第二十四話 『ここから始まった』

 重厚なドーリア式石柱を持つ建物の間を走り抜ける。道幅は三十メートルくらいあり、石畳になっていて走りやすい。

 やはり両側の建物には人っ子一人いない。住民は一人残らず徴兵されているのだろうか。それとも戦時中に避難するシェルターのような物でもあるのだろうか。


 重苦しい建物が途切れると、先ほど見えた丘の麓にたどり着いた。丘の傾斜は、遠くから見たのよりかなり急だ。道は左右に折れており、左は丘に沿って上り坂になっている。丘の要塞に入る道は、左で間違いなさそうだ。


 走る速度を緩めて、坂を上り始める。

 外周を六十度ほど回ったところで城壁の基部が目線の高さになり、それと同時に壁面が二メートルほど張り出した部分に行き着いた。

 丘の頂上――城壁の中に入るための城門棟だ。

 落とし扉は開いているが、さすがに屋上では三人のダリーが見張りに立っている。全員が、一見クロスボウのような黒い武器を構えていた。


「っとと……」


 いきなり現れたダリーに、こっちの姿が見えないのも忘れ、慌てて門の陰までバックしてしまった。壁面に背を預けて一呼吸し、策を練る。

 姿を消している今なら、素通りできる。だけど、内部でディプレスと戦闘になれば、別な技を使う都合上、姿を見せて闘うことになるだろうから、その騒ぎを聞きつけて助太刀になど来られると厄介だ。そうじゃなくても、門を閉められたりしたら脱出の時に面倒なことになる。


「やるか……」


 小さく独りごちると、すぐ目の前で小さな足音が聞こえた。


「その声は守ね☆」


 ピュリルーンの小さなささやき声が、ほぼ同時に鼓膜を撫でる。


「私はここ。みんないるのね」


 ピュリウェザーの息が俺の右耳にかかった。

 どうやら三人とも、門の手前にある窪みで一度立ち止まったようだ。

 折角全員集合したから、門を安全に通り抜けるための策について伝える。


「門の上の番兵を倒したいんだけど、二人は跳んでダリーを倒すことができるけど、俺は門の中にある階段から上らなくちゃならない。どうやってタイミングを合わせるかなんだけど……」

「守君も跳んだら?」


 思案に暮れていた件について、ピュリウェザーがことも無げに応えた。


「デジールのラピルー女王は、私たちくらいジャンプしながら闘っていたわよ」

「そうなの?」


 色々と必死だったから、見てなかった。もし祓魔姫ふつまひめのようなジャンプ力があれば、もうちょっと楽に闘えたのに。


「ちょっと跳んでみたら?」


 ピュリウェザーに言われるがままに、垂直跳びの要領で両腕の勢いを付けてジャンプする。


 プロバスケ選手になった気分……どころのレベルではない。

 猛烈な風切り音と共に城門が下方向にすっ飛び、気づくとヴォイダートの全景が視野に収まる高度まで跳び上がっていた。


「うひゃっ……!」


 間抜けな悲鳴が漏れるのをすんでの所で飲みこみ、落下に対して態勢を整える。上昇についてこれだけの能力が向上しているんだ。下降についても(できれば着地についても)能力が向上していると信じるしかない。


 落下が始まる。

 絶叫を無理矢理押さえこみ、さっき跳び上がった石畳を睨みつける。一メートルくらいの所から飛び降りたと思って、普通に……普通に……膝のクッションを使って……


 すちゃっ。

 着地が決まった。

 お……俺って格好いい!

 しばし、自分の整った着地姿勢に酔いしれる。


「いつまでもじっとしてないで。門番を片づけるわよ☆」


 ピュリルーンの囁きで我に返る。

 そうだ。ジャンプの練習をしている場合じゃなかった。


「ごめんごめん。じゃあ、俺が左。ピュリルーンが真ん中、ピュリウェザーが右でいいかい?」

「オッケー☆」

「了解」


 声だけで確認すると、俺は門扉の一番奥で気怠げに立っている門番に向かって駆け出し、大ジャンプを敢行した。さっきの感覚を頼りに跳躍力を調整したつもりだったが、若干高く上がりすぎる。


「わっとと……」


 そのまま目標の門番に空中から体当たりをかます形で、櫓の上に着地する。

 黒ずくめのダリー門番は短い悲鳴と共に床に押し倒された。


「悪く思うなよ、と」


 カメレオンの魂をこめた拳を胸ぐらに叩きこむ。相手が人間だったらこんなむごい芸当はできないな。

 後ろを振り向くと、ピュリルーンとピュリウェザーが受け持ちのダリーを攻撃し、気を失った相手を櫓から突き落としているところだった。


「どうしたの? 守も早く☆」


 ピュリルーンがダリーを突き落とすよう促す。

 ……女って怖い。


 俺はダリーの身体を櫓の縁から丁寧に落とす。どさりと落ちたその身体は、黒い衣装共々煙のように消え失せてしまった。改めて、こいつらって生き物じゃないんだと再確認してしまう。


 門番の処理を終えた俺たちは、屋上から城門棟の中に侵入し、落とし扉のウインチを無効化して開きっぱなしになるように細工した。跳べば何とかなりそうな気もするが、一応退路を断たれないための工夫だ。


 門をくぐり、城壁の内側へと歩みを進める。

 そこは平らな台地だった。広さは小さなテーマパークぐらいといったところか。

 その中に、いくつかの建物が点在している。

 左には、煉瓦で造られた三階建てほどの高さを持つ建物。昔の工場を連想させる。その右には、矢挾間を無数に装備した物々しい塔を挟んで、宮殿とも呼べそうな豪奢な館が西に正面を向けてそびえていた。

 正面には、四百メートルトラックがすっぽり収まりそうな、乾いた土の広場。その奥には、コンクリートのようなぬめりを感じる壁面を持った、近代的な研究施設を思わせる建物が立っている。

 そして、旧工場、宮殿、研究施設、右手前の外壁からは金属質の丈夫そうなチューブが広場の中央に集まってきている。その中心にある石造りの円筒は……


「『深淵の井戸』……」


 ピュリウェザーがつぶやく。


「あれが……浄化前のウィルが集い、大地へと還っていくと言われている奈落の入口。この目で見るのは初めてだわ」


 あの小さな井戸から、全てが始まったのか。

 そこに、希望をなくした妖精たちが集まり、妖魔が集まり、集落を為して、ついにはヴォイダート帝国を名乗るようになった。

 そして帝国は、イマジナリアに襲いかかり、人間界を侵略し、そしてピュリメックを連れ去った。


 ピュリメックは――いや、ひかるはどこだ。

 井戸を注視するのをやめ、だだっ広い台地を見渡す。しかしどの建物もひかるが閉じこめられていそうであり、またどの建物も違う気がする。


「あれを見て!」


 急にピュリウェザーが小さく叫ぶ。指先が、研究施設と宮殿との間に見え隠れする、巨大なアーチ状の建造物を指さしていた。


「あれは……『境界の門』!」

「『境界の門』……」


 無意識に反芻する。

 ターヤが予想した通りだ。

 あのでかいアーチがあるせいで、人間界にウノシーが大量発生するようになったのか。

 だけど……イマジナリアの妖精が使う『境界の門』と比べて、ひどくでっかいな。まるで見つけてくれと言わんばかりだ。それともテクノロジーの差で小型化できなかったのかな?

 まあ、どちらにしてもこれで女王様の言っていた破壊対象が見つかったってわけだ。


 いよいよ、人間界に平穏な生活を取り戻す時がやってきた。

 だが、ひかるを助けることが俺にとっては第一だ。

 知らず知らずのうちに身を乗り出して周囲をキョロキョロしていたらしい。ピュリウェザーが片手で俺の胸元を制した。


「守君。闇雲に動いてもなかなかうまくいくもんじゃないわ。ここはまず『境界の門』を破壊して、相手の出方を伺いましょう」

「……くっ」


 彼女が言うことはもっともだ。

 俺は意図的に深呼吸をして焦る気持ちを抑えつけた。


「すまない。じゃあ、まずは『境界の門』を破壊しよう!」


 三人が同時に頷いた。

 目指すは『境界の門』のレプリカだ。


「よっしゃ。景気よくぶっ壊してやろう!」


 俺の気合いに反応して、三人が駆け出そうとしたその時。


「待って!」


 ピュリウェザーが小さく叫んだ。

 俺とピュリルーンは二、三歩走りかけてから急制動をかけ、ピュリウェザーに顔を向けた。

 ピュリウェザーは眉根を寄せ、何か小さな物音を聞こうとするような表情をしていた。


「感じる……今までにないほど強大な黒ウィルだわ。ピュリルーンは感じる?」

「言われてみれば……何か嫌な感じがする☆」


 嫌な感じか。確かに、人を寄せ付けない感じというか、何となくどんよりした雰囲気は感じるが……これが黒ウィルの影響なのか。


「どこ? 単体のウノシーとか、そういうレベルじゃない……」


 ピュリウェザーはついに目を閉じ、神経を研ぎ澄ませて黒ウィルの出所を探る。


「感じる……強い……動く……」


 ピュリルーンも肌で何かを感じているのか、しきりに頬を擦る。


 俺も何か感じないかと身構える。

 左手に宿るハチドリの魂が、普段なら聞き逃すような微かな音を耳に届けてくる。


 吹き過ぎる風。

 遠くから響く鬨の声。

 石材と金属が擦れ……


「左だっ!」


 とっさに叫んだのと旧工場の壁面が爆裂したのは、ほぼ同時だった。

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