第7話

 どのくらい時間が経っただろうか。俺がゆっくりと顔を上げると、桃子がポカンとした表情で、しかし真っ赤になりながらぼんやり俺を見つめ返していた。


「ダメか?」

「え、えっと……」

「俺は、お前たちの力になれたらいいな、って思えたんだけど……。力量不足か?」


 すぐに桃子はぶんぶんと頭を左右に振った。


「あの、とっても嬉しいです!」


 すると花が開くかのように、桃子の表情がぱあっ、と明るくなった。


「ありがとう、先輩!」

「うわ!?」


 抱きつかれた。思いっきり。


「お、おい、何すんだよ!?」


 そう言いながらも、俺は赤面してしまった。ちょうど俺の腹の上あたりに、柔らかいものが押しつけられているのだが。


「ちょっと、離れろよ!」

「よかったあ……。先輩……」

「も、もういいだろ!? 離してくれよ!!」

「あ、す、すびばせん……」


 桃子は鼻の下を擦りながら、俺から一歩、身を引いた。


「じゃあ最初に、お前の腕の傷、治してやるよ。腕を伸ばして」


 しかし、桃子はそれをやんわりと拒絶した。


「計算で分かってるんですけど、生き物を治すことはできないんです。たとえフィクサーでも」

「あー……」


 俺は肩を落とした。なんだ。せっかく能力を活かす絶好の機会だと思ったのに。


「お二人さん、そろそろいいかい?」


 落ち着いて控えめな言葉が、背後からかけられた。シュワちゃんだ。


「ようやく面子が揃った、ということでござるな!」


 電子も納得した様子で、腕を組んで頷いている。

 今さらだが、忍者なのにツインテールってどうなんだろう。服装も紺色の和服だし。似合わないことこの上ない。


 まあ、電子に対するツッコミはともかく。


「わーい! 滝川先輩が味方になったあ! って痛っ!」

「おい! とりあえずお前は傷に包帯巻いとけ!」

 

 俺はポンポンと桃子の頭を軽く叩いた。


「う~……。先輩が殴ってきた……。敵なのか味方なのか分からないよぅ……」

「殴ってねえ! てかお前がはしゃぎすぎるからだよ、アホ!」


 こうして、電子の言葉を借りれば『面子は揃った』。その言葉に、今までにない充実感に包まれる俺。しかし、待てよ。


「なあ、俺ってやっぱりその……悪徳魔術師に狙われることになるのか?」


 シュワちゃんの方を振り返りながら尋ねる。


「ああ、その心配はいらないよ」


 手をひらひらさせながら、シュワちゃんは応じた。


「ものを修復するというのは、連中にとっても大事な能力のはずだ。君が殺傷行為の対象になることはないよ」


 ふうん、そうか。


「でも、シュワちゃんはなんでそんなに断言できるんだ? その、悪徳魔術師、だっけ? そいつの能力を駆使すれば、俺を傷つけずに拉致するかもしれないじゃないか」

「ん? ああ、それもないんじゃないかな」


 シュワちゃんは顎に手を遣った。


「現在の魔術師の能力、というか、僕らに対するアプローチは、低能な怪物を送り込むしかないんだ。そんな奴らに、魔術師が『君を無傷で拉致する』なんて命令をすることはできないだろう。だから、心配は無用さ」


 そういうものか。

 すると、シュワちゃんはふと腕時計に視線を遣り、


「皆、もう十時過ぎだ。今日はお開きにしよう」


 こうして、桃子たちによる『滝川竜介勧誘作戦』は幕を下ろした。


         ※


「お帰りなさいませ、竜介様」

「あ、どうも、杉山さん」


 マンションの自室前で僕を出迎えてくれたのは、執事の杉山さんだ。品のいい口髭と豊かな白髪が特徴的な初老の男性だ。


「今晩はお帰りがだいぶ遅かったようですが」

「あ、す、すみません……」


 杉山さんの口調は柔らかだが、それだけに良心に訴えかけてくるものがある。


「今後はご一報くださいませ。帰宅時はタクシーを使うことをお薦め致します」

「あ、ありがとうございます……」

「お夕食はいかが致しますか?」


 その時になって、ようやく俺は自分が腹を減らしていることに気づいた。


「じゃあ、お願いします」

「かしこまりました」


 杉山さんは深々と腰から礼をして、厨房へと引っ込んだ。


         ※


 俺と桃子は、『文芸部室』とプレートのかかった部屋でくつろいでいた。

 翌日のことだ。春休みでも学校は開いている、とのことなので、利用させてもらうことにした。俺や桃子の家に集まるよりは、敵に察知されづらいとの考えからだ。


「ふん! ふん!」

「……」


 桃子は暇を持て余してか、釘バットの素振りばかりしている。取り敢えずシュワちゃんが来てから話し合いを、と思っていたのだが。

 ちょうどその時だった。


「ごめんごめん、遅くなったね」


 シュワちゃんがガラリ、と扉を開けて入ってきた。……って、どういうことだ?


「シュ、シュワちゃん? なんでスカート穿いてるんだ?」

「ん? だって制服だろう?」

「いや、そうじゃなくて!」


 俺はシュワちゃんの頭から足元までをじっと見つめた。


「失礼なこと、訊いていいか?」

「何だい? 竜介くん」

「……君は女子なのか?」

「うん」


 あっさりと首肯するシュワちゃん。しかし、それにしては……。

 ぺったんこだ。いわゆる『まな板』だ。そうか、桃子にばかり目を奪われていたから、比較してシュワちゃんを男子とばかり思っていた。


「ごめん、俺が悪かったよ……。忘れてくれ」

「?」


 シュワちゃんは首を傾げたが、俺はすぐに目を逸らした。

 さて。集まったはいいものの、特に何かやるべきことがあるわけではない。怪物が出て来たら狩りにいく。それだけだ。

 シュワちゃんは鞄から文庫本を取り出し、椅子に腰かけて黙々と読み始めた。

 俺もラノベでも読もうと思ったものの、桃子の素振りの掛け声がうるさくて集中できない。

 いい加減、休ませるか。いつ怪物が現れてもおかしくないわけだし。


「おい桃子、今日はそれくらいでいいんじゃないか?」


 しかし、


「いえ! まだまだです!」


 全く、熱心なこった。


「ところで二人とも。春休みの宿題は済ませたかい?」

「あ」

「あ」


 シュワちゃんの声に、俺と桃子は同時に固まった。

 そもそも、ここは俺たちの集合場所であり、戦闘訓練場ではないのだ。


「そうだ、今日は英語と数学と……」


 俺が自分の鞄を漁ろうと身を屈めた次の瞬間、ヴン!! といういい音を立てて、俺の頭上を何かが通過していった。


「ん? っておい!!」


 椅子に座り直した俺。振り返って見てみると、そこには柱に突っ込んでヒビを入れた釘バットが刺さっていた。


「貴様、俺を殺す気か!!」

「ごめんなさい先輩、てへっ」

「何が『てへっ』だよ!! どうにかし――」


 ああ、そうか。こういう場合は俺の能力の出番というわけだ。


「仕方ねえな、フィックスするから、釘バット外せ」

「はーい」


 悪びれる様子もなく、桃子は答えた。


「おっと、フィックスとやら、僕にもようやく目にする機会が回ってきたのかな?」


 シュワちゃんは文庫本を置き、立ち上がって腕を組んだ。

 視線を目的の場所に戻すと、柱に大穴が空いていた。


 右手を差し出し、目をぎゅっと閉じる。破損前の柱の状態を強くイメージする。そして、呟く。


「フィックス」


 すると、ロールスロイスの時のように、ふわりと俺の周囲の空気が修復対象物に向かって流れ始めた。目を開くと、前回同様、虹がかかっているかのような極彩色の中に自分がいることが分かる。


「おおー!」

「ほう……」


 桃子は言わずもがな、シュワちゃんもまた、しげしげと俺の様子を見つめている。と、その時だった。


「あっ、先輩! ストップ! ストーーーーーーーップ!!」

「よし、任せろ! って、え?」

「ストップしてください!!」


 桃子の必死の形相に、俺は慌てて右腕を引っ込めた。

 虹色のオーラは薄くなって消え去り、跡には完治した柱が残っていた。カチリ、といって、最後の破片が柱に収まる。


「ああ、ちょうどよかったな」

「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですよ!」


 桃子はずいっと顔を近づけた。


「フィックスっていっても、やりすぎるとダメなんです! このまま続けていたら、この柱、セメントにまで戻っちゃいますよ!」


 ああ、そうか。フィックスの力は『物体を元の形に修復すること』。確かにやり過ぎれば、物体は原材料にまで戻ってしまう。気をつけなければ。


「なるほど、これがフィックスの力なんだね」


 シュワちゃんは関心しきりだ。修復された柱を、じいっと眺めている。

 しかし、それにしても――。

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