I am xxx. 3

「遂に捧げるか?」


 ぎぎぎ、とアスファルトと鉄骨鉄筋で構成された巨大な口が柩の王の声で問いかける。


「ええ」


 美琴は怖じることなく、ゼクスヴァンの鳥羽色刃金トバイロノハガネを噛み千切る牙歯を見据えている。まざまざと存在力を感じる至近距離から見える、牙歯から木漏れ出るプラズマ光が鳥羽色刃金製の装甲を溶断した事実を彼女に教えていた。


 ゼクスヴァンの電算機能を担う中枢ユニット――。そして、吸血鬼に黄金粒子に対する抵抗力を与える特殊血液を生産ヽヽするヒト型ユニット――月夜視つくよみ美琴。

 彼女の捧血こそがゼクスヴァンを、ブラッドテイカーを完全体とする鍵にして、夜の世界に風穴を開ける乾坤一擲の切札なのだ。


「よろしい」


 数秒後、彼女の覚悟を感じ取ったのか、満足気な声が響くと、滲んだ景色の向こう側からゼクスヴァンと同規模の真鍮色の木乃伊ミイラが顕れた。木乃伊が姿を顕すと、土瀝青どれきせいの鰐が解けて、細かく砕けた構成物の一部が木乃伊に纏わりつく。


 木乃伊は構成物を装甲とし、逞しい姿へと変貌していく。二叉の嶮山けんざんが天を刺す形状の巨大な兜は戦国期における燕尾形兜に似、身体を纏う南蛮胴具足を思わせる装甲が真鍮色に輝いている。ある種、ゼクスヴァンと似た構成の吸血機だ。


「ヴェドリ、よろしく頼むよ」

「承知」


 柩の王の声に応えたのは、いつの間にか真鍮色の鎧武者の肩に佇んでいた男だ。前が逆立つほど短く刈った髪、黒いコートの裾、襟元を交差しているマフラーが相俟って、吸血鬼の武士もののふといった印象の男だ。


 ヴェドリ=マーヴェリック。柩の王に仕える吸血機士の中で頂点に位置すると言われている男だ。なるほど、引き締まった顔つきに切れ長の眼は確かに強者の風格を備えている。


 ――試金石、いうわけね? 柩の王としても、ヴェドリとしても。


 ここに来て、自身を除いた最強の手札を切った柩の王。美琴の覚悟を図る彼の意図を感じ、彼女は眦を決した。


 背後から肌を撫でた身じろぎの気配は、まもなくジンが覚醒する兆しだろう。緊張を深呼吸で吐き出すも、心臓の浮き足立った感覚は消えなかった。


「……」


 ヴェドリの瞳はゼクスヴァンに注がれている。美琴の行動を見届ける腹積もりであることは間違いない。


 あと、数秒後。ジンが目覚めた瞬間、匣庭の世界の運命を決する戦いの最終局面を占う一戦が始まる。




 巨大な顎の声は、刑事のいる楼閣ビルの屋上まで届いていた。どうやら、白い少女に語りかけているらしいが、彼女のかそけき声は夜風にかき消されて、ヒトの可聴域には至らなかったようだ。


「……冗談はフィクションの中だけにしてもらいたかったんですがねェ~」


 眼下の摩訶不思議な光景の趨勢すうせいを見守っていた柏田は、苦笑交じりに声を漏らしていた。


 無機物で構成された鰐の頭蓋が男の声で喋ったのも瞠目したが、その楼閣ビル素材の鰐の輪郭が崩れるや、真鍮色の木乃伊ミイラが顕れ、鰐をかたちどっていた物質を鎧に見立てて武装したのだ。


 もう、笑うしかない。


 びくり。まるでヒトの目覚めのように、横たわっていた濡羽色の巨人が身じろぎした。合わせて、砕かれた装甲の中から這い出てくる者が一人。問うまでもなく、真木永人まきなジンだ。彼は、首元から伸びたコードもそのままに、巨人の胸へと立ち尽くす。黒い巨人の上だいちで彼に向かい合う少女。


 一歩ずつ、彼らはお互いを求めているかの如くに近づき、そして抱き合った。――いや、違う。よくよく見れば、ジンは少女の首元に顔をうずめており、彼女は宙を眺めている。


「やや? やややややややや? 血を吸ってる?」


 柏田の理解と同時にまた、びくり。再び、彼らが足場にしている巨人がうごめいた。宝石の輝きを持つ瞳が光をはね返して一瞬、刑事の眼を射った。


 そして、ゆっくりと黒い巨人が起ち上がる。巨人の眼前には、真鍮色の機械武人が敵機が牙を剥いてくるのを今か今かと待ち構えている。


「こりゃあ、ここからも退散した方がよろしいですかねェ~」


 ここに居続けるのは危険だと持ち前の勘が告げてくる。そうと決まれば、即座に実行あるのみ。元より柏田という男、己の直感を頼りに生きてきた手合いだ。本能の警鐘に是非など唱えるわけもなく、刑事はビル風にそよぐくたびれたコートを翻して、元来た鉄扉へと歩を進めた。




 視界が紅く染まり、脈と血臭に鋭敏な反応を示す感覚器。ブラッドテイカーと同化――いや、基盤を共にした結果か、目覚めたジンは自分が吸血鬼の世界観を再び体験している事実に気がついた。


 あの気の狂うような血への渇望は潰えてはいないものの、今は意志の力で耐えられる程度に薄れてきている。かつては貧血に似て外界が判じられなかった赤い視界も、ヒトの判別や景色の様相を捉えきれる。


 首元の違和感に無意識下で手をやると、首にコードがじゃれついていた。辿っていけば、両端はそれぞれ自分の首の頸動脈と背後の大穴――ゼクスヴァンのえぐられた胸部――につながっている。操縦器官コントロールオルガンが刺さっている状態で、ゼクスヴァンの外に出ているようだ。


 眼前に佇む人物を認め、ジンはぼうとしたまま、その名を呼ぶ。


「……月夜視つくよみか?」


 白皙はくせき白髪、加えて白絹のドレス、瞳だけが白とあかの混ざった薄紅色。このような特徴の人物などジンは一人しか見当たらない。


「ええ。今こそ、貴方の魂解き放つ時。真の救血鬼ラミーア・ア・マキーナ、真の求結機オーバーロードゼクスヴァンに」


 そうつぶやき、美琴は首筋を見せつけるように晒した。そして、吸血鬼としての基盤を獲得した今のジンに行為の意味がわからぬ道理はなかった。


「すまん」


 せめてと一言詫びて、少女の華奢な両肩を掴み、首へと顔を近づける。匂い立つ甘やかな薫りと白い絹糸に似た滑らかな髪が、薄れていた食慾を揺り起こす。


 生じた欲求の成すがままに、伸びたきばでそっと頸動脈の上に陣取る肌膚きふに疵を創ると、にじみ出る血の珠がなんとも艶かしい。


 以前ならば、むしゃぶりついて枯渇するまで離さぬほど、鮮血の虜になっていただろうが、今はきょうを解する余裕があるのは、ジンが真に吸血鬼として裏返った故なのだろう。吸血鬼としての興として獲物を愛玩する悦び、そして眼の前の少女を愛らしく感じるヒトとしての感情がないまぜになり、甘く穏やかな吸血行為に帰趨する。


 そう、少女漫画で喩えるなら、ぽわぽわしたスクリーントーンやお花の背景が描かれるような雰囲気での吸血だ。妄想力では常人など足元にも及ばない厨二病罹患者である美琴が、頬を桜色に染めているのもむべなるかな。見開いた双眸は潤んでおり、それが複雑な深度で瞳を彩る。血の雫を舐められる寸前、気配で察した少女がそっと眼を閉じる様は、まるで口づけのそれ。


 唾液と混じった少女の甘い鮮血を嚥下えんかすると、喉に爽やかな感触が広がり、食道を通る熱い感覚が襲いかかってきた。その熱感が胃に達すると、浮足立つ快感が胃から全身を鳥肌と共に駆け巡り、ジンは恍惚に打ち震えた。感嘆に嘆息し、更に少女を求めて彼は激しく、しかし身体に相当な負荷がかからぬよう穏やかに血をすする。びくっと跳ねる美琴の身体を両肩に添えた手で制し、吸血鬼は名の由来となっている行為に耽る。


「あっ、あっ、あっ……」


 吸血鬼の唾液は麻酔効果を有するが、それは同時に獲物の快楽中枢を刺激する。チック症めいた声を漏らして腰を反らせようとする美琴だったが、力をさほど入れていないとはいえ、今や吸血鬼に裏返ったジンにはかなわない。代わりに首を限界まで反らした上、目端に涙をためて鳴く声がなんとも麗しく鼓膜を震わせる。


 永遠に味わっていたかった桃源郷だが、残念ながらほどなく終わりを迎えた。眼前にそびえる吸血機もさることながら、ただでさえ血圧が低そうな美琴にこれ以上の負荷を与えるのは忍びなかった。


「ふぅ~~」


 血を啜るのをやめると、美琴はくたりと力をなくして座り込んでしまった。血の欠乏だけではない。無理矢理に引き出された快感に身体がついていかなかったのだ。


「……ごめん」


 茫然自失としながらも吐く息だけは激しい美琴に謝罪し、ジンは彼女を横抱きに抱える。いつしか汗が額に浮かんでいたらしく、一房の髪が貼り付いた相貌は普段よりも生々しい艶美さがあった。貼り付いた髪をどけてやると、ジンは正面に向き直る。


 カブトムシにも似た独特の頭部を持つ吸血機の肩装甲に、コートを夜風の任せるままにはためかせた男が彼らを睥睨していた。腕組みをして静かに佇んでいるだけなのだが、伝わってくる圧力は彼がれっきとした強者である証左と言えた。


「待っててくれて悪かったな」


 頭上から圧してくる存在力に不思議と怖じないのは、吸血鬼の性質を獲得したジンもまた同規模の瘴気をもっているからだろうか。


「……気にするな」


 返ってきたのは、苔いわおを思わせる、永い時とそれに耐えてきた厳然たる声だ。揺るがない実直な武人といった容貌の吸血鬼には似つかわしい声と言える。


 切れ長の眼に見守られて、ゼクスヴァンがやおら起ち上がる。起き上がるさなかに破砕されていた胸部の淵からぽっかり空いた欠損部分を光線が伸び、それが真鍮の神経/筋繊維へと化し、皮膚/装甲の輪郭が覆っていく。ジン→操縦器官コントロールオルガン→義血管を介して供給された美琴の血液に活性化されたゼクスヴァンが持ちえる復元力を遺憾なく発揮しているのだ。


 美琴を横抱きにしたまま、ジンはゼクスヴァンの装甲を飛び石の要領で渡り昇り、再生しつつある胸部へと潜り込んだ。多少危険だろうが、これから戦場になる外に放り出したままはそもそも命がない。


 柩めいた椅子に座り、ジンはゼクスヴァンの世界へと没入する。身体を固定する器具のない操縦棺そうじゅうかんにおいては、コード類に拘束されたジンはともかく、彼に抱えられた美琴は戦闘の衝撃で放り出される可能性が高い。


「…………」


 一瞬躊躇したが、吸血鬼の膂力で彼女を壊さぬ程度で抱きしめる。視覚、嗅覚、触覚は言うに及ばず、聴覚は吐息と鼓動を感じ、味覚は先ほどの鮮血の味わいを喚起する。五感を刺激する少女の身体にオーバーヒートしそうな顔の熱さを意識し、しかし、容赦無い没入プロセスはジンの五感をゼクスヴァンの感覚器官へと移行させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る