第44話 そうして彼は致命的なミスをする
鬼島中学と姫ヶ瀬FC、両チームはともに勝ち越し点を必要としている。そして全体的な運動量の低下から互いの守備のゾーンは綻びはじめ、少しずつスペースが空きだした。
ダムにひびが入ればどうなるか。いうまでもなく決壊だ。
そうはさせじと暁平は必死にゲームをコントロールしている。よほどのチャンスとみれば素早く前線にパスを送って速攻を試みるが、でなければボールをキープしつつ最終ラインの押し上げを待った。暁平自身も体力的にはかなりきついが、どうにか強い気持ちで持ちこたえている。
間もなく後半20分、暁平の体感としてはボールポゼッション率は鬼島中学がやや上回って六割といったところか。サッカーの神様が司る天秤は不安定な平衡状態が続く。
新たに投入されてしばらく経つ姫ヶ瀬FCの14番、牧瀬はなかなかに厄介なプレーヤーだった。彼の存在によって鬼島中学守備陣の深いところにくさびが打ちこまれ、ディフェンスラインを押し下げてくる。そして中盤との間にできたスペースを久我、ジュリオ、兵藤らが活用していく。
おまけに牧瀬自身は我の強そうな外見とは裏腹に献身的な動きをみせる。いわば最前線の壁にして黒子役だ。
「小学生のときはもっとエゴ剥きだしだったのに、成長したなあ」
人知れず暁平も感心していた。
この牧瀬効果で姫ヶ瀬FCの攻撃陣は息を吹き返したわけだ。特に久我とジュリオはまだ試合序盤かと観る者に勘違いさせるほどの躍動感あふれるプレーぶりだった。二人はサイドも頻繁に入れ替えながら攻勢を強めてきている。
姫ヶ瀬FCの点取り屋である久我健一朗と大和ジュリオ、彼ら二人は背格好が似通っており、スピードを生かしたプレースタイルも大きなくくりでは両者ともセカンドストライカータイプに分類されるだろう。
が、暁平の目からすれば二人には明白な違いが存在する。
いかにもブラジル育ちらしく、ジュリオはとにかく自慢のテクニックを前面に押しだしてくる。ディフェンダーを幻惑するフェイントを駆使したドリブルは脅威だし、キックの種類も多彩だ。トゥキックだって流れのなかで平気で使ってくる。
対する久我のプレーは非常にシンプルだった。そこは蹴球団時代からまるで変わっていない。暁平が叩きこんだ正確なトラップ、凜奈によって教えこまれた一瞬で相手の裏をとる動き。極端な話ではなく、そのたったふたつの技術を磨き続けたことで久我は今この場所に立つことができている。
あとは久我の最大の武器であるシュート。体とハート、両方の強さでもって彼はボールを敵ゴールへとねじ込んでいくのだ。
決してこの二人には時間と空間を与えてはならない。そんな意識が鬼島中学の守備においてはきっちりと統一され、常に細部まで神経を尖らせていた。
そんななか、インサイドハーフの選手をスクリーンに使って兵藤がフリーでパスを受ける。すぐに暁平は警戒レベルを引き上げ、彼を潰しにいこうとするがそれよりも早くボールは鬼島中学の左サイドへと出された。そこには久我とポジションチェンジをしたジュリオが待っていた。
こちら側には政信がいるので通り抜け禁止だ。それでもジュリオはボールを持つや、得意のドリブルを仕掛けていく。
「無理だな。マサが勝つよ」
暁平はほくそ笑む。
「一対一には絶対に負けるな」、それが蹴球団においてホセが掲げていた鉄の掟だった。鬼島中学に進んだ現在でもその教えはちゃんと息づいている。たとえ生まれてからずっとサッカーとともにあったブラジル人が相手であろうと変わりはない。
鬼島のマイボールになることを想定して暁平のポジションどりが決められる。
その予測通り、見事に政信はジュリオの足からボールを弾きだした。
「ここだ!」
暁平は手を上げた。姫ヶ瀬FCが前がかりとなっている今こそ絶好のカウンター・チャンスだ。みんなももちろんそれをわかっている。
政信をフォローした佐木川がこぼれ球を拾い、すぐさま暁平へと速い縦パスを入れてきた。逆襲のスイッチとなるボールである。
何てことのないトラップのはずだった。いつもの暁平であれば。
パスを受ける直前、彼の視界にとても大切な人たちの姿がどういうわけかスローモーションで飛びこんできた。
どこかへ出かけていたはずの悠里、なぜか号泣しているホセ、そしてもう一人。
片倉凜奈がそこにいた。
途端にこれまで自分がどうやって体を動かしていたのかが暁平にはわからなくなってしまった。動揺という名の衝撃が、最適化につぐ最適化を重ねてきた彼のメカニズムをあっけなく破壊してしまう。
とんでもない速さに感じられた佐木川からのパスに対してぎこちなく足を出してはみたものの、それは暁平のイメージとはまったく似ても似つかない不格好な動作だった。
彼は、ミスをした。
暁平の足元からボールがこぼれたのをみていち早く牧瀬が確保し、反転してショート・カウンターに繋がるパスの出しどころを探す。
先ほど政信に一対一で敗れて悔しがっていたジュリオだが、すでに鬼島中学の最終ラインと並んだところにポジションをとっている。迷わず牧瀬はジュリオがいる右サイドの裏へと長いボールを蹴りだした。
ジュリオは速い。あっさりと最終ラインを破って裏の空いたスペースへと抜けだしてくる。牧瀬からのボールに追いついても、そのスピードを落とすことなくペナルティエリアへと迫ってくる。逆サイドからは久我も詰めてきた。
鬼島守備陣にとって絶体絶命の局面だったが、政信はジュリオに裏をとられてもあきらめていなかった。先回りするように一直線でゴール前へと帰陣する。
ボールを持っていない政信はみるみるゴールとの距離を縮めていく。それでもジュリオには久我にパスを出す選択肢はなさそうだった。
敵左サイドから侵入してきた久我を横目で気にかけつつも、弓立がジュリオのシュートに備えて少し前に出てきた。右サイドからやってきたジュリオの足はラインを越えてエリア内へと入ってくる。
ファウルになってしまうかもしれない大きなリスクを背負いながら、どうにか追いついた政信は果敢にスライディングでジュリオを仕留めにいく。
さすがのプレーだった。政信の足は的確にボールのみを捉える。大丈夫、ファウルじゃない。暁平はそう確信した。
だがもんどりうって倒れこんだジュリオは、さも痛そうに顔をしかめながら足を押さえている。その瞬間をきちんと見ていた暁平からすれば完全なダイブだ。審判を欺こうとしたシミュレーション行為としてイエローカードが出されても文句は言えない。
駆け足で主審が政信やジュリオらのいるゴール前へと近づいてくる。
ジュリオへのカードを提示するのかと思いきや、案に相違して彼はエリア内のペナルティスポットを指し示した。
「――え?」
まさかの事態に暁平は愕然とした。
ペナルティキック、PKが姫ヶ瀬FCに与えられたのだ。
続けざまに主審は胸元から赤いカードを取りだした。そして、政信に向かってそのカードを突きつける。一発レッドカードに相当する危険なプレー、それが主審の判断だった。政信、退場。
明らかなミスジャッジであり、ここは断固として抗議しなければならない。キャプテンマークを巻く暁平は自身の動揺を必死に抑えつつ、主審の元へと急いで駆け寄っていく。
しかしそれより先に弓立の怒号が炸裂した。
「てめえどこ見てんだコラァ! どう見たって今のはダイブだろうが! ちゃんと目ぇついてんのか、ああ?」
まずい、と思ったがもう遅い。審判への暴言として弓立にもイエローカードが出されてしまった。
退場、退場、退場、外野からはそんなコールが響いてくる。もはや空気は完全なアウェイだ。
すっかり頭に血が上ってしまい、なおも主審に詰め寄ろうとした弓立を政信が素早く手で制した。
「落ち着けアツ、おまえまでおれに付きあう必要はない」
それから両目をつむり、ふーっと大きく息をついた政信へと暁平は歩み寄る。
謝ろうとした暁平よりも先に政信が口を開いた。
「さっき気づいたよ。リンが帰ってきているんだな」
その言葉を聞いた弓立がかっと目を見開いた。
暁平は無言のままで頷く。いつの間にか頬には涙が伝っていた。ユニフォームの袖でいくら拭っても、あとからあとから流れてくる。
そんな彼に政信は穏やかに言った。
「泣くのは試合が終わってからだ。すまんが、あとは頼む」
そうして彼は静かにピッチを去っていく。
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