LESS THAN HUMAN 4
「どうしたね? 鉄砲が鳩豆を食らったような顔をして」
見目麗しき柩の王は朗らかな表情でジンに話しかけてくる。殺気も敵意も一切伝わらない。まるで眼前の少年を敵と認識していないような……。
「ラミーア・ア・マキーナ?」
「ラミーア・ア・マキーナ。硝子柩から生まれた
ジンのつぶやきに答えたのは、いつの間にか隣にいた美琴だった。
「ハァ!? 硝子柩から生まれた? んなアホな……」
「まあ、突然そんな事言われてもさっぱりだろうね。謎めいた演出もいいが説明不足が過ぎないかな、
依然変わらぬ爽やかさを保ちつつ、苦笑いを浮かべて諌める柩の王の態度は、彼女と旧知であるのか、どことなく慣れ親しんだ気安い空気があった。
「………………」
無言で応える美琴は多少の自覚は合ったらしく、白貌を桜色に染める。
「よし、一から説明してあげようか」
言いつつ、柩の王は桟橋の手すりにもたれかけるが、そんな一見だらしなさを感じさせる姿すら気品を持っているのは、生まれもった高貴さ故か。
「見給え。並び立つ硝子柩……。ここに葬られた人々は一体なんだと思う?」
「なんだって、そんなの遺体を収めてるだけじゃないのか?」
「意識の無い状態を死んでいると表現するならば正しいわね」
美琴がまたも
「いい加減、回りくどすぎるぞ、
「……………………しょぼ~ん」
業を煮やしたジンが、最初から気になっていた点を突っ込んでしまうと、美琴は変化の乏しい表情を、今までで一番感情豊かに――あからさまにしょんぼりしていた。
「自分で〝しょぼ~ん〟とか言うか? 普通」
「………………………………どよ~ん」
膝を抱えて、俯いた顔からは表情が見えなくなったが、美琴の頭の上が即座に曇って雨が降った――ように見えた。
どうやら、ここまで感情を見せるほどに彼女は厨二病らしかった。
「ははは。結構容赦無いね、ジンくん?」
「……どうも」
「さて、続けよう。硝子柩の〝中身〟だが、彼らは仮死状態ではあるが確実に生きている。素体兼、絶対零時の住民の食料として、眠りについているのだよ。
我々、絶対零時の住民――吸血鬼と言ったほうが早いな――はヒトの血を啜らなければ生命を維持することができない。だけどね、困ったことにヒトは家畜としては使い物にならないほど面倒でね。
社会的生活をしなければ我々が必要とする栄養素――情報伝達酵素――が摂取できない上に、記憶を植えつけただけでは当の社会的生活もままならない。
端的に言えば、〝ナマ〟の記憶と社会が必要だったんだよ」
「ナマ?」
「そう」
柩の王は自らのこめかみを指で軽く叩いて続ける。
「ヒトの人格は記憶に依る。ならば、人工的に作った記憶を、まっさらな頭脳に植えつける。はたして、まっさらな脳に人格は宿るのか――」
「記憶が人格を形取るって言うなら、そうなるんじゃないのか?」
ジンの当然と思われる回答に、柩の王はしたり顔を返す。
「そう思うだろ? だが、違った。ヒトの人格は記憶に依るとはいえ、頭脳は完全な偽りを拒絶し、結果として人格は形成されなかった。
何故か?
二つ、仮説が立てられた。
一つは、人間の頭脳は自分に都合のよい現実――無論、頭脳から見れば、の話だが――では、人格そのものが必要とされない。
個々人によって大小の程度はあれど、困難や不都合、理不尽を回避するために人格が形成されたからだ、というものだ。
つまり、厳しい現実に立ち向かう或いは逃げおおせるために、知識や知恵を効率よく利用するインターフェイスとして頭脳がプログラムしたのが人格であり、インターフェイス構築の必要がなければ頭脳はまっさらなままで人格は生まれない、って話さ。
第二に、我々が作成した記憶のフォーマットが粗雑だったとされるもの。
ヒト個々人が有する記憶は、彼らが生きた歳月が重なれば重なるほどに深淵無辺なものとなっていく。
考えてみればそうだ。実世界は過多と呼ぶのも控えめなほどに、刺激に満ち満ちている。我々が設定した記憶では〝外界〟を構成するには余りにも粗悪に過ぎた……。理屈だな。確かに、納得はできる」
「?? 言っている内容と意味はなんとなく分かるが、何故これを俺に聞かせるのかという理由が分からん」
ジンは横目で美琴をちらりと見てみたが、彼女は未だ意気消沈したまま復帰の兆しはなかった。
「では、まとめてみようか。一つ、我々の食糧としてのヒトは社会生活を営んでいなければ、食糧としての用をなさない。一つ、記憶を植え付けてもヒトの人格は宿ることがない。
つまり、我々はヒトを培養し、操作した記憶を植え付けることで効率よく情報伝達酵素を確保しようとしたが、あえなく失敗した……」
――ってことは、これは……ッ!
「失敗作の廃棄場ってことか!?」
電撃的に脳内に浮かんだ台詞が口をつくも、それは正解ではなかったらしく、柩の王は指を左右に振る。
「違う違う。ちょっと先走りすぎだ。確かに、硝子柩は対象者の脳にアクセス、記憶を入力しヒトの身体を十全に保全して採血する機能をもたせてはいた。が、偽りの記憶を植え付けてストレスレスな家畜育成を試み、失敗した。
さて、しかし、この
軽い冗句を飛ばす柩の王だったが、残念ながら反応した者は皆無だった。ジンは混乱のさなかにあった上、彼以外の約一名は未だに落胆からの旅から戻ってきていなかった。
「……まあ、いい。とにかく、硝子柩の機能自体は変わっていない。むしろ、使い方を変えた。硝子柩に入力させるべき記憶をまず一から見なおした」
ここでつくと、柩の王はうまい言い回しを一息分だけ思案し、言葉を紡いだ。
「クローン技術を知っているかな?」
「? ドリーだったっけ?」
突然の話の方向転換に戸惑いながら、ジンはクローンから連想した単語を口にする。すると、ようやく消沈から帰還した美琴が後を継いだ。
「〝親〟……つまり、元の生物固体と同一の遺伝情報をもつ生物。〝子〟を〝親〟の遺伝子上同一個体とする、神をも恐れぬ命の冒涜ね」
「――神が存在しているのか、なんて哲学的な話は置いておいて、クローン技術が命の冒涜であるという意見には否、と声を上げさせてもらおう。結局は扱う者の心持ち次第だ」
「銃が人を殺すのではない、《Guns don't kill people; 》人が人を殺すのだ《people kill people》……ってこと? 〝
「別に銃社会の是非を問うつもりはないさ。私が言いたいのは、クローン技術を扱うものがこれを命の冒涜と思っていればクローン生物は作られないだろうし、逆なら言うまでもない。君の話はわかりにくいと定評がある上、話が脱線しやすい。ジンくんが退屈そうにしているだろ?」
実際、蚊帳の外のような扱いになっていたジンは、手持ち無沙汰になっていた。ここが常ならぬ場所でなくば、欠伸の一つでもしているか、噛み殺しているかしていただろう。
「……ごめんなさい」
謝罪を一言告げると、美琴は口をつぐんだ。それはもう、両手でしっかりと口唇を隠し、〝お口にチャック〟といった風に。
――おもろい。
表情の乏しさと麗姿から人形然とした印象とは打って変わって、妙な生真面目さから来る美琴の行動は今までの謎めいた姿よりもよほど魅力的に見えた。
「話を続けようか。ドリーを知っているなら、クローンの何たるかはなんとなく察しがついていると思う」
ドリーとは六歳で亡くなった世界初の哺乳類体細胞クローンである羊の名前だ。柩の王は、彼女――ドリーは雌羊だった――の名前が出たことから、改めての説明が不要であると判断したらしい。
「我々が行ったのも、ある種のクローンだ。一から作成した記憶に不備があるのなら、既に人格を形成している記憶を複製したらいい。すなわち、記憶のクローニングだ。あれだよ。『
語るまでもないサイエンスフィクション、古典的サイバーパンクの有名作品を引き合いに出した柩の王の喩えは、胸にすんなりと落ちた。つまりはそういうこと。
「植え付けられているのは〝誰か〟の記憶、ってことか……」
「然り」
ジンが漏らした理解のつぶやきを、柩の王が感心したていで拾う。
「無論、着床させる記憶に見合った肉体を用意しなければならない。記憶元の人間が定義していた、記憶に根ざした〝自分〟の姿を引き出して肉体を構成させる」
自己の定義とは、確固たる〝自分〟というイメージ――自己が自己たる根拠があったればこそ成立する。逆を言えば、〝自分〟のイメージと異なる肉体に記憶を乗せても、自我の崩壊をもたらす。己を好む好まざるはさておき、人間は人生の中で〝自分〟というイメージによって定義づけられ、自我を構築しているのだ。
朝起きると、手の大きさ、指の長さ、体型、毛の量、鏡に写った自分の相貌の
辺りを見回した柩の王は、舞踏場の中心にいるかのような優雅さで両手を広げ、頭上を仰いだ。
「彼らは完成を待つ素体だ。硝子柩は彼らを〝在るべき姿〟へと導いている。そうだろ?
口を挟みたくてうずうずしていたらしく、話を振られた瞬間に目を輝かせると、美琴は両手の縛めを解いて台詞を紡いだ。まるで、散歩に行く直前の犬みたいだ。
「硝子柩はフラスコ。硝子柩は
薄い表情ではあるが、それでもそうと分かるどや顔で『ふす~』と満足気な鼻息が聞こえたが、聞かなかったことにした方が幸せだと判断し、ジンは黙殺した。
「硝子柩ってのがなんなのかは分かった。実はあんまり分かってないけど分かったフリはしておく。ただ、俺をラミ? ラミ……ラミ…………」
「ラミーア・ア・マキーナ」
美琴が脇から言い添える。
「そう、それ。そのラミーアナンチャラスキーとどうつながる?」
手すりに指を滑らせて、柩の王は立ち並ぶ硝子柩群に点在する巨大な顔のレリーフを見つめる。
「ラミーア・ア・マキーナ。機械から吸血鬼という意味だ。すなわち……」
虚空を泳いで、王と呼ばれている吸血鬼の煌々たる瞳がジンに定まった。
「硝子柩から生まれた吸血鬼。つまりはそういうことだ」
喩えば、小説や映画で自分が実は死んでいた、自分という存在が社会から抹消された、擬似記憶を植え付けられていた等々、自己の根拠性を喪失させられる自己同一性の崩壊――アイデンティティ・クライシスという言葉がある。大抵は、その中で主人公は己のルーツについて悩み苦しんでいた。自分が誰なのか、どこへ行くのか、と。
ジンもこのような作品に触れる機会があったが、仮に自分が死んでいようと社会から抹消されようと記憶が偽りであろうとも、自分が自分であれば恐れることは何もないと思っていた。むしろ、自分という存在が確固として在るのだから胸を張って生きればいいのではないか、何故自分が誰かなどと悩む必要があるのか、とさえ感じていた。
だが、此処に来て、そのようなアイデンティティ・クライシスが絵空事ではない存在感で事実に降り注いでくると、ヒトは自分は、ここまで脆くなるものなのかと痛感していた。
「そんなわけが……。だって、俺には親が――」
今となっては、呆然と吐き出した自分の台詞が寄る辺としているものの不確かさが、ジンの頭の中の諦観に満たされた部分に虚しく響く。同時に、諦観は、無慈悲な告解者の声に乗せられた言の葉が、自分の真実を千々に乱すであろうと悟っていた。
はたせるかな、柩の王の声は予期していた残酷な真実の穂先をジンの胸に突き立てた。
「わかっているだろう? 君の両親も硝子柩から生まれたもの。硝子柩の素体は記憶とともに外見を変える機能こそあれ、基本的に本物の人間のものと変わらない。ただ、遺伝情報的には操作されているとはいえ、数パターンのものがあるに過ぎない。彼らの中に遺伝子的な近親性はない。つまり」
ジンの否定したかった予測そのままに、柩の王の声が真相を暴く。
「君たちは記憶の残滓で演じていただけの、他人同士だ」
そして、まだ飽きたらぬというのか、更にジンを侵食する事実を詳らかにしていく。
「ついでに言わせてもらえば、君は誕生してまだ一週間も経っていない。世界は三秒前に作られた――なんて言うが、少なくとも、聖書の神が天地開闢し人間を創り出すよりも短い時間でしか、君は生きていない」
理解ができない。理解をしたくない。耳を閉ざして、家に帰って眠ってしまいたい。きっと朝が来たら悪い夢だと一笑に付せられるはずだから。
「君のご友人――ヒトのご友人と
「此処はまさに匣庭。昏い空に見下された、吸血鬼の楽土よ」
「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な! ありえるか!」
ジンの叫びに呼応し、硝子が割れるように空間が爆ぜ、巨大な漆黒の柩が現れる。中から、漆黒の甲冑を纏ったゼクスヴァンが現れ、桟橋の外側の空間に浮遊した。胸部を桟橋の高さに合わせたゼクスヴァンは、主の激情に共感してか、燃える宝玉眼を柩の王へ向ける。
柩の王は巨躯から放たれる敵意を脅威と見ていないのか、泰然としたままで腕時計に目をやった。彼の左腕に巻かれた腕時計の文字盤の秒を刻む目盛りの一つ一つまで、ゼクスヴァンの宝玉眼は詳らかに映す。
時計の針は逆回転を始めていた。
「ほう、既に絶対零時であったのか」
もう何も聞きたくない。さえずる声を止めてやる。
兇暴な思念に後押しされ、ゼクスヴァンがジンを赤い絡繰仕掛けの血管で胸部へと閉じ込め、首筋に牙状の
「やれやれ、話はまだ途中なんだが、結構せっかちなんだな」
「……あなた」
ゼクスヴァンを見上げる柩の王の表情に畏怖や絶望の色は一切ない。魁偉なるゼクスヴァンの宝玉眼も、眉根をいからせて睨む美琴にも意に介した様子もない。むしろ、幼子のじゃれつきに困りながらも微笑む親のような顔だ。
ふと、柩の王は足元の灰を見つめる。先ほどジンを襲った、絶対零時の継嗣だった灰だ。
「そうだな。ザナドゥを動かしては大惨事になりかねんな。これも一興かな。吸血機キュラバトリントス」
まさに軍令を与える王の風格で、右手を振り下ろせば、たちまち空間をねじ曲げて、鋼の巨体が姿を現した。
王の下知を受けたキュラバトリントスは桟橋を挟んでゼクスヴァンと対峙する。ゼクスヴァン、キュラバトリントス――。二鬼の衝突の時は近い。
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