第七話 芽吹く
甲高い、小鳥の鳴き声が聞こえる。
それに、なんだかとても温かい。
まるで、穏やかな空間に漂っているかのような感覚を、わたしは感じていた。
……わたしは、死んじゃったのかな?
人が死ぬと、『天国』というとても穏かで平和な場所に送られるそうだ。もしかして、わたしは今そこにいるのだろうか。
ゆっくりと目を開く。入り込む光が眩しくて、しばらく目をしばたたかせる。しばらくして、次第に目もその眩しさに慣れてきた。
「やっと目を覚ました」
すぐ側から、とても懐かしい声が聞こえた。忘れることのない、あの人の声が。
「セレス……先生……?」
あの人の名前が口から零れた。すると、それに答えるように再び声が耳に届いた。
「そうよ、リーザ。わたしよ」
その声のした方へ目を向ける。そこには、以前と全く変わらない、綺麗なままのセレス先生の姿があった。
そっか。先生がいるってことは、やっぱりわたしは死んだんだ。
そしてここは天国。死んだ者が集う、穏かな国。
わたしは死んじゃったけど、それでも良い。こうしてまた、先生と一緒にいられるのなら。
「うぅ……せんせいっ……!」
わたしは体を起こし、側にいる先生に抱きついた。涙が溢れて止まらなかった。
「せんせぃ、ごめんなさぃ……あの時、せんせぃを助けてあげられなくてぇ……そのせいでぇ、せんせぃ死んじゃってぇ……ごめんなさぃ……」
「ちょっと、リズ。落ち着いて……」
先生がわたしを優しく抱きとめてくれる。とても安心する、懐かしい先生の匂いだ。
「せんせぃが死んじゃってから、わたしがんばったんだよぉ……? でも、無理だった。がんばったのに、みんなを助けられなかったの……」
「リズ、分かったから。そんなに急に動いちゃだめよ」
村のみんなを助けてあげられなかった。けれど、先生の温もりに包まれていると、わたしは赦されたんだって思える。
「ずっと、ずぅっと会いたかった。ぐすんっ……一人で、寂しかったからぁ……ひっく」
「もう、リズ。しっかりしなさい」
少し声を張り上げると共に、先生はわたしを引き離した。わたしは突然のことにきょとんとしてしまう。
「リズ、わたしは死んでないわ。それに、あなたもね。村のみんなもちゃんと生きてる」
「いき……てる?」
生きてる? 先生が? それにわたしも? そんなことは……。
回りをぐるりと見回す。すると、そこには見慣れた家具たちが並んでいた。ここは村長の家じゃないか!
わたしは飛び起き、玄関へと走っていく。そのドアを押し開けば、目の前には雪で白く染められた村が広がっていた。
ここは天国じゃない。村だ。ということは、わたしは死んでない!?
「あっ、いたたた……」
わたしが死んでいないと実感した瞬間、体中に痛みが走った。わたしは思わずその場にうずくまる。
「もう、リズったら。まだ寝てなきゃだめよ。病気はまだ完治してないんだから」
わたしは先生に抱えられ、再びベッドに戻された。
病気……? そうだった。わたしが生きているのなら、わたしは治療法が不明の病気に罹ってるんだった。その病気が完治? それに、どうして先生は生きてるんだ? 帝国で処刑されたはずじゃ?
いろんな疑問が浮かび上がり、わたしは少し混乱気味になる。
「いろいろ聞きたそうな顔ね」
そんな様子のわたしを見て、先生が微笑んだ。その綺麗な顔は、どう見ても死人のそれとは思えなかった。
「ど、どうして先生は生きてるの……? 帝国で一体何があったの……?」
わたしがそう尋ねると、先生は微笑んだまま何かを差し出してきた。その綺麗な手には錠剤と水の入ったコップがあった。
「質問の前に、ちゃんとお薬を飲みなさい」
「わ、わかった……」
薬? この病気は薬で治るのか。
わたしは受け取った錠剤を水で一気に流し込み、再び先生に詰め寄った。
「そ、それで、先生に一体何があったの? 帝国で処刑されたんじゃなかったの?」
「うふふっ、リズったら心配症ね。わたしが死ぬはずないでしょう? 帝国から抜け出すなんて簡単だったわ」
先生は自慢げに胸を張ってそう言った。
でも、確かにそうかもしれない。何たって先生は魔女だ。わたしの知らないすごい魔法を使えば、帝国から逃げるなんて簡単だろう。でも……。
「じゃあ、どうしてすぐ帰ってきてくれなかったの? 先生がいなくて、こっちはすごく大変だったんだから。帝国から来たやつらはみんな好き放題するし、みんな治療法の分からない病気に罹るし、食料だってなくなって……すごく、辛かったんだからぁ」
飢えて痩せこけていく村人たち。未知の病気に苦しむ村人たち。みんなを助けるために、わたしは頑張った。辛かった。苦しかった。思い出しただけで、再び涙が零れてきた。
先生は黙ってわたしを抱きしめた。わたしの涙を受け止めてくれた。
「よく、頑張ったわね。……ごめんなさい、すぐに戻ってこられなくて。わたしも本当はすぐに戻ってきたかった。でも、それはできなかった。だって、わたしは既に死んだことになってるんだもの。あの司祭の子に見つかるわけにはいかなかった。それに、帝国である病気が発生したの」
「ある病気……? それって……」
「そう、あなたたちが罹った病気よ。それはこれまでに無かった、新しい病気だった。しかもそれは伝染病だった。初めは少数だった患者も、みるみる増えていったわ。
帝国は治療法の研究を急いだけど、中々難しかったみたい。わたしも治療薬の研究をしてたけど、完成したのは一昨日のことだったわ」
先生が、この病気の薬を作った? それも一人で? それも、帝国でも同じ病気が流行っていただなんて。
そういえば、帝国からたびたび物資が送られてきていた。もしかしたら、そこに病気の素が紛れ込んでいたのかもしれない。
「薬のレシピを帝国の研究所に置いてから、もしかしたら周りの村でもこの病気が流行ってるかもって思って急いで来てみれば、やっぱりそうだった。とにかく、間に合ってよかった」
そうだったんだ。先生が大勢の命を救ったんだね。やっぱり、わたしの先生はすごいや。
「ありがとう、先生」
そう呟くと、先生はより一層強く抱きしめてくれた。
***
「ところで、先生。村のみんなはもう大丈夫なの?」
しばらくして落ち着きを取り戻したわたしは、先生に質問を投げかけた。
「えぇ、大丈夫よ。全員に病気の治療薬と栄養剤を飲ませたから。今のところ看病が必要なのは、リズと司祭の子かしら」
ん? 司祭の子?
「ちょっ、待って。もしかして、司祭の男も治療したの!?」
「何言ってるのよ。当たり前でしょう?」
「当たり前って……あの男は先生に酷いことしたじゃない。そんな情けをかける必要なんか無いって」
「……リズ、それは違うわ」
わたしの言葉に対し、先生は少し厳しい口調で答える。
「あなたは何故、薬を学ぶのかしら?」
「それは、人々の病気とかを治したいから……」
「じゃあ、あなたは何故、魔法を学ぶのかしら?」
「……たくさんの人を助けたいから。わたしが先生に助けてもらったように」
「そうね。でも、それに例外があってはだめよ。わたしたちが学ぶのは自分の為じゃない。助けを求めてる人々の為よ。だから、そこに自分の感情を優先してはだめ」
「……うん、分かった」
わたしのか細い返事を聞くと、先生は一転して再び笑顔を浮かべながら立ち上がった。
「せ、先生。どこ行くの……?」
「どこって、司祭の子の所よ。あの子にも薬を飲ませなきゃ」
「だ、だったらわたしも行く!」
わたしはまだ痛む体に鞭打って立ち上がった。すると、すかさず先生はよろけるわたしの体を支えてくれた。
「行くって、まだ横になってたほうが……」
「いやだ、あの男に先生一人で会わせられないもん」
そう言うと、先生は困ったような嬉しいような、微妙な表情を浮かべた。
「はぁ~、仕方ないわね。じゃあ、一緒に行きましょうか」
「うん!」
先生に手を取られながら、わたしたちは村長の家を後にした。
***
「失礼しま~す」
「うわああぁぁ~~!」
教会の中の一画に設けられた司祭の男の部屋。そのドアを開いた瞬間、大きな叫び声が響き渡った。
部屋の中を覗くと、司祭の男が部屋の隅っこでガクガクと震えていた。そんな様子にも構わず、先生は部屋の中に入っていく。
「あら、司祭様。目を覚まされたんですね」
「な、なな……」
男は何かに怯えているようだった。その恐怖のせいか、顎がガクガクしていて言葉が出ないようだ。
「……どうかされましたか? 司祭様」
「何故、おおお前がここにいいるんだ!? お前はしし死んだはずだ!」
やっとの思いで絞り出した言葉は、まあ当然なものだった。
「私はみみ、見たんだ。お前が火刑に処されたのを。なのに、何故お前は生きている!?」
男の問いに対し、先生は妖しげな笑みを浮かべる。
「何故わたしが生きているのか、ですか。そうですね……ではこうしましょう。司祭様が見た光景はすべて、わたしが魔法で見せた幻だった」
「ま、幻……? そんな、まさか……!」
突然突きつけられた真実に、男は何も言えなくなった。帝国中の人に幻を見せられるだなんて、先生はやっぱすごいなぁ。
「ところで、司祭様。お体の調子はいかがですか?」
あっさりとさっきまでの話しを流すと、男ははっとしたように顔を上げた。
「な、何の話だ!?」
男は困惑の表情を浮かべている。そうか、こいつはさっきまで眠ってて、先生に治療されたことを知らないんだ。
「何の話もなにも、先生があんたの病気の治療をしたから、その後の調子はどうかって訊いてるの」
先生の変わりに男に事情を説明してやると、途端に男は声を荒げだした。
「治療!? 私に!? 魔術師が!? 何てことだ……私は汚されてしまったのか……?」
「むっ」
男の言葉に怒りを覚えたわたしは、男の前に進み出てそのアホ面を引っ叩いてやった。
「痛ッ! きゅ、急に何をするんだ!」
「そ、そうよ。リズ、何してるの!?」
「先生は黙ってて!」
先生を黙らせ、再び男に向き直る。
「ちょっとあんた、先生に対して何か言うことがあるんじゃないの?」
「言うこと? ……あぁ、そうだな。よくも私を汚しへぶっ!」
もう一度平手をお見舞いしてやった。
「分かってないようね。あんたは、死にそうになってたところを先生に助けてもらったの。先生はあんたの命の恩人なのよ。こうして今生きているのは先生のお陰なんだから、ここは『ありがとうございます』でしょ?」
今度は握り拳をチラつかせながら言う。しかし、男は頑なにお礼の言葉を言おうとしない。なんと恩知らずな男だろうか。
「くっ、この……」
「やめなさい、リズ」
振りかぶったわたしの腕を掴み、先生が止めに入った。
「暴力はだめよ」
「で、でも先生……」
わたしの言葉を遮るように、先生は男の前に出た。
「司祭様、お薬をお持ちしました」
先生は男の前でしゃがむと、鞄の中から錠剤と水筒を取り出し、男に差し出した。男はそれを見るなり、それを手で払いのけた。床に錠剤が散らばった。
「き、貴様! それを飲ませて私をどうする気だ!? まさか私を殺すのか!?」
「いいえ、違いますよ」
先生は鞄から新たな錠剤を取り出しながら答えた。
「わたしは、あなたを助けたいのです。まだ病気は完治していません。しっかりこの薬を服用しなければ、お体は良くなりませんよ?」
「そう言って、村の奴らを騙してきたのか? だがな、私はそうはいかないぞ。魔術師からの施しなど、受けるものか!」
この男、どこまでも嫌な奴だ。お前に酷いことをされても尚、先生はお前に救いの手を差し伸べているんだぞ? そんな先生に向かってなんてことを言うんだ。やはり、一発殴ってやらないと気が済まない。
わたしは拳を構えて踏み込む。その時、先生は振り返り、わたしに視線を向けてきた。先生は言っている。余計なことはするな、と。
「何故、司祭様はそれほどまでに魔術師を嫌っていらっしゃるのですか?」
再び視線を男に戻し、先生がそう尋ねると、男は声高に言い放った。
「そんなことは決まっている! 魔術師は災厄をもたらすからだ! 四百年前、実際に帝国は、ある魔術師によって滅ぼされた!」
……男の言い分は、ある意味では間違っていないのかもしれない。魔法とは便利な反面、使い方次第では人を傷つけることも出来る。それは、魔法を使えない人たちからしたら、相当な脅威となるだろう。そして、実際過去に帝国はその脅威に晒された。ならば、それらを排除しようとするのは当然なことなのかも知れない。
「……確かに、その魔術師は許されないことをしました。憎み、恨まれて当然でしょう。ですが、すべての魔術師が彼女と同じであるとは限りませんよ?」
「何?」
先生の言う通りだ。確かに、過去に一人の魔術師が己の力を悪用した。でも、だからと言って、全員がその魔術師と同じだと決め付けるのは間違ってる。だって、セレス先生はそんな奴とは違って、人の為に魔法を使うのだから。
先生は立ち上がり、指を鳴らす。すると、突然暖炉に火が点り、天井に光球が生み出された。冷えた空気に満たされた薄暗い部屋は一変し、明るく、そして温かくなる。
突然の魔法に驚いた男は部屋の隅の机へ駆け寄り、そこに置いてあったナイフを手に取り、先生に向かって構えた。
「きき、貴様! その術で一体何をしようというのだ!」
「わたしは、ただ助けになりたいだけなのです。わたしの魔法で、一人でも多くの人を救えるのなら、わたしは喜んでこの力を使いましょう」
「う、嘘だ! 魔術師が人の助けになりたいだと!? そんなことあるわけがない。そうやって私を惑わすつもりなのだろう? だが、そうはいかないぞ。これ以上魔術師に好き勝手させるわけにはいかん。お前のような害悪は、ここで死ねぇ!」
「先生! 危ない!」
男はナイフを構えたまま、先生に向かって突進した。しかし、病気の症状のせいか、男は先生の手前で派手に転んだ。その際、男は手を滑らせてしまい、自分の手の平をナイフで深く切った。
「ぐっ、い、いつつぅ……」
痛みに悶える男に、先生は歩み寄る。そして、男の傷ついたその手にそっと触れた。
「嘘では、ありませんよ」
「貴様、何を……!」
男の手の平に伸びる一筋の傷を、先生はその細い指先でやわらかくなぞる。すると、その傷は忽ち消えてゆく。
「嘘ではありませんよ。わたしは心から、人々の助けとなりたいのです。それが例え、魔術師を嫌う司祭様であっても」
「これは……」
男は傷の消えた手の平を撫でながら、なんとも驚いたような表情を浮かべていた。
「傷つけるばかりが魔法ではありません。こうして傷を癒すこともできるのです。わたしはこの魔法の力を人々の為に使います。遥か昔に、そう心に決めたのです」
「……」
先生は男に微笑みかける。男は何も言わなかった。ただ両目を閉じ、何か考えているようだった。
しばらくして、男は口を開いた。
「女、名を何と言う……?」
「セレス・ウルフィリアスと申します」
先生がそう答えると、男は鼻を鳴らした。
「ウルフィリアス? 知らぬ家名だ。そこの娘は名を何と言う?」
「リーザだけど……」
「そうか」
次いでわたしも答えたが、男はあまり興味を持っていない様子だった。
急に名前を尋ねたりなんかして、一体どうしたんだろうか。疑問に思っていると、男は立ち上がり、先生とわたしに向かい合った。
「私の名はクリス・フィロイだ」
クリス・フィロイ、それがこの男の名前。
それにしても、自分の名前を教えるだなんてどんな風の吹き回しだ? まさか、これから一緒に仲良くしましょうとでも言うのだろうか?
クリスは少し気まずそうに目を逸らしながら、先生に向かって話し出した。
「お前の言葉に、嘘が無いとは思えない。がしかし、現に病状は和らいでいる。そして、先ほどの怪我もお前が治してくれた。お前が私の命の恩人であることは、認めよう。
だが、勘違いするなよ? わたしはお前を完全に認めたわけじゃない。例え魔法が人の役に立つとしても、お前が人を傷つけないとは限らないからな。
だから、わたしが責任を持ってお前を監視しよう。お前が何か不審な動きをすれば、そのときは今度こそ、お前を処刑する」
なんだこの男は。何を言うかと思えば監視だの処刑だの、また物騒なことを。
そんな風に呆れる一方で、先生の顔には笑顔が咲いていた。
「と言うことは、わたしがこの村に住むことを認めて下さるのですね?」
「だから、そうだと言っているだろう」
「ありがとうございます、司祭様!」
先生はクリスの手を取って礼を言った。すると、彼は視線を泳がせ始めた。なんとなく顔が赤いような気がする。
「あっ、そうでした。司祭様、薬をお飲み下さい」
「あぁ、貰おう」
先生から錠剤と水筒を受け取ると、今度は素直にそれを飲み下した。この短時間で一体何が彼にそうさせたのか、わたしには甚だ疑問だった。
「これであと一日もすれば体の痛みや痺れは完全に治まるでしょう。それまでは安静になさって下さい」
「あぁ、分かった。そうしよう」
「それと、これは念のための鎮痛剤です。他になにかありましたら、気軽にお声掛け下さい。わたしはこの村の医者ですから」
「助かる」
彼に鎮痛剤を渡し、もうここでのやるべきことはすべて終えたことだろう。
先生は彼に向かい合った。
「それでは、わたしたちはこれで失礼します」
「あぁ、またな。セレスに、リーザ」
最後にそれだけ聞き届けて、わたしたちはその部屋を後にした。
広い教会を歩く中、わたしは抱いていた疑問を早速先生に投げ掛ける。
「あの司祭、急にどうしたんだろうね。先生が村に住むのを認めてくれるなんて」
「さぁ、どうしてでしょうねぇ。きっと、わたしの思いが彼にも伝わったのよ」
あの男の手の平を返すような言動の真意は掴めぬまま。まあでも、これでまた先生と一緒に暮らせる。あの大好きな日常が帰ってくるんだ。そう思うだけで、わたしは嬉しい気持ちで一杯になる。
わたしは先生の手を取り、駆け足になった。
「さっ、帰ろ? 久しぶりに先生の紅茶が飲みたいな」
「はいはい、分かったから、そんなに急がないの」
教会の中。よく音の響くその空間には、かつて司祭の男の説教ばかりが満ちていた。しかし今だけは、わたしと先生の笑い声がこの空間一杯に木霊していた。
***
セラ先生の治療薬と栄養剤のお陰で、村人たちは全員病気と栄養失調をなんとか免れることができた。まあ、お腹がペコペコなのは変わらなかったんだけど……。
それを見かねた先生は、どこから獲ってきたのか、ある時かご一杯の魚を持ってきた。なんでも、北の森を抜けた先に大きな川が流れており、そこには冬でも多くの魚が泳いでいるんだそうだ。こうして、先生のお陰でわたしたちは腹ペコからも解放されたのだ。
みんなが元気になると、例の女と帝国騎士たちは帝国に送り返された。その理由としては、もともと女はセラ先生に代わる医者として、帝国騎士は魔術師を見つけた際に捕らえる役として送られてきたので、もう用済みだったからだ。
こうして、まあ帝国の人間が一人だけ残ってしまったけど、これでもう変に息苦しかったあの日々とはおさらばとなった。
わたしは再び、先生の下で勉強することになった。薬学も、魔法も。
どちらも厳しい道だろう。けれど、わたしは決して諦めない。一生懸命勉強して、修行して、いつかきっとセレス先生みたいな立派な魔女になってみせるんだ。
何度目かわからぬ誓いを心の中で立てながら、わたしはソファの上で紅茶を飲む。うん、やっぱり先生の淹れてくれる紅茶は美味しい。
わたしがソファの上でくつろぐ一方、先生は花の世話をしていた。先生がとっても大事にしているセレシアの花だ。
「リーザ、本当にありがとう。わたしがいない間、この子の面倒を見ていてくれて」
花に丁寧に水をやりながら、唐突に先生はお礼を言う。別に先生の為にしたわけじゃなかったので、なんだか照れたような気持ちになった。
「いいよ、それくらい。たった一本の花の世話なんて大したことじゃないし」
「それでも、ありがとう……」
よっぽど大切な花なんだろう。わたしは、あの花の世話をしてて良かったと思った。
それにしても、先生はどうしてそこまであの花を大切にするんだろう。前に一度理由を訊いたことがあったけど、その時には答えてくれなかったんだよなぁ。
「ねぇ、先生。どうしてその花をそんなに大切にしているの?」
思い切って理由を訊いてみた。先生はその綺麗な指先で花びらをそっとなぞりながら、ゆっくりと口を開いた。
「……そうねぇ……あなたが大人になったら話してあげる」
「ちょっと先生、それってどういう意味よ! 子供扱いしないで!」
「もぅ、そうやってすぐムキになるところがまだまだ子供なのよ」
「ぐぬぬぅ……」
やっぱり、先生には敵わないや。
ついつい前傾姿勢になってしまった体を、もう一度深くソファに落ち着かせた。
一つ深い息をしながら、何気なしに開け放たれた窓の外を見遣る。そこには柔らかな光が降り注ぎ、まばらに解けた雪の間には、草花がその身を顕にしている。部屋に流れ込んでくる風は微かな温もりと香りを運んでくる。
あぁ、冬が終わるんだ。
長く厳しかった冬は明け、新たな季節がやってくる。雪に覆われた地面や裸の樹枝からは新たな命が芽吹き、眠っていた獣たちはその温かさに誘われて穴蔵から躍り出る。そんな季節が。
もうすぐ、春が来る。
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