I am xxx. 3
「遂に捧げるか?」
ぎぎぎ、とアスファルトと鉄骨鉄筋で構成された巨大な口が柩の王の声で問いかける。
「ええ」
美琴は怖じることなく、ゼクスヴァンの
ゼクスヴァンの電算機能を担う中枢ユニット――。そして、吸血鬼に黄金粒子に対する抵抗力を与える特殊血液を
彼女の捧血こそがゼクスヴァンを、ブラッドテイカーを完全体とする鍵にして、夜の世界に風穴を開ける乾坤一擲の切札なのだ。
「よろしい」
数秒後、彼女の覚悟を感じ取ったのか、満足気な声が響くと、滲んだ景色の向こう側からゼクスヴァンと同規模の真鍮色の
木乃伊は構成物を装甲とし、逞しい姿へと変貌していく。二叉の
「ヴェドリ、よろしく頼むよ」
「承知」
柩の王の声に応えたのは、いつの間にか真鍮色の鎧武者の肩に佇んでいた男だ。前が逆立つほど短く刈った髪、黒いコートの裾、襟元を交差しているマフラーが相俟って、吸血鬼の
ヴェドリ=マーヴェリック。柩の王に仕える吸血機士の中で頂点に位置すると言われている男だ。なるほど、引き締まった顔つきに切れ長の眼は確かに強者の風格を備えている。
――試金石、いうわけね? 柩の王としても、ヴェドリとしても。
ここに来て、自身を除いた最強の手札を切った柩の王。美琴の覚悟を図る彼の意図を感じ、彼女は眦を決した。
背後から肌を撫でた身じろぎの気配は、まもなくジンが覚醒する兆しだろう。緊張を深呼吸で吐き出すも、心臓の浮き足立った感覚は消えなかった。
「……」
ヴェドリの瞳はゼクスヴァンに注がれている。美琴の行動を見届ける腹積もりであることは間違いない。
あと、数秒後。ジンが目覚めた瞬間、匣庭の世界の運命を決する戦いの最終局面を占う一戦が始まる。
巨大な顎の声は、刑事のいる
「……冗談はフィクションの中だけにしてもらいたかったんですがねェ~」
眼下の摩訶不思議な光景の
無機物で構成された鰐の頭蓋が男の声で喋ったのも瞠目したが、その
もう、笑うしかない。
びくり。まるでヒトの目覚めのように、横たわっていた濡羽色の巨人が身じろぎした。合わせて、砕かれた装甲の中から這い出てくる者が一人。問うまでもなく、
一歩ずつ、彼らはお互いを求めているかの如くに近づき、そして抱き合った。――いや、違う。よくよく見れば、ジンは少女の首元に顔を
「やや? やややややややや? 血を吸ってる?」
柏田の理解と同時にまた、びくり。再び、彼らが足場にしている巨人がうごめいた。宝石の輝きを持つ瞳が光をはね返して一瞬、刑事の眼を射った。
そして、ゆっくりと黒い巨人が起ち上がる。巨人の眼前には、真鍮色の機械武人が敵機が牙を剥いてくるのを今か今かと待ち構えている。
「こりゃあ、ここからも退散した方がよろしいですかねェ~」
ここに居続けるのは危険だと持ち前の勘が告げてくる。そうと決まれば、即座に実行あるのみ。元より柏田という男、己の直感を頼りに生きてきた手合いだ。本能の警鐘に是非など唱えるわけもなく、刑事はビル風にそよぐくたびれたコートを翻して、元来た鉄扉へと歩を進めた。
視界が紅く染まり、脈と血臭に鋭敏な反応を示す感覚器。ブラッドテイカーと同化――いや、基盤を共にした結果か、目覚めたジンは自分が吸血鬼の世界観を再び体験している事実に気がついた。
あの気の狂うような血への渇望は潰えてはいないものの、今は意志の力で耐えられる程度に薄れてきている。かつては貧血に似て外界が判じられなかった赤い視界も、ヒトの判別や景色の様相を捉えきれる。
首元の違和感に無意識下で手をやると、首にコードがじゃれついていた。辿っていけば、両端はそれぞれ自分の首の頸動脈と背後の大穴――ゼクスヴァンのえぐられた胸部――につながっている。
眼前に佇む人物を認め、ジンは
「……
「ええ。今こそ、貴方の魂解き放つ時。真の
そうつぶやき、美琴は首筋を見せつけるように晒した。そして、吸血鬼としての基盤を獲得した今のジンに行為の意味がわからぬ道理はなかった。
「すまん」
せめてと一言詫びて、少女の華奢な両肩を掴み、首へと顔を近づける。匂い立つ甘やかな薫りと白い絹糸に似た滑らかな髪が、薄れていた食慾を揺り起こす。
生じた欲求の成すがままに、伸びた
以前ならば、むしゃぶりついて枯渇するまで離さぬほど、鮮血の虜になっていただろうが、今は
そう、少女漫画で喩えるなら、ぽわぽわしたスクリーントーンやお花の背景が描かれるような雰囲気での吸血だ。妄想力では常人など足元にも及ばない厨二病罹患者である美琴が、頬を桜色に染めているのもむべなるかな。見開いた双眸は潤んでおり、それが複雑な深度で瞳を彩る。血の雫を舐められる寸前、気配で察した少女がそっと眼を閉じる様は、まるで口づけのそれ。
唾液と混じった少女の甘い鮮血を
「あっ、あっ、あっ……」
吸血鬼の唾液は麻酔効果を有するが、それは同時に獲物の快楽中枢を刺激する。チック症めいた声を漏らして腰を反らせようとする美琴だったが、力をさほど入れていないとはいえ、今や吸血鬼に裏返ったジンにはかなわない。代わりに首を限界まで反らした上、目端に涙をためて鳴く声がなんとも麗しく鼓膜を震わせる。
永遠に味わっていたかった桃源郷だが、残念ながらほどなく終わりを迎えた。眼前にそびえる吸血機もさることながら、ただでさえ血圧が低そうな美琴にこれ以上の負荷を与えるのは忍びなかった。
「ふぅ~~」
血を啜るのをやめると、美琴はくたりと力をなくして座り込んでしまった。血の欠乏だけではない。無理矢理に引き出された快感に身体がついていかなかったのだ。
「……ごめん」
茫然自失としながらも吐く息だけは激しい美琴に謝罪し、ジンは彼女を横抱きに抱える。いつしか汗が額に浮かんでいたらしく、一房の髪が貼り付いた相貌は普段よりも生々しい艶美さがあった。貼り付いた髪をどけてやると、ジンは正面に向き直る。
カブトムシにも似た独特の頭部を持つ吸血機の肩装甲に、コートを夜風の任せるままにはためかせた男が彼らを睥睨していた。腕組みをして静かに佇んでいるだけなのだが、伝わってくる圧力は彼がれっきとした強者である証左と言えた。
「待っててくれて悪かったな」
頭上から圧してくる存在力に不思議と怖じないのは、吸血鬼の性質を獲得したジンもまた同規模の瘴気をもっているからだろうか。
「……気にするな」
返ってきたのは、苔
切れ長の眼に見守られて、ゼクスヴァンがやおら起ち上がる。起き上がるさなかに破砕されていた胸部の淵からぽっかり空いた欠損部分を光線が伸び、それが真鍮の神経/筋繊維へと化し、皮膚/装甲の輪郭が覆っていく。ジン→
美琴を横抱きにしたまま、ジンはゼクスヴァンの装甲を飛び石の要領で渡り昇り、再生しつつある胸部へと潜り込んだ。多少危険だろうが、これから戦場になる外に放り出したままはそもそも命がない。
柩めいた椅子に座り、ジンはゼクスヴァンの世界へと没入する。身体を固定する器具のない
「…………」
一瞬躊躇したが、吸血鬼の膂力で彼女を壊さぬ程度で抱きしめる。視覚、嗅覚、触覚は言うに及ばず、聴覚は吐息と鼓動を感じ、味覚は先ほどの鮮血の味わいを喚起する。五感を刺激する少女の身体にオーバーヒートしそうな顔の熱さを意識し、しかし、容赦無い没入プロセスはジンの五感をゼクスヴァンの感覚器官へと移行させた。
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