第7話 「鷹尾周のどことなく長く感じる一日」

 鷹尾周の一日は、朝、無表情ながら端整な顔のメイドに叩き起こされるところからはじまる。


 例え日曜日であっても、それは変わらない。

 そんなわけで、日曜の朝。


「起きてください、周様。朝です」

「……」


 返事がない。


「周様、起きてください」


 月子が再び呼びかける。


「なお、起きない場合は5分にひとりずつ人質を殺します」

「んだよ、人質って……」


 ようやく周が気だるげに身じろぎした。


「周様のノートパソコンに保存されているグラビアアイドルの画像です。それを5分にひとつずつ削除していきます」

「バカ、よせ。やめろ」


 布団を跳ね除け、飛び起きる。

 そんな周を、月子は静かに見下ろしていた。


「……」

「……」

「……」

「……ああ、本当にあるんですか」


 そして、ぼそっとひと言。


 目が冷たい。軽蔑の眼差しだ。


「わ、悪いか。コノヤロウ」


 どうやらカマをかけられたのだと悟った周が開き直る。


「自分だって負けず劣らずのスタイ――おぶすっ」


 次の瞬間、月子の手から電光石火の地獄突きヘルスタッブが放たれていた。喉を押さえながら周がベッドに沈む。


 月子は手刀を突き出したままで、


「……忘れてください」

「……」


 無言の周。


「周様?」

「……」


 返事がない。殺されたようだ。

 ああ、周よ。死んでしまうのも無理はない。





 朝食はクロワッサンにカフェオレ。


 この軽めのメニューは、別に喉に一撃喰らったせいでものを食べるのが困難になったからというわけではなく、遅い起床で昼食との間隔が短いことを考慮してのものだ。


 食べる周の脇にはメイドの姿。


 早いうちに月子を追い出したいという意志に反して、最近メイドのいる生活に慣れつつあるのだが、しかし、この食事スタイルだけは一向に慣れない。狭いダイニングキッチンでは距離が近いからかもしれない。


「周様、今日の予定は?」

「特にねぇ」


 周は口の中にものを飲み込んでから答えた。


「……何か言いたそうだな」

「寂しい日曜ですね」

「率直な感想ありがとよ」


 涙が出そうだ。


「遊びざかりの高校生も、毎週じゃ体がもたないんだよ」


 因みに先週の日曜は、朝から夕方まで遊び回っていた。岡本と小次郎、さらにクラスの女の子ふたりも連れて。きちんと交友関係はできつつある。


「わかりました。では、今日の周様はヒマ、と」

「……」


 微妙に悪意を感じる復唱を聞きながら、周は黙ってカフェオレを飲み干した。





 午前中。

 周はリビングの座椅子に腰を下ろして、テレビを見ていた。


 チャンネルは手もとのリモコンで、真面目な政治討論番組と報道バラエティを落ち着きなく交互に切り替えている。そして、テーブルの上には社会面を開いた新聞。どっちつかずであまり効率がいいとは言えないが、世の中の動きを知ろうという気持ちはあるようだ。


 そして、その脇をメイドさんが、洗濯ものを入れたカゴを持って、洗面所兼脱衣場を行ったりきたりしている。


 周はさっきからその姿に、かすかな違和感を感じていた。

 だが、その正体は不明。


「月子さんさ――」


 それをはっきりさせるきっかけとして、周は彼女に声をかけてみる。


「その重そうな服、今はいいけど夏は地獄を見そうだな」

「大丈夫です。生地が薄くて通気性のよい夏ものも用意していますので」


 ベランダに続く全面窓の向こうで、洗濯ものを干しながら月子が答える。


「夏もの以外にも春秋ものと冬ものがあって。今着ているのが春秋ものです」


 無駄にバリエーションが多い。


「というか、もうあれだな、居座る気満々だな。1年分用意しやがって」

「いけませんか?」


 もちろん、それは額面通りの質問文ではなく、言外に「それのどこが悪い」と言っているのだ。


「俺としてはさっさと出ていってほしいんだよ」

「謹んでお断りします」


 月子が作業する手を止めず、片手間に返す。どこが謹んでいるのやら。


「けっ」


 悪態をつく周。


 ひとまず持ってきた洗濯ものをすべて干し終えたらしく、月子が戻ってきた。ロングスカートから見える足がフローリングの床を踏む。


 と、そこでようやく周は気づいた。


「あ、ストッキングが黒なのか」


 何か違うと感じていたのはそれだったようだ。


 確かに足を包むストッキングが、いつもは白なのに今日は黒。尤も、今日初めてそれに気がついただけで、今までも黒のときがあったのかもしれないが。


「おかしいですか?」

「いや、別に。つーか、俺、男だしな。そんなこと聞かれてもわかんねーよ」


 違和感の正体を突き止めたことでそれきり興味を失くしたのか、周はテレビに向き直った。それを横目で見ながら、月子がどこかほっとした顔で脇を通り抜けていく。


「ん?」


 そこで周がはたとあることに気づいた。


 以前の事故で見た月子は、白のストッキングに合わせて、やはりピュアホワイトのブラとショーツだった。

 そして、今日のストッキングは黒。


「ていうことは――おごっ!」


 いきなり頭に強烈な衝撃。周は後頭部を押さえながら床に転がった。


「申し訳ありません、周様。まさかそんなところに座っているとは夢にも思わず、力いっぱい洗濯カゴの角を叩きつけてしまいました」

「☆×■◎※△ーーーー」

「おや。脳の記憶野を粉砕するつもりが、言語野に当たってしまったようです」

「……な、何が気がつかなかっただよ。さっきまで話してただろーが……」


 ようやくうめくように発音。


「忘れました」


 しかし、月子は冷たくきっぱり言って、次の洗濯ものに取りかかった。





 午後だった。


 月曜日に提出期限のある課題を終えた周は、部屋を出てリビングに入り――、

 そこでぎょっとした。


 月子がリビングのテーブルの上に立っていたのだ。


「な、何やってんの……?」

「見てわかりませんか? 切れた蛍光灯の交換です」

「あ、あぁ、そうみたいだな……」


 月子の言う通りらしく、彼女は手を伸ばして蛍光灯を外そうとしている最中だった。


「大丈夫かよ」

「問題ありません」

「ならいいけど」


 周は月子の手から視線を下ろしていく。表情に乏しい顔、ぱっと見動きにくそうに見えるモノトーンのメイド服、テーブルを踏む足は背伸びをしていた。


 そして、足を包むストッキングは黒で、


「げふっ」


 そこから繰り出されるキックは強烈だった。月子のかかとが周の腹にめり込む。


「足を見ないでください」

「う、うぃっす……」


 そろそろ自制しないと。これ以上やるともっと致命的なポイントを蹴られかねない。


 こりゃ離れておいたほうが無難だな――そう思い、何か食べるものをとキッチンに体を向けたときだった。


「きゃ……」


 と、小さくかわいらしい悲鳴が周の耳朶を打った。


 振り返る。

 そこで見たのは、テーブルの上でバランスを崩した月子の姿だった。


 んなところで足なんか振り回すからっ。心の中で文句を言いつつも、考えるより早く体は動いていた。


 月子の倒れる方に体を滑り込ませ、それを受け止める。が、いくら女性だから軽いとは言え人ひとり。完全には支え切れず、周は月子もろともフローリングの床に倒れこんだ。


「痛ぇ……」

「……」


 床の上に仰向けの周。

 その周の上に、同じく仰向けの月子。


 背中を受け止めた構図だ。


「シュ……」


 そうやって落ち切った後にも拘らず、月子の口から言葉にならない悲鳴がもれた。


「へ?」

「シュ、シュウ……。手、手が……」

「手?」


 手と言われたので、手を意識する。


 ふにふに


「ひゃ……」


 再度、月子の悲鳴。


 周の両手が何か――やわらかくて、そのくせ弾力のあるものを握っていた。

 すぐに己が何を鷲掴みにしているか理解する。


 うわ……。


 と同時に、感動に似たものを覚える。


「ご、ごめんっ」

「いいから先に手を離しなさいっ」

「お、おう」


 言われてようやく周はそれから手を離した。


 月子が離れ、周も体を起こす。


「……」

「……」


 気まずい沈黙がリビングを支配した。


 周はもう一度謝ったほうがいいかとも考えたが、改めて話題にするような真似は避けたほうがいいようにも思える。かと言って、他の言葉も見当たらず――、


「あ、あー……」


 まるでマイクの調子でも確かめるかのような周の発音。タイミングをはかる。


「後は俺がやるよ」

「え?」


 月子は何のことかわからなかったらしい。周は立ち上がり、テーブルの上に乗った。蛍光灯の交換の続きだ。


「月子さんの背じゃ辛そうだもんな」


 そう言う周は意外に長身だ。クラスで背の順に並べば、常に高いほうから3番目以内にはいる。


「し、しかし、それはメイドの仕事――」

「男がやることだよ」


 周は月子の言葉に発音を重ねた。かまわず作業を続ける。


「外れた。はいよ、次」

「あ、はい」


 外れた古い蛍光灯を月子に手渡すと、代わりに新しいものが返ってきた。さっそく取りつけにかかる。


「周様、スイッチを入れてもいいでしょうか?」

「やめろ。感電するわ」


 なぜにこのタイミングで? さっきの恨みだろうか。


「おしゃ、終わり」


 周がテーブルから降りる。


「あ、ありがとうございます」

「こんなもん礼を言われるようなことかよ」


 と、そこでふたりの目が合ってしまった。思い出すのは先ほどのアクシデント。それぞれ慌てて顔を逸らす。


「えっと、じゃあ、俺は部屋に戻るからっ」


 そのままぎくしゃくした動きで回れ右。周は逃げるようにリビングを後にした。





 部屋に戻ってからしばらくして、


「あれ? 俺、何しに行ったんだったっけ?」


 などと思い出す。


 ああ、そうだ。腹がすいたから何か食べるものを漁ろうと思っていたのだった。思って出ていったら、そこで月子が蛍光灯を替えていて、そこからすべてを吹き飛ばすような出来事が起こったのだ。


「……」


 周は考える。


 今もう一度キッチンに出ていったところで、果たして台所の番人である月子が食糧の調達を許すだろうか。さっきの件の怒りが冷めなかったら、最悪夕食にまで影響が出かねない。


 とは言え、考えていても埒は明かない。

 とりあえず行って、月子さんの様子を見よう――と、臨機応変と言えば聞こえはいいが、ただ単に腰の引けただけの作戦を立てた。


「よし」


 勢い込んで、しかし、そろっと部屋を出る。


 と、そこに月子がいた。


 ちょうど向こうもリビングから出てきたところらしい。


「「 ッ!? 」」


 ふたりともびくっと体を振るわせるほど驚きつつも、背中を見せることは堪えた。辛うじてその場に踏みとどまる。


「お、おー……」

「……」


 無意味な発声をする周と、押し黙る月子。

 両者とも何を言っていいかわからないという点では同じだった。


 そこで周は月子が手にしているものに気がついた。

 盆の上に、スナック菓子の入った器と、アイスレモンティらしき飲みもののグラスが乗っている。


「えっと、それ……」

「あ、はい。先ほどのお礼をと思い……」


 月子がたどたどしく答える。


「それほどのことをしたつもりはないんだけどな。……でも、まぁ、ちょうど腹が減ってたからもらっとく」


 遠慮なく盆を受け取った。


「で、では」


 月子は一歩下がり、軽く一礼。踵を返してリビングに戻っていく。その動きだけはメイドのものだったが、どこかぎこちなかった。





 そして、夕食。


 本日は鶏肉のソテーを中心にした洋風のメニュー。


 いつもなら「学校で何か変わったことはありましたか?」などと月子に訊かれ、周が面倒くさそうに「別に何も」と答えたりする会話が交わされるのだが、この日は何もなかった。


 今日が日曜で学校がなかったというのもあるだろうが、単純に午後のあの件が尾を引いているのだ。


 いったい俺は今日、何をやってたんだ……?


 無言のメイドさんが脇に控える食卓で、周は一日を振り返る。

 ぶっちゃけ、ろくに何もしていないし、ろくな目にも遭っていない。日曜らしくのんびり過ごしていたと言えないこともないが、少し泣きそうだ。


 ただ、普段よりも月子のことはよく見れたと思う。


 朝、起きたら朝食ができていた。昼に合わせて昼食を作り、こうして夕食も用意してくれた。家中の掃除をし、洗濯をして、必要ならアイロンもかける。当然そこには周が明日着るカッターシャツも含まれている。ほかにもよく気づき、よくやってくれていた。


 ひとり暮らしをするんだと息巻いて家を飛び出た周だが、果たして同じことができるだろうか。


 無論、月子は生活スキルに特化したメイドだ。周に同程度のことができるはずもない。だが、己で己の生活をきちんと管理し、維持できるのかと問われれば――正直、自信はない。下手をすると朝起きる段階で躓きそうだ。


 不甲斐なさにため息が出る。


「どうかされましたか?」


 凹み落ち込む周に、無表情メイドもわずかに心配顔。


「んにゃ。何でもねーよ」


 と、一旦答えておいてから、


「あー、月子さんさ――」


 改めて呼びかけた。


「……座ったら?」

「はい?」


 月子は珍しくきょとんとした顔で、疑問形で返す。


「せっかく作ったもんも、すぐに食べなきゃ美味しくないだろ」

「ですが、私はメイドで――」

「いいから座って一緒に喰え。何より俺が落ち着かないんだよ、食べてる最中に横に立たれたら」


 周は至極強引に力技で、月子の言葉を遮った。


「わ、わかりました……」


 どうにか反論しようと言葉を探していた月子だったが、結局、そう戸惑いがちに肯いた。


 自分の食事をひと通り用意して、周の正面に座る。


 周はこれでようやく落ち着くと思った。こんな決して広いとは言えないダイニングキッチンで、メイドに立たれては気になって仕方がない。今までいったい何度ちゃぶ台返しをしようと思ったことか。


 だから、これで落ち着くと思った。


 が。


 ……。

 ……。

 ……。


 おかしい。

 やっぱり落ち着かなかった。


 むしろ、例の事故の記憶が鮮明な現状、月子を視界の真ん中に入れることは逆効果なんじゃ……と気づく。見れば月子も落ち着かない様子で、不自然に周を見ないようにしながら食べていた。


 しかも、どーすんだ、これ。


 押しかけメイドを追い出すと言いつつ、やっていることは反対だ。


「……」

「……」

「……あー、もういいや」


 周は投げやりにつぶやく。


「何か?」

「……いや、いい。気にしないでくれ」


 そう短く返し、落ち着かない食事を続けた。





 翌、月曜日。

 一週間のはじまり。


 鷹尾周は、いつも通りメイドに起こされ、ぎこちなく朝食をとり、登校の準備をして玄関へ向かった。後ろにはメイドの姿。


 靴に足を突っ込む。


「んじゃ、いってくる」

「……」


 なぜか返事がなかったので振り返った。


「なに?」

「いえ、別に。……いってらっしゃいませ、周様」

「ん」


 そして、メイドに見送られ、いつも通りではなく家を出た。

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