第21話 捉えた真実
今までは終わりの見えなかった戦いが、激化したとはいえ、いよいよ終幕の兆しを見せているからだろうか、三人に信頼関係が築かれてきたからだろうか、準備には不思議な活気があった。剣持が先刻負った怪我の手当てをしている間、原田と雪実は二人で刀剣の手入れをすることにし、着々とその用意を進めていった。
「『依代』を使い続けるのも大変なことです。人力でできることは、せめてね」
本来、先頭に用いられた刀にとって最高の状態は、彼女が神の力を使い続けることで保たれるが、それではあまりに彼女の負担が重くなる。そこで雪実は彼が持つ技術により、今までこういった形でも剣持の補佐をしてきたという。
「そういえば、この刀の中から、忍さんが扱うものはどのような基準で選んでいるのですか?」
お互い、刀身から離れたのを見計らい、原田は以前から気になっていたことを尋ねた。
「状況に応じて、私と忍が選んでいますが……、この前の近藤綺堂の時などは、忍が、兄が近藤さんの家から頂戴した刀を使いたがりましたね」
「それは、あの椿の鍔のものでしょうか?」
原田は、あの晩見た、美しい文様を頭に描いた。確かに、思ってみれば、あれだけ随分作刀の時期が新しかった気がする。
「よくわかりましたね。刀本来の切れ味を度外視して珍しく寛文新刀を用いたのですが、相性が良かったようで幸いでした」
「相性、ですか? 鍔の方でしたら『椿の図柄は災厄を払うので好まれた』みたいな記述は、美術書などで見かけたことがありますが」
上古刀や太刀などなら、土蜘蛛に対して因縁などあるかもしれないが、江戸の刀にどのような効果があるのかは、原田にも予想がつかなかった。
「そうです、その椿が問題です。災厄を祓う力を持つ植物は数ありますが、椿には、景行天皇が土蜘蛛を討伐する際に武器として用いたという話があります。剣持の血が持つ能力なら、その因果を手繰り寄せ、祓いの力に換えることができます。――忍の兄への皮肉が、図らずとも功を奏したのでしょう」
雪実が言ったことに、原田は若干の引っかかりを覚えた。雪実、いや彼らの秀長への認識をもっと確認したかったが、今は、まだ作業が残っている、すぐに別の白鞘に取り掛かる。実用のため拵えに刀身を移し変えなければならない。
手馴れた様子で、目釘を抜き、柄から刀を取り出し、はばきを外す。
「……それにしても、悠介さんお上手ですね」
一旦刀に息をかけないよう距離を取り、刀身彫刻を惚れ惚れと眺めていた原田だったが、雪実の言葉で理性を取り戻した。
「そうでしょうか、ただ昔から、刀は好きでしたので、いつか触れる日を待ち望んでいました。このような機会に恵まれるなんて……不謹慎かもしれませんが、剣持さんに会ってからは楽しいことも多いです」
真正面から褒められて気恥ずかしくなった。少しだらだらと言葉をつむぐ。
「好きなものは上達も早いものですが、学芸員課程を終えた学生でもこのようにはいかないものです。原田さんの家でも、触れる機会があったのですか?」
「大伯父に怒られるので、実際に触ったことはほとんど、だから、より憧れたというのもあります」
二人が刀の管理を始めたあと、少し世間が狭く、奇縁を感じる出来事があった。
原田の父親は三重県の出身であり、その家と剣持の本家は、所謂家族ぐるみの付き合いをしていたということが、話しているうちに解ったのだ。
「細かく辿れば十五親等ぐらいにはおさまりますかね。原田さん……、懐かしい限りです」
紛らわしいので、原田は下の名前で呼ばれるようになっていた。
「結局、忍と二人でお会いしたのが最後になってしまった。兄が亡くなったことで悲しませたのは、今思えば本当に申し訳ないものです」
原田と雪実の動きが一瞬止まった。今まで結構な量の情報を交換したものだが、途中で打ち切られてしまった重要な話題が未だ残っていた。
「そういえば、まだ話していませんでしたね。兄が生きていたと考えられる理由を」
雪実がこの話題を切り出したとき、緊急の用に備えて運び込んでいた、テレビのニュースでは、この町の名士の自宅で原因不明の爆発が起こったことが取り上げられていた。これは原田が目覚めたとき、町外れに秀嗣たちの車があった理由を如実に示していた。秀嗣は破壊活動を繰り返している。百貨店を襲ったのもその一環だろう。
二人には、今更その情報を確かめあう必要がなかった。
「大国主神など、死から復活したことのある神を依代に宿し、あの近藤と土蜘蛛の関係のように『憑坐』の状態になった、或いはその状態で、自身の分霊を行った、とかでしょうか?」
原田は臆せず、自身の考えを口に出した。
日本各地の神社に同じ神がいるのは、祭神の霊を分け、他の神社に祀るからである。この分霊を祀ることを勧請と言い、このような神社を勧請型神社というくらいは、原田も、釜坂から聞いて知っていた。この前提を理解していれば、この推測に至るのに時間はかからなかった。
「すばらしい。……あなたの直感と思考には驚くばかりです。あの世界で、秀長のイメージにそぐわない秀長と出会ったことからそこに?」
目の前の大人が、表情を意図せず動かしたよう思えた。出会ってまだ二週間程度だが、原田は、子供に対しても自身を偽らない雪実のその姿が、普通の人にはない珍しい所だと思った。
「ええ、あと雪実先生が、近藤綺堂を人の形に戻したということからも。今まで、先生からは、あまり秀長さんに対しての恨みというものは感じませんでした。あくまでも、秀長さんへの憤慨は、剣持さんの為に憤慨していると感じたのです。ですから、兄弟仲は良く、もしもの時、例えば神の姿から戻れなくなった時、秀長さんは、あなたの力に頼ろうとしていたのではないかと」
雪実が、鞘に刀を納めてから話を再開させた。
「兄が誰かを頼るという点以外では、正解の可能性もあります。兄の予言めいた能力も数人(神と同化しているなら、複数の柱)の兄があちらこちらにいて連絡をとりあっていれば不可能ではない。全く同じ死体も作り出せる。復活する神を宿しているなら尚更この問題は簡単に解決できそうですね……」
雪実が、あえて声の歩を緩めたように思えた。
「でも、それだと、秀嗣たち新しい依代の所持者達の目的がわからない、何故彼らは剣持秀長を追いかけるのか」
原田は見計らっていたかのように、一つの疑問を解き放った。
「あなたは、それについても、何かしらの考えを?」
雪実は、原田の心情を完全に見透かしていたようだ。
「秀嗣に誘拐されたのは、面目次第もありませんが、そのおかげで解った事もあります」
「あなたと同じ悲しみを、敵のリーダーが共有していたことですね」
雪実が言い当てる。
「はい。更に、あの巨漢の正体が、若くして膝の故障によって引退した地元出身の力士だったこと、秀嗣を庇ったエンジュという少女の片手に、患っていた形跡があったことを確認できたのも大きな収穫です」
原田が、真実の為に紡いでいく。エンジュのその特徴を剣持から聞いたのが、この予想を成り立たせた決め手だった。
道理であの巨漢に見覚えがあったはずだ、原田は相撲好きだった。こちらの決め手は巨漢に向い仲間が叫んだ姓、雨海だった。四股名『久慈山』本名、雨海国明、もとから珍しいソップ形ということもあり、先ほど見えたときも、体型にも大きな変化はなく、原田にとっては簡単な照合だった。
「彼らに共通するのは『後悔』です。身体機能を損ない、打ちひしがれた時期があったことは、想像に難くありません。『依代』によって身体の機能を回復したからこそ、失われた時に悩んだりしているのかもしれませんしね。そして、肝心の秀嗣ですが、彼にいたっては、私と同じくらい姉の死を悔やんでいました」
「それが、新しい依代の所持者達が、兄を求める理由だと」
雪実は、おそらく原田より先に、より正確にその地点にいる。このタイミングでこの発言をしたということは、彼もまた真実を恐れているのだろうか。
「少し、確認する事項があるので、回り道になりますが、宜しいですか」
磨き終えた太刀をこじりの方から刀袋にしまい、原田は、一息つく。雪実はただ穏やかに原田が切り出すのを待った。
「彼の戸籍上の名前は七本秀継、第一印象に過ぎませんが、思慮深いと思われる彼が継嗣を名乗るのなら、何か理由があるはず。秀継の力は、剣持さんの確認を得たからこそ断定しますが、『時間停止』。それがどのような神による力かはわかりませんが、依代の所持者としての力量は、近藤よりは遥か高みにあると考えられます」
「要するに、乗っ取られないよう神を制御し、自身と、秀長との関係を聞いた、なるほど土蜘蛛は兄との面識があったそうですしね」
原田の言わんとしたことを、雪実が補完する。
「はい。それに、秀長さん自身が彼に、『依代』を送ったケースも考えられる。父子の関係の真偽はわかりませんが、秀長もまた彼のことを知っているのは確かです」
原田は、雪実を見据えた。
「容姿や才能、それ以外にも彼等父子には似通う点があったのではないでしょうか。研究の成果である、「あの世界」への道を彼が開いたことから鑑みるに、その似通う点とは、『依代』が宿した神、もっと言うならその能力だと思います」
この原田の推測が制止されないのは、呆れ果てられたからなのか、それとも外れていないからか。原田は半ば到達を信じていたが、喋るうちに疑いが浮き出てきた。それもそのはず、これから彼が語る内容は余りにも馬鹿げていることだからだ。それはもちろん彼も自覚している、だが、それでも続けた。
「そして、非現実の能力が目の前にあるからこそ、『新しい依代の所持者たち』もまた、秀長を追う秀嗣に従うのではないでしょうか? 秀長には彼らが望んでいる力がある、眉唾もののそれを、秀嗣が確証に至らせるというわけです」
新しい『依代』の所持者達、彼等の目には、失った悲しみがあった。今までの判断を上回る究極的に感覚的な判断材料であったが、姉の死を迎えてから、原田には死と死の関係者を見分けることに関しては自負があった。
「『時間跳躍』……、秀長さんはそれを可能としているのではありませんか」
頭の中身と、口から発せられた言葉、どちらも、自分でも信じられない。だが、訂正をしようとは思わなかった。
二人の間に静寂が訪れた、破られることを原田はひたすら願う。
静かな笑い声が、鈴の音のように響いた。
「いやはや、恐ろしい人だ、これこそ神がかっている。しかし、この机上の空論にどう信憑性を持たせますか」
原田は居住まいを正し、頭を下げた。
「先生、あなたが辿り着いた真実を教えてください。秀長さんの死亡の前でも構いません。今までの秀長さんとの接触の中で、電話を通して異変を感じることはありませんでしたか」
原田自らが、この結論を得るのには意味があった。この件に関わる多くの人間にとって最大の理解者である雪実は、人々の心の総量でいえば、最も頼られている人だろう。
裏返せば、重荷を背負っての一人旅とも表現できる。微力であっても、同じ行程をなぞり、手を貸すのは、大きな役割を果たすはずだ。一高校生の意見といえども、彼の論の補強になるはず。
「……あなたのご想像の通りです。あまりに印象的で、良く覚えていることがあります」
雪実は、それを百貨店爆破の前に語る予定であったことを初めに説明した。彼もまた、秀長が必ずしも『時間』の概念に縛られていないことを以前から感じ取っていたという。
「しかし、違う入り口からあなたがたどり着いてくれた……十分自信がつきます」
気を使ってくれたのかもしれないが、原田には素直に嬉しかった。
「兄とて人間、時を超えた兄からの最初の電話には――私にとっての最初は必ずしも兄の最初の連絡と同じとは限りませんが、多分そこには疑いがありません――妙なところがありました、兄らしくない大きな間違いがあったのです」
「妙なところ?」原田は思わず反復した。
「昭和の終わり頃の電話です。電話の最中に、兄は天皇陛下のことを、昭和天皇と追号で……」
原田は、一瞬呼吸を忘れた。
なるほど、それはありえない。『依代』や『神国紀』を書いた人間が、そのような無知な振る舞いをするわけがない。
「昭和天皇がお隠れになった後の世から、……平成以降から電話をかけてきた――」
呆然としてしまった。いよいよ、真実の一端を捉えたと確信した。
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