第34話 親愛なるクラウディオ
兵藤貴哉はぞくぞくしている。
恐ろしいまでの能力の高さを見せつける少年、榛名暁平を目の当たりにして、総毛だつような興奮がどうにも抑えきれない。
姫ヶ瀬市に越してくる前の兵藤は、商社マンだった父親の都合で五年ほどアメリカのヒューストンで暮らしていた。体調を崩してしまったせいでサンパウロ支社への転勤を断らざるをえなかった父親は、他の事情もあったため退職そして家族そろっての帰国を選び、現在は妻の地元である姫ヶ瀬市内の英会話スクールで講師として生計を立てている。
そんな父とは対照的に、兵藤はほとんどといっていいほど英語を身につけることができなかった。そのせいか日本に帰れるのでほっとする気持ちと、サッカー王国であるブラジルになら行ってもよかったかなという気持ちとがない交ぜになったままアメリカから戻ってきたのだった。けれどもアメリカにいい思い出がなかったわけではない。
兵藤にはクラウディオというかけがえのない親友がいた。
最初は兵藤も現地の子たちと同じ学校に通っていたのだが、やはり言葉の壁は厚く、一か月ともたず日本人学校へ移る羽目になった。このときの挫折感を引きずってしまったせいで、結局日本人学校でも友達がつくれず自分の殻に閉じこもってしまうことになる。
そんなときに出会ったのがメキシコ出身のクラウディオだった。所在なげにひとりぼっちでサッカーボールを蹴っていた兵藤に、面白半分で彼がちょっかいを出してきたのがきっかけとなり、二人の付き合いははじまった。
兵藤より一歳上のクラウディオも英語をほとんど話すことができず、日常会話はスペイン語だ。英語が話せないために疎外感を味わうことが多かった兵藤も、彼といるときにはいつになくリラックスしてすごすことができた。もちろんサッカーをして。
不思議なもので、「言葉がわからなくてもまあいいか」という気になってからは、意思の疎通が何となく図れるようになっていく。順序が逆なのかもしれないが、そこから二人は互いの言葉を少しずつながら覚えていった。
仲よくなってしばらくしてのち、クラウディオは自分が入っているヒスパニック系のサッカーチームに日本人である兵藤を誘ってくれた。
ほとんど強引に練習場へと連れていかれた兵藤は、クラウディオのチームメイトたちの足技の巧みさに驚いた。誰も彼もが魅せるテクニックの持ち主だったが、なかでもクラウディオは別格だった。
彼のプレーは一人でやっているときより集団のなかにあってこそ際立った。いったんボールを持ったら二人三人に囲まれてもとにかく取られない。ファウルのもらい方ひとつとっても、きちんとした意図のあるクラウディオに対して、兵藤は自分がただ漫然とサッカーをやっていたことに気づかされる。
クラウディオは兵藤にとって憧れであり、道標であった。
姫ヶ瀬FCに入団してすぐ、相良監督に告げられた言葉がある。
「年度別代表に選ばれて当然なほどおまえの技術は卓越している。だがそれだけに頼るスタイルは、現代のサッカーにおいてはチームとして扱いが難しいのも事実だ。自分が将来どうなりたいのか。ストロングポイントを前面に押しだしていくのか、長所を残しつつ欠点を埋めていくのか。きちんと自分でイメージして決めろ。どちらにしたっておれはおまえの決断を尊重する」
強さも高さも速さも関係ない、テクニックだけですべてを超えていきたい。迷うことなく兵藤はその場で言い切った。
輝きを放ったままプロへの階段から降りてしまったクラウディオのように。
彼ほどのプレーヤーでも、プロのサッカー選手になる夢をあきらめるしかないときがやってきた。家が貧しかったせいで、十五歳にして一家の収入源として働くことになったためだ。
それでも笑顔で「プロは無理だったけど、働きながらだってどこでも誰とでもフットボールはできる」と、兵藤にもわかるようにゆっくりと話してくれたクラウディオ。これから先に会うことはもうないかもしれないが、兵藤にとって生涯大切な友であることにかわりはない。
チームに加わった最初の頃には、よく兵藤も仲間たちから「下手くそなジャポネ」とバカにされたものだ。負けてなるものか、と彼はひたすら己の技術を磨き続けた。巧くなればなるほど、みんなが彼のことを認めるようになっていった。誰よりクラウディオに「エクセレンテ、タカ!」と褒められるがいちばんうれしかったのだ。
今、目の前にいる鬼島中学はあの懐かしいヒューストンのチームと同じ匂いがする。卓越した個人技を誇る選手たち、球際の勝負では絶対負けまいとする闘争心。兵藤はまるで自分の時が戻ったような気さえしていた。
そのなかにあっても背番号4、榛名暁平という選手はかつてのクラウディオと同じく別次元の存在といっていい。いや、認めたくはないがきっとクラウディオ以上だろう。
こんな面白いゲーム、そうはない。ぴしゃりと太腿を叩き、兵藤の集中力がトップギアに入ってきた。
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