2章 旅路

第7話 旅路 01

 獣人たちとの戦いで火をつけられたコテージはすでに全焼し、炭と煙の残骸になっていた。


「もえちゃった……」


 現場を見たムウは、それだけ言って黙り込んだ。


 この場に建っていたコテージこそがムウが封印される前に両親――300年前の勇者と魔王――とともに住んでいた家に違いない。


 ジンは胸が痛んだ。ムウがこれまでどのような生活をしてきたのか、想像することさえ難しい。それでも彼女が両親を慕っているのは確かだろう。


 境遇で言うならジンも同じようなものだ。まだほんの子供のころに魔族の襲撃で肉親の命が奪われ、それから最後の騎士団に身を寄せることになるまでは本当に大変だった。それでもジンには同じような孤児がまわりにいた。ともに助け合う仲間がいてくれた。


 ムウはひとりだった。


 生まれてからずっと両親以外の人間とはあったことがなく――ついでに言うなら魔族とも――生身の人間で初めて触れて言葉をかわしたのがジンだったという。


 自称14という年齢にしては少し子供っぽい言動なのは、たぶん他人との関わり方がうまく身についていないのではないかとジンは思った。同じ孤児たちの世話を数年に渡り務めてきた経験から、ジンはそうしたこころの発達や幼い子どものこころの傷といった機微にそれなりの知識がある。


「ムウ、残念だけどもうここには……」


 ジンは焼け跡をじっと見たまま動かないムウに声をかけた。崩れたコテージのまわりには獣人たちの死体が多数転がっていて――残念なことにリデル小隊の仲間だった二刀流の女剣士アルハリと巨漢の斧使いブリックのなきがらも含まれていた――あまり長居して気分のいい場所ではない。死や血の穢れをムウに近づけるのは抵抗があった。仲間の埋葬だけ済ませて、できるだけ早くいばらの森から立ち去りたかった。


「ジン、あそこ」


 ムウはコテージの焼け残りを指差した。暖炉の石組みがそのまま残っている。


「だんろの後ろ。地下室のとびらがあるんだ」


 言われるままジンが調べると、たしかに金属製のハッチが見つかった。そこを開け、ハシゴを降りると細々とした備蓄品が棚に収まっていた。衣類品や調理道具などはまだ使えるものがあり、ムウはまともな服と靴を身に着け、徒歩での長距離移動にも耐えられる格好になった。


 と、ジンは棚に貼られていた黄変したメモに目がとまった。そこには日付が描いてあった。


「……22年前、か」


 魔族による大侵寇が始まった年だ。ジンにとっても、人間界全体にとっても最も重要な年。


「思いだしてきた」とムウ。


「え?」


「魔族がこのせかいにあらわれるから……えっと、”ムウはとくべつな子だから、見つからないようにする”ってパパとママがいってた」


 特別な子。


 これまでの話を全面的に信用すれば、ムウは勇者と魔王の子供である。特別な子というのならこの世にこれ以上の特別もないだろう。


 だからムウは琥珀のたまごに閉じ込められた。


 人間にも魔族にも見つからないように。


     *


 アルハリとブリックの埋葬を済ませ、ついでに放置されたままの獣人たちも地中に埋めてやり、作業が終わったときにはもう夕方になっていた。


 やむなくいばらの森の中でもう一夜過ごすことに決め、ジンは野営の準備をしていた。


 300年前の勇者と魔王は、伝説の戦いのあと恋に落ちた。


 その後は誰にも存在を悟られることなくいばらの森でひっそりと暮らしていたが、大侵寇の始まる14年前に待望の――待望だったはずだ――子供が生まれる。これがムウだ。


 ムウの両親は、その経緯についての疑問は一旦棚上げするとして、勇者と魔王だった。その娘がもし”勇者”だとすれば、人間からは最終兵器としての力を求められ、魔族からは最悪の天敵として最優先の攻撃目標にされるだろう。勇者でなかったとしてもそれぞれの立場が変わるだけで、黙ってそっとしておいてもらえる存在ではない。勇者と魔王の子というのはそのくらい”特別”なのだ。


 しかし大侵寇が始まる。


 勇者と魔王は持てる力のすべてを使ってムウに封印を施し、ムウが戦いに巻き込まれないようにした。


 生きていれば必ず戦争に巻き込まれる。であるならば、その身を封印してでも人間と魔族どちらからの探知を出来なくさせる――というのは、親心というものだろうか。善悪にかかわらず何が何でも子供を守ろうという気持ちは、親ではないジンにも共感できた。小さな孤児たちを少しでも安心して暮らせるようにできるなら、自分が矢面に立って闘うことも受け入れる。それと同じことだろう。


 ところがムウは孤独に耐えかねて、およそ20年を経て強い念波を発信してしまった。そして――最後の騎士団と魔族の双方にその存在を知られてしまった。


 その情報を元に勇者捜索隊が派遣されたのが2週間前ということになる。


 ジンは調理鍋から椀にスープを注ぎ、テーブルに見立てた岩の上に置いた。


「ムウ、できたよ」と、ジンが言い切るより先にムウはどこかから走ってきて、スープに飛びついた。


「あふい!」


「落ち着いて食べなよ、誰も盗ったりしないから」

 

「おいひい!」


 ムウは心底嬉しそうに食事をする。残り少ない食料で肉団子の食感を再現した肉団子入りスープは、コテージの地下にまだ使える調味料があったおかげでいい味が出ている。


「ジンのお料理、おいしいね!」


「そう? よかった」


 あまりに嬉しそうなのでジンもつられて微笑んだ。


「ママはね、あんまり料理とくいじゃなかったんだ」


「得意じゃないって……」


「ひんしゅかいりょう? した食用バラばっかりだったし」


 ジンは戸惑った。ムウ一家の食事風景を想像する。父親が勇者で、母親が魔王。いばらの女王が食用バラで手料理を作る。それが食卓に乗って……。


 現実味がない。


「ねえムウ」


「んー?」


「ムウのお父さんとお母さんは、その……どんな人だった? いや……ヒト、っていうのともちょっと違うけど……」


「やさしかった。でもいっぱいおこられた」


「怒られたんだ?」


 世界を滅ぼしていたかもしれない母親と、それより強いはずの父親に怒られるというのはどんな状況なのだろうか。全く想像がつかない。だがなぜか、ムウたち一家はいばらの森で幸せに暮らしていたということだけは確信できた。論理的に説明できないが、ムウと接していると家族の暖かさのようなものがジンにも伝わってくるのだ。 


「……また会えると思う?」


 ジンはムウの反応をうかがうように尋ねた。


「……わかんない。むりかも。ママ、泣いてたし。でもね」


「でも?」


「よくわかんないけど、あんまりさびしいって感じじゃないんだ。たまごの中にいるほうがずっとさびしかった」


 そういうと、ムウは急に大あくびをして目をとろんとさせた。


「ねむい……」


 ジンは苦笑し、自分自身もクタクタに疲れていることを思い出した。何しろ一度死んで、それから蘇っているのだから。


「おやすみ、ムウ」


「うん……おやすみ、ジン」


 ムウは急ごしらえの寝袋に潜り込むやいなや、すぐに寝息を立て始めた。


 その安らかな寝顔に安堵して、ジンもまた身体が地中に沈み込むほど眠りに落ちた。

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