二幕_2
──お前は人ではない。
連雀の言葉が
──俺たちと同じ鳥仙だ。
「………………そんなこと、どうやって信じろっていうの!?」
ここは連雀と名乗った男の
あおいはだぽん、と怒りにまかせて
「もうっ! わけがわからない! あの男!」
一人で文句を言いながら、手桶の湯を勢いよく体にかける。温かい湯があおいの体にこびり付いた
「
思い出すともはや恐怖以上に怒りを感じる。
なんとか死なずに済んだのは吉備が助けてくれたおかげだった。我に返ると彼の腕の中に
その後は吉備に抱かれたまま、再び連雀の屋敷へと運ばれてしまった。抵抗しようにももう、
あおいは
(なにが、「かわいそうに」よ)
吉備の言葉を思い出して、あおいは
──本当に
優しい
「あなたは両親が
何かの
「あなたは知らないだけなのです。人間の母親も気がついてはいないでしょう。わたしたちは三社祭でようやくあなたを見つけ出し、ことを
吉備や連雀たちの言い分はそういうことなのだ。あおいは人間ではなく鳥の仙、鳥仙という存在で、だから騙してさらったのではなく連れ
(そんなばかな)
あおいは糠袋を桶の中にぶん投げた。どう考えたって自分は人間で、人間でない部分なんて一つもない。背中に翼なんてものもない。それをどういう
こすり上げた体を流し、
湯屋になら行ったことがあるが、こんな備え付けの内風呂に入るのなど人生初めてのことだ。
「風呂桶を洗ったことは、何度もあるけど……ね」
温かい湯はとろけそうなほどに
「いけない! きっと、それが
その手には乗るもんか! と湯をすくって顔にかけた。目を覚ますためだったけれど、とんでもなく気持ちがいい。
立ちこめた湯気と檜の香りは
あまりの心地よさに怒りを
うう、と
「……なんで、こんなことになっちゃったの」
頭がぼうっとしてきた。そろそろのぼせそうだ。あおいはふらふらとおぼつかない足取りで風呂からあがったのだった。
用意されていた
脇に置かれていたつんつるてんのその古着を見ていると、自分がものすごく
「わたしだっていつまでも貧乏下働きでなんていないわ。もっと仕事を覚えて家事の
自力で何とでもなる! そのために今まで必死に働いてきたんだ! そう胸を張って湯殿を出ると、待ち構えていたふかふかの狸がぺこりと頭を下げた。
「お
「ちょ、ちょっと、どこに……」
あおいが
通されたのは立派な
「連雀さんっ」
連雀の
ところが、
「…………いえ、あの」
しんと静まり返って全員があおいを見つめる。連雀の視線も気まずいけれど、純真
連雀に
「あおい様。あせらずとも、ただいまお食事をお持ちいたしまス」
(食事? って、まさかあの
ついうっかり席に着いてしまったけれど、断じてお断り申し上げたい!
『狸御膳』の
(──狸御膳じゃない!)
あおいの口の中は
「どうした? いい加減腹が減るころだと思うんだがな」
連雀のため息まじりの声に、あおいはあわてて
「連雀さん、わたしお食事を
「俺は食事時だ。話なら食い終えるまでそこで待ってるんだな」
言いながら魚に
膳を
「せ、せっかくだから、連雀さんを待ってる間、あの…………いただきます」
「そうでスか、
ポ太郎はうれしそうに
(うぅ、これも『贅沢に慣れさせる作戦』の一つに
気分は最悪に落ち込んでいるのに、顔は最高にほころんでるのが自分でもわかってしまうのだから情けない。
白米は
(し、至福ぅ!)
香りよくほろ苦い菜ものもご飯によく合い、ふっくらやわらかい魚の塩焼きもまたご飯を進める。
片付けが終わると部屋には
「……ご
「自分の
「……きれいなお着物を
「会える。あいつは
あおいは少しばつが悪く
「…………すこしは」
ためらいがちに
「あおい、ここがお前がしばらく住むことになる屋敷だ。俺の屋敷だが、自由に使ってかまわない。食事も出す。着るものも用意する。衣食住を心配する必要はない」
「衣食住以前の問題だわ。玉の輿話がうそだったなら、早く帰して欲しいんですけど」
「そんなに
「前も言ったけど違うわよっ。わたしは
「確かに
「そういう問題じゃないわ」
「そんなに帰りたいか?」
連雀はうんざりした目であおいを
「ついて来い」
それだけを言うと部屋を出て行こうとする。あおいは少し迷った後、彼の後を追った。
連雀は
ただ無言で歩く彼の背には、今は
往来にはやはり二足歩行の
逆に美しい髪色の、おそらくは
思えば、連雀の屋敷で小間使いとして働いていたのもみな狸だった。
「ねえ、連雀さん」
先を行く背に話しかけると、「連雀でいい」と素っ気ない答えが返ってくる。
「じゃあ、えっと……
「あれらは『
連雀はあおいに手のひらを差し出した。なんだろう、と見ていると
「え、なに!? すごい!」
これが仙術ってやつなのだろうかと、
「この仙貨っていうのがここの通貨なの?」
なんて便利なんだろう。手から
(あ、でも仙界に
感心しながら仙貨を返す。連雀の手のひらに
「通貨とは違う。言ったろう、仙貨は仙気だ。獣精はこれを集めて仙に
「なんだかとても不思議」
「すぐに理解できるし慣れる。なにせお前も仙だ。しかも決して生まれないとされていた、仙同士の間に出来た純血の二世」
「あのですね、わたしは生まれも育ちも人間で、どうまかり間違っても鳥になんてならないのよ。背中見てよ、翼だって……って聞いてる?」
「ついたぞ」
あおいの
左右には
「ここは?」
「地上界に産み落とされたお前が、なぜ急に鳥界山に連れ戻されたのか、その理由の一つを見せてやる。百聞は一見にしかずという。なにより神聖な空気に
「なにを見せようって言うの? わたし、
「神域だ。怖いものはない。
そう答えると連雀は大岩の向こうに深々と一礼し、石畳へと足を
(これって、どうみても神社の参道よね。鳥仙が神様を祭っているの? もしかすると鳥の神様かしら)
体力には自信があるあおいですら息が切れるほど、
石畳が
「こっちだ」
息があがって歩けずにいるあおいの手をとり、連雀は
その彼の手がすごく温かいことに、今更ながらあおいは驚いた。手なら参道でも何度か
(仙の手って、人とおんなじなのね)
温かくて、大きくて、少しかたい。つまり生きているのだ。そう意識するとなぜだかとてもどきどきした。異性に手を引かれて歩くのなんて初めてのことだ。思い返せば強く
(あ、あれは空から落とすためで! すごくどきどきしたけど、
「──ここは」
「は、はいっ」
連雀の手のひらにばかり意識を向けていたあおいは、急に声をかけられて
「な、なんだ?」
「なんでも、ないです。ここは、なんです?」
体と
「ここは我ら鳥仙が
ぽかん、と口が開いた。今なんて言ったのだろう。神様が、なんだって?
「ええと、もしかして、仙が実在するなら神仏も実在したりとか、する?」
「仏は知らんが、神がいなくて世はどうしてできるんだ。おかしなことを聞くな」
「……はい」
そんな当たり前のような答え方をされても困る。あおいはいまだに鳥仙の存在だって理解しきれないでいるのに。
連雀はあおいの手を引いたまま境内を更に進む。いくつかの
舞台の上では一人の女性が
舞手は目がくりっとした、かわいらしい顔の女性。
「彼女は
「ふーん」
「ここ鳥界山では長きにわたって、その夏の神事での
よくわからない話なので適当に
きょとんとしていると、連雀は
「十六だけど?」
(なに? 何か大事なこと言った?)
答えてからふと「十五年前」という連雀の話が引っかかった。
十五年、十五年前、それはあおいが生まれた年ではないだろうか。数えで十六歳ということは、生まれたのは十五年前だ。
「……不如帰仙の
「郭公って、あの、カッコウ、カッコウってやつ?」
そうだというように連雀は静かに
「今年に入って、その郭公仙だけがようやく
「………………」
なんとなく話の流れが読めてきたあおいは、そっと舞台の上へと視線を移した。激しく
「ねえ、連雀、その不如帰の仙と郭公の仙って、もしかして
「そうだな。神納の舞子は純潔である必要がある。二人が結ばれることは許されなかった」
「それで、
「そうだな」
「…………わたし、そんなに学があるわけじゃないんだけど、
「そうだ」
ばさ、という音が静かな神域に
あおいはそれを見つめて静かに目を閉じた。
──托卵。その言葉を教えてくれたのは
カッコウ、カッコウという鳴き声はあまり
大人は確か困ったような顔をして、郭公という名前、そして「托卵という
あおいはゆっくりと目を開き、連雀を見上げた。
「郭公も不如帰も巣を作らない。卵を抱くこともしない。
「そうだな」
初夏の風が
郭公と不如帰が駆け落ちして
「……そうだな、ばっかりよ連雀。あなたが言いたいのはこうでしょ、お前はそうやって鳥仙から人間に托卵されて生まれて来たんだ、って」
「認めるのか、思い出したのか?」
連雀の真っ
「全然
否定をしているのに、思い出すのは母が首を
──お前は先祖がえりなのかもしれないねぇ。あたしにもおっとうにも全然似ちゃいない。
(その答えが……まさかそういうこと、なの?)
そんな
「お前が認めなくとも、鳥仙のだれもがお前を仲間だと認めるだろう」
「だからどうしてなの!?」
感情を無視した言い草に腹が立った。苦しい感情をぶつけるように声を
「お前からは『仙気』を感じるからだ」
「仙気?」
ぽかんと口が開いた。連雀はそうだという風に目線だけで頷く。
「仙気は仙である
「ちょ、ちょっと待って! 仙気を作り出す方法なんてしらない! ……っていうのは信じないのねその顔は。だいたい丹田って何よ?」
「体中を流れている『精』を『気』に練り上げ、その『気』を
「じゃあ気を練るって?」
「それは聞かれても困る。どうやって息をするのか、と聞かれているのと同じようなものだ」
つまりあおいは生まれつき、まるで息をするように自然にこなしているということだろうか? 両手のひらから足の先まで見下ろしてみたけれど、まったくそんな実感はない。感じられないものを信じろというのは無理な話だ。
「
あおいが顔を上げるのと、大きな翼が広げられたのは同時だった。
赤みのある
(──きれい)
思わず
「この翼は鳥仙の証し。俺は
問われてあおいは頷いた。それは否定しない。
よし、というふうに連雀は
「仙である俺がお前に仙気を感じる。それも紛うかたなき事実ということだ」
反論を口にしかけて、結局あおいは押し
(……でもわたしが、鳥仙?)
まだ疑う気持ちが残っているのは『無駄な強情』なのだろうか? 例えば背中に翼が生えているだとか、わかりやすい決定打があれば否定のしようがないけれど、今の状態でどうすればすんなり聞き入れられるのかを逆に聞きたい。
「お前がどれだけ
「──……え、ま、舞子!?」
「
「ちょ、ちょっとまってよ、急に何!? 玉の
とんでもない話ばかりが
「何度もいうが、実際玉の輿と
「無駄な抵抗って何よ、勝手に連れてきたくせに!」
「気持ちに整理がつかないのなら、仙界に
「そ、そんな勝手な言い分、わたしの意思なんてどうでもいいっていうこと!?」
要するに
なんだかふつふつと
こういう風に一方的に考えを押し付けて、目つき悪く見下ろすところが
(──わたしは、絶対に潰れない)
いいわ、と連雀を真正面から見つめ返した。
「やってやろうじゃない。今日から舞子に転職してやるわ!」
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