DEATHPOINT 4
「バっ……」
馬鹿な。と、一笑に付すには、余りに冗談が過ぎた。頭上には力を、血を、魂魄さえも失くしたオガが、だらりと手足を揺らしているのだ。
否定の声すらままならぬジンの様子に嗜虐心をそそられたのか、
楽曲もない、観客もいない、舞台すらない、ただあるがままの踊り。だが、特筆すべきは、ロータリーの路面を氷面上に見立て、滑るような舞そのものだろう。静粛なステップは大気をほとんどかき乱さず、むしろ上半身の激しい動きによる衣擦れの方が、却って夜気をさんざめかせている。
それは、およそヒトの身で真似できるものではないと見えた。夜のロータリーにステップを踏む
「あはは、気持ちはわかるよ~。映画かアニメかラノベの世界だもんね~。でも、ざ~んね~ん、シクシク……。現実だったりしちゃうんです~」
いよいよ舞も最高潮を迎えたと見え、激しく、艶やかに
くるり。そして、ロータリーの中心で一回転すると、
「そして、キミはボクらを狩る、ブラッドテイカー……そうよね~?」
唐突に、第三者に話しかけるかの口調。実際、ジンへと向けられた言葉ではなかったらしく、
静寂に沈んだ夜の底に違和感/ヒトかヒト型の何らかが現れる気配を察し、ジンも
「――そうよ。彼は吸血鬼殺しの吸血鬼。ヒトのための吸血鬼。
声と共に、白い少女が、中心の
くるくると回る純白の傘と、真白いドレスと、屍蝋めいた白い肌膚と、肩を滑る白髪と、血染めの瞳。そんな真白い少女など、ジンの知る限り一人しか思い当たらぬ。
「…………
はたして、白い影の正体はジンの予想を裏切らなかった。
「一体、いつマキナに接触したんだか。キミのせいで、ボクはせっかくとっておいた極上の血を今夜飲むことになったんだけど~?」
「彼のこと?」
「そうよ~? 親しい友人が牙を剥いた驚愕、友人が人間じゃなかった恐怖、友人に喰われる絶望…………全部を味わえる。ある意味、このために家畜と付き合っていたのかもしれないね~」
口の端に僅かに残った芳醇な血の残滓を舐めとり、
「お……お前、本気で言ってんのか?」
――お前は、今まで
今までの、彼らと過ごした日々の記憶が灼熱に燃えていく。腹の底に発生した熱性の
ジンは知った。
本当の憤怒とは、噴火する活火山のような爆発ではない。例えるならば、煮えたぎる溶岩の侵蝕。そこには、我を失うという概念は無い。どこまでも冷徹無慈悲に切り替わった意識が、怒りに満ちた身体を駆動させるのだ。
「おいで~、
途端、上空より総てが止まった世界を攪拌する『何か』が降り立った。突然の大質量の出現という陵辱を受けた空気が、突風となって放射線状に拡散していく。
突然の気圧の奔流に晒されては、余人ならば怯むか身を縮こませるかだろう。だが、既に過去に根ざした怒気に支配されたジンが、そんな至極当然な反応を見せるわけもない。
むしろ、目を見開き、歯も剥き、降臨するものの正体を見極めようと踏みとどまっていた。
狂風に逆らい、頭上を睨み続けた先に見えたのは、
自分を睥睨する、絶望的存在感を携えた巨像を見上げる。美しくも禍々しい、忌みなる美。
絶対的存在感でそびえる巨像の基部には、妖美な女性の裸身像が象られているが、鮮血の深紅に染まり、拘束されていた。しかも、身を捩ったままの姿勢で、巨石に半ばまで埋められている。苦悶の悲鳴と表情すらも許さぬというのか、細いビットギャグを噛ませ、アイマスクで表情を覆い隠され、女性像は生贄の痛ましさをありありと伝えてきている。
反面、女性像の背中から生える巨大な翅は、むしろ泰然とした支配者の羽撃きで夜気を従えている。真っ黒な前翅は闇夜を映したものならば、後翅の亜外縁から外縁に渡る毒々しい後翅の赤い色は、今まで喰らった獲物の血か。幽玄な羽撃きに乗って、蝶の鱗粉を思わせる真っ赤な粒子が絶対零時の
「さあ、遊ぼうよ。マキナ?」
「来なさい、ゼクスヴァン」
美琴が繊手を夜空へ掲げ、その名を呼ぶ。少女の囁きを呼び水に、濃淡も色艶も無い、黒く巨大な柩が宙空に発現し、蓋が開かれる。はたせるかな、柩には
柩が頭を下げるように傾き、鴉めいた機械仕掛けの巨人は重力の手引きに従って、滑り落ちる。
魔宵の底に、今、再びゼクスヴァンが降り立つ。
衝撃を道連れに、立膝で着地したゼクスヴァンの鋭い
ゼクスヴァンの降臨に少し遅れて、
ゼクスヴァンの右掌が差し出される。乗れ、という意味であるのは明白だ。
そして、今のジンには希求こそすれ、拒む理由も恐れすらない。友人と思っていた吸血鬼、お前を消してやる。
差し出された右掌へ乗ると、
頸動脈に異物感。牙歯を模した
正面の
そんな笑んでいるというのに鬼気迫る形相を最後に、
だが、苛烈な怒りに後押しされた今のジン/ゼクスヴァンが、これをただ悠長に見つめているわけがない。
明確な隙と見定めるや否や、ゼクスヴァンが風を纏い、
「うわぉ!」
突然の強襲に、だが剽げた態度を崩さぬ余裕すら見せて、
しかし、この場にただ戦慄して瞠目するなどという尋常な反応を寄越すものはいない。
「へぇ~、早い早い~」
立て続けに、ゼクスヴァンは鋭い連環撃を繰り出す。依然として先と同様に、ゼクスヴァンの四肢は空を引き裂くも、後方へズレ続けていく
だが、そんな自明の理もゼクスヴァン/ジンには届かない。後方へ逃れ続けるのならば、なおの事、臨界点まで回転数を上げて攻め立てる。
怪異なる現象を引き起こした
ヒトの眼と処理速度を遥かに超えたゼクスヴァンの宝玉眼と電脳は、
いや、障壁ではない。むしろ、障壁とは真逆の性質をもつ、これは空間と空間を繋ぐ門だ。淡い光を放つ、四角く切り取られた空間が障壁に見えているだけに過ぎない。
「でも、届かないよ~? 残念残念」
挑発も明らかな、
「ほらほら? ほらほらほらほら~? まだ届かないよ~?」
冷ややかな意識は、ともすれば忘我の域に近しい。沸騰する身体とは裏腹に熱を喪った意識は、余計な――怒りの本懐を遂げようとするには不必要な――意志や反応が介在する余地は滅却され、ただ情動の欲するまま純粋に身体を駆り立てる。そこにあるのは、霜降る意識に電算機の精確さと速度、そして激情に底上げされた肉体的頑強さだ。
肉体的頑強さ――。ジンの怒気によるドーピング作用は、同化したゼクスヴァンの性能も向上させていた。
餓狼の執念で喰らいつかんとするゼクスヴァンの流れる動向は、いつしか纏わりつく風を引き千切り砕いた結果、
「……? ……っ!」
いつしか、
どうやら、空間をズレる距離はそれほど遠間には及ばないらしい。初手で
力押しと言えば力押し、完全にゼクスヴァンの性能に頼った戦法ではあったが、思いの
更に、此処に来て、ゼクスヴァンは最後の一歩分を埋めるべく、腰の長刀の柄――それも柄尻に手をかけた。柄尻を握ったとあれば、刃圏は最大限に拡張され、ゼクスヴァン一歩分を補ってなお余る制空圏を確保できる。
踏み出した脚が路面を砕き、甲冑の凹凸に絡んだ空気がさざめいた。しかし、振るった剣閃は無音だった。余りにも鋭く削ぎ澄まされた刃が、風が鳴く間も与えずに通り過ぎた結果だった。
輝跡の一部は
ちょうど裸身の脇腹と彼女を埋め込んだ巨石の一部に、元からそう加工されていたかのように綺麗な溝が掘られた。
「ぐっ、よくも!」
いよいよもって余裕をなくしたと見え、
「連続転移は血をかなり浪費するから使いたくなかったんだけど、ボクも生命は惜しいのよね~」
粒子の鱗粉を撒きながら、暗夜の空に鎮座した吸血蝶
今や、怨嗟の声すら無く、ゼクスヴァンそのものとなったジンは己/ゼクスヴァンの機能を検索していた。
――
広げた
自らの肉体を動かすが如きゼクスヴァンの操縦性であっても、本来ヒトの身には備わっていない、翼という飛行用器官は
備わっていない可動部位、与えられておらぬ関節、あり得からざる筋肉――より純化してゼクスヴァンとなったジンは、それら総てを支配する感触を理解した。
たとえるならば、腰の周りを覆う腕を広げる――そんな
はたして、ゼクスヴァンは闇夜になお昏い漆黒の翼を広げた。金の粒子を孕んだ突風が吹きすさび、ゼクスヴァン/ジンの脚が路面を離れる。
一度浮かべば、ジンは即座に飛行の感覚を正しく理解できた。
「ジャッ!」
上空に位置する吸血蝶を見据えると、ゼクスヴァンは風を道連れに闇夜へ羽撃いた。
舞台を空へと映した迅風渦巻く血闘は未だ終わらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます