第9話 瀬川

ホテルから見る夜の空は、いつも星がキラキラしている。

そんな日を毎回選んでいるんじゃないかと思い、やがてその星達に、この日を選んだ人に満足する。



のんびりと窓の外を眺めて、いつもの癖でタバコを探そうとする。

いけない、ここは禁煙だった。




「何考えてたの。」

「綺麗だなって。」





ふうんと渋い声が続いて、太い腕は細い瀬川の体を抱き締めた。




この腕にしっかりと抱き締められて感じる充足感が好きだ。

渋い声も、しっかりとした骨太そうな体つきも、私にはこれだけあればいい、と思ってしまうほど満ち足りた気持ちにさせる。



この人は、瀬川の今までの人生で一番好きな人だった。






「タバコ、辞めたら?」

「どの口が言う。」



ふふっと笑って、太い腕に触れる。

もう若くないでしょ?そう、振り返らず、窓の外を眺めながら口にした。




「もう辞められねえよ。癖だ。」




この人は普段から口数は多くない。

それはホテルにいる間も変わらなかった。







初めて目にしたのは今から3年前。

第一印象は『これが営業部の部長か…。』という平凡なもので、営業なだけあって身綺麗にしているなあという感想が取って付くくらいだ。


惹かれるようになったのは、会社の忘年会の席で。

宴会場で割り当てられた席が、経理部と営業部の課長職以上とで隣同士だった。

瀬川は経理部で、営業部とは事務の人間としか直接関わりがなく、そばに座っている全員が面識のない顔のため、自分から話しかけることはなかったが、ただ、お酒を注がなくてはならない場面というのは、どうしても出てくる。


当時営業部の部長、課長に女性はおらず、必然的にお酌の声が回りにかかる。

経理部は女性が多かったため、したっぱ女子社員がしぶしぶ(顔には出さずに)注いで回ったが、注げは注がれるので、早々に酔ってダウンしてしまい、そのあとは入社2、3年目の社員にバトンタッチされた。



瀬川は酒に強い。



注いで注がれて、顔色の変わらない瀬川を、この部長はよく見ていた。

他の部長、課長は大分酔っており、呂律が回らない者もいた。

しかしこの人だけは、回りに比べて静かに酒の席を楽しんでおり、瀬川も、お酌の回数が他の人に比べて少ないということは感じていた。




グラスに目を配るとき、ちらりと顔をうかがう。

その時の目は、もう忘れられない。


表現としては、静かにギラギラしていたというか、とにかく、ああ、この人は物静かな人というわけではなく、虎視眈々と獲物を狙っていたのだなと。




獲物は、私か。





なんとなく居心地が悪くなり、お手洗いに向かおうと席をたつ。

廊下まで宴会会場と化していたため、そこから離れた、他の社員はあまり使わない手洗いに向かうも、人気が疎らになったところで声をかけられる。






「逃げないでほしいな。」






先程まで聞いていた声より渋味があって、何よりその声が唐突で肩が跳ねる。

心臓がどくどくと鳴り、数秒、振り返るのに時間を要した。





「私ですか?」

「そうだよ、瀬川さん。」

「逃げてなんて…」

「じゃあこっちにおいで。」





その手招きは、私をどこへ連れていくのか。

頭では目的地を理解していたが、付いていって本当によいのだろうか。


きっとこの人は断っても逃げても、誰かに告げたり、脅したりということはしないだろう。



私は嫌じゃない。

でも好きでもない。



その当時彼氏はいなかったが、私はこんなに軽い女だったのかと、自分を疑った。




近寄ってこないのは、余裕だからなのか、自分から堕ちてくるのを待っているのか。

はたまた私が断ったら、違う女に声をかけるつもりなのか。


酔った頭は、何が正解なのか答えを見つけられない。ぐるぐるぐるぐる。



気付けば足は元来た道を辿り、この人はゆったり微笑んで私を引き連れ、割り当てられた部屋へ向かった。






今思えば、私は誰かに囚われたかったのかもしれない。

あの目を見て、この人のベッドの中で見せる私への執着に、歓喜している。



もう2年以上関係は続いていた。




太い腕がゆっくりと離れ、脱いだ服を手に取り、身に付け始める。

私もまずは散らばった服を手繰り寄せなくては。




これがいつもの流れ。

2人バラバラに部屋を出て、自宅に帰る。

ホテルに来た時と同じ格好に戻り、最後に別れのキスをして、同じ言葉で締め括ってから。





「じゃあまた会社で。」

「はい。」






私は、その時が来たら、この人を止められるのだろうか。


結婚指輪のはまった、この男から。


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