第14話

 その次の水曜日。

 私はリハビリの前に、街に買い物に出掛けた。

 もちろん、賢人の誕生日プレゼントを買う為。

 本当に迷った。

 その中で、『そろそろ、新しい時計買わなきゃな。』と、賢人が言っていた事を思い出した。


 街の中にある時計屋さんは、見覚えがあった。

 たぶん、以前に時計を買った事があるのだろうと、漠然に思っていた。

 前は思い出そう、思い出そうという気持ちが大きくて、絞り出しても出てこない、スランプの作家みたいな気持ちだった。

 今は頭の中から、ふと思い浮かぶ事を、待っているような感じ。

 そして、“以前来た事が、あるかもしれない”と言う考えは、意外と的中した。

 時計が飾ってある棚を、一つずつ見てまわっている時、ある場所で、激しい頭痛に襲われた。


「……っ!」

 人前で大きな声をあげる事もできず、私はひたすら頭を押さえ続けた。

「お客様、大丈夫ですか?」

 私の事態に気づいた店員さんが、側にやって来てくれた。

「もう大丈夫です。」

 これ以上、迷惑は掛けられない。

 私は、頭を押さえたまま、立ち上がった。

 久しぶりの頭痛。

 何だったんだろう。

 私は、目の前にある棚の中を見て、愕然とした。


“私、これを持っている”


 でも、今腕にある時計とは、明らかに違う。

 ううん。

 絶対、持っている。

 しかも、お揃いで買った。

 男性用と女性用と。

 ゴクンと、息を飲む。

 頭を過った、何気ない思い出じゃない。

 はっきりと、ありありと、その記憶が甦る。

「お客様?」

 ハッとして、私は別な場所を見た。

「すみません。また来ます。」

「はい……」

 私はそれだけを言うと、直ぐさま、その時計店を後にした。


 そして、賢人が帰って来た夜。

 私は賢人が好きな、ハンバーグステーキを作った。

「うわっ!美味しそう!」

 賢人はスーツのままで、まるで子供のように、ハンバーグを焼いているところを、見ていた。

「賢人、早く着替えてきて。」

「うん。」

 やっと動き始めた賢人に、やれやれと呆れながら、最後にソースを作った。

 着替えて部屋から出てきた賢人は、目をキラキラさせていた。

「ハンバーグ、まだ?」

「今、できたところ。」

 テーブルの上にハンバーグを並べて、ちょっと高いビールも用意する。

「早く食べよう。」

「待って。誕生日ケーキも、用意したの。」

 私は賢人に、“待った“をかけると、冷蔵庫から買っておいたケーキを取り出した。

「ケーキなんて、いらないよ。」

「そう言う訳には、いかないでしょ?」

 私は冷蔵庫から、小さめのケーキを取り出した。

 甘いものが苦手な賢人の為に、一人用の小さめ。

 しかも、チョコレートケーキ。

「はい、どうぞ。」

 賢人の目の前に、そのケーキを置いた。

「うぉっ!」

 生クリームの、通常サイズを考えていた賢人は、想像とは違うケーキに、驚いていたと言うよりも、身を引いていた。

「よく僕が生クリームよりも、チョコの方がいいって、知っていたね。」

「いつも見ていれば、分かるわ。賢人は、デザートを買って来ても、チョコは食べるけれど、生クリームは残すもの。」

 そう答えると、賢人は嬉しそうにしていた。


「じゃあ、乾杯しましょうか。」

 いつもの缶ビールを開け、二人で乾杯をした。

「賢人、お誕生日おめでとう!」

「有り難う、珠姫。」

 賢人はものすごく、緊張していた。

 まるで、初めて誕生日祝いを、するみたいだ。


「もしかして、私……あまり賢人の誕生日って、してこなかった?」

「そんな事ないよ。」

 賢人は、思いっきり否定。

「付き合ってから、毎年してくれたよ。ただ……」

「ただ?」

「事故に遭ってから、初めての誕生日祝いだから、なんだか、新鮮な気がして。」

 感動して、ケーキやハンバーグに、目を奪われてる賢人。

 それは、本当に久しぶりだからなのか。

 それとも……


“初めての体験、だから?“


 その考えが頭に巡った時、私は急いでそれを消した。

 何を考えているの?

 どこまで、賢人を疑うの?

 私は、自分自身を責めた。

「本当に有り難う、珠姫。」

 目の前で、目を潤ませながら微笑んでいる賢人を見て、その気持ちは、より一層増した。


「そんな、悲しい顔しない。」

 賢人から出た、思いがけない言葉。

「せっかくの誕生日なのに、何が悲しいの?」

「そうよね。私ったら、可笑しい!」

 慌ててビールを飲んだ。

「はぁ~!美味しい!」

 一気に半分も無くなった私のグラスに、賢人がビールを注ぐ。

「これじゃあ、どっちの誕生日か、分かんないね。」

「いいんだよ。二人しかいないんだから。僕はね、珠姫が楽しそうに飲んでる姿を見るのが、好きで仕方ないんだよ。」

「人を飲んべえみたいに。」

「あれ?違ったっけ?」

 賢人と冗談を言いながら、誕生日だと言うのに、いつもの夕食と同じ雰囲気。

 何かが足りないと思った時、頭がズキッと痛んだ。

「……っ!」

 思わず頭の右側を押さえると、賢人が立ち上がって、私の横に来てくれた。


「珠姫?」

 右目を瞑りながら、横を向いた。

 心配そうな賢人の顔。

 今まで、どれだけこの顔を、私は見てきたのか。

「賢人……」

「大丈夫?酷かったら、横になった方がいい。」

 自分の誕生日だと言うのに、私の体を心配してくれるなんて。

 そう思った時、一瞬時計を手渡すシーンが、目の前を過ぎ去った。

「どうした?珠姫。」

「う、ううん。」


 時計屋さんで頭を過った、ペアの時計。

 それを賢人に渡したのも、確か、誕生日の時?

「珠姫、珠姫!」

 思い出した私の肩を、必死に揺らす賢人。

「あ……ごめん。頭痛治ったみたい……」

「なんだよ。」

 力が抜けたように、ダランと手を下ろしながら、自分の席に彼は戻った。

「ごめんね、驚かせて。」

「いいって。何でもなかったんだから。」


 賢人が一口ビールを飲んだ時を見計らって、私は隣の椅子に隠して置いたプレゼントを、勢いよく取り出した。

「その代わり、これをあげる。」

「何、それ。」

 急に元気になった賢人は、それを受けとると、前後左右を見渡した。

「誕生日プレゼント。」

「マジで?嬉しい。」

 包装を破って、中の箱を開けた賢人は、おもちゃを手に取った子供のように、目を輝かせていた。

「これ、高かったんじゃない?」

「ううん。実はそうでもないの。」

 賢人は箱からそれを取り出すと、嬉しそうに腕にして見せた。

「ちょうど欲しかったんだ。腕時計。」

 あの後、時計を欲しがっていた、賢人の顔がまた浮かんできて。

 他のお店で、腕時計を買った。

 あの時も、しばらく悩んだけれど、やっぱり時計にしてよかった。


「ねえねえ、前も誕生日プレゼントに、時計をあげた事があったよね。ほら、ペアの。」

「えっ?」

 驚く賢人に、胸がズキッと痛んだ。

「……覚えてないの?」

「あっ、いや……そうだったね。そうだそうだ。今、思い出した。」

 あんなに嬉しがっていた腕時計を外して、賢人はまた箱の中に、それを戻した。

「そう言えば、賢人、あの時計してなかったよね。」

「うん。使ってるうちに止まっちゃって。」

「確か……自動巻きじゃなかったっけ?」

「あっ、そうなんだ。」


 そうなんだって……

 使っている時に、時々巻かれる音がするから、知ってるはずなんだけどな。

 私は不思議に思いながら、賢人を見つめた。

「何だよ。」

「別に?」

 私は大きな口で、ハンバーグを食べた。

「自分だって、その時計してないじゃん。」

「……だって私、思い出したのは、つい最近だもん。」

 その言葉に、賢人は下を向く。

「ごめん……」

「やだ、そんなに気にしないで。」


 やっと少しずつ、少しずつ過去を思い出して、賢人との思い出を取り戻してきつつあるって言うのに。

「それに、その時計……探してもないの。どこかで落としたのかも。」

「ちょっとちょっと!自分は、僕よりも酷いんじゃないの?」

「ふふふっ。だから、おあいこ。」

 口許を隠して笑った私に釣られ、笑顔になる賢人。

 こんな会話も、時計を無くしてしまった事も、賢人との思い出になるなら、楽しくて楽しくて仕方ない。


「また、行きたいね。あの温泉。」

「……うん。」

 弱々しい返事。

「賢人?覚えてないの?」

「いや?覚えてるよ。あの山の中にある温泉でしょ?」

「山の中?」

 私は思い出した記憶を、断片的に漁った。

「……街の中にある、温泉じゃなかったっけ?」

「ああ、そうだっけ?ごめん、どっかの温泉と間違えた。」

「もう~。」

「ごめんごめん。見れば分かるよ。」

 賢人は誤魔化すように、ビールを一気に飲み干した。


 さっきの時計の事と言い、今の温泉の事と言い、何かが噛み合わない。

 私の記憶が間違っているのなら、賢人は“こうじゃなかった?”って、教えてくれるはずだし。

 否定しないって事は、少なくても、私の記憶は間違っていないって事?

 であれば、なぜ覚えていないの?

 それとも、大切な記念日だから、場所や物まで覚えていてほしいって言うのは、女のわがままなのかしら。

 益々私は、分からなくなってしまった。


「珠姫。」

 賢人に呼ばれ、顔を上げた。

「難しい事、考えないでさ。」

「……うん。」

 何か重要な事を思い出しても、何かが違うような気がしてならない。

 その度に、賢人に“大丈夫だよ”と、慰められる。

 それの繰り返し。

「あっ!」

「なに?」

「そう言えば……」

 私は、温泉に行った時に撮った、写真がある事を思い出した。

「待って。もしかしたら、写真が……」

 立ち上がって、棚の引き出しを開けた。

「あれ?」

 確か、写真はここに入れておいたはずなのに。

「ない。」

 他の引き出しも見てみた。

「ここにも、ない。」

 隣の引き出しも、そのまた隣の引き出しも、開けてみたけれど、写真は入っていなかった。

「どうして、ないんだろう。賢人、知らない?」

 振り返った私の目に、飛び込んできた賢人は、物々しくて、まるで別人のようだった。

「全部、処分した。」

「えっ……」

「過去の写真なんて、いらないよ。見たら、珠姫が苦しむだけだからね。」

 いつも、優しく見守ってくれていた賢人が、そこにはいなかった。

「なんで?」

 だから余計に、私は悲しかった。

「私が苦しむからって……なんで、楽しかった時の写真まで、捨ててしまうの?」


 私の為に、会社を休んで。

 私の為に、遅くまで世話をして。

 私の為に、ここで暮らして。

 賢人のその優しさが、今は辛い。


「……風呂入ってくる。」

「賢人!」

 私が手を伸ばすと、それを払い除けられた。

「放っておいてくれる?」

 背中越しに見た、賢人の寂しそうな顔。

 初めてだった。

 いつもは、私の方が寂しそうで、悲しそうだから。

『寂しくないよ。僕がいるから。』

 穏やかに微笑んでくれる彼に、なぜ私は同じ言葉を、返してあげられなかったんだろう。

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