番外編 OH MY BABY / 親友のお見合い

第38話 #ex06 Decide your mind !

 大人と名乗っていい年齢とは何歳からだろうか。20歳になった途端、大人になったとは言い難いし、かと言って三十路を越えた今も自らを大人と称するには問題があるのではないか、と香夏子は思う。

 しかし世間では30歳と言えば立派な大人を指す。

 それでも自分のたどってきた人生や、日々の生活態度を検証してみると、香夏子の生態は一般的な大人の基準からは大幅に外れているような気がしてならない。

 しかも、そんな自分が数ヶ月後には母親になるというのだから驚きだ。

(いや、驚いている場合じゃないんだけど)

 香夏子はほんの少し膨らんできたような気がする自分の腹を撫でた。少し前まで穿くことができたジーンズが穿けなくなったのはつい数日前の出来事だった。つわりの間は身体を締めつける衣服を敬遠していたため、ジーンズなどは当然穿かない。そのつわりがおさまってきて「さて散歩にでも出かけるか」と気合を入れてジーンズに足を通すと、太腿から上がこれまでとは全く別の寸法になっていた。

 見た目はほとんど変わらないと思う。だが、とにかく入らない。それが事実だった。

(なんかもう、自分の身体じゃないみたい)

 お腹の部分がリブ編みになった不思議な形状のジーンズを義姉の茜からもらって穿いているのだが、これは五ヶ月の香夏子にはまだ緩すぎた。近いうちにこれがぴったりになるとはとても信じ難い。改めて自分の腹を見る。

(食べすぎ……とかじゃないよね?)

 実は香夏子のつわりは、いわゆる食べづわりだった。そのためつわりの最中も体重が激減するようなことはなく、むしろサイダー味の飴を常食していたので、糖分の取り過ぎで腹に肉がついた可能性は高い。しかし脂肪にしてはぷよぷよ感がない。

(やっぱりお腹が膨らんできたのかな? それにしても変な感じ……)

 要するに自分の身体が出産に備えて着々と変化しているのに、香夏子の意識が置いてきぼりをくらっているという図式だ。自分の身体にこんな機能が備わっていたことに驚き、そしてこの歳になっても未知との遭遇体験ができるものなんだ、と不思議な感動に包まれていた。

「そんなに驚くことでもないでしょ」

 義姉の茜は香夏子をたしなめるように言う。茜は妊婦時代に着用していたマタニティ服を整理しながら、数日前に起こった香夏子のジーンズ事件の話を聞いてくれていた。

「茜さんは出産を三回も経験したから、最初のときの感動を忘れちゃってるんだよ」

「うん、まぁそれはあるかも。でも産んでからが大変なんだって! あ、でも香夏子ちゃんはいい季節に妊娠したよね。出産する頃、春でしょ。冬に出産したら寒くてさぁ。夜の授乳とか、ああ、思い出したら泣けてくる」

 そう言いながら、茜は夜中の授乳中、部屋が寒くて息が白かったと新生児期の苦労を切々と語り始めた。

(授乳とか想像もつかないけど!)

 香夏子はその話を苦笑しながら聞いた。そして自分は母乳が出るのだろうか、と不安になる。

「そういえば、私、マサルを妊娠中、戌の日に律儀に腹帯を締めてみたんだけどさ、ちょうど真夏で一時間も巻いていたらお腹まわりが汗だくになっちゃってさー! すぐに『こんなものつけていられるかー!』と断念したよ」

 茜の何かを床に叩きつけるようなジェスチャーに香夏子も笑った。

 茜だけでなく、自分の母親や聖夜の母親、そしてその親族の母親になったことがある女性は、香夏子の妊娠を知ると懐かしそうに自分の体験談を語ってくれる。

 妊娠、そして出産にはその一つ一つに、それぞれの感動のストーリーがあるのだ。辛く悲しい経験をした人もいれば、驚くほど多くの子宝に恵まれた人もいる。

 何が幸せで、何が不幸なのか、香夏子にはまだよくわからない。

 だがどんなに長い年月が経っても、母親はその一つ一つを大切に胸にしまっているという事実に、これから母親になろうとする香夏子はたびたび心を打たれるのだった。



 つわりがおさまり、胎動らしきものを感じるようになると、香夏子の妊婦としての自覚がグンと増した。

(まぁ、つわりも妊婦特有のものだけど、この胎動は本当に不思議だよね)

 少し膨らんだ自分の腹に手を当ててみる。自分の中に自分とは別の生命があるということ自体が驚きだ。

(これが聖夜と私の子ども……なんだよね?)

 頭の中で自問して、香夏子は笑った。

(うん。間違いない)

 それは自分自身が一番よくわかってる。

 しかし腹の中に宿った生命の神秘に対する驚きや畏怖の念は、香夏子の日常を、これまでとは全く別の真新しいものへと書き換えていた。

 無事に六ヶ月に入ると、胎動はますます活発になった。

 同時に香夏子も活動的な気分になり、かかりつけの産院で行っているマタニティヨガを受講することにした。ヨガも、香夏子にとってはこれが人生初の経験だ。

 最初は肩や首周辺をほぐし、次にヨガバンドを使用して足の運動、そしてスクワットへと移行する。

(妊婦ってこんなことまでして大丈夫なの?)

 香夏子はおそるおそる開脚状態で腰を落としていくが、腹筋が衰えているのか、先生の姿勢に比べるとかなり不格好だ。

 気になって他の妊婦のポーズを見てみると、腹部は大きく膨らんでいるにもかかわらず、力強いスクワットを披露している女性がいた。

「かなり様になってきたわね」

 先生も彼女を褒める。その言葉から、彼女がこのヨガ教室に頻繁に足を運んでいるのだとわかった。

(えー、かっこいい!)

 香夏子は前傾しがちな上半身を、彼女にならって後ろに戻す。しかし重心のバランスが崩れて、膨らんだ腹の底にグッと力が入った。

「うん! あなたもいい感じよ。でも無理しないでね」

「はい」

 太ももがぷるぷると震える。この状態でのキープが長く、初体験の香夏子は翌日の筋肉痛を覚悟した。

 引き締めのポーズが終わると仰向けに寝るよう指示された。先生の誘導で目を閉じ、全身の力を抜いていく。落ち着いた先生の声が緊張していた心を解き、ゆったりとした腹式呼吸によって心身ともにリラックスした状態になった。

 数秒後、横から異様に大きな呼吸音が聞こえてきた。

(……え?)

 目を瞑ったまま、香夏子はその音に耳を澄ます。どう考えても「ふごー」というのは寝息だろう。リラックスしていたはずの香夏子だが、急に現実に引き戻された。

(……っていうか、いくらなんでもリラックスしすぎでしょ!)

 あまりにも立派な寝息なので、こらえきれずに薄目を開けて隣を見る。

(寝てる! 本気で寝入ってる!)

 香夏子の隣に横たわっている妊婦は明らかに睡眠状態だった。その豪胆さに内心で舌を巻きながら、香夏子は瞑想に戻った。

 妊婦になってから、香夏子も昼寝をするのが日課になった。夜も眠くなったら寝る。十分な睡眠だけでなく、食べすぎには気をつけながら栄養のあるものを食べ、適度に運動をし、のんびりとした健康的な生活ができていると思う。

 ヨガ教室から帰宅した香夏子は夕飯の支度を始めた。

 時間があるので、料理本に載っている少し手間のかかるレシピに挑戦しようと思った。

(赤ちゃんが生まれたら、こんなのんびり生活できないだろうし)

 そうは思うものの、実際はどうなのだろう。

 首を傾げながらチンゲン菜を刻む。妊娠していなくても「豚バラ肉とチンゲン菜のふわふわあんかけチャーハン」なんて手の込んだものはきっと作らないだろうと思う。

 だとしたら、今はきっと特別な時間なのだ。

 包丁を置いて、香夏子は腹部に手を当てた。

(君がくれた期間限定の最高に幸せな時間だね)

 この中で急成長している我が子の姿を想像してみる。香夏子が通う産院は最新鋭の機器が揃っていて、4Dでの超音波映像を見せてもらえるのだが、前回は背中を向けていて顔が見えなかった。数ヶ月後には対面できるとわかっているのに、一刻も早く胎児の顔を見たくてたまらない。

(聖夜に似ているといいなぁ)

 調理を再開しながら、香夏子はしみじみとそう思った。



 夜になって、妊婦用のパジャマに着替えた香夏子は、聖夜がいつになく真面目な顔でこちらを見ていることに気がついた。

 心の中でギクッとしたのは、香夏子にも聖夜の気持ちが想像できたからだ。

「ええと、ですね……」

「カナはスクワットをしても、もう大丈夫なんだよね?」

 夕食のテーブルはマタニティヨガの話題で盛り上がった。聖夜は香夏子が安定期に入って活動的になったことをとても喜んでいた。

 しかし、その喜びには裏がある。

 それに気がついていた香夏子は、聖夜の顔をまともに見ることができない。

「うん、まぁ……そうとも言う」

「じゃあ、ちょっとした運動も全然大丈夫だよね?」

「ちょっとした運動……なら、たぶん」

 香夏子は自分の声が小さくなっていくのを情けなく思いながら、意地悪な笑みを口元に浮かべ、すうっと目を細くした聖夜をちらっと見て、すぐに目を逸らす。

(あああ! いけないものを見てしまった!)

 聖夜は優しい声で「香夏子」と言った。それからその場に立ち竦む香夏子に急接近し、後ろからふわりと抱き締めた。

 首筋に聖夜の吐息を感じ、香夏子は身を震わせる。まもなくその場所を聖夜の唇が這う。

「……っ!」

 久しぶりに甘い吐息が漏れた。

(だって妊娠が発覚してから、こういうのは……なかったから)

 正直に言えば、香夏子は自信がない。聖夜が自分を求めてくれる気持ちに、何とか応えたいと思うが、腹部も確実に膨らんできた今、最後までその要求を受け入れることができるのか。

 しかし、この先の行為を危ぶむ不安な気持ちは、聖夜の唇と指が生み出す甘い痺れによって徐々に溶かされてゆく。

 身体をすっかり聖夜に預けて、求められるまま唇を重ねると、頭の中は真っ白になった。口づけが深くなり、夢中になっていると、聖夜がパジャマの隙間から手を忍ばせてくる。

 聖夜が耳元でクスッと笑う。

「やめたほうがいい?」

 言葉とは裏腹に、空いている手が香夏子の下腹部を滑り降りた。

「や……めないで」

「素直でかわいい」

「でも……優しくしてね」

 聖夜はクスッと笑った。

「俺がカナに優しくしなかったことがある?」

 香夏子は記憶をたどろうと一瞬だけ試みたが、すぐに諦める。頭の中はぼんやりと霞がかかったようで、まともに考えることなど、もはや不可能だった。

「大丈夫。いつもよりもっともっと優しくするから」

 掠れた声が耳元でそう囁く。くすぐったくて嬉しくて幸せだ。目を閉じて全てを聖夜に委ねた。

 不安な気持ちは全部、聖夜の柔らかい抱擁が吹き飛ばしてくれる。怖がっていた自分が愚かに思えた。心の繋がりだけでも愛を感じることはできるが、身体の繋がりはそれをより確かで、より強固なものにする。

 聖夜の愛を全身で受け止めながら、香夏子はありったけの想いを込めて彼の柔らかな唇にキスをした。



 翌朝、密かに危惧していたことが現実となっていた。

 ベッドから起き上がろうとすると、全身の筋肉が悲鳴を上げる。悶絶する芋虫のようにジタバタしながら、ようやく二本足で立つことに成功した。

「言いたくないけど、つい『よいしょ』と言ってしまう」

 そんな香夏子のぼやきを聖夜はニヤニヤして受け流す。唇を尖らせて抗議するが、聖夜は全く気に留める様子がない。

「あーあ、男の人には一生わからないだろうけど、お腹が重くなってくると、本当に大変なんだから!」

「そうだね」

「全然気持ちがこもってない!」

「そんなこと言われても、こればかりは替わってあげられないからね」

 フン、と香夏子は鼻息を荒くした。 

(それに、20代で産む人のほうが絶対体力あるもん!)

 昨日のマタニティヨガで、カッコよくスクワットしていた妊婦に激しいライバル心を燃やしたのも、彼女が20代の若々しさを全身から発していたためだった。

(どうせならもっと早く妊婦になりたかった!)

 昔から「若い母親になる」というのが香夏子の夢だった。香夏子の母親は身体も小さく、童顔ということもあって、同級生の母親の中では一際若く見えた。勿論、聖夜と秀司の母親を除いての話だが。

 だから香夏子もできれば子どもたちの間で評判になるような若い母親を目指したかったのだが、妊娠や出産は本人がどんなに熱望して、努力したとしても、必ず叶うという性質のものではない。

 全身が筋肉痛のせいか、気分まで沈みがちだ。家事を適当に済ませて、とりあえず隣の実家に顔を出した。

 兄の末っ子ミユがよちよち歩きで玄関までやって来て、香夏子を出迎える。立って歩くようになると急に人間らしくなるな、とミユの顔を見て思った。ミユも香夏子を見て心の底から嬉しそうに笑った。

 茜は散らかったおもちゃを片付けながら、上がりこんで早々愚痴を並べる香夏子にうんうんと相槌を打つ。そして一通り話し終えた香夏子に、茜はしみじみと言った。

「いや、私も若い子を見るとつい言いたくなる。『産むなら若いうちだよ』って。でも、相手が年上ならいいけど、20代前半で同い年の男と結婚を考えるのはちょっと厳しいなって思う」

 これには香夏子も苦い顔で頷いた。

「まぁ、そうだね」

「でも今は30代で初ママって多いし、みんなオシャレして綺麗だよ。それにやっぱり大人だから子育ても真面目に考えていて、素敵なママがいっぱいいるって。そういう友達ができたら30代が最高! と思えるようになるよ」

「茜さんもそう思ってる?」

「勿論。20代も楽しかったけど、振り返ると恥ずかしいね。……いろんなことが」

「あ、同感。でも私は、未だに子どもっぽい」

 茜は笑いながら首を横に振る。

「自覚があるだけマシ。気がついてない人が一番厄介でしょ。たまにいるんだよねぇ、相手の気持ちも考えずに、思ったことを全部口に出しちゃう人」

 あれは本当に手に負えないな、とつぶやいて茜はぼんやり宙を眺めた。

 香夏子から見ると茜は世渡り上手に見えるが、それでもママ友付き合いで苦労することがあるらしい。

 しかし彼女はいつも笑っている。勿論声を荒げて怒ることもあるし、泣くこともある。だけど最後はそんな自分自身でさえもネタにして笑い飛ばしてしまう。

「なんか茜さんってすごいなぁって思う。育児も家事もちゃんとやって、私の愚痴まで聞いてくれて……」

 香夏子が何気なくそう口にすると、茜はニヤッと笑った。

「なーに言ってんの! 香夏子ちゃんも出産したら人生が一変するよ。細かいことを気にしている暇なんかなくなるから」

 それから香夏子の腹部に手を伸ばし、優しく撫でた。


「赤ちゃんはね、家族にとって一番いいときにやって来てくれるものだよ」


 しみじみとした茜の声が胸に沁みる。

「この子もちゃんと考えているんだから、香夏子ちゃんはドーンと構えて待っていたらいい。そして20代のママに『素敵だな』って思われるようなママを目指してよ」

「え、でもその私を、茜さんは柱の影からこっそり覗いてクスっと笑うんでしょ」

「当然です!」

 茜が柱の影から覗き見するジェスチャーをすると、その背中にミユがよじ登った。童心に返ったように本気でミユと遊ぶ茜を見ながら、彼女を越える素敵なママになるのはかなり難しそうだ、と香夏子は思った。



 それから数日後のことだ。

 慶事用の切手が貼られた厚手の白い封筒が届いた。宛名は聖夜と香夏子の連名になっている。差出人名を見た香夏子は驚きのあまり叫んだ。


「えーっ! 高山くんが結婚!?」


 しかも開封してみると、結婚式は二ヶ月後となっている。その頃の香夏子は妊娠後期の八ヶ月だ。休憩で戻って来た聖夜に相談すると、あっさり「出席しよう」と言われた。

「高山くんには俺たちの結婚式ですごくお世話になったからね」

「そうだね」

 ふと、自分の結婚式のことが脳裏によみがえる。あのときも夢のような気持ちだったが、今はそれに輪をかけて幸せだ。

 そんなことを考えていると、招待状を見ている聖夜がボソッと言った。

「でき婚かな?」

「え、どうして?」

「普通、結婚式の招待状は半年前くらいに発送するものじゃない?」

 香夏子は結婚準備期間のことを思い出す。

「そうだね。まぁ高山くんが『普通』かどうかは疑問だけど」

 高山の場合、それ以外の理由で二ヶ月前に招待状を発送する羽目になっても、皆が「あの人は、ね」と納得しそうだ。ある意味そういうキャラクターは羨ましい、と香夏子は思うのだが。

 聖夜がフッと笑った。

「でも秀司は弟子に先を越されたのか。アイツもそろそろ覚悟を決めたらいいのに」

「覚悟?」

「うん。誰かと本気で向き合う覚悟」

 ああ、と香夏子は心の中で思う。結婚が恋愛と決定的に違う点はそこかもしれない。

「だけどその前にまず相手がいないとダメでしょ」

「うん」と頷いた後で、聖夜はクスクスと意味ありげな笑いを漏らした。香夏子が怪訝な顔をすると、笑ったまま聖夜は首を横に振る。

「ちょっと思い出し笑い」

「何それ。ヤらしい」

「ほら、この前秀司が夜中にウチに来て、泊めろって騒いだことあったでしょ。あのときの必死な顔を思い出したら、笑いが止まらなくなった」

 そう言い終えると、今度は声を上げて笑い出した。何がそこまで可笑しいのか、香夏子にはさっぱりわからない。

 不満げな顔をすると、聖夜は慌てて笑いを引っ込めた。

「カナは見てないのか。まぁカナがいたらあんな情けない顔はしなかったと思うけど」

「どんな顔?」

「そうだなぁ。……テストで0点取っちゃった、みたいな顔?」

 香夏子にはますますわけがわからない。首を傾げるのと同時に香夏子のケータイが鳴った。

 相手はまさに噂をすれば影の高山本人だった。

「わー、高山くん!? ちょうど招待状が届いたところだよ。おめでとう!」

「ありがとうございます。突然送りつけてすみません」

「いえいえ」

 一瞬「でき婚」のことが頭をよぎったが、聖夜の顔を見ると真面目な表情に戻っていたので、口に出すのは思いとどまった。いくら相手が親しい高山でも、そんなことをいきなり聞くのは失礼だろう。

 高山も結婚報告の割には浮かれた様子でもなく、どちらかというと落ち着いた大人の喋り方だった。

「それでお二人は出席できそうですか? 香夏子さんは妊婦さんですし、どうなのかなと少し心配だったのですが」

「勿論、聖夜と一緒に出席します。私たちの結婚式でも高山くんにはお世話になったし、高山くんの奥さんにもお会いしてみたいし」

「彼女も香夏子さんや聖夜さんに会うのを楽しみにしてますよ」

「それで秀司は当然出席するだろうけど、湊も招待してるの?」

「ええ……」

(あれ?)

 湊のファンと言っても過言ではない高山が、湊の話題なのに食いついてこないのが不思議だ。肩透かしを食らったような気分で香夏子は「ん? どうかした?」と訊ねる。

「それが、この電話の前に湊さんに電話したんです。そしたら……」

 高山のため息が聞こえてきた。

「欠席?」

「いいえ、そうではありません。結婚式には来てくれるそうです。でも……」

 香夏子は妙に話を引っ張る高山に少し苛立ちを感じたが、こらえて待つ。

 すると高山は覚悟を決めたのか、息を大きく吸い込み、そして次のように言った。


「お見合いをするって言われました」


「へぇ、お見合い」

 そう相槌を打った後で、香夏子は事の重大さに気がつく。

「えっ!? 湊がお見合い!? なんで?」

「それは僕も不思議に思って湊さんに聞いたら『してみたくなったから』だそうです」

 高山はまたやるせないため息を漏らした。

「知らなかった」

「そりゃそうでしょう。今日決まったそうです。お見合いは来月らしいですよ」

「そうなんだ」

「『そうなんだ』じゃないでしょ! 香夏子さん、湊さんがお見合いで結婚しちゃってもいいんですか!?」

 急にケータイの向こう側から興奮した声が聞こえてくる。ようやく高山らしくなってきた、と声を立てずに笑った。

「え、相手が素敵な人ならお見合い結婚もいいじゃない」

「どうしてそんな呑気なことが言えるんですか!? だいたい見合いの相手なんか頭も薄くなってきている加齢臭オヤジに決まってるじゃないですか!」

 ブッ、と香夏子は吹き出す。

「高山くんの妄想、激しすぎ」

「あーもう、香夏子さんに相談したのが間違いでした! 僕は絶対、このお見合いをぶち壊してやりますからね。くそぉ、オヤジなんかに湊さんを渡すわけにはいかないんだ」

 暴走気味の高山を宥めつつ、香夏子は自分からも湊に真意を確かめてみると約束して電話を切った。

 高山との通話が終わるのを黙って待っていた聖夜は、香夏子に目で問いかける。

「湊が来月お見合いするみたい」

「へぇ。急にどうしたんだろうね」

「『してみたくなったから』だって」

 ふーん、と聖夜は曖昧な返事をした。それからボソッとつぶやく。

「アイツ、知ってるのかな」

「アイツ? ……秀司のこと?」

 聞き返しても、聖夜はただ微笑んでみせるだけだった。



 聖夜が仕事に戻ってから、香夏子は湊に電話をかけた。土曜日だから仕事は休みのはずだ。

 電話はすぐに繋がり、湊は見合いの件をあっさり肯定した。訊きたいことがたくさんあったが、それを牽制するような声がケータイの向こうから聞こえてくる。

「明日、秀司の家に呼ばれているから、その後で香夏子のところにお邪魔していい?」

「勿論!」

「じゃあ、そのときに詳しく話すよ」

 湊は急ぐ様子で話を切り上げた。

 ケータイをテーブルの上に置くと、香夏子はソファに横になる。そろそろ昼寝の時間なのだ。毎日の習慣で、この時間になると眠くてどうしようもない。

 しかし今日は身体を横たえても湊のことが頭から離れなかった。

(何だか落ち着かない様子だったな)

 そして「秀司の家に呼ばれている」という言葉が気になった。秀司の母親と湊はメル友のようだが、香夏子の妊娠が発覚した頃に遊びに来たのが最初で最後の訪問のはずだ。

(あのときは秀司のおばさんの笑っちゃうような作戦に騙されて、秀司も湊もかわいそうだったけど……そういえばあの後、どうなったんだろう?)

 自分の妊娠が発覚し、他人の心配までしている余裕がなかったが、考えてみれば湊はこれまであの一件についてひと言も触れたことがない。今思えば、それは不自然ではないか――?

 考え事を続けたいが、どうしようもなくまぶたが重くなってきた。胎児からの「休息しなさい」というメッセージだ。明日になれば謎は全て解けるはずと自分に言い聞かせて、香夏子は素直に目を閉じた。

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