第59話 速水桐花の日記



「麗美! 一体何があった!?」



『マスター、お取り込中に申し訳ありません! ただ、すぐにお伝えした方が良いと思いまして…』



 麗美の声色からは、明らかに焦りが感じ取れる。

 何かあちらで不測の事態が発生したのかもしれない。



「こっちの事は大丈夫だ。落ち着いて、何があったのか話してくれ」



『あ、いえ、任務については滞りなく片付いたのですが、少し不味いことが判明しまして…』



「不味いこと?」



『ええ…。マスターには以前、谷中 浩史やなか ひろし沢井 和也さわい かずやについて、結果的に彼らが不登校になった事をお伝えしましたが、憶えていますでしょうか』



「もちろんだ」



 谷中 浩史と沢井 和也の二人は、俺達の前に速水さんの標的(?)とされた者達だ。

 俺達とは違い、彼らは本当に肉体関係を持っていたのだが、その分彼らはより甚大な被害を受けることになった。

 肉体関係、その現場を盗撮された画像がバラ撒かれたのである。

 結果として谷中と沢井は学校での居場所を失い、不登校になったということだった。



『その件では、結果的にバラ撒いた張本人である速水 桐花も含め、三人の生徒が不登校になった…、と思っていましたが。事実は少し異なったようです。…速水 桐花は、不登校になどなっていませんでした』



「っ!? なんだと…!?」



 沢井は、画像をバラ撒いたのは犯人は速水さんであると知っていた。

 これは沢井が本人から直接聞いたことであり、間違いないそうだ。

 事実、速水さんは他にも画像を所持しており、それを盾にされた為に、沢井は彼女に手を出せなかったのだと言う。

 しかし、速水さんはその事を自ら学校側に告白したらしく、結果的に三人は自宅謹慎を命じられることになった。

 調査結果では、その後三人は不登校となり、卒業式にも出なかったという事だったが…



『情報を統合した際、認識に齟齬があったようです。田中 純也たなか じゅんやが言っていた三人の不登校者、そして沢井 和也の言っていた俺達三人、というのはイコールではありませんでした。速水 桐花は、謹慎が解けたあと、何事もなく登校を再開し、卒業式にもしっかりと參加しています』



 …確かに、よく考えてみると不登校になった生徒の名前について、俺達はしっかりと調べたワケではない。

 話の流れから、謹慎した生徒イコール不登校の生徒だと判断したからである。

 そもそもこの件に関わっている者は他にいないのだから、三人以外の人間が不登校になっているなど、考えもしなかった。

 一体、他に誰が不登校になっていたというのだろうか…?



『先程、田中 純也にも確認を取りましたので間違いありません。そして、不登校となったもう一人ですが、鴫沢 香織しぎさわ かおりという女生徒であることも確認しました』



「鴫沢…?」



 その名前には、朧気ながら聞き覚えがあった。

 確か、調査資料の中にはあった筈だが…



『鴫沢は、沢井の彼女となった人物です。この事件に直接関わっていたワケではありませんので、私もすぐには思い出せませんでした。しかし、速水 桐花の日記には、鴫沢の名前が頻繁に登場していたのです…』



「…聞き覚えがあると思ったが、そうか…、沢井に途中で出来たという恋人の事だったか」



 調査の結果、沢井はバイ・セクシャルであることがわかっている。

 沢井は中学二年から約一年の間、谷中との肉体関係を続けていたが、三年になった際に別の彼女と交際を始めた。

 その彼女というのが、鴫沢 香織という女生徒である。

 しかし麗美の言うように、鴫沢はこの事件に直接的に関わっているワケではない。

 速水さんが動きだすきっかけとなった事は間違いないが、事件を境に沢井との関係は自然消滅していた筈である。

 沢井が不登校になった以上、それも当然と考えていたが…



『鴫沢は速水 桐花にとって、彼女の世界を歪ませる存在でした。ですので、日記に名前が散見するのも不自然では無いのですが、内容に少々不穏なものを含んでいまして…』



 麗美はそこまで言って、一瞬言葉を濁す。

 不穏という単語から想像するに、少々口にするのが憚られる内容なのかもしれない。



『…すみません、内容が非常に比喩的というか、暗喩的なものでして、私には正直判断しかねる内容なのです。ですので、この部分に関しては、日誌に書かれた内容をそのままお伝えします。…彼女の日誌にはこう書かれていました。『真実が明かされ、魔女は呪いに焼かれた。こうして、世界は平和が訪れました』と』



 『魔女は呪いに焼かれた』その一文を聞いた瞬間、背筋に怖気が走る。

 それでは、まるで…



『…その日記の日付以降、鴫沢は学校に登校しなくなったようです。あまり考えたくはありませんが、私には速水 桐花が何か・・をしたのではないかと思えてしまうのです』



 背筋に走った怖気は、次にチリチリと焦燥感に変わっていく。



『どうしても緊急でお伝えしなければと思ったのは、先日の日記の内容が「魔女は再び呪いに焼かれるだろう」という予言めいたものだったからです。もし速水 桐花が何かをしたのであれば、静子さんにも危険が及ぶやもと…………、マスター?』



 頭の中で様々な情報がグルグルと渦巻き、一つの答えへと収束していく。

 動揺で思わず力が入り、掴んでいたスマホが軋む。



「…麗美、静子に連絡は?」



『合図の際に連絡しましたが…。あの、マスター? 何かあったのですか?』



 どうやら、電話越しにも俺の焦燥感は伝わったらしい。

 麗美が不安げに尋ねてくる。



「麗美、尾田君達と一刻も早く引き上げてくれ。不測の事態に備え、研究所への連絡も頼む」



『マ、マスター? 不測の事態って…? …速水 桐花は、まだその場にいるんですよね?』



 麗美は速水さんが、まだ俺と一緒にいると思っている。

 今の通話も、少し席を外した上でしていると思っているのだ。



「…速水さんは、待ち合わせ場所に現れなかった。どうやら、急用・・が出来たらしい」



『っ!? それは、まさか…!?』



「ああ…、静子が危険かも知れない。俺は今から静子の元へ向かう。後のことは、任せたぞ」



 俺はそう告げると同時に通話を切り、速やかに行動を開始する。



(頼む、無事で居てくれよ、静子…)






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