LESS THAN HUMAN 5

 三度のゼクスヴァンとの同化。


 ジンは、ゼクスヴァンの電脳から、ジンの感情の昂ぶりにゼクスヴァンが呼応し、馳せ参じた事実を知った。ジンがゼクスヴァンの召喚法を知らぬ以上、ゼクスヴァンは自ら必要とされたと判断した場合に、姿を顕すものと思っていたのだが、その考えは正しかったようだ。


 ゼクスヴァンの宝玉眼がキュラバトリントスを捉える。焦点を合わせると、現状知りうる限りの情報が情報伝達酵素を伝ってゼクスヴァンから流れ込んでくる――のだが、ゼクスヴァンの電脳に入力されている情報とは差異があった。


 ゼクスヴァンの電脳に蓄えられた記録では、甲冑を纏ったごく平凡な人体形状を模したものでしかなかったキュラバトリントスだが、実際に目の当たりにすると両脚部が存在せず、股関節に名残りを残すのみである。

 腰部から臀部にかけてが肥大化し、背中に背負っていたはずの火器も軒並み省かれ、また甲冑そのものもかなりデザインが異なっていた。


 脚の無いキュラバトリントスは、ローブを纏った魔術師然とした装甲を付けており、顔部も高い鷲鼻と落ち窪んだ眼窩を思わせるパーツ構成をしている。ひょろ長い腕部は枯れ木の頼りなさがあるものの、そこに秘められた瘴気のほどは、先の二機に勝るとも劣らない。


 更に、鋼の魔術師は全身にもやを漂わせていた。キュラバトリントスにじゃれつき、付かず離れずの距離を泳いでいる、鈍色に近い色合いの靄は海礁に踊る魚群にも見える。


「ジャアッ!」


 気炎を吐いて、ジン/ゼクスヴァンが腕を伸ばす。キュラバトリントスの三角形のフードを模した頭部を掴み、そのまま上昇。


 硝子柩ガラスひつぎ――未だ信じ難い事実ではあるが、中にヒトがいる以上、此処を戦場にするわけにはいかない。ゼクスヴァンの電脳が空間跳躍のプロセスを伝えてくる。


 ゼクスヴァンが顕れる際に葬られている柩。

 他の吸血機――どうやら、ゼクスヴァンを含めた吸血鬼が乗るロボットをそう呼称するらしい――とは異なり、ゼクスヴァンは機能の殆どを兵装に割かれている。

 特に、計算処理にも機体にもかなりのリソースが必要とされる空間跳躍機構は、制約も多い上に必要とされる空ヽヽヽヽヽヽヽ間に限りがあるヽヽヽヽヽヽヽので、機体そのものからは省略されている。

 ただし、主の危急に馳せ参じる必要はあるので、完全に機能限定させた柩――『宙渡そらわたり』を外付け空間跳躍機構オプションとしている。すなわち――。


 ジンが脳裏で宙渡そらわたりを求めると、直結されたゼクスヴァンの電脳が召喚プロセスを即座に実行/位相空間で待機していた宙渡そらわたりが要求された座標目がけて実空間に没入した。


 宙渡そらわたりをサーフボードに見立てて着地/同時に、ゼクスヴァンが上方――球場に到るY軸座標への跳躍を欲求/外付け空間跳躍オプションが、キュラバトリントスを道連れに空間を超えて飛翔した。


 はたして、前を向けば夜の海とグレートウォール、仰げば夜空、足元には硝子を散りばめたような街の灯が瞳に飛び込んできた。闇にあっても、肉眼でも煌々と光を放つ窓の数を判じられるであろうほどの高度からは、雲のかかる高度よりも生々しい高さを感じさせられる。


 絶対零時といえども、眠るのはヒトとヒトが奏でる音だけだ。むしろ、夜街はヒトの奏でる騒音が無くなった分、人工の光で騒々しさを増していた。


「カァッ!」


 気迫の声と共に宙渡そらわたりを斜めに蹴って、虚空の下にある球場のグラウンド目がけて急降下する。右のマニピュレータに掴んだキュラバトリントスも当然一緒にだ。


 巨体二体分の質量ともなれば、重力加速の手招きもあり、それほどの高度でなくとも周囲に地震を起こすほどの衝撃にはなる。捲き上げられたグラウンドの黒土が蒙蒙もうもうと立ち込める中、キュラバトリントスが纏う鈍色の靄の輝きだけが妙に眼に残る。


「ん?」


 右マニピュレータに違和感/感覚が喪失している/次第に濃度を薄める土煙の中現れたのは、先を分解された右腕の成れの果てだった。装甲どころか、内側の人工筋肉、義血管、絡繰腱、電子神経、内骨格のことごとくを崩壊され、行き場を喪った義血が流れ出していく。


「…………何!?」


 不可解な右腕の一部の喪失だが、ゼクスヴァンの機械的な判断力は、一切の謎に頓着とんちゃくせず、更なる義血の流失を食い止めようと右腕に通じる義血管の閉鎖を行った。


 既に、キュラバトリントスの姿もない。うなじを撫でる冷たい手の感触に、肉体反射で振り向く。


 いた――。後方に浮かぶ、魔術師の如き陰影。鈍色の靄を従え宙に浮遊する姿は、なるほど、摂理に背いたものの底知れぬ汚穢おわいを感じさせる。


 ゼクスヴァンの電脳が、右マニピュレータの再生に要する時間を表示。ほとんどの機能を戦闘に傾けたゼクスヴァンは、当然機体の復元力も他の追随を許さないが、それでも現れたプログレスバーと予測時間は戦闘の終着を迎えても余りあるほどだ。


 ――この調子でやられてしまったら、すぐにやられる。


 先の禍津美マガツビの時と異なり、憎悪に曇ってもいないというのに、戦闘に対して積極的に、また、冷静な判断を下している自分についぞ気付かなかった。


 蠢く鈍色の靄が幾条もの束となって、ゼクスヴァンへと迫る。速度はヴァンダーラルの糸に劣り、禍津美マガツビの衝撃波の不可視性もないが、これには触れられれば朽ちて砕ける必衰ののろいが込められている。


 避けきれなければ、終わる。むしろ、慎重に靄の帯を躱し、ゼクスヴァン/ジンは次の手をこまねいていた。


 右マニピュレータが無ければ、『絶招Joker:変異型火輪式融解クロウ・墓無き亡者への葬歌アッシュ・トゥ・アッシュ ダスト・トゥ・ダスト』のレイザー照射は使えない。そして、『武装形態Mode:串刺公に捧ぐ螺旋銀鍵・剣林地獄ワラキア』は一直線に駆ける必滅武装であり、この状況では壁状に靄で遮られれば、必滅武装同時の性質と威力の勝負となる。


 あくまで純粋な破壊力と銀毒による腐食で押し切る銀杙の突撃と、謎の触れれば分解される靄となれば、畢竟ひっきょうするに銀杙を朽ちられるまでに届かせうるか否かの勝負。一か八か、王水の泉に飛び込むようなものだ。腕部をえぐるが如き分解力に対して、明らかに分の悪い賭けだ。良くて相打ちだろう。


 獲物に喰らいつこうとする蛇の執拗さで、靄はヒト型の夜鴉を追いかける。肝を冷やすほど間近に迫った靄をなんとか躱したゼクスヴァンの後方で、スタンド席が目標を見失った鈍色の陵辱に分解された。


悪食あくじきにも程があるだろう……がよ!」


 暴食する靄は喰らう物質に頓着とんちゃくせずに一切合切を分解し、ジンの言葉通りに悪食あくじきたる程を見せつける。


 いくら、規模としては日本最大級の球場といえども、二〇メートル規模の吸血機が動くには如何にも狭小に過ぎる。被害を恐れてここを戦場としたのが完全に裏目に出、ジンは内心でほぞを噛む。


 キュラバトリントスは泰然と、宙空から急滅ののろいが篭められた魔術をゼクスヴァンにけしかける。精度、速度に劣るのが救いではあるが、次第に靄の制空圏が広がっている事実にジンが気づいた。


 ゼクスヴァンを囲むように靄が拡散され、蟻地獄のていを成してきた球場。鑑みると、致命的ではないにせよ、甲冑のあちらこちらに侵蝕の爪痕が残され、完全な回避が既にままならぬ現実を伝えてきた。今はかする程度、装甲の表面を侵されているに過ぎないが、帰趨きすうするに遠からず全身をくまなく分解されるのは必定だ。


 ――ならば!


 腰翼に展開要求/粒子と共に金属の翼がはためき、ゼクスヴァンから拡散する風が鈍色の風の勢いを押しのける。刷新された球場設備があおりをくって鈍色の侵蝕を受け、哀れにも鉄骨を大気に晒す結果となった。


 脳内に警鐘/大気中に含まれた微量の靄が翼に接触を確認/先端から織物が解かれるようにほつれていく翼/今は支障ないが飛行機能の一時喪失の可能性あり/機体塵級機械ナノマシンから拒否反応の信号/外部より異物混入/隔離と共に解析に移る――。


 翼を無くしては、まさしく蜘蛛の巣にかかった蝶の悲惨さで、この狭いヽヽ球場で縫いとめられ、着々と機体をほどかれていくのは想像に難くない。


 気迫を道連れに、伸ばした翼で大気を掴み、思い切り掻き下ろす。


「ジャッ!」


 途端、黄金粒子を孕んだ豪風を撒き散らしながら、ゼクスヴァンの巨体が万有引力の足枷から解き放たれた。金粉を後に引いて天を登る夜鴉には、霊鳥と呼ばれるにふさわしい威風があった。


 黄金粒子の瞬きを避けながら、脚無しの魔術師もまた宙空を踊る。蠢く靄は風にも負けじと、むしろ魔術師の前方から幾重もの蛇の触手を伸ばし、触れるもの皆ほどいて無に帰さんと猛り狂っていた。


 キュラバトリントスの様子を視認したゼクスヴァンの電脳が、敵機の解析を行う。

 ゼクスヴァンの解析力は、翼を侵蝕された際に採取した異物サンプルを基に、鈍色の靄に見える物体がその実、ゼクスヴァンの機体を構成するものとほぼ同じ塵級機械ナノマシンが蚊柱の如く密集しているもの、と判じていた。


 キュラバトリントスが纏う塵級機械ナノマシンは物質分解能力に特化されており、分解効率を見るに一点集中されては『武装形態Mode:串刺公に捧ぐ螺旋銀鍵・剣林地獄ワラキア』の吶喊とっかん力をもってしても突破の確率は2.58496039847%程度に過ぎない。そして――。


 自らの身体/ゼクスヴァンの機体をくぐるように背後を見やれば、畏怖からくるものなのだろうか、追いかける不定形の靄が死神の鎌に思える。


 先が喪失した右腕を見やるが、復旧にはまだ遠いのは復元完了時間を見るまでもなく明らかだった。『絶招Joker:変異型火輪式融解クロウ・墓無き亡者への葬歌アッシュ・トゥ・アッシュ ダスト・トゥ・ダスト』の使用は諦めるほかない。


 進退きわまれり。飛行速度はゼクスヴァンの翼の腐食を含めて、互角。だが、牛歩に等しいが――手を伸ばす塵級機械ナノマシンの靄が飛行の向かい風に逆らって、距離を詰めてきている。趨勢すうせいは刻一刻とキュラバトリントスへと傾き始めていた。




「キュラバトリントスは追いかけっこが苦手でね。うさぎは油断してくれると助かるんだがね?」


 いつしか、球場の得点板の上――三本の旗ポールの根本に立つ人影が一つ。鈍色の靄の陵辱も、黄金粒子の孕んだ突風も、彼の麗姿を揺らがせられない。


 柩の王。炯々けいけいたる鮮血色の瞳を空に投げ、肉眼では捉えきれぬ二機の軌道を眺める。王は、絶えず空を悲嘆の色に染める轟音を、賛美歌を聴いているが如き所作で受け入れている。


 絶対零時の空に響き渡る落雷に似た轟音の正体こそ、ソニックブーム。禍津美マガツビが発生させた、空間を揺るがす衝撃波とは異なるそれは、二つの巨体に貫かれた音の壁が破瓜はかの悲鳴を上げている証である。


 びとを腹に収めていないはずのキュラバトリントスが、如何なる導きにより夜鴉との空戦を繰り広げているのか。


「白々しい。貴男がその気になれば、いくらでも追いぬく方法はあるでしょう?」


 背後には白い少女がいた。

 緋色のまなこを糾弾の色に染めて柩の王に向けるが、彼は意にも介していないらしく、振り向こうという気配もない。


「いや? 今は、ゼクスヴァン――ジンくんとキュラバトリントスの戦いだ。横から茶々を入れる気にはなれない……よな?」


 同意を求めるように、大空へ向けていた視線を北――甲山方面へ向ける。甲山の麓に、場違いな高さの高層建築物が存在していた。山よりも高く見えるそれは、遠間からでも現代建築家の設計を思わせる複雑な構成がありありと伝わる。


「それよりも、そろそろ君が必要となる頃じゃないのかな?」

「……今、私を使えば貴男をたおせる方法がなくなるわ?」

「違いない」


 敵対の意志を露わにした美琴に対して、背を向けた柩の王の声色はあくまで朗らかであり、そこには嘲弄や嘲りの感情はない。運命を粛々と従容しながらも世を愉しむ、世界をボードに人生をカードゲームに見立てた遊興の徒の姿だった。


「ならば、わかるだろ? 僕を脅かすほどになってもらわないと、こちらとしても困る。有り体に言えば……面白くない」

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