LESS THAN HUMAN 5
三度のゼクスヴァンとの同化。
ジンは、ゼクスヴァンの電脳から、ジンの感情の昂ぶりにゼクスヴァンが呼応し、馳せ参じた事実を知った。ジンがゼクスヴァンの召喚法を知らぬ以上、ゼクスヴァンは自ら必要とされたと判断した場合に、姿を顕すものと思っていたのだが、その考えは正しかったようだ。
ゼクスヴァンの宝玉眼がキュラバトリントスを捉える。焦点を合わせると、現状知りうる限りの情報が情報伝達酵素を伝ってゼクスヴァンから流れ込んでくる――のだが、ゼクスヴァンの電脳に入力されている情報とは差異があった。
ゼクスヴァンの電脳に蓄えられた記録では、甲冑を纏ったごく平凡な人体形状を模したものでしかなかったキュラバトリントスだが、実際に目の当たりにすると両脚部が存在せず、股関節に名残りを残すのみである。
腰部から臀部にかけてが肥大化し、背中に背負っていたはずの火器も軒並み省かれ、また甲冑そのものもかなりデザインが異なっていた。
脚の無いキュラバトリントスは、ローブを纏った魔術師然とした装甲を付けており、顔部も高い鷲鼻と落ち窪んだ眼窩を思わせるパーツ構成をしている。ひょろ長い腕部は枯れ木の頼りなさがあるものの、そこに秘められた瘴気のほどは、先の二機に勝るとも劣らない。
更に、鋼の魔術師は全身に
「ジャアッ!」
気炎を吐いて、ジン/ゼクスヴァンが腕を伸ばす。キュラバトリントスの三角形のフードを模した頭部を掴み、そのまま上昇。
ゼクスヴァンが顕れる際に葬られている柩。
他の吸血機――どうやら、ゼクスヴァンを含めた吸血鬼が乗るロボットをそう呼称するらしい――とは異なり、ゼクスヴァンは機能の殆どを兵装に割かれている。
特に、計算処理にも機体にもかなりのリソースが必要とされる空間跳躍機構は、制約も多い上に
ただし、主の危急に馳せ参じる必要はあるので、完全に機能限定させた柩――『
ジンが脳裏で
はたして、前を向けば夜の海とグレートウォール、仰げば夜空、足元には硝子を散りばめたような街の灯が瞳に飛び込んできた。闇にあっても、肉眼でも煌々と光を放つ窓の数を判じられるであろうほどの高度からは、雲のかかる高度よりも生々しい高さを感じさせられる。
絶対零時といえども、眠るのはヒトとヒトが奏でる音だけだ。むしろ、夜街はヒトの奏でる騒音が無くなった分、人工の光で騒々しさを増していた。
「カァッ!」
気迫の声と共に
巨体二体分の質量ともなれば、重力加速の手招きもあり、それほどの高度でなくとも周囲に地震を起こすほどの衝撃にはなる。捲き上げられたグラウンドの黒土が
「ん?」
右マニピュレータに違和感/感覚が喪失している/次第に濃度を薄める土煙の中現れたのは、先を分解された右腕の成れの果てだった。装甲どころか、内側の人工筋肉、義血管、絡繰腱、電子神経、内骨格の
「…………何!?」
不可解な右腕の一部の喪失だが、ゼクスヴァンの機械的な判断力は、一切の謎に
既に、キュラバトリントスの姿もない。うなじを撫でる冷たい手の感触に、肉体反射で振り向く。
いた――。後方に浮かぶ、魔術師の如き陰影。鈍色の靄を従え宙に浮遊する姿は、なるほど、摂理に背いたものの底知れぬ
ゼクスヴァンの電脳が、右マニピュレータの再生に要する時間を表示。ほとんどの機能を戦闘に傾けたゼクスヴァンは、当然機体の復元力も他の追随を許さないが、それでも現れたプログレスバーと予測時間は戦闘の終着を迎えても余りあるほどだ。
――この調子でやられてしまったら、すぐにやられる。
先の
蠢く鈍色の靄が幾条もの束となって、ゼクスヴァンへと迫る。速度はヴァンダーラルの糸に劣り、
避けきれなければ、終わる。むしろ、慎重に靄の帯を躱し、ゼクスヴァン/ジンは次の手をこまねいていた。
右マニピュレータが無ければ、『
あくまで純粋な破壊力と銀毒による腐食で押し切る銀杙の突撃と、謎の触れれば分解される靄となれば、
獲物に喰らいつこうとする蛇の執拗さで、靄はヒト型の夜鴉を追いかける。肝を冷やすほど間近に迫った靄をなんとか躱したゼクスヴァンの後方で、スタンド席が目標を見失った鈍色の陵辱に分解された。
「
暴食する靄は喰らう物質に
いくら、規模としては日本最大級の球場といえども、二〇メートル規模の吸血機が動くには如何にも狭小に過ぎる。被害を恐れてここを戦場としたのが完全に裏目に出、ジンは内心で
キュラバトリントスは泰然と、宙空から急滅の
ゼクスヴァンを囲むように靄が拡散され、蟻地獄のていを成してきた球場。鑑みると、致命的ではないにせよ、甲冑のあちらこちらに侵蝕の爪痕が残され、完全な回避が既にままならぬ現実を伝えてきた。今はかする程度、装甲の表面を侵されているに過ぎないが、
――ならば!
腰翼に展開要求/粒子と共に金属の翼がはためき、ゼクスヴァンから拡散する風が鈍色の風の勢いを押しのける。刷新された球場設備があおりをくって鈍色の侵蝕を受け、哀れにも鉄骨を大気に晒す結果となった。
脳内に警鐘/大気中に含まれた微量の靄が翼に接触を確認/先端から織物が解かれるようにほつれていく翼/今は支障ないが飛行機能の一時喪失の可能性あり/機体
翼を無くしては、まさしく蜘蛛の巣にかかった蝶の悲惨さで、この
気迫を道連れに、伸ばした翼で大気を掴み、思い切り掻き下ろす。
「ジャッ!」
途端、黄金粒子を孕んだ豪風を撒き散らしながら、ゼクスヴァンの巨体が万有引力の足枷から解き放たれた。金粉を後に引いて天を登る夜鴉には、霊鳥と呼ばれるにふさわしい威風があった。
黄金粒子の瞬きを避けながら、脚無しの魔術師もまた宙空を踊る。蠢く靄は風にも負けじと、むしろ魔術師の前方から幾重もの蛇の触手を伸ばし、触れるもの皆ほどいて無に帰さんと猛り狂っていた。
キュラバトリントスの様子を視認したゼクスヴァンの電脳が、敵機の解析を行う。
ゼクスヴァンの解析力は、翼を侵蝕された際に採取した
キュラバトリントスが纏う
自らの身体/ゼクスヴァンの機体をくぐるように背後を見やれば、畏怖からくるものなのだろうか、追いかける不定形の靄が死神の鎌に思える。
先が喪失した右腕を見やるが、復旧にはまだ遠いのは復元完了時間を見るまでもなく明らかだった。『
進退
「キュラバトリントスは追いかけっこが苦手でね。うさぎは油断してくれると助かるんだがね?」
いつしか、球場の得点板の上――三本の旗ポールの根本に立つ人影が一つ。鈍色の靄の陵辱も、黄金粒子の孕んだ突風も、彼の麗姿を揺らがせられない。
柩の王。
絶対零時の空に響き渡る落雷に似た轟音の正体こそ、ソニックブーム。
「白々しい。貴男がその気になれば、いくらでも追いぬく方法はあるでしょう?」
背後には白い少女がいた。
緋色のまなこを糾弾の色に染めて柩の王に向けるが、彼は意にも介していないらしく、振り向こうという気配もない。
「いや? 今は、ゼクスヴァン――ジンくんとキュラバトリントスの戦いだ。横から茶々を入れる気にはなれない……よな?」
同意を求めるように、大空へ向けていた視線を北――甲山方面へ向ける。甲山の麓に、場違いな高さの高層建築物が存在していた。山よりも高く見えるそれは、遠間からでも現代建築家の設計を思わせる複雑な構成がありありと伝わる。
「それよりも、そろそろ君が必要となる頃じゃないのかな?」
「……今、私を使えば貴男を
「違いない」
敵対の意志を露わにした美琴に対して、背を向けた柩の王の声色はあくまで朗らかであり、そこには嘲弄や嘲りの感情はない。運命を粛々と従容しながらも世を愉しむ、世界をボードに人生をカードゲームに見立てた遊興の徒の姿だった。
「ならば、わかるだろ? 僕を脅かすほどになってもらわないと、こちらとしても困る。有り体に言えば……面白くない」
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