第二話
放課後、鈴葉に聞きたいことがあったのだが、部活があるらしく待つことになった。
音楽関係の部活って毎日何をしているのだろう。
校舎のどこかから聞こえてくる││これは何の楽器だろう││音色を聴きながらぼんやりと考える。
鈴葉が来るまでの間、色々なことで時間を潰そうとしたのだが、宿題は早々に終わり、明日の予習も完璧。これだけしても下校時刻にはまだまだ余裕があり、時間つぶしの為に図書室で適当な本を見つけて読んでいたところ、いつの間にか寝てしまった。
それでも下校時刻にはまだ時間がある。
まさかこんなに時間を持て余すことになるなんて。水泳がいかに生活の一部になっていたのかを実感する。
このまま寝て待っていてもよかったが、ふと以前から聞こえていたトランペット音が気になり、音楽団体の練習室がある特別教室棟に向かう為、図書室を後にする。
中に入ると、残っている生徒がいないのか一切の音が聞こえてこない。いくつかある防音室も固く閉じられていた。
何かに吸い寄せられるように最上階の三階まで上る。
廊下の床は日に焼け、どこか埃っぽい。
なぜかこの階だけ他の階よりも時代に取り残されたように造りが古かった。
陽が傾き物寂しさが漂う廊下を歩いていると、防音室1と書かれた部屋からトランペットの音色が聞こえてくる。
いつも聞いているあの音だ。
その音に誘われるようにして、他の階とは違う薄い扉に思わず耳を当てる。
音が泣いている。批評家がそんな風に表現しそうな掠れた音。その音は借りたCDと瓜二つで、薄い扉の先に偉大なトランぺッターがいるような錯覚を覚えた。
曲名は、マイ・ファニー・バレンタイン。
暗い曲調ではあるが、この曲は女性が男性に向けた純愛の歌。女性が囁くようなトランペットの音に心がどんどん吸い寄せられていく。
いったい誰が吹いているのか。
音がしないように少しだけ扉を開けて中を覗き見る。
中の人物はこちらには気付かず、防音室に差し込んだ夕日で、特徴的な金色のツインテールを染め上げている。彼女が命を吹き込むトランペットは、自信の存在を示すように夕日を反射して、金色をさらに輝かせる。
トランペットが反射する光で表情は良く見えないが、この素晴らしい音色を奏でていたのはカノンで間違いない。
まるで条件反射のように幼い頃の記憶が想起される。
しかし、記憶の中にある金髪のトランペット奏者と、目の前でトランペットを吹くカノンとでは明らかに違っていた。
確かに心は揺さぶられている。だが、何かが少しだけ足りない。名状しがたいそれは気になり始めると、割れない風船のようにどんどん膨れ上がっていく。
音は完璧だ。カノンの音に欠点などどこにもない。そもそも音楽素人俺が、細かな評価を下すことなんて不可能だ。
この感情が生まれたのは部屋を覗き見てから。だとしたらカノンから俺は何を感じ取ったという事。
そうしているうちに曲は終わり、カノンはトランペットを一旦降ろす。視界を遮っていた反射の光がなくなる。
カノンの表情を見た瞬間に俺はその正体を見つけてしまった。
そしてカノンは表情を変えることなくすぐに次の曲を演奏し始める。アップテンポな曲を吹きはじめても、彼女の表情は固く、冷たく、寂しいまま。やがてカノンの大きな瞳から氷が解けだすように雫が流れ、頬を伝って床に落ちた。
これ以上は見てはいけない気がして、そっと音を立てないように扉を閉じた。
逃げるようにしてその場から離れるが、耳に届く音は先ほどの光景を忘れさせてはくれない。
「なんで、あんな辛そうに吹くんだよ」
思わず零れた言葉は様々な感情が混ざる。
漏れだす音は踊るようにホップしている。しかし、吹いている本人は誰かに助けを求めるようにもがき苦しんでいる。
何がカノンをあんなふうにしているのか俺にはわからない。しかし、あれが正しくない事はわかる。
限りのない湧き水のように音楽を語る鈴葉。聴衆と一体となって魂を震わせる演奏者。
音楽ってやる方も聴く方も楽しくなくてはいけない。
あの人だって、川面に反射する光を受けながら楽しそうに音を奏でていた。
それだというのに……
自分の中に抱いていた音楽がそこには無い。
音を楽しんでるのが音楽のはずなのに。
音で楽しませるのが音楽のはずなのに。
「見つけた。やりたいこと」
何かに憑りつかれたように廊下を走る。
「ヒロくん? どこ行くの?」
途中、鈴葉と擦れ違ったが足を止めることはしない。
鈴葉に相談すまでもなく、心はもう決まっていた。
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