I am xxx. 4

 仁王立つ鎧武者。起ち上がる鎧武者。


 真鍮色の巨大鎧武者の胸部が展開/肩に佇立していた吸血鬼が飛び降りるや、内部から触手じみた配線群が彼を捉えて、胸のうちに収めた。


 幾ばくもなく鳴らされる開戦の号砲に歓喜の情を映してか、南蛮胴具足に似た意匠の真鍮吸血機の真っ赤な宝玉眼が光る。宝玉眼の妖光に呼応し、具足の各所に設けられた宝玉もまた淡く夜を灯す。


 ――夜水景よみかげ


 ゼクスヴァンの電脳が情報を寄越してくる。血闘型至近戦闘特化性吸血機。一切の射撃武装を排し、武芸で以って戦を征するという時代を逆行するコンセプトでありながら、高い機体性能と完成の域に達した傑作機。そして――。


「ゼクスヴァンの雛形?」


 意匠は異なるとはいえ、両者共に中世の鎧武者に似ているとは感じていたが、まさか兄弟機であるとは夢とも思わなかった。装甲の材質などの差異は存在するが基本構成はほぼ同じ、素体に至っては完全に同型のものだ。


「吸血機第一階位夜水景、るはヴェドリ=マーヴェリック。いざ」


 ゼクスヴァンが完全に起ち上がるまで待った後、厳かに宣誓した。途端、先程までとは比較にならない圧力で瘴気が放たれる。これでは、気の弱いヒトでは気配に触れただけで気を失いかねない。


 左腰へと腕を伸ばす夜水景。両腰には長段平のものとおぼしい柄がそれぞれ二本あり、この内一本を右手で掴んだ。だが、解せぬのは刀身が――鞘がない。だが、まざまざと肌を撫でる殺気のほどに偽りは、ない。夜水景の全身の宝玉が明暗する。


「必滅抜刀、無影刃むえいじん火魔至刀かまいたち


 つぶやきと同時に、右腕が真一文字に空を切る。一瞬早くに本能が鳴らした警鐘に従っていなければ、そして、美琴の鮮血の加護を受けていなければ、おそらくはゼクスヴァンは上下に分断されていたことだろう。


 反射的に反らせた身体の過去座標を破断する、死閃。絶対切断ののろいがゼクスヴァンの後方に位置していた楼閣ビルを通過/はじけ飛ぶ火花の絶叫と共に、楼閣ビルの上層階が破断線から宙空を跳ねる。


 二の太刀の予感に、ゼクスヴァンが路面に装甲を擦過させながら、地面を舐める超低空飛行で後退する。背中から伝わるアスファルトを削るざりざりという感触が気味悪い。


 ゼクスヴァンが即座に情報を視覚野に投影する。無影刃むえいじん火魔至刀かまいたち。夜水景の保有する武装が一。正体は古代ギリシアに曰く世界をかたちどる四元素の火、プラズマ化した空気の刃だ。


「よくぞ躱した」


 ヴェドリと名乗った吸血鬼のつぶやきが拡声されて、ゼクスヴァンの聴覚を刺激してきた。少なからずの感嘆の意が篭められたのだが、逆に操縦棺そうじゅうかんに座るジンの肌は粟立っていた。


 ――まるで、AMAKUNIみたいだッ……!


 キュラバトリントスを否、暴食性塵級機械ナノマシン群を斬り裂いた、変異武技と必滅武装が組み合わされた剿滅そうめつの刃。ちなみに、美琴が心で温めていた名称は『陽毒性・小烏丸AMAKUNI-χカイ』であったのだが、今のジンは知るよしもない。くだんのAMAKUNI-χが黄金粒子の貯蓄圧縮と操者への太陽毒の流出という代償が必要だったのに比べて、夜水景の火魔至刀はほぼ代償なしで繰り出しているようにに見える。


 回避の瞬間に垣間見えた、夜水景の無影刃の柄からはプラズマの放出は確認できなかった。納刀するように腰へと無影刃を戻していることから、柄にエネルギーを送り込み、斬撃の瞬間にだけプラズマの刀身を形成するといった機工が施されているのだろう。


 だが――。前述の通りに射撃武装を搭載せず、また刀剣に頼りきった機体特性は間接攻撃に無力といえる。ゼクスヴァンもまた射撃武装は存在しないが、間接的に攻撃するすべがないという意味ではない。


「ジャッ!」


 ゼクスヴァンの掌から密かに収束させていた黄金粒子のビームを放つ。美琴の血を受けたゼクスヴァンは、以前に支払った負荷を緩和し、更に粒子のチャージ/加速/収束の速度を飛躍的に向上させていた。


 しかし、放たれた黄金の矢が夜水景を貫く事は無かった。驚異的な反射で振るわれた無影刃が黄金の矢を叩き、刹那に迸ったプラズマの奔流で焼き尽くしたのだ。


「ぐっ」


 ジンは構わず黄金の矢を釣瓶撃ち/流石の夜水景も居合い抜きとあれば総てを叩き落とすことはかなわなかったが、真鍮色の装甲が黄金の矢の猛威を素知らぬ顔で受ける。黄金の矢は都合二矢、夜水景に接触したのだが、虹色のまだらが装甲を彩ったかと見えると、矢は威力のほどを発揮することなく散華した。


 防護フィールド、天衣無明。装甲表面に纏わせた光学バリアフィールドが黄金粒子ビームを防いだのだ。特に光学兵器に効果を発揮するが質量攻撃にも対応でき、吸血機サイズの質量程度は傷ひとつ負わせることもかなわぬ。こちらも、無影刃同様、接触時以外にはエネルギー消費を抑える機構が存在しているようだ。


 まさしく、最強の鉾と最硬の楯。

 ゼクスヴァンの寄越した敵機情報を舌打ちで受け取る。


 ――無理ゲーだろ、畜生! どうやって勝てっていうんだよ?


 ゼクスヴァンが伝えてくる絶望的な敵機情報。膨大なエネルギーを消費する無影刃と天衣無明だが、エネルギー切れを狙うのは現実的ではない。素体は同設計であるゼクスヴァンよりも夜水景の姿を一回り大きくしている甲冑は、キュラバトリントスの肥大化した腰部~臀部同様の増槽なのだ。


 黄金の矢を射出しつつ後退を続け、遮二無二になって距離を稼ぐ。幸い、夜水景が振るっているのは一刀のみ。武器が一つであれば、まだ回避は可能だ。


「ゼクスヴァン、必死に離れようとしているようだが……」


 刹那に顕れては消える刀身の長さを読み、遂にジンは回避の要領を得、吸血機サイズで五歩の距離を隔てることに成功したのだが、ここでヴェドリが無影刃を抜くや、刀身の無い柄を突きつけてきた。


「これはどうかな」


 カメラのフラッシュに似た閃光が柄から放たれた。だが、それは敵対するものを討ち滅ぼす絶望の光だった。


 爛れた貫通孔が左肩装甲を通過して、素体に及び、更に突き抜けていた。躱しきれはしなかったがそれでも致命傷を避けれたのは、ひとえにジンが黄金の矢・黄金の大太刀という武技を編み出していた故だ。黄金の大太刀と化したAMAKUNIと無影刃・火魔至刀の相似性に気づいたジンの刹那の直感が身体/機体を動かした結果、奪命の穂先から辛うじて身を救ったのだ。


 確かに夜水景に銃撃武装は無い。だが、ゼクスヴァンと兄弟機だけあって、似た属性を持つ夜水景もまた遠間への攻撃手段が無いという意味にはつながらなかった。


「流石。流石だ。ゼクスヴァン、真木永人まきなジン


 賛辞を述べながら、夜水景は腰を落として抜刀の構えに入った。


「    ッ」


 かくもまざまざと感じる、凝縮された殺気のほどにジンは息を詰めた。


「ふぅっ!」


 ヴェドリの短い呼気を道連れに、夜水景が夜闇を分割する。またも勘任せで飛び退り、なんとか両断の憂き目から逃れた。


 躱しきれぬのは、なにも操者の経験度だけではない。真鍮色の吸血機の細い腕部は絶対切断の刀を最大限に活かすべく、装甲を犠牲にして自由度と速度を獲得している。いくらジンの勘働きが冴えていようと、いくら反射速度に優れていようとも、その程度では追いつけぬ域で斬撃が繰り出されているのだ。むしろ、未だ行動不能に到っていないゼクスヴァンこそ賞賛に値するといえよう。そう、無影刃に特化された夜水景が、吸血機の天敵とはいえゼクスヴァンに超至近距離で遅れをとるはずがない。


 超熱量を誇る火魔至刀。これを止めなければ、ゼクスヴァン/ジンの帰趨するところは明白だ。


 牽制に黄金の矢を放っていたジンに、刹那のうちに駆け抜けた稲妻のような発想。


 黄金の矢の射出を止め、回避に専念/同時、ゼクスヴァンの掌に黄金粒子が収束/異端の武技へと到る。すなわち――。


「シュアラァ!」


 裂帛の気合。夜気を熱量で焦がしはしたものの、火魔至刀の刃は目標を斬り裂くことなく濡羽色の巨人の五指に止められていた。


 絶招Joker:変異型火輪式融解クロウ・墓無き亡者への葬歌アッシュ・トゥ・アッシュ ダスト・トゥ・ダスト。太陽光と同じスペクトルのフレアがゼクスヴァンの右掌をまばゆく包み込み、持ちえる熱量で火魔至刀に抗しているのだ。火魔至刀の刃が融解クロウと接触している故、刀身を引かせるわけにもいかず、柄から継続してプラズマ光が放出される。瞳を焦がすプラズマ光同士の衝突が夜を殺す。


「何!」


 ヴェドリの驚愕の色を含んだ声を尻目に、ジンはゼクスヴァンに無影刃を奪い取らせる。プラズマの刃を高速で振るう一点に特化された夜水景は確かにゼクスヴァンを上回る速度域での攻撃を可能としているが、反面、重みを必要としない剣技だけあって腕力に関してはひどく脆弱だ。


 掴んでしまえばいともたやすく奪い取れた火魔至刀は、エネルギーの供給が途絶えプラズマの刃が夜闇に溶けて霧消した。柄が路面を叩き、ゼクスヴァンの鋭い脚部接地面ランディングギアがそれを踏み貫く。


「喰らえッ!」


 続き、ジンはゼクスヴァンの絶招を夜水景へと差し向ける。夜水景の右腕左腕、共に腰の無影刃で迎撃するには遠い距離だ。にわかに湧いた必殺の予感。だが、ジンは彼我の距離が無となる数瞬の中で余裕の吐息を聞いた。


「ハァ!」


 ゼクスヴァンの開いた五指に対して、夜水景が繰り出したのは拳。どちらにせよ、マニピュレーターを攻撃手段にするなど下の策だ。ゼクスヴァンの場合はフレアの超光熱で守られているが、夜水景には身を守るものなど――。


 ――まさか。


 墓無き亡者への葬歌アッシュ・トゥ・アッシュ ダスト・トゥ・ダスト。陽光に背を向けたものにとって致命的な毒性を持つ絶技。しかし、ゼクスヴァンは繰り出した右クロウごと反発の勢いに後退を余儀なくされた。


 狼狽に目を瞠れば、正面に映る夜水景は左拳を突き出したまま静止している。そこには高熱の焼痕も陽毒性の糜爛びらんも見られない。ただ、油膜が張っているかのような虹色の光沢と陽炎が拳にじゃれついていた。


 天衣無明。夜水景の強さを支える最硬の楯たる光学バリアフィールドを拳に集中させ、陽毒性の融解クロウを正面から弾いたのだ。


「ははっ、無茶苦茶すぎだろ」


 圧倒的な強さに、ジンももはや笑うしかない。ブラッドテイカーの基盤を獲得し、更には美琴の捧血ほうけつを受けて、以前とは比類にならぬポテンシャルを発揮しているにも関わらず、遥かに及ばぬとなれば、是非もなかろう。


「そこまでか?」


 一切の遊びも弛みもなく、ヴェドリが問いかける。嘲りの色もなく、ただジンを測っているだけの声色だ。


「残念ながら今日はもう看板でね、お客さん?」


 苦し紛れに減らず口を叩いてみるも、本来ならばぐうの音も出ない状態だ。度重なる異常な体験に心臓に毛が生えたのか、或いは、吸血鬼の基盤を手に入れた故か。


「うむ。なるほど」


 夜水景が頷く。そして、緩やかに腰に残った無影刃の一振りに手をかける。


「ハッ!」


 空間を縦に裂く居合はゼクスヴァンはおろか、路面まで断裂せんとギロチンの刃よろしく振り下ろされる。指向性を与えられたプラズマがアスファルトを熔解し、炭化水素由来の油くさい臭いが辺りに立ち込める。


 ゼクスヴァンの羽根状の装甲が咲き散る花びらの如くに灼き飛び墜ちる。一部は楼閣ビルにぶつかり窓を飛散させ、一部は地に落ち路面を砕く。うち一枚の装甲がアスファルトに突き刺さり、溶かされた破断面から濡羽色の雫を滴らせた。


 しかし、ゼクスヴァンを斬り裂いた火魔至刀は装甲を灼き斬りはしたものの、その命運を尽きさせるには到らなかった。間一髪、車輌を巻き添えに転がったゼクスヴァンは片翼をもがれたが、なんとか必殺の一太刀から逃れたのだ。転がった勢いを利用して、両手両脚背筋まで行使して跳ね起きて、三点着地をしたゼクスヴァンを夜水景は泰然たる姿のまま見送った。


「閉店ですよ。お帰り下さい? お客さん」

「――ほう、打つ手も無いというのに、なおも減らず口。意気やよし、とはいえどうする?」


 問いかけの声と同時に迸る火魔至刀のプラズマ光を、墓無き亡者への葬歌アッシュ・トゥ・アッシュ ダスト・トゥ・ダストで掴み取った。


「おいおいおい」


 一瞬の余韻を置いて、黄金のフレアを放つ右マニピュレーターが斬り飛ばされた。斬り飛ばされた腕部が少し離れた楼閣ビルにぶつかり、鉄骨造の建築物を骨組みを残して崩壊させる。


 流出する黄金粒子に燦めく義血をゼクスヴァンの電脳が義血管を閉鎖させ、塞き止める。


 ――打つ手、無し……か。いよいよもってヤバいな。


 ゼクスヴァンに存在しない汗腺から冷や汗が滴る感触は、ジンの脳内が引き起こす『本来の肉体』であればそうなっていたであろう生理的反射を錯覚していたに過ぎない。過ぎないはずなのだが、かくも生々しい感触はヒトとしてのジンの絶望の閉塞感へ追い込む効果には充分だった。しかし、吸血鬼としてのジンは否と叫ぶ。吸血鬼殺しの吸血鬼の闘争本能が見せる業か、捕食者の矜持か。食物連鎖の上に位置する己が、たかが吸血鬼ヽヽヽヽヽヽに追い込まれてなるものか。


 死の諦観を受け入れつつある本能となおも猛る本能。相反する二つの本能が脳内で化学反応スパークを起こし、ヒトでもなく吸血鬼でもない、第三の――真のブラッドテイカーの本能へと到る。


「ぬ?」


 ヴェドリの困惑したような声が聞こえた気がしたが、己の内から響く鼓動の熱さと叫びのとりことなっていたジンには瑣末な問題だ。


 ――熱い熱い熱い。


 痛みすら生ぬるい灼熱。喩えるなら、血管に太陽の欠片を流された――そう思えるほどの熱。血管が焼け爛れるだけにとどまらず、一気に灰になる熱量。だというのに、身体は以前健在で、継続する苦熱を従容と受け入れる。


「うぎゃあああ!」


 いつしか苦痛の絶叫がゼクスヴァンの拡声器官を通じて夜気を震撼させていたが、ジンに気づく余裕などあるわけがない。胸をむしり、もがき苦しむゼクスヴァンの姿は機巧からくり仕掛けとは到底思えぬ、真に迫る生々しさがあった。


 ゼクスヴァンの宝玉眼が黒いバイザーに包まれる/機体各所からあふれ出た黄金粒子が竜巻の如き勢いで猛る/ジンの感じる熱さを反映してか、濡羽色の装甲が真っ赤に染まる/尾翼が展開し、放たれた放熱鎖が孔雀めいた光背をかたちどる。以前見せたゼクスヴァン・オーバーロードに近い。否、これこそが本来のゼクスヴァン・オーバーロードなのだ。


「…………ふんっ!」


 夜水景が無影刃の迸るプラズマの刀身でゼクスヴァンを斬る――も、炎熱に染まった装甲を多少斬ったのみに過ぎなかった。はたして、破断の呪詛が篭められた火魔至刀の斬撃を阻んだものは、ゼクスヴァンの内部を太陽の業火で駆け巡る黄金粒子であった。


 ここにきて、ヴェドリは自身のる夜水景とゼクスヴァンが兄弟機という事実を誠の意味で思い知った。


 ――これでは、まるで天衣無明ではないか。


 装甲表面を覆う/装甲内側を奔る、光学バリアフィールド/加速と凝縮された黄金粒子という違いはあるにせよ、意味合いは同じだ。すなわち、対手の攻撃を光学的手段でもって無効化する――という意味では。


「……面白い。ならば、打倒してみろ。踏み越えてみせろ。私に成せなかった開闢かいびゃくの光を! 私に見せてみろ!」

「アアアアァァァ……ァアア!」


 更に、斬られた濡羽色の胸部装甲の淵からひび割れが生じ、内側から豪炎を封じ込めた溶岩に似た光が垣間見える。バイザーが遮光しているというのに、隠し切れない宝玉眼の禍々しい輝きがヴェドリを/袂を分かった兄弟機を睨む。


 対する夜水景は腰を落とし、居合の構えを取る。先ほどの減衰された無影刃は収め、手にかけようとしているのは、ひときわ長い柄の無影刃だ。


「無影刃・無明火魔至刀」


 夜水景を覆っていた虹色のまだらが消え失せ、柄からまばゆい光が脈を打つように放たれる。


 無影刃・無明火魔至刀。夜水景のもつ最奥の一刀。常時展開されている天衣無明のエネルギーをも利用した、死の際において生を拾う、一刀両断どころかむくろまでも消滅せしめる過剰殺傷オーバーキル極まる一刀である。


 勝負どころを嗅ぎ分けたヴェドリの戦闘者としての嗅覚は、ここに至っては生半可な防御などなんの足しにもならぬと悟っていた。今のゼクスヴァンの放つ黄金粒子の密度を鑑みれば、天衣無明を貫通させるには十二分。そして、装甲というよりも増槽を身に纏った夜水景は、天衣無明を貫かれては即座に爆散するほどに脆い。必定、持ちえる最大最高の一太刀に身を託すという論に帰結する。


 そして、決着は一撃で事足りる。一撃必滅同士が介すれば、畢竟ひっきょう、どちらかが立っているかどちらも消え失せるかしかない。


 集中力を針の如くぎ澄まし、ヴェドリはその一瞬を待ち構える。胸に去来する感情の色はなにか。これを待ちわびていたような気もする。訪れなければいいとも感じていた気もする。どちらにせよ、今宵――今宵という言葉自体も奇妙だが――ヴェドリ自身の決着が訪れる。


 豪熱に冒されて、薄れていたジンの意識が一瞬冷え、自意識を取り戻していく。熱に抗っていたのは、体内を流れる美琴の鮮血だ。彼女のが業火に屈しそうなジンを癒やし、彼の意識を守っている。


 眼前の夜水景が腰を溜めている姿は、最大の一手を繰りだそうとしているのだろうと理解できた。武人としての本能で悟ったヴェドリとは異なり、吸血鬼としての本能でジンは察していた。


 喪失した右腕。奇しくも、状況はキュラバトリントスの時と似ている。ならば、手は一つしかあるまい。残る左手をAMAKUNIの柄になぞらせる。


 両者、共に居合の構え。あとは起点きっかけだけ整えば、総てが動き出す。逆を言えば、変化が無ければ止まったままだ。


 永遠に続くと思われた睨み合いは、しかし彼らの気配にあてられたのか、遠雷の轟きによって終幕を迎えた。


 夜水景の鞘から迸るプラズマの光線/ゼクスヴァンのAMAKUNIから暴れる太陽光線の刃。落雷と錯覚するような、或いは太陽を間近で直視したような、闇を殺す閃光の奔流は二つの絶技が交錯した証左だ。空の轟きは起点を与えるだけにとどまり、静寂の内に趨勢は決した。


 二機共に残身を取る余裕もない。まさに全身全霊を賭した一刀は、残身の余力すら両機から削り取ったのだ。


 ゼクスヴァンの赤熱と太陽の色に染まっていた装甲が、昏さを取り戻していく。疵とひび割れからくすぶっていた炎光は去り、今やクレバスの深淵の闇で沈んでいる。


 雨が降り出した。勝者に対する祝福、或いは敗者に対するみそぎか。


 『空渡り』がゼクスヴァンの頭上に出現し、さながら顔を隠す傘となる。『空渡り』が開き、力無くしたゼクスヴァンの巨体が宙に浮く。そのまま、『空渡り』はゼクスヴァンを回収し、虚空に溶けていった。


 ヒト型の真鍮色をした巨大な墓標を残し、雨だけが滔々と降り注いでいく。




 荒唐無稽極まる、巨人機械の血闘は周囲の楼閣ビルを廃墟にし、片方が永久に動きを止めるという結末を見た。


 ほとぼりが冷めたと持ち前の勘で察し、柏田刑事は真鍮色の巨人機械を見上げるように座り込んだジンに近づいた。


真木永まきなさん?」


 彼の後姿を横切るように横たわる肢体は、先ほど遠間から見た白い少女のものと思われた。実際、雪の白さと絹の滑らかさが路面に散らばり、肢体の肌の色もまた白かった。


「刑事さんですか」


 少女の身体を横抱きにする形でうずくまっていたジンは、少しだけ顔を柏田の方に向けるも、その表情までは覗けない。


「んん……」


 身じろぎと共に、か細くも確実な吐息が空気を乱した。


 ゆっくりと彼らに近づいていた柏田は、白い少女の尋常ではない桜色の瞳を見た。眼の醒める白い髪と無機物めいた白い肌、更に白と鮮血が混ざり合った桜色の瞳。おおよそヒトのものとは思えぬ人形じみた美貌と白皙はくせきをもつ彼女は、ありえぬ身体能力や吸血――遠方から見たので、そうとおぼしい行為としか言えないが――を行っていた真木永人よりもよほど吸血鬼のイメージに近かった。


「……気がついたか」


 ジンが少し肩の荷を降ろしたといった声色を漏らした。


「立てるか?」


 美琴が頷くと、ジンは彼女を立たせながら問いかける。


「あのヴェドリと名乗った吸血鬼はなんだったんだ? 俺を知っていた風だったが……。この世界はなんだ? 吸血鬼なんてものが何故存在する?」

「質問が多すぎるわ? 少し絞ってほしい」


 如何にも低血圧そうな美琴は、気だるい様子だったが質問には応える気はあるようだ。


「分かった。じゃあ、ズバリ聞くぞ? 俺は何者だ?」

「貴方は、」

「はぐらかすなよ? 回りくどい言い回しも、だ。いくらなんでも厨二病にかかずらっている場合でもない」


 ジンのエスコートでサンダルを履いた両足で路面に立った美琴は、ジンを見つめ、そして彼の後方に佇む柏田に眼を合わせた。


「答えはいくつもあるわ。まず、①つ。貴方は硝子柩から産まれたヒト。硝子柩は吸血鬼の食糧である、ヒトを培養・育成する機械の揺り籠よ。柩の王から聞いたわよね? そこのおじさんは知らないかもしれないけど?」

「…………」


 いきなり二人だけに通じる言葉を話されては、三人目としては面白いわけもなく、仏頂面のまま柏田は頷く。


「……じゃあ、私について来て? それほど遠くではないから」


 そう言うと、二人の意志を確認もせず、美琴は先導して歩き始める。


「ね、真木永さん。アタシら、彼女について行けばいいんですかねェ?」

「そうするしか無さそうですね。どうやら、市外へと行こうとしているみたいですよ。方角的には」


 ジンの言通りに、美琴の足が向かっているのは隣市――路面は砕け散り、道路と呼ぶにはあまりに凄惨な姿にすぎたが――へと続く道だ。向かう先が市外となれば、当初の彼らの目的地でもあるわけだ。


「ついて行った方がよさそう、かもですね」

「はぁ~。鬼が出るか蛇が出るか。あ、吸血鬼ってのも鬼でしたかねェ」


 何か言いたげな視線を投げかけられたジンだったが、それを風に柳に受け流して飄々と言ってのける。


「そういえばそうですね。じゃあ、喉が乾いたら柏田さんの生き血をもらいましょうかね?」

「おっほ! なかなかパンチの効いた洒落ですねェ」


 いつの間に銜えていたのやら、柏田は火を灯した煙草から笑いに紫煙を吐き出す。


「では、参りましょうかねェ?」

「ええ」


 先導する美琴を追いかけるように歩を進めると、視線の先の美琴は追いかけてこない二人に気づいてか、振り向いた体勢のまま立ち止まっていた。――否、正確には違った。ジンや柏田は気づいていなかったが、彼女は真鍮色の墓標を眺めていた。


「さよなら、ジン」


 彼女の口から秘め出された言の葉は誰の耳にも聞き咎められる事なく、夜風に溶けて消える。

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