第8話 典

走り続けて百四十里、かなりの距離を僅か三十分程度で完走したナハトはしかし、息一つ切らさずペネトラを見た。

「着いたぞ」

「近いって言ったのに・・・ここ何処?」「翼のある所さ」

そうじゃないんだけどなぁ、と思いつつも、辺りを見渡す。

小高い丘の上では、星空と大木、広大な湖と五日月しか見えなかった。

「・・・見た事無かったけれど、あれが湖なのね・・・!大きな水溜まりみたい」

「止めておけ。足どころか全身が浸かるぞ」

「そうなの!?」

ペネトラはただ純粋に嬉しかった。また一つ、旅に出なければ知る事の無かっただろうものが見られたのだから。

「泳ぐ、って事も出来るのかな・・・。あそこの水、飲めるのかな・・・」

「塩辛くて堪らんぞ、飲めたもんじゃない」

「しょっぱいの?そんな湖もあるのね」


「・・・おい、ナハトじゃないか!!」

間に割って入る様に、大きくてつるつるした肌の獣が出てきた。

「久しいな、ニョルズ」

ニョルズは肌が湿っていた。先ほどまであのしょっぱい湖にでもいたのだろうか。


「いやぁ、ナハトさあ、それ誰?」

「見て解らんか?」

「・・・人間?」

「ああそうだが」

「・・・何で!?」

酷く驚いて、ニョルズは後ろに体の重心をずらし、戦闘体制をとったようだった。


「かかって来い鬼畜の極みがァ!!

俺だって怒れば超強いんだからなァァ!?」

「喧嘩なんて、する気無いです・・・」

「なんだなんだ、びびったか人間!!

怖いならとっとと人里に帰ってママに甘えるんだな!!!」

「止めろニョルズ!」

ナハトはニョルズの首根っこに飛びつき、甘噛みした。猫でもないのにニョルズは腰が砕けたように、その場に勢い良く崩れ落ちた。


「親の敵をとりたいのは解るが、この娘はまだ幼いだろう。

・・・この娘は《カーラ》を知っていた」


と、突然ニョルズは飛び起きた。

先ほどとうってかわって、彼の目には驚きと困惑、さらに焦りさえ見えた。


「それはまずいだろう!!この娘、何処で見つけたんだ!?」

「あそこだ、野原の向こう、星空の森だ」


ううむ、とニョルズは考え込む。

しばらくの後、彼は口を開いた。


「連れていこう、海の向こうまで」


なんと。

ペネトラは驚いた。

今、今確かにニョルズは海と、そう言ったのだ。

「海、って、何処にあるの!?」

「ナハト、この娘は海を知らないのか?」

「海だけじゃない、つい数日前まで何一つ知らなかったらしい」

「わたしのママ、わたしを閉じ込めてたの」

「うう、そりゃ酷いや」

ところでさ、とニョルズは話題を変えた。

「実はね、君はもう既に海を見ているんだ」

えっそうなの、と、今度はわたしが驚かされた。

「解らない?・・・ほら、あの湖さ」

それは先ほど、ナハトが塩辛いと言っていた湖であった。

「・・・あれが?」

「そうさ。・・・あれが、海なんだよ」


すると次の瞬間、世界がまたキラキラとして見えた気がした。

「・・・あれが、海なんだ・・・!!」

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