」

「俺は食事時だ。話なら食い終えるまでそこで待ってるんだな」

 言いながら魚にはしを入れる。ふっくらとした身が湯気を立て、あおいは思わずのどを鳴らした。ポ太郎があおいの膳を下げようと持ち上げて、条件反射のようにとっさにそれに手をばす。思えばずいぶんと食事をとってない気がする。

 膳をはさんでまんまるい黒豆のような目としばし見つめあった。おなかが減っているせいかそれすらも美味おいしそうに見える。

「せ、せっかくだから、連雀さんを待ってる間、あの…………いただきます」

「そうでスか、ひつにまだございまス。たんとお召し上がりください」

 ポ太郎はうれしそうにひげをそよがせながら膳を下ろす。あおいは自己けんおちいりながら箸を取った。

(うぅ、これも『贅沢に慣れさせる作戦』の一つにちがいないのに、まんまとまるおろかなわたし……)

 気分は最悪に落ち込んでいるのに、顔は最高にほころんでるのが自分でもわかってしまうのだから情けない。

 白米はの白石よりもピカピカと輝いていた。口にふくんで?みしめれば、頭のてっぺんまでほのかな甘みが広がる。?むのもしい、のみ込むのも惜しいと思いつつ箸は止まらない。

(し、至福ぅ!)

 香りよくほろ苦い菜ものもご飯によく合い、ふっくらやわらかい魚の塩焼きもまたご飯を進める。けされるもんか、贅沢にあこがれるもんかと心の中で必死に唱えながら食事を終えてみると、あおいは結局三ばいのお代わりを平らげていた。



 片付けが終わると部屋にはたぬきもいなくなり、連雀とあおいはたった二人きりになった。気まずいふんに背を押されるようにあおいは口を開いた。

「……ごそうさまでした。とても美味しかったわ、ありがとう。──あの、吉備さんっていう男のひとは?」

「自分のしきもどった。なんせどろだらけだったからな」

「……きれいなお着物をよごしてしまって。会えたらお礼とおびを言いたいわ」

「会える。あいつはひまを作ってはここに遊びに来るからな。それより、話を聞く気はあるか?」

 あおいは少しばつが悪くじろぎした。結局「家に帰して!」と詰め寄る雰囲気ではなくなってしまった。ももらってちゃっかり食事まで平らげてしまったのだ。現金なむすめと思われただろうか。かといって、さんざお世話になったあげくっぱねるのもれいらずな気がする。ああ……自分の食い意地がにくい。

「…………すこしは」

 ためらいがちにうなずいた。かしただけの長いかみがさらりとかたすべる。連雀は茶を飲み干してから口を開いた。

「あおい、ここがお前がしばらく住むことになる屋敷だ。俺の屋敷だが、自由に使ってかまわない。食事も出す。着るものも用意する。衣食住を心配する必要はない」

「衣食住以前の問題だわ。玉の輿話がうそだったなら、早く帰して欲しいんですけど」

「そんなにほうこうの身分が好みだったのか?」

「前も言ったけど違うわよっ。わたしはだまされたの。だから帰るの」

「確かに輿こしれ話は建て前だったが、結局玉の輿とたいぐうは変わりないと思うぞ。少なくとも下働きをする必要はない」

「そういう問題じゃないわ」

「そんなに帰りたいか?」

 連雀はうんざりした目であおいをえた。ただでさえ目元の鋭い連雀のその表情に、あおいは思わず息を詰めた。

 おこられるのかと思いきや、連雀はただ立ち上がっただけだった。

「ついて来い」

 それだけを言うと部屋を出て行こうとする。あおいは少し迷った後、彼の後を追った。



 連雀はき物を履くと、そのまま屋敷の門を出てけいしやのある大路へと出た。あおいがげ出すためにけ下りたのとは逆の方向、ゆるやかな上り道を行く。

 ただ無言で歩く彼の背には、今はつばさがない。出し入れが自由なようだ。ちらりと聞いた『よくへん』という言葉は、もしかしたら翼を出して飛ぶことをいうのかもしれない。

 往来にはやはり二足歩行のけものの姿が見える。彼らはみな、それぞれに屋敷のけい駕籠かご屋、大屋敷を営業して回る行商などの仕事があるようだった。

 逆に美しい髪色の、おそらくはちようせんという存在たちのほうはといえば、いい着物を着流してゆうな足どりで歩いている。農耕どころか何か仕事をしているような様子は見えない。

 思えば、連雀の屋敷で小間使いとして働いていたのもみな狸だった。

「ねえ、連雀さん」

 先を行く背に話しかけると、「連雀でいい」と素っ気ない答えが返ってくる。

「じゃあ、えっと……えんりよなく。連雀……もしかして、あのへんな獣たちって、鳥仙とかいう仙の下で働いてるの?」

「あれらは『じゆうせい』という。仙になるためのしゆぎようの身だ。仙の下で働くと、その働きに応じて仙気をあたえられる。その際の仙気は便べんじよう『仙貨』という、地上界で言う金銭のような形ではらうことになってる」

 連雀はあおいに手のひらを差し出した。なんだろう、と見ているとあわく手のひらに光のうずかび、次にはみどりいろの一文銭が現れていた。

「え、なに!? すごい!」

 これが仙術ってやつなのだろうかと、おどろきながらそれを受け取る。材質はすいだ。

「この仙貨っていうのがここの通貨なの?」

 なんて便利なんだろう。手からぜにが出るのだ。さいがいらないからられる心配だってない。

(あ、でも仙界に掏摸すりなんているわけないか)

 感心しながら仙貨を返す。連雀の手のひらにせると、今度は現れた時と同じくいつしゆんで消えた。

「通貨とは違う。言ったろう、仙貨は仙気だ。獣精はこれを集めて仙にしようかくする。まあ、簡単な量ではないけどな」

「なんだかとても不思議」

「すぐに理解できるし慣れる。なにせお前も仙だ。しかも決して生まれないとされていた、仙同士の間に出来た純血の二世」

 たんたんとした口調で告げられた言葉に、あおいは重いため息をおとした。連雀はそれが事実だといつさい疑っていない様子だ。どう言ったら誤解が解けるのだろう。

「あのですね、わたしは生まれも育ちも人間で、どうまかり間違っても鳥になんてならないのよ。背中見てよ、翼だって……って聞いてる?」

「ついたぞ」

 あおいのうつたえを背中で聞きながら、連雀は急に足を止めた。立派なお屋敷の立ち並ぶなかでもひときわ大きな大屋敷を過ぎ、建物がなくなった大路のどんまりだ。

 左右には注連しめなわのされた大岩が門柱のようにせり立つ。まるで神社などれいじようのようだけれど、鳥居は見当たらない。そこから先はいしだたみの道がきよぼくに囲まれながらやまはだを登っていた。

「ここは?」

「地上界に産み落とされたお前が、なぜ急に鳥界山に連れ戻されたのか、その理由の一つを見せてやる。百聞は一見にしかずという。なにより神聖な空気にほんしようを思い出すかもしれない」

「なにを見せようって言うの? わたし、こわいのはお断りなんだけど」

「神域だ。怖いものはない。おそれ敬うものはあるけどな」

 そう答えると連雀は大岩の向こうに深々と一礼し、石畳へと足をみ入れた。あおいもあわててそれにならう。

 きつりつするすぎばやしあつぱくされるように細い石畳は続く。うすぐらい登り道のちゆうには、いしどうろうがほのかなあかりをともしていた。

(これって、どうみても神社の参道よね。鳥仙が神様を祭っているの? もしかすると鳥の神様かしら)

 体力には自信があるあおいですら息が切れるほど、きゆうこうばいなんしよも続く険しい参道だった。ところどころ連雀に手を貸してもらいながら登ると、額にあせが浮き出るころになってようやく開けた場所に出る。

 石畳がかれよくき清められたそこは、やはり神社のけいだいによく似ている。

「こっちだ」

 息があがって歩けずにいるあおいの手をとり、連雀はさらに先を行く。

 その彼の手がすごく温かいことに、今更ながらあおいは驚いた。手なら参道でも何度かにぎったけれど、ひたすら登ることに夢中で気がつかなかった。

(仙の手って、人とおんなじなのね)

 温かくて、大きくて、少しかたい。つまり生きているのだ。そう意識するとなぜだかとてもどきどきした。異性に手を引かれて歩くのなんて初めてのことだ。思い返せば強くきしめられたこともあった。

(あ、あれは空から落とすためで! すごくどきどきしたけど、きようでのどきどきばっくばくで……ってなんで言い訳してるのかしらっ)

「──ここは」

「は、はいっ」

 連雀の手のひらにばかり意識を向けていたあおいは、急に声をかけられてびあがった。

「な、なんだ?」

「なんでも、ないです。ここは、なんです?」

 体といつしよになってねあがったどうしずめるように、胸に手を当てながらごまかしのみを浮かべる。連雀はしんそうな顔をしながらも説明を続けてくれた。

「ここは我ら鳥仙がつかえする神の社だ。とはいっても神がここにお住まいになるわけではなく、神事の際などに短期的に御下りになる神域だ」

 ぽかん、と口が開いた。今なんて言ったのだろう。神様が、なんだって?

「ええと、もしかして、仙が実在するなら神仏も実在したりとか、する?」

「仏は知らんが、神がいなくて世はどうしてできるんだ。おかしなことを聞くな」

「……はい」

 そんな当たり前のような答え方をされても困る。あおいはいまだに鳥仙の存在だって理解しきれないでいるのに。

 連雀はあおいの手を引いたまま境内を更に進む。いくつかのしゆりのお社を過ぎると、今は葉ばかりとなったはなももの木を背景に、ひのきりの美しいたいが現れた。

 舞台の上では一人の女性がっている。右手にはすず、左手には何かの枝を握り、それらで天を地をでるようにりながら足を踏み鳴らす、激しいまいだった。

 舞手は目がくりっとした、かわいらしい顔の女性。かみちやまだらなのがとくちようで、こちらに気がつく様子もなく一心に舞っていた。

「彼女はとらつぐみの鳥仙、という。夏の神事は夜に行われる。われら鳥仙は基本的に夜は歌わないから、夏の神事で舞と歌を納めることができる鳥仙は限られている。ふくろう仙、虎鶫仙、不如帰ほととぎす仙などがそうだ」

「ふーん」

「ここ鳥界山では長きにわたって、その夏の神事でのほうのうまいを不如帰仙が受け持っていた。──だがその仙がとつぜん、舞を舞いたくない、歌いたくないといい始めたうえに、とつじよ姿を消した。……十五年ほど前のことだ」

 よくわからない話なので適当にあいづちを打っていると、連雀が意味深げにじっとあおいを見つめてくる。そういえばまだ手を引かれたままだったことに気が付いてあわてて手をひっこめたけれど、視線の意味はそういうことではないらしい。

 きょとんとしていると、連雀はれたように「今いくつだ」と聞いてきた。

「十六だけど?」

(なに? 何か大事なこと言った?)

 答えてからふと「十五年前」という連雀の話が引っかかった。

 十五年、十五年前、それはあおいが生まれた年ではないだろうか。数えで十六歳ということは、生まれたのは十五年前だ。

「……不如帰仙の行方ゆくえはいくらさがしてもわからなかった。しかも同時期に姿を消した仙がいた。かつこう仙だ。二人がともに行動していることはちがいがなかった」

「郭公って、あの、カッコウ、カッコウってやつ?」

 そうだというように連雀は静かにうなずいた。

「今年に入って、その郭公仙だけがようやくそうさく隊に見つかった。遠く京の都でただびととしてあきないをしながら暮らしていたんだが、彼はすでに死のとこにあった。どういうわけかせんとしての力を失ったらしい。仙気を練れないどころか不老でも不死でもなくなっていた。彼が言うに、不如帰仙はもっと早くにくなっていたそうだ。──そして彼は死に際、不如帰仙との間に子が生まれていたことを告白した」

「………………」

 なんとなく話の流れが読めてきたあおいは、そっと舞台の上へと視線を移した。激しくにぎやかな舞、しかし当の舞子の表情はどこか浮かない。

「ねえ、連雀、その不如帰の仙と郭公の仙って、もしかしてけ落ちだったの?」

「そうだな。神納の舞子は純潔である必要がある。二人が結ばれることは許されなかった」

「それで、げたんだ」

「そうだな」

「…………わたし、そんなに学があるわけじゃないんだけど、たくらんっていうの、知ってるわ。たしか郭公も不如帰も、托卵をするのよね」

「そうだ」

 ばさ、という音が静かな神域にひびいた。津久見が背につばさを広げた音だ。舞が終わったのか、髪と同色の翼を広げゆっくりとしようすると、どこかへと去っていった。

 あおいはそれを見つめて静かに目を閉じた。

 ──托卵。その言葉を教えてくれたのはだれだっただろう。幼い頃に父に教わったような気もするし、まったくほかの誰かだったような気もする。

 カッコウ、カッコウという鳴き声はあまりえんのいい声ではない。カッコウとはすなわちかんどりの鳴き声だからだ。幼かったあおいはそれを知らず、ただよく通るその不思議な声に興味を持って、大人に何の鳥かたずねたのだ。

 大人は確か困ったような顔をして、郭公という名前、そして「托卵というおもしろい習性があるんだよ」と教えてくれたのだと思う。

 あおいはゆっくりと目を開き、連雀を見上げた。

「郭公も不如帰も巣を作らない。卵を抱くこともしない。百舌もずだとかほかの鳥が作った巣に卵を産みつけて育ててもらう。そうでしょう?」

「そうだな」

 初夏の風がいちじん強くけた。髪がなびいてたがいの表情をかくす。あおいは乱れた髪をかきあげながら、反対の手で胸を押さえた。

 郭公と不如帰が駆け落ちしてふうになる。その子供は托卵され、当然のように実の両親を知らない。それがどういうことなのか。

「……そうだな、ばっかりよ連雀。あなたが言いたいのはこうでしょ、お前はそうやって鳥仙から人間に托卵されて生まれて来たんだ、って」

「認めるのか、思い出したのか?」

 連雀の真っぐなまなしがこうていを押し付けているように思えて、のがれるようにあおいは体の向きを変えた。連雀の言い分はわかったけれど、自分が鳥の仙の間に生まれた子供だなんて、どうして信じられるだろう。

「全然おくにない。認めたいとも思わないわ」

 否定をしているのに、思い出すのは母が首をひねりながら自分を見つめる仕草だ。母が不思議そうな表情でよく口にしていた言葉がある。

 ──お前は先祖がえりなのかもしれないねぇ。あたしにもおっとうにも全然似ちゃいない。

(その答えが……まさかそういうこと、なの?)

 そんな鹿なと笑ってしまいたいのに、心のどこかがざわざわとざわめいてそれをさせない。苦しい、みような感覚。

「お前が認めなくとも、鳥仙のだれもがお前を仲間だと認めるだろう」

「だからどうしてなの!?」

 感情を無視した言い草に腹が立った。苦しい感情をぶつけるように声をあららげると、連雀はあきれた表情であおいを見下ろす。

「お前からは『仙気』を感じるからだ」

「仙気?」

 ぽかんと口が開いた。連雀はそうだという風に目線だけで頷く。

「仙気は仙であるあかし。人にもじゆうせいにも無いものだ。お前は生まれながらにたんでんで仙丹を練り、仙気を作り出す方法を知っている。そういうことができる者を、俺はほかに知らない」

「ちょ、ちょっと待って! 仙気を作り出す方法なんてしらない! ……っていうのは信じないのねその顔は。だいたい丹田って何よ?」

「体中を流れている『精』を『気』に練り上げ、その『気』をさらに練ると『仙丹』になる。仙気は仙丹から放たれるもので、丹を作り出すところを米を作り出す田に見立てて丹田という」

 すずしい顔でさらりと説明されたが全然わからない。あおいは頭をかかえた。

「じゃあ気を練るって?」

「それは聞かれても困る。どうやって息をするのか、と聞かれているのと同じようなものだ」

 つまりあおいは生まれつき、まるで息をするように自然にこなしているということだろうか? 両手のひらから足の先まで見下ろしてみたけれど、まったくそんな実感はない。感じられないものを信じろというのは無理な話だ。

 なつとくのいかない感情をそのまま顔に出すと、連雀はじりとまなじりり上げた。

ごうじようだな。──見ろ」

 あおいが顔を上げるのと、大きな翼が広げられたのは同時だった。

 赤みのあるはいかつしよくの翼。風切り羽にははくはんあざやかな黄色。そして風切りの一部にはせんれつな色合いのあか?《ろう》にも似たかざり。それがやわらかく風を抱きながら木かがやいていた。

(──きれい)

 思わずれかけた意識を連雀のするどい視線がさえぎった。

「この翼は鳥仙の証し。俺はまごうかたなきれんじやく仙。それはいいか?」

 問われてあおいは頷いた。それは否定しない。

 よし、というふうに連雀はうでを組む。

「仙である俺がお前に仙気を感じる。それも紛うかたなき事実ということだ」

 反論を口にしかけて、結局あおいは押しだまった。連雀を仙と認めるということは、確かに自分の仙気を認めることになるのかもしれない。

(……でもわたしが、鳥仙?)

 まだ疑う気持ちが残っているのは『無駄な強情』なのだろうか? 例えば背中に翼が生えているだとか、わかりやすい決定打があれば否定のしようがないけれど、今の状態でどうすればすんなり聞き入れられるのかを逆に聞きたい。

 こんわくするばかりのあおいを無視して、連雀はたいの上へと視線を移す。

「お前がどれだけがんなく否定しようとも、お前にはすでに任された仕事がある。津久見のかわりに夏のまいを務めることだ」

「──……え、ま、舞子!?」

 とつぴようもなくいた話にあおいはまたたいた。任されたって一体いつの話だろう。

不如帰ほととぎす仙のかわりに今までずっととらつぐみ仙の津久見が舞子を務めてきた。だが正直、彼女では仙気がうすい。それに彼女には地上界に待たせた人のこいびとがいるんだ。この十五年、お前の母の代わりに舞子を務めてきた彼女を解放してやってくれ」

「ちょ、ちょっとまってよ、急に何!? 玉の輿こし?うそだったとか、人じゃないとか仙だとか、その挙げ句に舞子って!」

 とんでもない話ばかりがほんりゆうのように押し寄せてくる。ていこうを見せるあおいに、あくまでも連雀の眼差しは冷たい。

「何度もいうが、実際玉の輿とたいぐうは変わりない。家事も身の回りの世話もすべて獣精がやってくれる。帰ったところで何度も連れもどすし、そもそも帰り道もわからないだろう。無駄な抵抗はやめて、さっさと神楽かぐらまいの練習に努めたほうがいい。時間と労力の無駄だ」

「無駄な抵抗って何よ、勝手に連れてきたくせに!」

「気持ちに整理がつかないのなら、仙界にとついで来たと思えばいい。嫁ぎ先でのしきたりというやつが神楽舞の練習だ」

「そ、そんな勝手な言い分、わたしの意思なんてどうでもいいっていうこと!?」

 要するにせんたくがなく強制的ということだ。連雀は答えずに、ただえいな眼差しであおいを見ている。

 なんだかふつふつといかりが湧いてきた。

 こういう風に一方的に考えを押し付けて、目つき悪く見下ろすところがほうこう先のねえさんによく似ている。立場が弱くて逃げようがない者を相手に、つけもの石をせるように難題を押し付ける。そうして三つも四つも漬物石を載っけたあげく、胡瓜きゆうりが──相手がぺなぺなにつぶれればわらう。そうやって何人もめさせてきた。

(──わたしは、絶対に潰れない)

 ぎしりをするような気持ちで働いてきた。家事の腕を上げ、もっと条件のいいところへ移る日を目標にして。びんぼう人にだってきようも野心もあるのだ。

 いいわ、と連雀を真正面から見つめ返した。

「やってやろうじゃない。今日から舞子に転職してやるわ!」

 かんぺきに舞を覚えて、その切れ上がったきようあくな目をまん丸くさせてやるんだから。あおいは袖をたくし上げた。

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