PHOENIX 4

 どれほどの時間が経ったのだろうか。短かった気もするし、長かった気もする。激戦に継ぐ激戦は既に時間経過の感覚さえも鈍らせていた。


 ふと気づけば、ジン/ゼクスヴァンは荒れ果てた楼閣ビルの上に立っていた。俯瞰する風景は、まさに戦いの跡。ほとんど更地となった地上に時折、折れ――または崩れた楼閣ビルが嘆くように無残な瓦礫を見下ろしていた。


 さらけ出された地平線の向こうには、N市の悉くを焦土に変えた激闘も知らぬ顔の街の光が蜃気楼のように――夜だというのに蜃気楼とはおかしな表現だが――佇んでいた。


 むしろ、極めて巧妙なホログラムが周囲の街のかげを映しているとあれば、蜃気楼よりも街の亡霊と呼ぶべきか。かつて、此処ではない何処かで存在していた街の姿。


 これに囲まれて生きてきた自分を含めたヒトは、実は黄泉の国の住人なのではないか? と、益体もない考えが頭に浮かぶ。


 どうやら、かなり疲労が溜まっているらしい。


「ザナドゥ、沈黙。もう、環境維持能力しか残されていないのかしら?」


 美琴の口調も普段と変わらないように見せて、その実、声には疲れの響きが見え隠れしていた。


 絶対零時の静寂のまま、世界は炎と灰の孕んだ風だけが生あるものとして、動作を許されている。


 満身創痍のゼクスヴァンも一切の動きを止めていた。卓越した復元力も立て続けに損傷を受けては、ひとたまりもない。ゼクスヴァンは今、静止状態で復元プロセスを最優先している。


 操縦器官コントロール・オルガンを首から抜き、ジンの瞳が忘れていた光に呻く。瞳の奥が焼けついた熱さを訴えかけるのは、戦いがそれほどの長きに渡ってきたという事だろうか。


 視界の下辺りに、艶があるというのに白い髪が覗いた。美琴もまた、操縦柩の中に収められていたという事実に、ジンはようやく思い当たった。


 人心地を得たら、急速に常の精神状態へと戻っていく。柔らかに頬をくすぐる白髮と、華奢で壊れそうな肢体を意識して、瞳の奥の熱さとは別に顔が熱くなってくるのを感じた。


「うへぇ!?」


 美琴の身じろぎに、過敏に反応したジンの声は明らかに裏返っていた。


 しかし、先ほどまで一都市を焦土に変える戦闘を繰り広げておきながら、こんな事で驚く自分の平素さがいつになく嬉しかった。


 とはいえ、とにかく、この状態では狭い上にどうにかなってしまいそうだ。ゼクスヴァンの胸部装甲を開き、戦の熱さを微妙に孕んだ生ぬるい風を取り込む。


「終わったのかしら?」


 眼を覚ました美琴が、焼け野原を見つめてごちる。


 この世の総てが劇的なるものではないと理解はしているが、終わりにしては呆気なさすぎる。


「どうだろうな」


 ヒトの瞳では闇に包まれているであろう大地は、吸血鬼の視界で見れば夜とは思えぬ明度で見渡せる。


「…………何人死んだんだろうな。震災の時よりひどいかもな」


 屍体こそ見えないが、それでも大地が蠢き、楼閣ビルが巨大な拳と成して大気を撹拌する天変地異だたのだ。無事に残っている者はいないだろう。行ったのは柩の王だとしても、彼と戦った自分にも責任の一端はある。


「……硝子柩に収められている人々は無事を確認したわ。N市をリセットするという意味では可能かもしれない」

「…………」


 しばらく無言が続いたが、沈黙を破ったのは第三者の躁たる高笑いだった。


「はははははは! まだ終わっていなァ~~い!」


 声に引き寄せられてか、

  楼閣ビルはりつけられたハルヴァシオンが/

   大地に打ち込まれたクレーターで四散したメルビスカトルが/

    機体の過半を灰塊にされたノクトブラッストが/

     浅瀬に頭部を埋め込まれた千本灰櫻が/

      胸部に風穴を空けられてうなだれいるダリオスクヮリリスが/

       地上に轍を描いた、円盤状の本体に長い脚が特徴的なンダス・ダスが/

        海面に右腕だけを名残りに水葬されたノクチュアリェイドが/

各々、現れた時同様に空に浮上してくる。

 ただ、完全に動力を失った有り様は糸の切れたマリオネットのようだったが。


 円陣を組んだ吸血機の中心には、重力を裏切った柩の王の姿があった。


 N市――ザナドゥが彼の吸血機であるというのなら、引力すらも思いのままなのであろうか。


 彼を恒星に、周囲をめぐる惑星となった吸血機たちは次第に速度を上げ、自身の身体を崩壊させていく。


 無機物で構成された骨格が/

  人工物の臓腑が/

    鋼化神経の束が/

     樹脂製の筋肉が/

      引き千切れ砕かれ粉々になり――そして、天体の宿命に従って、衝突と結合を繰り返し惑星/新たな吸血機へと変化する。


 まず、むき出しの木乃伊ミイラじみた素体が形成/更に、素体にぶつかった部品が次々と構成物へと化していく。人体模型じみた筋肉繊維と臓腑と各種器官が取り付いた素体に、外骨格が形成されるまで、実にコンマ数秒単位の出来事だった。


 形成されたのは、前腕と下腿が伸長された見た目のヒト型吸血機。


 機体色は奇しくも、ゼクスヴァンと同じ漆黒。ただし、ゼクスヴァンと異なり、装甲の隙間から不気味な深紅の光が木漏れ出ている。


 丸いヘルメットに似た頭部/顎部は門歯を剥き出しにしたような意匠/血色のゴーグル状の双眼水晶眼が不気味に夜気を焦がす。背部から肩峰けんぽうにかけてマント、或いは蚊食鳥こうもりの飛膜に見える装甲から、赤紫のブースターフレアの花弁が咲く。


 全体に丸みを帯びていながらも感じる刺々しさは、吸血機のマニピュレータが原因だろう。

 ヒトの五指と違い、掌から先が放射線状に伸びており、それぞれが異常に長い爪を生やしている。むしろ、指の一本が一振りの刀身と言っても差し支えなかろう。だらりと下げられた爪は、伸びた下腿で不自然なまでに長くなった脚すらも凌駕している。


「同じだ……」


 その一連の天体の再現は、素体が楼閣ビルの構造物を取り込んで夜水景へと到った光景をジンに思い出させた。


「ザナドゥは元より世界をかたち作るための吸血機。街を、そして操者不在の吸血機を自分の身体/端末として動かすことはできても、本来は戦うためのものじゃない」


 美琴の声は風にかき消されそうで、辛うじて隣のジンの鼓膜を揺らす程度のものだったが、万物を統べる吸血機の主たる柩の王の耳には余さず伝わっていたらしい。


「左様。ザナドゥ自身は戦うことはできない。だが、母艦自体は銃器を搭載していなくとも、艦載機で戦えばいいだけのことさ」


 柩の王は漆黒の吸血機の掌に降り立つ。


帰初結機ドゥームズデイ・マシーンと名付けようか」


 展開された胸部の操縦棺へと乗り込もうとする柩の王の無防備な背中。これをジンが見逃すはずがあろうか。


「……!」


 密かに右手マニピュレータに収束させていた黄金粒子を矢へと形成/抜き撃ち。仮令、正面で対峙していようとも、掌を漆黒の吸血機帰初結機に向けるだけで発射された黄金の矢を躱せるはずが無い。無い、はずだった。


「ザナドゥ?」


 背後の動きを総て察していたとしか思えぬ反応速度で、帰初結機ドゥームズデイ・マシーンが長い爪を翳せば、ブースターフレアと同じ赤紫色の光条が迸り、黄金の矢を光の中に融かした。美琴/電脳が、無影刃・火魔至刀と同様のビーム兵器と看破した。


「無駄だよ? 帰初結機はザナドゥの端末だ。そして、君たちはザナドゥの膝元にいる。いくら不意を打とうとしたところで、ザナドゥの眼は君たちを見つめている」

「総てはあなたのたなごころって事?」


 柩の王の姿が閉ざされた胸部装甲の向こうに消えると、操者を得た帰初結機の血色の水晶眼の赫々たる輝きが一層妖しさを帯びた。


「さて、では始めようか。最終血戦という奴を!」


 求結機キュウケツキ帰初結機キュウケツキ。終わりを意味する結の字を持ちながらも、同音異義。


 両者の衝突で生じた波紋状の光が夜空を殺す。波紋の飛沫は黄金と赤紫に散り、そこに篭められた威力のほどを知らなければ、夜天に描かれた光の彩宴に心奪われていたであろう。尤も、空を見上げる者がいなくなった世界では、世界そのものザナドゥの他にこれを知るものはいない。


 幾度と無く重ねられていく波紋の衝突光が焦土と化した痛ましい大地を詳らかに照らすも、両者の激突に翳りはない。


 赤紫の光線が求結機オーバーロード・ゼクスヴァンの甲冑を擦り/

  黄金光の輝きが帰初結機ドゥームズデイ・マシーンの頬を糜爛びらんさせ/

   それぞれ復元しつつ、なおも互いに疵痕を刻みつける。


 互いに必滅武装を応酬し、しかし決定打には届かないのは、ゼクスヴァンを黄金に染める粒子の膜と、ドゥームズデイ・マシーンの天衣無明が必滅武装の威力を減衰している故だ。


「うおおおおっ!」


 五感をゼクスヴァンに移行していながらも全身に感じる熱の程は、オーバーロード化の代償。吸血鬼にとって害悪である黄金粒子が身体を蝕んでいる証左だ。畢竟、残されている時間は長くはない。


 ゼクスヴァンが変異型火輪式融解クロウを楯に吶喊/躱すと思わせてドゥームズデイ・マシーンは長大な五指を手刀の形にし、赤紫のビームを纏わせ振り下ろす。


 墓無き亡者への葬歌と、不吉な赤紫色のフレアが互いを喰らい合う。


「     ッ」

 ジンの声ならぬ叫びに金鵄きんしと化した八咫烏やたがらすが応じる/オーバーロードにより増加した出力で帰初結機を圧す。天を遡る流星と化した二機は、ザナドゥが形成していた大気圏を越え、無重力の井戸に達した。


「離し給え!」


 両手の爪で斬り裂かんとするドゥームズデイ・マシーンから、弾ける勢いで距離を離す。


 胸部装甲を赤紫の熱量が撫でた。


 上も下も無い、広大にして深遠の空間。無慈悲な真空が支配する空間の中、一つだけ間近に脚より先の座標に存在する物体がある。


 宇宙空間から見えるザナドゥは、あたかも地動説以前の世界の想像図に似た。グレートウォールと引力が物体の流出を防いでいた。

 宇宙空間にぽつりと存在する、閉鎖された匣庭世界。自分が生きた――一週間に満たないらしいが――世界の真相を、ジンは百の言葉に優る一見で理解した。


「ジン、気をしっかり持って! 柩の王に呑み込まれる」


 美琴の言葉で我に帰る。


 眼前の帰初結機は爪を掲げ、あたかも術式オペに挑む外科医の様相で静止していた。


「いつまでも興じていたいが、最高の瞬間を味わうには決着はつけねばならん。もう、君もそろそろ限界に達してきただろう?」

「いやいや。だらだらとやってくれても構わんですよ? それこそ、別に戦わんでもいいくらいのレベルで」

「ハハッ、それでは面白くない。私も悪巫山戯ふざけが過ぎるタイプだが、遊戯に関しては一言あってね。『終わりなき遊戯は死にも劣る』」

「じゃあ、終わりなき遊戯じんせい断ってくれませんかねぇ? できれば、二秒で」

「そりゃ無理だ。生きてこそ娯楽に興じられるんだから」


 くだらない言葉の応酬だが、両者共に理解/確信していた。次の一手で決着する。


 ドゥームズデイ・マシーンが飛びかかる寸前の猛獣のように前のめりになり、爪を突き出した。赤紫色の絶望の光が煌々と宇宙空間を焦がす。


「陽毒性・小烏丸AMAKUNI-χカイ


 美琴のつぶやきを呼び水に、求結機オーバーロード・ゼクスヴァンが鞘に収めたAMAKUNIの柄に右手を伸ばし、居合い抜きの体勢に入る。AMAKUNIの鯉口から出た黄金スペクトル光が、闇を刺す。


 夜水景との血闘も最後は絶招の応酬だった。運命を結実するには、むしろ似合いの状況シチュエーションか。


 同時に翔ける。両手の爪を時間差で振り下ろすドゥームズデイ・マシーンが/ゼクスヴァンの居合で必滅の黄金光輝く刃が/宇宙の射干玉ぬばたまを煌々と照らした。


 左の爪/AMAKUNI-χカイが迎撃/出力が拮抗しているのか、ひとしきり衝突の稲光を発した後、両者共に弾かれる。

 続けて、時間差で右の赤紫色の光爪が到来/しかし、ゼクスヴァンのAMAKUNIは流れて迎撃には遥かに遠い。


 趨勢は極まったか。


「な!」


 狼狽の色濃い声は柩の王のものだ。


 確かに、ゼクスヴァンのAMAKUNIは右の爪を防ぐ事はできなかった。防げないともあれば、五条の爪に斬り裂かれて、六に分割される運命。だが、ゼクスヴァンの五体に欠損はなかった。何故なら、鞘から迸った黄金光が爪の破滅のビームと干渉していたからだ。


 またしても、拮抗したビーム同士の衝突で弾かれる。


 AMAKUNI-χカイと爪――。僅かだが、確実にゼクスヴァンの方が近い。


 刹那、胸に去来するのは夜水景の最後の一手、無影刃・無明火魔至刀。居合の一太刀の後、鞘から隠し刀として迸ったプラズマビーム。ジンが勝利したのは、本当に運の問題でしかなかった。

 操縦棺をほんの少し逸れて着弾したそれは、ジンの心に深く刻まれていたのだ。

 或いは、ヴェドリが秘奥の手をジンに決着という形で伝えていたのかもしれぬが、それも本人が灰となった今では答えを望めない。


 結実する。一文字に帰初結機を切断。迸る深紅の光に染まった義血は、真の鮮血の飛散に似た。


 操縦棺ごと斬り裂かれ/蒸発した柩の王は、一言も発する事もできずに永きに渡る生涯を閉じた。

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