第3話

 昔から私は、身体が弱かった。いつも外で遊ぶ同い年の子たちを窓から眺めていた。きゃっ、きゃっと楽しそうに遊ぶ子たちを羨ましくて仕方なかったけれど、外に出る勇気さえなく、諦めていた。


「わたしも、おそとであそびたい」


 大人にとっては些細な願いかもしれない。けれど、子供の私にとっては大きな願い事だった。そんな想いもしらない両親は私の願いを我儘と言い放ち、外に出すことはなかった。

 それから、窓の外は私にとって次元の違う世界になった。けっして開くこともない、開けることも許されない。けっして触れることは赦されない世界。私にとってその世界は憧れそのものだった。



 いつものように、ベッドの上から遊ぶ子供たちを眺めていた。そんなある日のこと。

 鬼ごっこをしているのか。子供たちが走りまわっているのをじっと眺めていると、鬼役の男の子が一人、私に近づいてきた。

 ニコニコと笑顔で窓をコンコンと叩く。


(なんだろう)


 疑問に思いながら、ゆっくり手をのばす。ドキドキと胸が高鳴っているのは、異次元だと思っていた窓の先へと繋がるからだろうか。

 開かないと思っていた窓は軽く押しただけでいとも簡単に開いた。

 開けてもよかったのか、と不安になりながら男の子を見ると、彼はニコリと人懐こっそうに笑って言うのだ。


「いつもみているよね」

「……ええ」

「みているだけじゃ、つまらなくない? きみもいっしょにあそぼうよ」


 そう言って笑う彼は、憧れたその世界を具現化したかのように眩しかった。

 窓は繋がったけれど、次元の違う私と彼が一緒にいてはいけないのではとそう思った私は、首を横に振る。


「わたし、そっちには行けないよ」

「どうして?」


 首を傾げる彼にわたしは、戸惑う。本当のことを言ったらめんどくさい子だと思われないか、そんなことを考えてしまってどう返せばいいかわからなかった。

 黙り込んでしまった私の言葉を待つように彼も黙り込み、じっと私を見つめている。

 とうとう、何も浮かばなかった私は深呼吸を何度か繰り返してから、本当のことを話すことにした。


「わたし、すぐたおれちゃうから」

「…………」


 おそるおそる、理由を話した私に彼は少し目を開かせたあと、にこりと笑った。


「だいじょうぶ、たおれたらボクがたすけるよ」


 ほら、と彼の手がさしだされる。その手を取ることを少し躊躇したが彼の温かい手を取った。

 彼に引っ張られ、異次元へと飛び出す。不安で心臓がはやまる。それでも、なんだか冒険に出るみたいで、心が躍った。


 これが彼、ウィリアムとの出会いだった。


「皆と遊ぶの、楽しかったわ。けれど、やっぱり倒れてしまって……両親は私が窓から抜け出さないように、部屋を二階に移したわ。それでも、ウィリアムは部屋の傍にある大きな木を登って……会いにきてくれた」


 彼はそれから毎日、木を登って窓を叩きに来てくれた。

 街の話。

 学校の友人が起こす小さな事件の話。

 遠い、遠いところにある海の話。

 森に住む魔女の話。

 明るく楽しそうに話す彼を見るうちに、私はウィリアムに惹かれていった。

 二人が付き合い始めるまで、そう時間はかからなかった。


 月日はながれ、私は16歳になった。体調のいい日が続くようになり、医者から外出許可をもらえるようになった。そのときの私の喜びようは誕生日にケーキを食べたことより、欲しかった物をもらえたことよりも大きなものだった。


(外に出られる!)


 そう思った私は、そのことを一番にウィリアムに伝えたくて、会いに家を飛び出した。

 しかし、数メートル歩いたところで気づいてしまった。


(私、ウィリアムの家を知らないわ……)


 家だけじゃない、彼の好きなもの、得意なこと、彼について知らないことが多すぎた。恋人なのに、知っているのは彼の笑顔がとても眩しいということだけだった。


 灰色のコンクリートを眺めながらトボトボと歩く。広場のベンチに腰をかけ、青い空を眺める。近くにある噴水の水音に耳を澄ませたその時、


「ねぇ、早くしてよー」

「わかった、わかった……」

(あれ、この声……)


 その声は聴きなれた、ものだった。ゆっくり、ゆっくり、声がした方に振り返る。


「あ……」

「あっ」


 目があった。そこにいたのはウィリアムで、その隣には可愛いらしい女性がいた。

 その女性の腕は彼の腕に絡みついている。


「セシリア、外に出ても大丈夫なのか?」


 この気持ちはなんだろうか。


「でも、会えてよかった。いまセシリアのところに行こうとしていたんだ」


 胸が痛くて。

 かなしい、悲しい、哀しい。苦しいよ。


「あのな、こいつ俺の——……セシリア!?」


 そんな、想いで胸の中がいっぱいになる。耐えきれなくなった私は、駆け出した。

ヒュー、ヒュー、と喉が鳴る。

 心も身体も泣きたいくらいに苦しくて、どれくらい走ったのだろうか。視界が急に暗転した。


「セシリア―!」


 彼が自分を呼ぶ声が聞こえたのを最後に、意識を手放した。

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