HUMAN CLAD MONSTER 5

「にわかには信じられん話ですねェ。真木永まきなさん、アナタ、漫画家にでもなったら如何です? ……と、本来なら言わなきゃならんとこですが、どうにも嘘を言っている様子でもなさそうですねェ。どうしたものか」


 ジンの話す世界の真相に対して刑事が感想を述べる。困惑の色が濃いが、三文小説のネタに等しい事実を現実のものと咀嚼そしゃくして、むしろ完全否定されて然るべきの話を真面目に受け止めようとしている刑事はかなり好意的といっていい。


 ――そういえば、〝漫画の神様〟は隣のT市で産まれたんだったな。


 益体もない考えがジンの頭をよぎった瞬間、果たしてその隣の市街へ行く手段があるのか、という疑問が浮上した。


「刑事さん」

柏田かしわだです。カッシィとでも呼んで下さい」


 冗談とは思えぬ口調で諧謔かいぎゃくを口にする刑事だったが、今のジンに付き合う心の余裕はなかった。


「……柏田さん、奇妙な質問をしてもいいですか?」

「つれないですねェ。――なんです?」

「T市に行ったことあります?」


 柏田と名乗った刑事は前置きされていたとはいえ、奇っ怪な質問に笑いも忘れてあんぐりと口を開いた。


「は? 真木永まきなさん、何を言っとるんですか?」

「T市に行ったことがありますか? ……と聞きました」

「無いわきゃ無いでしょ? ここが離島なわけがあるまいし」

「いつ行きましたか?」

「そんなの――最近は馬券も場外で、とんと競馬場とはご無沙汰ですしねェ……。忘れましたねェ」

「忘れたのではなく、行っていないのでは?」

「? いやいや、アナタが嘘を言っていないとは思いますが、それを信じるか否かはアタシ次第ですよ? 真木永まきなさんが誇大妄想狂メガロマニアかもしれません、し……」


 苦笑いした柏田だったが、ジンの鬼気迫る真剣な眼差しに言葉が尻窄みになった。


「……では、俺が誇大妄想狂メガロマニアかどうか、試しに市外へ行ってみませんか?」




「電車がないぃ?」


 歩廊コンコースに響く胴間声は、柏田が放ったものだ。彼は腕時計の文字盤のガラスを指で叩いて、駅員に詰め寄っていく。


「いいですかねェ? 今、何時ですか? 十時ですよ? まだ終電には早過ぎると思いませんかねェ? 違いますか、もしもしどうぞ?」


 刑事とは思えぬ――いや、ジンとて刑事の基準スタンダードを知っているわけではないが一般論として――言動でまくし立てる柏田は、取り締まる側よりも場末のバーで管を巻いている中年男の方がしっくりくる。


「いえ、そう申されましても、本日のそちら方面の電車は終了しておりまして……。S駅まででしたら、まだ便が残っているのですが――」


 正直、色々と因縁浅からぬ場所ともあり、ジンとしては勘弁願いたかったのだが、今彼らは北口駅にいた。気のせいと失笑されてもおかしくないが、行き交う乗客の瞳に、物言わぬ防犯カメラのレンズに、監視されているようで落ち着かない。


 北口駅を東西に走るメインラインの隣駅であるS駅――同じN市内だ――までは列車があるという話だが、これは如何にもおかしい。特急列車が止まる駅ではあるS駅だが、たかが隣駅。中間ステーションである北口駅を出るのであれば、終着まで電車を走らせた方が色々と便利がよく、少なくても記憶によれば北口駅を通過した電車は終着駅まで走っていた覚えがある。


 これが、今現在の自分の記憶でないとすると、過去の自分が生きていた頃にはそうであったヽヽヽヽヽヽということになる。


 更に他の路線に至っては、本日の運行が終了しているという。いくらなんでも不自然過ぎる。


 そう、何よりも不自然に過ぎるのは、この異常事態を誰もが従容と受け入れている事実だ。『気付き』が無ければ、不自然さを自然のものとする――。これは、植え付けられた記憶に依るものなのだろうか。


 ――やはり、電車ではN市市外には行けないのか。となると、確実なのは地に足を着けた……。


 やかっている刑事の声をバックグラウンドボイスに、ジンは黙考していたが、やがて声が止んだため顔を上げると柏田が側に寄ってきていた。


「ダメですわ。電車は出ないそうです。となると、クルマか徒歩かちになりますかねェ。老体には辛い話ですわ」


 偶然にも、ジンと同じ結論に達した柏田は不承不承ふしょうぶしょうに吐き捨てた。




 北口駅から出た彼らは、そのまま待機場で暇を弄んでいたタクシーに乗り込んだ。未成年、それも逃亡している身とあって金銭の乏しい――というよりも無いジンだったが、そこは大人の男ということで柏田が支払うことになった。とはいえ、かなり不満だったようで、柏田は口の中で不機嫌さを咀嚼そしゃくしていたが。


 半分寝ていた運転手に近い隣市の駅名を告げる柏田の声を聴きながら、ジンは夜のN市を窓越しに眺めた。学生であるジンがタクシーを使うことなど、そう滅多にある話ではない。タクシーの白い座席シーツも、料金メーターもあまり見慣れているとは言えず、少々テンションが上がっていた。もっとも、それを顔はともかく、態度に出さない程度の慎ましさはあったが。


 タクシーが走りだし、走馬灯のように流れる夜景。だが、一〇分ほどした頃、動きが止まった。N市を南北に縦断する通りの一つを北上していたタクシーだったが、前方を埋める車輌の群れに流れを堰き止められてしまったのだ。


「おいおい、渋滞ですか?」

「そのようですね。ここ、結構混むんですよ」


 うんざりした柏田に応える運転手の声は、どこか予定調和的な響きがあった。


「ここ、競馬場の前を通る道ですよねェ。おウマちゃんのかけっこがある日はともかく、普段はそう混むような道じゃないでしょ?」

「う~ん。いつからかは覚えてないですけど、何故か混むようになったんですよ。今ではずっと混んでるイメージありますわ」


 後部座席からジンは前から聞こえるおっさん二人の会話に耳をそばだて、渋滞の先を見据えた。どこまでも続くと思われる、ダムに押し留めらた川を彷彿させる鉛色の街路は停滞したままで、動こうという気配が全く見えない。


「……運転手さん、この辺が混むようになってから、T市に行ったことありますか?」

「え? う~ん。なんだかんだで行ってなかった気がしますね~。この渋滞でしょ? 結局、歩いて行くって言われて引き返す事が多かったかな~」

「そうですか……」


 間違いない。この渋滞も、運行が市内で完結している列車同様、N市からヒトを流出させぬバリケードだ。意図こそ計り知れないが、絶対零時の住民たちは世界をN市で固定させている。完全に滞ったクルマの流れはどれだけ待とうとも、再び動き出すことはなかろう。


「ここで降ろしてもらっていいですかい?」


 柏田もこのまま待てどもクルマの流れが停滞したままであろうと考えたらしい。ジンとしても、反対の意があるわけもなく、二人はタクシーを降りた。


 タクシーがUターンを切って立ち去る姿を見送って、ジンがかねてからの疑問を切り出した。


「柏田さん、おかしいと思いませんか? N市を出ようとすると、逃がさないとばかりに妨害があるっていうのは」

「……流石に、ここまでお膳立てされちゃあ認めないわけにはいかないでしょうねェ」


 いつの間にか煙草に火を入れていた柏田は、苛立ち紛れに頭をガシガシかきむしり、紫煙を吐き出す。


「あとは、徒歩かちしかないでしょうねェ。自分、あまり歩きたくないんですがねェ」

「……言っても、もうあと少しですよ」

「おいおい、ちょっと待って下さい」


 ジンが一人歩道を歩き始めると、柏田は諦観の念のこもった歩みで追いかけてきた。ジンよりは早いものの、それでも即座には追いつけぬ程度の歩みに不承不承ふしょうぶしょうとした色が垣間見えるのは錯覚ではなかろう。


「置いていきますよ?」

「はいはい。行きます行きますよ、ってねェ」


 彼らはついぞ気づくことはなかった。T市方面へ歩を進め始めた彼らの背中を見つめる、白い日傘を差した少女を。

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