第100話 穏やかなひと時

 ラミアの素性が判明した事でライズ達は目的を達成し、数週間ぶりにデクスシの町へと戻ってきた。


「今回は実りの多い旅だったな」


 ライズの言葉は他国の貴族との伝手、そしてラミアの故郷についての情報を知る事が出来た事を言っている。


「ライズ様、今後はどうされるんですか?」


 ラミアは問う。自分の素性が知れた事で主がどう動くのかを。


「そうだな、この所外に出歩いてばかりだったから、しばらくは町の周辺で仕事を探しつつラミアの聖域についての情報を探るとしよう」


 このままラミアの聖域探しに奔走しないとわかり、内心で安心するラミア。


(その方が、私も嬉しいです)


 正直なところ、ラミアにとって故郷への帰還はそれほど重要なものではなかった。

 幼い頃から人間の世界で暮らしてきた彼女にとって、ラミアの世界とは外国に等しい未知の土地だからだ。

 しかし何よりも彼女に不安を与えたのは、自分の生まれ故郷がわかってしまったらそのままライズと離れ離れになってしまうかも知れないという可能性がある事だった。


 だからラミアは自分の故郷探しが後回しになった事を、心の中で安堵したのだ。


「それに、あんまり外に出すぎると町で働いている皆が寂しがるからな」


 ◆


「お帰りなさいませ主様!」


 事務所に帰ってきたライズを出迎えたのは、半人半魚の魔物セイレーンだった。

 彼女は下半身が魚であるため、ここ最近のライズの出張には同行できなくて寂しがっていたのだ。


「主様がいない間、寂しゅうございました!」


 セイレーンがライズに抱きつくと周囲の客、正しくは男の客達がギラリとした目で彼を見る。

 セイレーンは美しい美女の上半身を持ち、この世のものとは思えない美声で男を惑わす魔物。

 人目見ただけで、一声聞いただけで彼女に釘付けになってしまう程なので、そんな彼女が抱きついた男とあれば本能で男達は敵認定してしまうのだ。


(野郎、こんなところで美女を侍らせやがって羨ましい)


(セイレーンさんがあんな親しげに、揺るさねぇ!)


 だがそのセイレーンはライズの従魔、つまり彼に仕える事を本人が喜んでいる為、ライズに喧嘩を売ることはセイレーン本人に嫌われる行為と彼らは何も出来ないでいた。


「もうずっと町でお仕事をされるのですか?」


「そうだな。しばらくは町で仕事をするよ。書類仕事も溜まっているだろうからな」


「その通りですわ」


 凛とした声が事務所に響く。

 客達でごった返していた店内でもはっきりと届く澄んだ声の持ち主は、植物の魔物ドライアドだ。


「ライズ様の承認待ちの書類が多数ありますので、内容を確認してからサインをお願いいたしますわ」


 抱えた紙の束を指差してドライアドがライズを急かす。


「ああ、分かったよ」


 ドライアドに促されたライズは店の奥へと向かっていき、ふと足を止めて振り返った。


「そうそう、ただいまセイレーン」


「……はい!」


 セイレーンは満面の笑みで答え、その蕩けた笑顔に男達がハートをノックアウトされる。


(ただいま、ああただいま。なんと甘美な言葉なのでしょう)


 セイレーンは男を惑わす魔物だ。

 それゆえに彼女の声に惑わされた男達は永遠に彼女達に囚われる。


 だがライズは違う。

 魔物使いとしての資質か、彼はセイレーンの歌声の魔力に囚われる事無く自由に行動する。

 つまりは彼女の元に居続けない渡り鳥のような男。

 そんな自分に惑わされない男が、自分の意思で戻ってきてただいまと言う。

 それは男を手放す事がありえないセイレーンという魔物にとって何よりも刺激的な興奮であった。


(自分が見初めた相手を操る事も出来ず、その方が自分の意思で戻ってきてくれる事をハラハラしながら待つだけの日々。ああ、なんて刺激的なのかしら!)


 セイレーンの価値観はちょっと偏っていた。


 ◆


「こちらが書類ですわ」


 机の上に大量におかれた紙の束に眩暈を感じるライズ。


「ずいぶんと多いな」


「これまで取引された方々以外に、新規で参入される方も増えましたから」


 といいつつもドライアドの仕事は完璧である。

 ライズの目に触れさせる価値も無い用件は自分の所で処理し、ライズに益がある内容、ライズの立場を考慮した依頼のみを取捨選択していたのである。

 更に書類は本人の言葉通り内容を確認してサインするだけ。

 ドライアドが吟味しているので、実は内容を確認する必要すらないのが実情だった。

 だがそれでもあえて彼女はライズに中身の確認を求める。

 それはライズに経営者としての責任を自覚して貰うためではない。


(書類を見ている間は、絶対にここにいてくださいますものね)


 小さな、しかしいじらしい乙女心。

 ライズをこの町に足止めし、そして独占したいというささやかな我侭であった。


 つまりは、ラミアへの嫉妬である。

 だが完璧な淑女は嫉妬を表に現すことなどしない。

 そんな醜い事をするくらいなら、花の淑女は合法的に主と一緒にいられる時間を作り出す事こそ正しい時間の使い方だと理解しているのだから。


「ライズ様、休憩なさいましょう」


 ライズが疲れた頃を見計らってお茶を差し出すドライアド。

 使う水は彼女が手ずから用意した魔力のこもった朝露の水だ。


「ありがとうドライアド」


「どういたしまして、ですわ」


 短いけれど穏やかで幸せな時間。

 ほかの魔物達が乱入してくるまでのわずかな時間をドライアドは噛み締めていたのだった。

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