Fiat lux

Fiat lux

帰初結機ドゥームズデイ・マシーン、機能停止」


 美琴に言われるまでもなく、両断された帰初結機がもう動かないであろう事は、一目瞭然の事実だった。ザナドゥの重力圏外に位置していたこともあり、柩の王の墓標は宇宙空間に縫われていた。


「皮肉なものね。柩の王と呼ばれた者が、柩に入ることがなかったのだから」


 もはや、柩の王の肉体は何処にも存在しない。黄金スペクトルのAMAKUNI-χカイの裁きの刃に蒸発されられ、微粒子の塵と化したのだ。


「ザナドゥも沈黙。電脳の死を迎えたようね。不随意機能である維持修復機能以外は停止しているわ。電脳が死んでいるから、人類統制管理機能ももう動いていない」

「勝った、のか?」


 ザナドゥの頭上座標にいるジンは昏い人造の大地を見つめているが、そこに勝利の感慨はない。むしろ、戦禍に苛まれた荒れ野の無惨さが、勝利者などいないと語っているのかのようだ。


「……ヴェドリはヒトのためにゼクスヴァンを建造したわ。そして、後継者となったのがあなた。これから、人類は硝子柩から開放されて、この匣庭の世界で生きていけるわ。それは、明確な勝利ではないかしら?」

「それはヴェドリの勝利だ。…………結局、俺は何がしたかったんだろうな」


 自嘲気味な笑みを相貌に刻んだジンを美琴が桜色の瞳で見つめる。


「ならば、見つければいいんじゃないかしら? あなたはまだ産まれたばかりなのだから」

「俺は――本当の自分を見つけたい。そうだ。地球は……あるのか?」

「少し待って」


 ゼクスヴァンの電脳にアクセスしているのだろう。美琴の瞳に機械的な光が流星群のように走る。


「ザナドゥの電脳に地球ガイアと記された座標データが残っていたわ。きっと、そこが地球。私達の始原ルーツ

「なら、俺は地球に行きたい。地球で俺達のルーツを見つけたい。そして、俺――ブラッドテイカーでも、複製された人格でもない、俺自身を手に入れたい」


 ゼクスヴァンの宝玉眼を通した視界でジンは、硝子柩から目覚めたであろうヒトビトが冥闇に浮かぶ大地に次々と姿を顕していく様子が見えた。


「? ゼクスヴァン?」


 ゼクスヴァンがにわかに動き出した。操縦器官コントロールオルガンに接続していない今、ジンが動かしているわけでもなく、困惑の声を発した美琴が促したものでもない。


 見れば、美琴は宙に視線を投げて、ちょうど浮かんだ文字を読んでいるかの如く右往左往させている。やがて、彼女の瞳から涙滴が流れた。


「ヴェドリ……」


 突然、爆砕の音が操縦棺に響く。操縦棺の丸窓から覗けば、次第に近すぎて闇色の装甲しか見えなかったゼクスヴァンの全貌が明らかになってきた。


 ――離れていっている?


 ゼクスヴァンの操縦棺があった空洞に、一人の男が立っていた。風の無い宇宙空間において、コートをなびかせる姿は、或いは錯覚だったのかもしれない。


 彼は、吸血鬼として産まれ、ヒトと生きたいと願い、ヒトの側に立ち、吸血鬼として死んだ男だった。


 巌の如き相貌に薄く刻まれた笑みは何を意味したものだったろうか。彼は離れていく操縦棺を見つめ、そして、満足そうに瞳を閉じ……いつしか姿を消していた。


「美琴、君がこのメッセージを受け取っているということは首尾よく計画が完了したのだろう。これより、ゼクスヴァンは新世界の太陽となる。暁よ、世界を満たせFiat lux


 傍らの少女が、誰ともわからぬ言葉を紡ぐ。いや、今しがた見た、幻影の彼が遺した――ゼクスヴァンの電脳に記した遺書ことばに相違あるまい。


 彼女の最後の一言を契機に、ゼクスヴァンが濡羽色の甲冑を展開/金鵄きんしの姿へと化していく。どこまでも神々しく、何よりも眩しく、紅く黄金に輝いていく。


 やがて、満ちて飽和状態となった黄金粒子の光の渦が、ゼクスヴァンの姿を包み隠してしまった。開いた翼も、放熱鎖も、一切合切が光と同化し、ヒト型でもなく八咫烏でもない真円となる。


「……太陽」


 遮光膜が降りた丸窓から、ジンは太陽と成るゼクスヴァンから目を離せなかった。


 金のスペクトル光に包まれた金鵄きんしが、ザナドゥの大地を照らす。明けぬ夜は無いという。ならば、ザナドゥという世界の暁は今において他にない。広げた翼で、明日を遮る闇を砕いて羽撃く朝焼けを告げる鳥。


 光満ちたザナドゥの地に姿を現したヒトビトが、手を翳して陽の光を仰いでいる様子が見える。


 かつて同じ名を持っていた違う自分ヴェドリが夢見て、そして自分に託した世界の色を。もはや生身で直接降り立つ事叶わぬ、どくに満ちた世界を。


「さあ、行きましょう? もう、此処に吸血鬼は一人たりとも必要ない。今から、私達は銀河を旅するのだから」

「私達? おい、お前は吸血鬼じゃないだろ? ゼクスヴァンの中枢ユニット兼黄金粒子の陽毒抑制血液持ちとはいえ、それ以外はただのヒトだろ。俺に付き合う必要はない」


 美琴はジンを見つめると、そっと微笑む。


「あなたでは銀河航行の計算能力は無いわよ? あっという間に迷子で漂流間違いなしね。それに、私を置いていくの?」


 美琴の微笑みに意地の悪い色が滲み出た。擬音で喩えるなら、にやり……といった類の。


「あんなに、情熱的かつ面倒くさい告白までしておいて、この扱いはないんじゃない?」

「お、おまっ!」

「ユニット『空渡り』召喚。座標:AOWIEFJALKDJ124へ航行開始。同時に、操縦棺の冷凍睡眠コールドスリープを定員二名で管理」


 狼狽するジンを余所に、美琴は強引に銀河航行シークエンスに移行/長時間航行に備え、冷凍睡眠機能が霧状の睡眠導入剤を操縦棺内に散布/星々の動きと配置を計測した『空渡り』の情報から、美琴が航行計算式を紡ぐ/操縦棺を『空渡り』が内部に収める。


「くっ、お前、無茶苦茶だな……。……俺の意見、は無視……かよ」


 ほとんど不意打ちで睡眠導入剤を吸い込んだジンは、速やかに眠りの深海へと引きずり込まれた。


「悪いとは思うけど。でも、謝らない。……私のわがままと、お父さんの遺言……だから……」


 聞こえるはずもないが、美琴はジンの寝顔に語る。


 身体の自由が奪われ、倦怠が満ちてくる。宇宙の海を渡る。その事自体に不安が無いわけではない。だが、ジンを放っておくことは彼女自身もできず、そして、託されたのだ。


 光に包まれようとするゼクスヴァンの胸部にいた幻影ヴェドリが囁いた声なき声。


 ――『私』をよろしく頼む。


 その遺言ことばを胸に。彼女は瞳を閉じた。いつか、辿り着くであろう青の惑星に思いを馳せて、星の海で。


――おわり――

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THE MORNING GLOW. 或いは、暁のゼクスヴァン ふじ~きさい @WizardFujii

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