第15話翁丸事件の背景
翁丸事件は、長保2年(1000)3月のことと、考えられている。
この年の2月25日に定子は皇后に、道長の娘彰子は中宮になった。
皇后も中宮も、帝の正式な后である。
本来、帝の后は一代に一人との決まりがあるが、道長がそれをまげて、二后を立ててしまった。
娘をどうしても、天皇の后にし、自らが天皇の義父、祖父となること、そして政権をわがものとする、道長の野望からのこともある。
その道長の、野望、専横の前には、旧来の決まり事などは、完全に無視され、皇后定子の立場も次第に危うくなる。
結局、定子は、その運命に翻弄されるかのように、お産のため、翁丸事件のあった、この年の暮れに24歳の若さで、この世を去ってしまう。
さて、この翁丸事件は、定子の兄弟である伊周と隆家の花山法皇への不敬事件による左遷と関連づけられることが、歴史上、指摘されてきた。
長徳二年(966年)4月、伊周は太宰権師に、隆家は出雲権守にとの左遷の宣命を受けた。
二人は中宮御所の二条宮に隠れるなど抵抗を見せたが、結局5月1日には隆家は捉えられ、任地に旅立つことになった。
また、伊周は同じ月の四日、出家ののち、自邸に戻ったが、結局は大宰府に流されることになる。
翌三年には罪を許され、帰京を果たすのだが、すでに失った権力は取り戻せず、政権は完全に道長のものとなっていた。
栄光の位置にいた人間が、突然、その位置を失い、苦渋の思いを味わう。
定子に、つかえていた清少納言にとって、翁丸事件は、なにか、身につまされる痛みを感じていたのではないか、感性が非常に鋭い彼女だけに、無関係とは言い切れないものがある。
※花山院不敬事件
一条帝に譲位し、すでに出家していた花山法皇と、将来特に有望と目されていた伊周の間で女性絡みのゴタゴタ(結局は勘違い)があり、それを相談された隆家が、従者と共に花山法皇の衣の袖を弓矢で射ってしまった。
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