第3-6話 予定が崩れても時間は進む

「謝りたい…?ってつまり…えっ?」

「えぇ、今更な話だってことはわかってるわよ。でも、こうしないとアタシも虫の居所が悪いのよ…。あの時あんなことになったのもアタシがどんくさかったせいだし…ましてやアタシも一緒になっていじめてたんだからね……」

 

 彼女は頭を抱え緩く波打った金髪を握りしめながら苦々しく呻く。その表情は相も変わらず肉食獣のように獰猛に見えるが、一際鋭い眼光の奥には深い自責の念が見てとれた。


「…あっ!一応言っておくけど透香は関係ないわよ⁉あの娘がうちの学校に入ったのは高等部からだから…えっと…」

「あーいいよいいよ、もう疑ってない、ほら携帯出しな」

「え?」

「連絡先欲しいんだろ、アイツのは…多分樹の奴、連絡見ないよな…俺のをやるから、そこからアイツに取り次いでやるよ」

「…本当にいいの?」

「アンタ、何のためにわざわざ俺に会いに来たんだよ?さっきの仕草見てたら、本気で気にしてるように見えたからな。ほら、あんまり遅くなると電車無くなるし補導されたりするかもしれんぞ?」

「……ふふっ、なにそれ?アタシのこの顔見てわざわざ声かけてくる奴なんて滅多に居ないわよ」

「屁理屈かよ、バーコードでいいか?」

「んっと、どうやるんだっけ?」

「多分あれだ、設定みたいなとこから……」

 

 



 バイト上がりの蒸し暑い夏の夜道、遅めの夕食を終えた常彦はあの目付きの悪い少女の頼みを頭のなかで反芻していた。

 考えれば考えるほど面倒くさそうな頼みごとを簡単に引き受けてしまったが、本当にそれで良かったのか。などと今更考えていると、ふいにポケットに入れたスマートホンが震える。画面を確認すると、丁寧なお礼の文章とパーカーを被った犬のような可愛らしい生き物が「ありがとう」とおじぎをしているスタンプが送られていた。

 それを見て軽く返信でもしようとキーボードを開いたところでもう一通。


『私のせいで貴方のに危害をかけることになって、おまけに手間までかけさせて本当にごめんなさい。』


(……本当に人は見かけで判断しちゃいけないなこりゃ…どれだけ律儀で卑屈なんだか…顔だけで怖がってしまって申し訳ないなコレ…)


 先程まで悩んでいたはずなのだが、美華の卑屈なまでの低姿勢ぶりに同情に近い感情を覚えた常彦は、もはやヤケクソ気味に厄介ごとを引き受ける覚悟を決めた。あまりにもちょろいお人好しはその決意の現れとして、一言、彼女に返信を送った。


彼女じゃない。』

 

 



「あら、返信返ってきたわね。…ふふふっ」


 常彦が帰り道を行くその時とほぼ同時刻、戌井 美華も電車に揺られながら帰り道の最中だった。

 電車の中ではカップルが最近話題のUMAの話をしていたり、くたびれたサラリーマンが椅子で眠りかけていたりなど、いつもよく見る景色が広がっているが、美華のスマートフォンにはいつも通りではない相手から連絡が届いている。


「まだ、って…ことは、これ近々本当にくっつくんじゃないのかしら?これを透香にチクるのは…やめといたほうがいいかしらね」


 常彦から帰ってきた連絡を見て美華は少し心が晴れる。

 幼馴染をいじめるのに加担していた相手から彼女に謝りたいという、面倒かつキナ臭い頼みを聞いてくれた彼にはいくら感謝しても足りないだろう。

 琴種 樹に今更謝ったところでなにが起こるともわからないし、そもそも会うことを拒否されるかもしれない。

円満に受け入れてくれるとは到底思えない話だ。それでもけじめをつけたいという自分勝手な行いがどう転ぶのかわからない。

 それでも、協力してもらったからには無駄にはできない。美華もまた、樹と顔を合わせるその時への覚悟を決めた印として、一通連絡を送った。


『はよくっつけ』


 少しの間、待っていても既読はつかない。

スマートフォンから目線を上げるとあと二つで目的の駅へ到着すると案内板には映っている。それから数分後、カップルが眉唾なUMAな話で白熱し、果ては噂程度の行方不明事件の話を結びつけたところで、美華の最寄り駅に到着した。

 その話を横目で聞き、眉唾なりに面白いなと思っていた美華はほんの少しだけ名残惜しみながら電車を後にする。

 美華が駅を出てると、時刻ももうすぐ23時を過ぎようとしている。遅くなるのも面倒なのでなるべく早く家に帰ろうと思っていると、ふと彼女に声がかけられた。


「あれー?こんなところで会うなんて偶然だねー?久しぶりー元気してた?」


 妙に落ち着いていながらも馴れ馴れしい、聞き覚えのない女性の声だった。

唐突に声をかけられた美華は怯えつつも怪訝な表情(端から見れば睨んでいるようにしか見えないが)で向き直り問いかける。


「……どちら様で、す……えっ…?」

「くひひっ、もー覚えてないなんて酷いなぁ」


 美華は相手の顔を見ると、鋭い三白眼を丸くする。


 そこに居たのは、中学を卒業してから、ただの一度も忘れることの出来なかった姿だった。美しく引き締まったすらりとした高身長といっそ不気味なくらい整った顔立ち……

 しかし、自分の記憶の中での姿と比べると、今目の前に立っているソレはあまりにも違うように感じた。

 以前は真っ黒だった髪は毛先のみに黒を残して白く染まっているし、かつての髪と同じ色をした黒い目には眼帯をつけている。さらに、以前の彼女は退屈以外の感情を削ぎ落としたかのような死んだ目をしていた筈だが、今のソレの目はにやにやと細められ、その隙間から妖しい輝きが漏れているのではないかと錯覚するほどにどこか危なげな生気に満ちている。


 何故こんな時間にこんなところに居るのか、何故こんなにも親しげなのか、何故眼帯をつけているのか、何故夏の夜の蒸し暑さの中で汗のひとつもかいていないのか、などの疑問も置き去りにする衝撃。

 



「私だよ、琴種 樹。覚えてる?」



 彼女因縁がそこに立っていた。 

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