HUMAN CLAD MONSTER 3

「ひどい顔だ」


 ショウウィンドウに反射した、年老いたような己の顔にジンは思わずごちる。


 顔の左半分を縦断する亀裂があった気がしたが、もう一度見直すとそれは存在していなかった。ショウウィンドウ内部と夜街の映り込みが重なってそう見えただけの錯覚だと断じる。


 実際、亀裂は確かに存在し、太陽光の毒に減衰していた吸血鬼の再生力が遅まきながら効力を発揮したのだが、彼はそれに気付かなかった。


 おこりに似た衝動も峠を越え、今は疲れ果てた身体を引きずって、ヒトの群れからはぐれようとしていた。いつ、また耐え難い飢餓感に襲われるやもしれぬ。次も耐え切れるという確証はない以上、ヒトから遠ざかるのは当然の結論だった。


 山手へ向かうほどにヒトの姿が減っていくが、家宅がある以上、皆無とはならない。ジンは、いっそ山にでもこもろうかと真剣に考えていた。

 忘れかけていたが、彼はブラッドテイカー事件の容疑者として指名手配されている身なのだ。となれば、二重の意味でも、人目を避けるという選択は最良だろう。


 空に更にくらかげを落とす、甲山。かつてふもとにあった明神大社――現在、彼の通う高等学校のほど近くに移設されている――の神奈備山であったと考えられている、鐘状火山トロイデ形状をした山だ。


 山の中であればヒトと接することもなかろうし、獣の類が出てこようとも今のジンには容易に処理できるだろう。自分の身体に秘められた怪物の膂力りょりょくの程を、彼は正しく理解していた。


 ジンは闇にすっぽりと包まれた山へと一路歩き出――そうとして、違和感の警鐘に足を止めた。


「……あんなの、あったか?」


 いくら他人――少なくとも、現在の自分とは連続していない存在――の記憶だとはいえ、地形や地理的な情報は現在まで違えたことはなかった。もし、そうでなかったとすれば、いくら大雑把なジンとて齟齬そごに気付き、記憶を疑っていたやもしれぬのだ。


 そもそも、ジン以外も過去に存在していた人物の記憶が使われているのだとしたら、誰かが気づくはずである。にも関わらず、誰もが自我を疑わないともなれば、ジン同様に街並みの記憶と正しくそのままに実存しているということになる。


 ジンが足を止めた理由がそれだ。つまり、記憶に無い建造物を見つけたのだ。

 山麓さんろくの到底高層建築物など建てられるとは思えぬ土地に、それは天を貫いていた。現代建築の匠が手がけているのであろうか、直線の中に少々の曲面が施された特徴的な建造物は、楼閣ビル特有の硝子ガラス張りを内側からの灯火で主張していた。


 緑なす山の情緒を台無しにする光景であることは間違いあるまい。北口駅や国鉄駅や球場周辺ならばともかく、山を望む土地に建つにしてはあまりに近代的、無機質に過ぎる。その、他の白色照明とは違って赤い輝きを放っている、天守に二つ灯った燈光がこちらを見ている――気がした。



 そして、ジンは甲山の風光を乱す、高層建築物の足元に辿り着いた。銀色透明の肌を夜闇で纏うも、隠し切れない硝子ガラスを透過する白色燈光の体温が辺りを照らす。


 夜景の街灯の絨毯じゅうたん睥睨へいげいする高層建築物は、ちょうどこの都市の総てを見渡せる位置にあった。喩えるならば、城と城下町の関係か、玉座に坐する王とかしずく家令の関係か。まさに王たるに相応しい威風によって、高層建築物はN市を支配者の視点で見つめていた。


「こんなところなかった、よな?」


 いくら頭の中を浚っても、このような建物はついぞ見覚えがない。甲山に迫ろうかといった高さは――二〇〇メートルを超えているだろうか。地方都市であるN市で、このような超が付く高層建築物は無かったはずだ。


 呆然と見上げるジンだったが、かつての自分よりも鋭敏化された感覚が迫り来る〝ナニカ〟の気配を察知した。それは、色境しききょうではなく、声境しょうきょうでもなく、香境こうきょうでさえもなく、更には味境みきょうも違い、触境しょくきょうが最も近い異感覚だった。いうならば、吸血鬼の第六感か。


 気配の位置は広場正面、昇り階段の上に位置する楼閣の玄関。仰げば、硝子張りの玄関から放たれる煌々とした白色照明を後光にし、ヒトの形をしたかげがあった。圧倒的な重圧を伴った存在感と優雅なシルエットが感じられる。


「昨日ぶりだね、真木永人まきなジンくん」


 物腰の柔らかな声景色は男のものだ。声色とは正反対に、そこに支配者の威厳と強者の圧力がはらんでいたのは、彼の意識してのものではないだろう。察するに、彼の存在そのものが声や姿形や大気に、頂点に立つ存在の気配そのものがにじみ出ているのだろう。


 やおら、階段を降りてくるに従い、姿が鮮明さを顕していく。癖のある黒髪が一房、悩ましげな色気を添えて額へと流れている。紅の刺繍が施された瀟洒しょうしゃな裏地も見事な黒いマントが、彼の典雅さに一層の華を添えている。


「柩の……王」

「覚えていてくれて光栄だよ」


 朗らかな笑みはとても、ヒトを血を貪り喰う怪物のものとは思えぬのだが、舌なめずりするように唇を舐める仕草の甘くも危険なぞくりと冷気を伴ったかおりは、確かにヒトという存在にない。


「我が城まで出向いてくれて、恐悦至極。さて、今日はどんな用事かな?」


 妖気漂う瞳が燃えて不気味な光を放ち、上がった口の端から覗く糸切り歯が光をぬめりを含ませて反射する。彼の声に冷たい響きが混じったのは気のせいではなかろう。


「ひょっとして……僕と戦うつもりかい?」

「!」


 動物的勘がジンの身体を突き動かし、彼は一目散に背を向けて遁走した。


「おやおや、振られたかな?」


 『柩の王』は、次第に小さくなるジンの背中を眺めて、一人ごちた。


「まだ、時機ではないしね。待っているよ?」


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