HUMAN CLAD MONSTER 6

『現在、交通規制が行われています。市外へは公共交通機関をお使いください』


 上空を遊弋ゆうよくする飛行船から放たれる立体映像が交通情報を流しているも、果たして地上の喧騒の中で聞いている者が何人いるのか。聞いたところで、ここまで如何ともし難い状況となっては、折角の情報もなんら意味を成さない。


 市境へと歩を進めていくと、クルマの混み具合が混沌とした乱雑さから、次第に積み詰められた石垣の整然さを呈してきた。隙間なく敷き詰められたクルマの群れは、それ自体が石畳の道のように見える。


「こりゃあ、如何にも通さないって宣言されているみたいですわ。歩道まで乗り上げて……よくもまあ、うまいことはめ込んだな」


 歩道に乗り上げたクルマもまた、ガードレールを巧みに躱しながらも、一分の隙も見せぬと言わんばかりにひしめき行く手を阻む。


「よっ、と。こらせと、どっこいしょォ!」


 掛け声とともに硬そうな足を上げて、柏田が眼前の黒いセダン――窓がフルスモークなこともあり、あまりガラのよろしくなさそうな雰囲気満載だ――の上に登ると、抗議とばかりにクラクションの合唱が起こった。


「おい、てめえ、退けや!」


 案の定、下がったパワーウィンドウから顔を出したのは、サングラスをかけたコワモテだったが、柏田はどこ吹く風で懐から警察手帳を取り出し、しゃがみ込んで屋根の上から見せつける。


「はい、刑事ですがねェ。おたく、フルスモークな上に警察に楯突くんだったら、公務執行妨害で逮捕しちゃいますよ? アタシはいいんですよ? ただ、おたくには国家権力に逆らったという、深~いキズが付きますがよろしいですよねェ?」


 顎を撫でる態度とは裏腹な脅迫の甚だしい柏田の言動だが、サングラスの運転手には覿面てきめんの効果をもたらしたようだ。おそらくは、強者弱者を嗅ぎ分ける嗅覚が、一見冴えない刑事が厄介な男と告げたのだろう。


 ビッグウォールの建設以来、よくも悪くも治安を司る警察の権力は増していった。閉鎖された国土はビッグウォールが外患から守っているが、内憂から国を守るのは警察に委ねられているのだ。となれば、治安維持の名目で権力が集中することもむべなるかな。ただ、その与えられた権力を濫用する柏田のような刑事の跳梁を許す事態となっている現状は問題ではある。


「アタシャねェ? おたくらみたいなモンが大嫌いなもんでねェ。アタシの趣味聞きます? 自分で強いとか思っちゃってる痛々しい奴を、逮捕して自白に追い込むことですよ」


 ジンからは見えないが、セダンのボンネットに立った柏田は、サングラスの減衰した透過率さえも射貫くほどに冴え冴えとした眼光を男に浴びせていた。


「さて、質問に答えてくださいますねェ? まあ、別に非協力的でも全然構いませんが」

「言う、言います」

「では、アナタ、いつからここでまっていますかねェ?」

「え~、いつからだっけ? ――あれ? ホントにいつから? あれ? おかし……」

「柏田さん」


 不意に巡らせた記憶の忘失に気づいてか、戸惑った運転手の台詞は、しかしジンの声に遮られ最後まで紡がれることはなかった。ジンの視線は道を成す車輌の群れの上に注がれ、その先から砂色のトレンチコートの男二人がこちらに近づいてくる。


「……見覚えがある」


 我知らずつぶやいた一言の通りに、ジンはトレンチコートを着た男たちに憶えがあった。ただ、どこか、いつ、といった詳細は今ひとつ判然としなかったが。


 ジンらが立っているセダンの前方に位置するワゴン車の上まで来た彼らは、内ポケットから出した黒い手帳を呈示し、柏田と同じく警察関係者であることを明かした。


「ここから先は通行止めです。ブラッドテイカー事件の容疑者がここを通るという情報がありましてね」

「ほう、これはこれは。同業者さんでしたか。見覚えはありませんが、どこの署の方ですかねェ?」


 応じるように柏田が警察手帳を名刺交換するサラリーマンのように取り出し――そこで、ジンはトレンチコートの男たちをどこで、そしていつ見たかを思い当たった。


「おおっ?」


 霹靂へきれきもかくや、ジンの右手が柏田の襟首を掴んで引き離すと同時、車輌の屋根を凹ませるどこかか拳が突き抜け、孔から血の飛沫が噴き出す。


「お前ら、マンションに来た奴らだな」


 ジンが指差すと、男たちは答えのように毒々しい血色の赤い眼光を大気ににじませた。彼らも絶対零時の継嗣だったのか。


「ブラッドテイカー……」


 鉄拳を屋根から抜き出すと、巻き添えを食った運転手が引きずり出された。血みどろになり、首も張力を無くした運転手は、見るからに事切れている。サングラスの破片やつるヽヽが衝撃で頭蓋に突き刺さり、既に命のぬくもりも去った肉体は、先程まで口唾を飛ばしていた人物のものとはとても思えない。


「……真木永まきなさん。流石にここはアナタにお任せしますわ」


 こちらを睨めつけるトレンチコート二人の動きを警戒していては、後方に気をやる暇はないが柏田が後ずさっているような気配だけは感じられた。流石に不良刑事だけあって保身の動きは堂に入ったものだが、ジンにそれを咎める余裕などあるわけもない。


 粟立つ肌がまざまざと伝える、薄氷の下に湛えられた極寒の冷水に似た圧力。感じ取った途端、不意に増加した重力にジンの身体はセダンの屋根に叩きつけられた。視点の低くなった、横倒しの視界を走る黒い切り立った山肌は、圧縮に負けたボディーのひしゃげた姿だ。


「がっ」


 五体をバラバラにされたと錯覚するほどの痛みに息が詰まるも、そもそもクルマの車体を歪ませる力を加えられて意識を保っていることこそ異常なのだが、当の本人に考えが及ぶ余裕があるはずもなく。なおも、後頭部を握りつぶさんとする握力と車体に押し付ける腕力から、ジンは頭から鉄製のボディーに叩きこまれた事実を知った。


「ががががが……」


 耳を聾する大音響は、軋む頭蓋骨が悲鳴を上げているのかと思ったが、その実、我知らず痛みに叫ぶ声だとジンはついぞ気づくことはなかった。ただ、いつ絶えるとも知れぬ、脳を頭蓋を圧迫する激痛の奔流に身を任せることしかできない。


 振り解けない、あまりに強力に過ぎる圧力に縫い止められた視界に、黒いボディーの山肌から滴るまばゆい赤――溶岩が映った。そう、まさしく溶岩だ。一度含めば灼熱に身を燃やし、炎熱の膂力りょりょくと豪熱の慾をもたらす、禁断の赤く/黒い雫――。


 激痛も意識から飛ぶ、鉄の山脈から落ちてくる炎よりもなお赤い雫は、瞳を灼くと錯覚する妖光を放っていた。仄甘いかおりに、舌が生理的な条件反射で芳醇な味わいを再現する。鼓膜を騒ぎ立てる鼓動/きばがずるずると伸びるむず痒い感触/そして、光届かぬ闇の中で爪を研ぐ、檻に入れられ鎖で雁字搦がんじがらめにされた獣が舌なめずりする錯覚。どのような姿をしているのかさえ判然としない、闇の牙獣の湿った息が首筋を撫でたような気がした。


 ゆるゆると自分に近づいてくる雫――血に、血走った視線が速く、もっと速くこちらに来いと急かす。あれを嚥下えんか、いや舐めるだけでもたちまち神通力が駆け巡り、我が身は最強のブラッドテイカーとなるのだ。


 いつしかジンは、頭蓋を苛む痛みの群れを忘れていた。血への希求が他のすべてを意識の埒外へと追いやり、世界が紅く染まっていく。見るもおぞましき、吸血鬼の世界観がジンを襲う。今や、紅いノイズと朱い靄で緋い描線で像があやふやな中、赤い血だけが強烈な現実感で像を結んでいた。紅く、熱く……甘く黒く辛く愛おしい血の悦楽の予感に、ジンの本能に上塗りされた理性が、脆く剥落していく鍍金メッキの地金を見せてくる。


 餓鬼さながらの浅ましさで、ジンは眼前にまで伝ってきた雫を舐め取――ろうとした瞬間、血の雫から離すように頬を車上に擦られた。


「血を与えては、我々とて危うい。残念だが、餓えたまま死んでもらおう」


 頭上から降り注ぐ温度と湿度を感じさせない声が、合金とプラスティックで構成された地に突っ伏したジンに無慈悲な判決を下す。


 抑圧された頭を苦労しいしい巡らせ、可視域の際に男を捉えるとちょうど刎頚の刃ギロチンに見立てられた手刀が振りかぶられ、街灯を透かしていた。


「グッ!」


 伸し掛かっている圧力の主が暴力の何たるかを心得ているのは間違いなく、碌に力が入らぬこの状況下、既に趨勢は火を見るよりも明らかだ。


 諦観が心を支配して――いや、違う。抑圧された身体に反して、心に巣食うものが徐々に心中の版図を広げている。金属製の檻を内側から兇悪な力で叩く残響がジンの鼓膜にがなりたてる。うなじに迫る内なる獣の嘲笑を含んだ吐息の、その宛て先は誰なのか。身体という鎖を力任せに引き千切り、〝彼〟が目を覚ます。


 ザリザリと現実を削るやすりがジンさえも擦過し、やがてジンの意識は途絶えた。




「カアッ!」


 一瞬の吐息は短くも、篭められた念と開放された力の程は裂帛の咆吼と同義だった。碌に力の入らぬ――といえども、今の真木永人まきなジンにたかが合金とプラスティックの構造物など、さして問題になろうはずもない。突っ伏した状態で、少年はセダンの屋根の端に右手を掛けると、ぶっきらぼうに圧したヽヽヽ。屋根が紙のようにぐしゃりとひしゃげ、畢竟ひっきょう、上にいた者達が一瞬だけ足がかりを失い浮遊感に襲われる。


 一瞬だけ、されど一瞬。この瞬間に備えていた者と否なる者とでは、刹那の身の置きように差が生まれるは必定。そして、この差が明暗を分けるのもまた帰趨きすうというものだ。


 浮遊の瞬間、ワゴン車の上で残っていたもう一方のトレンチコートの男は、〝彼〟が屋根をひしゃげた反発力で体勢を入れ替え、両者の天地の座標が逆転した光景を眼にした。


 雨よけを失ったセダンの座席――運転手の血糊でどす黒く染まっている――と両者共々接触した。


 先ほどまでの意趣返しにか、同僚の後頭部を抑えつけ喜悦に笑んでいる姿は、ヒトを超越していると自負する男であっても背筋の凍るような光景だった。


 しかも、今まで見せていた真木永人まきなジンの多少ヒトを超えた程度ヽヽ膂力りょりょくと一線を画すそれは、まさしくブラッドテイカー――絶対零時の住民を狩る更に深淵の闇の獣の蛮力ばんりょくだった。


 おもむろに立ち上がる少年の瞳が赫々かくかくと紅色の光を放つ様が、自分達のそれと変わらぬはずだというのに男は心の隙間に入り込む恐怖を禁じ得なかった。


 ごきりと響いた音は、同僚の首に足を掛けて踏み抜いた結果だ。そのまま、首を断った鶏よろしく力を亡くした同僚を掲げ持った真木永人まきなジン――いや、〝彼〟/ブラッドテイカーは灰燼と化する前の同僚の首筋にきばを突き立て、蓄えられた血をんだ。


 ――共喰い……ッ!!


 慄きに我知らず一歩退いた男の靴がワゴン車の屋根を鳴らす音に気づいてか、口端に血筋を垂らす姿も淫靡いんびなブラッドテイカーがゆっくりと振り返る。見下すように首を斜めに傾げたブラッドテイカーの薔薇石ガーネットの深みを湛えた瞳が、男の視線と絡まる。


 上下位置から見れば、当然ワゴン車の屋根に立つ男の視点の方が高くなるのは道理であり、そもそもにおいてブラッドテイカーの背丈は男に及ばない。だというのに、男はブラッドテイカーの姿が自分を覆うほど巨大さで見えていた。いうなれば、生物としての〝格〟だ。分類上は同じ吸血鬼といえども生物としての存在力はブラッドテイカーのそれが上回っているという事実が、男の色境に影響しているのだ。


 獲物の戦慄の臭いを嗅ぎ取ったブラッドテイカーが、猛獣が力を溜める姿勢に似た前傾姿勢を取る。後を振り返りひたすら逃げたいという欲求を、男はなんとか押し留めた。このまま逃げるのは魅力的な欲求だったが、無策に視線を外せば最後、ブラッドテイカーの姿を再び視界に収めることなく殺される。ならば、行動のおこりを見定めて、隙を見て逃げおおせるしかない。


 ブラッドテイカーが立っていたセダンが一瞬、重力を裏切り跳ねたのは、上から蹴られたセダンのサスペンションが反発した結果だ。そして、ブラッドテイカーが夜闇を纏って宙から襲い来るのを認めた男は、脊髄反射で懐に吊るしていた拳銃――と呼ぶには余りに大型に過ぎる銃――を構えた。


 トーラス・レイジングブル、MODEL500。もはや対人という域に収まらぬ兇暴な大口径.50S&Wマグナム弾を五発、腹に抱えた大型リボルバーはまさに〝怒れる雄牛レイジングブル〟の名に相応しい猛々しさがある。いくら吸血鬼、いくらブラッドテイカーといえどもこれにはひとたまりもない。


 ブラッドテイカーの一挙一動を見据えていたとはいえ、咄嗟の強襲に男が反射的にレイジングブルを構えられたのは、ひとえに次に続く流れを決めてかかっていたからに他ならない。でなければ、先ほどの同僚と同じように反応が追いつかぬまま、鉤爪で無抵抗な頭蓋を引き裂かれていただろう。


 一秒がゆるゆると伸長されていく中、照星越しにブラッドテイカーの心臓を睨む。


 ――当たった。


 湧き上がる確信に男は胸中でほくそ笑む。幾度と無く銃弾を放った腕/経験/勘が、撃つ直前に結果を伝えてくる。この確信は滅多に感じるものではないが、確信と共に放たれた銃弾は彼を裏切ったことなど一度もない。音に聞く、弓術の達人が射る前に結果を悟るという境地に極めて近いだろう。ブラッドテイカーという怪物を相手取り、当たるという確信は喝采を受けるに相応しい偉業だ。


 マグナム弾の強烈な威力は勿論信頼はしているが、さりとてブラッドテイカーの吸血鬼さえも超える強靭な肉体――とりわけ頭蓋骨においては貫通力が足りずに、弾道がその丸みで逸れる可能性もある。故に、心臓――それも多少狙いを外したところで壊滅的な損傷を与えうる胸部に狙いを定めるのは当然の選択だった。一撃で滅べば良し、至らなくとも動きをある程度留める効果は期待できる。頭蓋を狙うのであれば確実に動きを留めてからだ。


 大口径マグナム拳銃を構え、破壊の呪詛を受けた弾丸が宙を奔るまでの僅かないとま、そう目論んでいた男だったが現実は無情だった。

 レイジングブルは雷鳴と聴き紛う獰悪どうあくいななきも猛々しく、銃口に小爆発の紅蓮を咲かせて、破壊の弾丸が夜闇を穿孔/しかし、怒号を道連れに超音速で宙を奔った弾丸は自らの速度と威力で果てた。


「ッ?」


 吸血鬼の動態視力であっても奔る銃弾の速度には追いつけぬ。男が目を剥いたのは、銃弾が身を砕かれる悲鳴と、天空から眼前に振り下ろされた壁に、だった。凹凸のある黒い壁の一部に円形の跡が、陽炎の頼りなさで周囲を滲ませている。


 同時に、男の脳が眼前に呈示された現実を秩序立てて構築し、刹那に起こった事象を悟った。予想もしていない上方向から突然、両者の間に壁が差し込まれ/火薬の爆発と大気の抵抗摩擦で加熱された弾丸が壁に激突し/着弾点の周りの大気が熱によって歪んで見えた。


 そして、壁の正体こそ――。


「ゼクスヴァンッ!」


 夜闇の鴉の無機質な宝玉眼が、男を上から見下ろしていた。

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