「覚醒」のエリス
エイビスを仕留めたドラゴンの魔属は、残るエリスの始末をすぐに行わなかった。
「彼」にとって、目の前で茫然自失の勇者を始末する等造作もない事だ。それよりもシッカリと絶望を味合わせ、ユックリと料理し、タップリと味わおうと画策していたのだ。
そして十分にその時間は与えた。さぞかし満足のいく味に仕上がっているだろうと考えていた。
「彼」の尻尾が、鎌首を持ち上げる蛇のような動きでエリスに狙いを定める。
そして次の瞬間、エリスに向かって槍と化した尻尾が高速で向かっていった。
―――バチッ!
だが「彼」の思惑に反し、尻尾は彼女の手前で強制的に動きを封じられた。尻尾と彼女の間には僅かな空間があり、どうあっても尻尾はその空間を抜け彼女の体に触れる事は出来なかったのだ。
―――バチッ! バチッ! バチッ!
二度、三度と突き刺すも結果は同じであった。彼女の周囲を何か強力な壁が覆っている様であった。そしてその正体は、すぐに「彼」の目にも確認する事が出来た。
赤い、いや紅い魔力光が発生し彼女を包み込んでいるのだ。
彼女を覆っていた魔力光はドンドン彼女に吸収され、代わりに彼女の体から眩い光が発せられた。
その光の中で、彼女は先程までと違う変形を行う。
彼女の体が一回り、二回り大きくなる。いや、急激に成長をしているのだ。手が、足がスラリとしなやかに伸びる。胸が膨らみ、腰は括れ、まるで少女から大人の女性へと急成長を果たした様な容姿に変化した。
以前の変形でエリスは比較的ゆったりとした服を着る様にしていた事が今回は功を奏した。それでも窮屈となった胸ははち切れそうで、ひざ下まであったスカートの丈は太ももまでせり上がってしまった。
それに併せて伸びた美しい髪が、愛らしい赤毛から輝く銀髪へと変化する。淡いコバルトの瞳も燃える様な深紅に変わり、まるで別人の様な風体となった。
頭には真っ赤なツバ広の羽根付帽子、銀の光沢を放つ胸当て、細かい細工をあしらった白銀手甲、聖銀の膝当てが具現化し、腰には細く美しい鞘を持つレイピアが装備された。
美しい瞳には希望の光を宿してはおらず、そのせいでどこか気怠げな印象を受ける。
武器や防具が変わっただけではなくエリスの体そのものが変化した事に、ドラゴンは驚きを隠す事が出来ず数歩後退した。
「……何……これ……?」
エリス自身、その身に何が起こっているのかすぐに把握出来なかった。ただ自分が大きくなったと言う印象しか持てないでいたのだ。
(エリス、感じるかい? 君の新しい力を)
自身の内側からユーキが話しかけて来る。確かに今までと違う力を感じていた。
それは以前、山で熊に襲われた時感じた力に似ているが、今感じる事が出来る力はその時の比では無い程強力だった。
(まだまだ本当の力には遠く及ばないけど、今はこれで十分の筈だよ。さあ、あのドラゴンを片付けよう)
エリスがスッと顔を上げ、目の前のドラゴンを見た。彼女の瞳にはどこか怯えた様なドラゴンの姿が見て取れた。そしてエリスは無言で腰のレイピアを引き抜く。その刀身は美しく、水を滴らせたように輝いていた。
彼女の行動に気圧されていたドラゴンも、彼女の取ったその行動で我に返り再び攻撃を開始した。尻尾を使った連続突き、そして最後に渾身の力を込めて薙ぎ払った。
―――バチッバチッバチッバチーッン!
しかしその攻撃はどれもエリスに届かなかった。力無くドラゴンの方へと翳した手から発せられている防壁がエリスの周囲一帯を取り囲み、ドラゴンが繰り出す攻撃全てを防ぎ切ったのだ。
―――……ズッ。
たじろぐドラゴンの方へ、エリスが僅かに一歩詰め寄った。その動きに合わせて腰よりも長くなった美しい銀髪が揺れ煌めく。
ドラゴンは急激に周囲の空気を吸い込み、それを一つの弾丸にしてエリスへ向け発射した。それはただの空気弾ではなく火炎を纏っており、吸い込んだ空気を流動させながら圧縮し塊として吐きだしたのだ。その際炎を纏わせる事で炎の温度は急激に上がり、灼熱弾となっていた。そしてその威力もスピードも、並の攻撃では無かった。
―――シュンッ!
だがエリスは、レイピアを下段から跳ね上げてその灼熱弾を両断して見せた。二つに分断された灼熱弾は、彼女を中心に左右後方へと飛んで行き着弾した。そこには先程までエリス達を取り囲んでいた魔獣が群れており、運悪くその炎に巻き込まれた十数匹が一瞬で消し炭と化してしまった。
剣を振り上げた状態のエリスは、そのままの状態でさらに一歩踏み出した。
いや、踏み出したと言う表現は適切では無い。その一歩で、十数メートルはあったドラゴンとの距離を一気に詰めたのだ。
その動きはドラゴンが到底知覚出来る事は無く、エリスの眼前には目を大きく見開くだけのドラゴンが動けずにいた。そのドラゴンを一瞥し、彼女は剣を振り下ろした。
―――サンッ!
何の抵抗も無く、剣に獣皮の抗う音も発せず、エリスの持つレイピアは最下段まで到達した。眼前のドラゴンは綺麗に、正しく等分に両断され、ドラゴンに断末魔の咆哮を上げる間も与えはしなかった。しかし彼女の攻撃はそれだけに留まらない。
―――ボウッ!
両断したドラゴンから青白い炎が立ち昇り、一瞬でドラゴンを焼き尽くしたのだ。
超高熱を纏った炎がドラゴンを塵も残さず焼き尽くすのにかかった時間はほんの僅かであり、炎が消え去った跡には何も残っていなかった。
エリスは続けざまに彼女の後方を薙ぎ払った。後方約二十メートルで同じ様に青白い炎が沸き起こり、残っていた魔獣を全て瞬時に焼き尽くしたのだ。
恐るべき動きと、恐るべき殺傷力を持つ攻撃を行ったにも拘らず、この間エリスの表情が変化する事は無かった。
そしてこの場に残ったのはエリスと、エイビスの亡骸だけとなった。
ユックリとした足取りで彼の元へと向かうエリス。彼の隣へと辿り着いた時、再び彼女の体が魔力光に包まれた。光が収まった後現れたのはユーキだった。同時に崩れ落ちるエリスは呼吸が荒く、肩で息をしていた。
「今の状態じゃ、あれが限界だなー……。君の魔力も底を付いちゃったし」
呟くユーキにエリスからの反応は無く、彼女はただ目の前に横たわるエイビスを見つめていた。
「う……うう……」
エリスの口から嗚咽が漏れだした。目の前で知人が殺されたのだ。いや、知人では無く、友人であり戦友だったのだ。
エリスは今まで、親しい者の死は幾度も経験して来た。だがそれは結果を聞いただけで、目の当たりにして来たものでは無い。
しかし今回は彼女の眼前で、しかも彼女を庇って亡くなったのだ。彼女の悲しみは相当であるに違いなかった。
―――ジャリッ。
感傷に浸るエリス達の後方で足音がした。
「マサカ、アレ程ノ力ヲ目ノ当タリニスルトハ予想外ダッタ」
先程の洞穴から誰かが出て来た。いやその声、その気配にはエリスにも覚えがある。
先程まで戦っていた、ローブの魔属が纏っていた気配と瓜二つだったのだ。
「もう一匹いたのかー……」
してやられたとでも言う様にユーキが呟いた。顔を上げてそちらを見るエリスの顔には、驚愕の表情が浮かんでいた。ユーキが先ほど言った様に、エリスにはもう魔力が残されておらず、彼女が感じる疲労も相当だった。つまり戦う力は残されていないのだ。
「トニカク貴様達ハコノママ帰ス訳ニハイカンナ。コノ場デ仕留メルトシヨウ」
そしてローブの魔属は先程と同じ様に魔属特有の魔力光を発しだした。
「あ……」
エリスの口から、今度こそ絶望とも取れる声が漏れた。
「ふー……」
それはユーキも同じなのだろうか。彼の口からも大きく溜息が吐き出された。
「エリス……約束を果たす時が来ちゃったよ」
だが彼の口から出たのは思いも掛けない言葉だった。
「やく……そく……?」
エリスにはユーキの言った言葉の意味が分からずオウム返しするしかなかった。そんな彼女を今までにない優しい眼差しでユーキが見つめていた。
「ああ……じいさんと約束したからな。エリスを守るって」
それは何度も聞いた言葉だった。そして彼はエリスに力を与え、ドラゴンを撃破する為に合力してくれた。
「俺は試作型精霊体。色んな試みが施されてるって言ったよな? その中には宿主たる人属を生かす為の力も用意されてるんだ」
途端にエリスの心は騒めきだす。まるでユーキが別れの言葉を口にしている様に感じたからだ。
「ちょ……あんた……何言って……」
こんな状況だが、そこから先は聞きたくないとエリスは感じていた。しかしユーキの言葉は止まらない。
「エリス、俺の今まで取って来た行動や戦闘記録は逐一天界に送られている。俺が新たに経験を持ち帰る必要はないんだ。そして俺の能力に経験は必要ない、それは分かるね?」
彼の能力は宿主が高めた感情を利用するのだ。今までの様に宿主が培った経験を蓄積させる必要はない。
「今後人界に必要なのは情報だ。宿主が得た情報を無事持ち帰る、その為には宿主が危機に陥った時、生かす為の能力が必要だ」
今までの聖霊は、以前の宿主と過ごした記憶を全く持っていなかった。辛うじて付けられた名前だけは憶えているが何処で何をして、宿主がどの様な最期を迎えたのか、それらを知るすべは無かったのだ。
「俺はこれから、その能力を行使する」
そう言ってユーキは掌をエリスに向けた。それはまるで、何かの魔法をエリスに向けて発動する様な仕草だった。
「ちょ、ユーキッ! 何勝手に……」
「お別れだよ、エリス」
彼女が何かを言い切る前に、言葉を被せたユーキはそのまま能力を発動した。同時にユーキの掌から生まれた魔力光は彼女を包み込んだ。
「ユーキッ……ユーキッ! あんたなんか、あんたなんか大きらっ……」
そして全てを言い切る前にエリスの体はその場から消え失せ、その場に残されたのはユーキと新たに出現したドラゴンだけになった。
―――ユーキに、いや今までの聖霊に戦闘能力は皆無だ。
それを知ってか知らず、宿主が消えたユーキにドラゴンは警戒する事無く歩を進めた。
「お前をこのままこの地に残す事は、そのままエリスの危機に繋がる可能性があるんだよねー」
クルリと振り返り、ユーキはドラゴンと対峙した。その体は先程より強い光に包まれている。
「俺に施された、もう一つの宿主を守るシステム。それを発動しよう」
そう言ったユーキに、ドラゴンの尻尾が突き刺さる。だがそれはまるで陽炎の様なユーキの体をすり抜けたのだった。
「無駄だよ。俺達は精霊体、実体は無きに等しい。宿主がいればある程度具現化も出来るけど、本来は実体なんて物を持たないんだ」
さらに高まるユーキの光にドラゴンも何かを感じたのだろう、怯えた様にたじろぎ後退した。
「精霊体である俺の体には、ある機能が新たに組み込まれている……何だと思う?」
話す事が出来ないドラゴンからは、当然答えが返って来る筈の無いユーキの問いかけだが、その代りドラゴンからは焦りの気配が強く発せられていた。
「それは……自分の体で知ると良いよ」
さらに強く光り輝くユーキの体は、もう彼を凝視する事が難しい程だ。
「さよなら……エリス」
―――次の瞬間、彼を中心とした半径一キロには何もない剥き出しの大地が出現した……。
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