善意の早贄、あるいは百舌鳥の悪戯


 「善意の早贄」というのを聞いた。歩道の端に小さなキーホルダーが寄せてあったり、ガードレールに片方の手袋が引っ掛けてあったりするのをそう言うらしい。言われて見ればよく見る光景だ。それをそう表現したのは言い得て妙だと思う。

 落ちていることに気付いたが拾ってどこかに届けるほどではない、でもこのままにしておいて踏まれるのを想像するとなんだか……という時にやるようだ。そういえば自分もやったことがある。あの時のそれが本当に落とし主に届いたかどうかは知る由もないけれど、ほったらかしにするよりはいいことをしたのではないか?多分?

 ある日通りがかった道沿いの木の枝に、手袋がひとつ引っかかっていた。なんだろう、と思ったがあれも善意の早贄かもしれない。鳥がやったにしては綺麗に引っ掛かりすぎているし、そこに引っ掛ける理由もわからないし。落とし主が気づくといいねと思いながら通り過ぎたが、帰りに同じ道に来た時ふと違和感を覚えた。

 位置が高いんじゃないか?

 そこそこ大きな木の、高めの位置の枝の先。平均的な身長の人が普通に背伸びしても届かないんじゃないだろうか。背の高い人が引っ掛けたとしてそれは善意なのか。なんだかなあ、と思いながら通り過ぎる。善意の早贄ではないのかもしれない。

 それから早数か月。片方の手袋は未だにあの枝に引っ掛かっている。落ちることなく、回収されることもなく。雨風、さらには雪、そして桜も浴びている。

 あのまま季節を見て行くのかな。ある日突然なくなっていたら、少し寂しく感じるかもな。

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