古将棋セット【プリンと玉露】

「名札はありませんか?」


「名前呼ぶ必要ある?」

「ボードゲーム系のイベントやカフェではお客さんも普通にしますよ。いちいち名前を聞くのも面倒ですし」

「なるほど」

 ゲームカフェが他の喫茶店と違うところは、テーブルを移動することだ。

 客はやりたいゲームをやっているテーブルへ移動する。

 しかも人数が多くなると交代制だ。

 プレイのたびにメンバーが変わる。


 常連ならまだしも、新規の客だと名前がわからないのは不便だろう。


「カタカナがオススメです」

「なんで?」

「百聞は一見にしかず」


大城

桃園

鹿谷


「……子供は読めないわね。三国志の『桃園(とうえん)の誓い』のせいで、よく間違えられるし」

「鹿谷(シシヤ)もシカヤと間違えられますね」

「カタカナが無難だな」


オーシロ

モモゾノ

シシヤ


 売れないミュージシャンのような雰囲気が漂っている。

 ただこれで名前を間違えられることはないだろう。

 名札をエプロンにつけ、客の分も用意しておく。

 使う機会はあまりなさそうだが。


「じゃあ、今日はこの駒で遊ぼう」


 玉頭に『酔象』という駒を置く。

 古将棋の中では比較的知名度の高い駒だろう。


●●●

●酔●

● ●


酔象の移動範囲



「すいぞう?」

「小将棋ですね」

「いえ、持ち駒制度ありなんで『朝倉将棋』です」


「朝倉義景ですか?」


「ある意味正解です。信長に焼かれた一乗谷朝倉氏遺跡から古い酔象の駒が発掘されました。だから『持ち駒制度ありで指す小将棋』を朝倉将棋と呼ぶそうです」

「へー」

 伝説によると後奈良天皇が小将棋から酔象の駒を除いて、持ち駒制度ありの将棋を指すようになったらしい。

「これ強いの?」

「違う意味でな」

 酔象の駒をひっくり返す。


「酔象は『太子』に成る。太子つまり王位継承者だな。太子がいれば玉を取られても負けにならない。太子が王位を継ぐからだ」


「太子と酔った象の繋がりがわからないんだけど」

「太子はシッダールタ。つまりブッダですね」

「あー、ブッダって王子だったんだっけ。でもなんで象?」

「従兄弟のデーヴァダッタが象に酒を飲ませてブッダを殺そうとしたんだよ。でもブッダが座禅を組んでお経を唱えると、象はおとなしくなったらしい」

「仏教説話が由来なのね。ネズミー映画しか思い浮かばなかったわ」

「おいやめろ」

 ネズミー映画『耳の長い象』で、主人公の象が酔っぱらうシーンがあるのだ。


 酔っぱらったというより、麻薬を決めたようなサイケデリックなシーンが5分ぐらい続く。


 子供が見たら高確率でトラウマになること請け合いだ。

「ようするに残機(ざんき)ってことね。1回死ねるんなら気楽なもんよ!」

「お、やる気か」

「もちろん」

「オーダーは?」

「プリン」

「あいよ。とっておきのを出してやろう」

「とっておき?」

「後でわかる。まずはお茶だ。玉露(ぎょくろ)を淹れよう」


 玉露は直射日光を遮って栽培された煎茶で、渋味が少なく旨味成分が多い。


 小さめの器に玉露を注ぐ。

「これは『ぐい呑み』ですよね? お酒を飲む時に使う」

「はい。唐津焼の『皮鯨』です」

 器にかけられた釉薬がまるで鯨のような色合いをしていることからそう名付けられたという。

「なんでこんな小さいの使うのよ」

「舌先にぽたりと一滴一滴垂らして、旨味と匂いを味わう。それが玉露だ。これぐらいの大きさが丁度いいんだよ」

「へー」

 夏目漱石の『草枕』いわく、



『濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味わって見るのは閑人適意(かんぜんてきい)の韻事(いんじ)である』



『普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉(のど)へ下るべき液はほとんどない。ただ馥郁(ふくいく)たる匂いが食道から胃のなかへ沁み渡るのみである。歯を用いるは卑しい。水はあまりに軽い。玉露に至っては濃まやかなる事、淡水の境を脱して、顎を疲らすほどの硬さを知らず。結構な飲料である』



「あ、甘い」

「でもこのぬるさがちょっと気になります」

「茶は温度が高いほど渋味が出て、ぬるいほど旨味が出るんですよ」

「そうなんですか」

「それでとっておきのプリンってなに?」

「これだ」


 ドンッ!


「ば、バケツプリン!?」

「これなら3人で分けられるだろ」

「どうして先に玉露を飲んだんですか?」

「先にプリンを食べてしまうと、玉露の甘味と喧嘩してしまいますから」

 玉露の二番煎じ(同じ茶葉で二杯目の茶を淹れること)を淹れる。


「プリン、直接食べていい?」


「……最初の一杯だけにしろよ」

「うん」

 瑞穂がバケツプリンのど真ん中にスプーンを入れた。

 誰もが一度はやってみたいことだろう。

「んー、口どけなめらか」

「カラメルと生クリームもあるぞ」


 量が量だから、最初はプリンそのものの味を楽しみつつ、飽きが来ないようにカラメルと生クリームで味を変えるのだ。


「お茶も美味しいですね」

 玉露の旨味は一煎目でほとんど出てしまったが、それはプリンが補ってくれる。

 そして玉露は香りでプリンを引き立てるのだ。

 玉露の香りは『覆い香』と呼ばれる独特な香り。

 どんなお茶でも二番煎じは一煎目よりも高い温度で淹れるのが基本であり、温度が高くなれば香りも高くなる。

 ぬるめだった温度も適温に近くなり、最高の食べ合わせだ。

「さあ、賭け将棋だ」

「今回は高額の玉露とバケツプリンですから負けると痛いですね」

「屋台骨が揺らいでるんで貢献してください」

「……あんた、私たちからお金巻き上げるために高いの出したでしょ?」

「知らぬ存ぜぬわかりませぬ」


「白々しいのよ!」


 瑞穂が歩を突いて獅子を前線へ送り出した。

 俺もそれに応じる。

「相打ちでいいから獅子を殺す。中将棋の基本戦術ですね」

「相打ち狙い? 面白くないわね」


「それだけ強力な駒なんだよ。だから中将棋の特殊ルールを適用する。例えば『獅子の足』。足はヒモのことで。足のある獅子は獅子で取れない」


「他の駒では?」

「取れる。今回は持ち駒制度ありだから相打ちでも問題ないな」

「そうね」

 まずは俺が獅子を取り、そして瑞穂が俺の獅子を取ろうとするのだが、


「ちなみに『先獅子』っていうルールがあってな。獅子を取られた後、すぐに相手の獅子を取り返すことはできない」


「はあ!? じゃあ獅子交換できないじゃない」

「獅子で獅子を取った場合は別だ」

「獅子には足ついてるから! 最初から交換する気なかったのね!」

「奇襲に引っかかるのがルールを覚える一番手っ取り早い方法なんだよ」

「念のため他のルールも確認させてもらうわよ」

「ちっ、一度しか説明しないからよく聞けよ」

 こほんと一息入れ、一息に説明する。


「獅子に足があっても、獅子と獅子の間に他の駒があれば、その駒と一緒に獅子を取ることができる。これが『付け食い』。でも『付け食いをした獅子は先獅子にならない』から、相手は獅子を取り返すことができる。ただ歩や『仲人(ちゅうにん)』という駒は獅子と食べ合わせが悪いから、つけ食いには使えない。つまり二回行動の最初の一手で歩か仲人を取ってしまうと、二手目で獅子を取れなくなる」


「え? え?」

 理解が追い付かなくて瑞穂がわたわたする。

 改めて説明されるとややこしい。

 自分でもよくわからなくなる。

 いずれにしろ、混乱している今がチャンスだ。


「じゃあ酔象もらうぞ」


 獅子を捨てて酔象を取りにいく。

「いいの? 獅子が2匹もいると簡単に詰んじゃうわよ?」

「だからこうする」

 敵陣に酔象を垂らす。

 『垂らす』とは次の一手で成れる位置に持ち駒を打つことだ。

「次の一手で太子に成るんで玉は必要ない」

「じゃ遠慮なく」

 瑞穂が俺から奪った獅子を打ち、俺の玉を取る。

 ただ玉を取るのを焦ったのか、獅子を捨ててしまった形だ。


「これで私の勝ち!」


 瑞穂が俺から奪った玉を打つ。

「お互いに獅子は1枚だけど、私の玉は2枚!」

「奪った玉を打っても、太子のように自玉の跡は継げんぞ。ただの全方位に動ける駒だ」

「え、なんで?」


「太子には玉の跡を継ぐ能力が設定されてるが、玉にそんな能力はない。朝倉将棋でも玉と酔象は持ち駒に出来ないしな」


「へ、屁理屈だわ!」

「そうとも言えません」

「先生!?」


「お互いに玉と酔象を奪い合って、盤上に打ち続けると終わりませんから。酔象の能力はあくまで持ち駒制度のない古将棋だから成立するものですよ? だから順当にルールを整備するなら『太子は玉の跡を継げる』けれど『玉になった太子の跡は継げない』になるはず。玉も同じです。玉は玉や太子の跡を継げません」


「うう……」

 まさか先生から援護射撃があるとは。

「じゃあ盤上に2枚の玉がいると紛らわしいんでこうしよう」

 玉を裏返す。

 裏地には何も文字が書かれていない。


「金と玉は成れない駒だから裏に文字が書かれてない。だから駒師は金と玉の駒にいい木地を使ってるらしいぞ。いい機会だから木目を楽しめ」


「楽しめないわよ!」

 瑞穂が頬を膨らませつつ獅子を動かした。

 2枚玉は諦めたようだ。

 瑞穂にこちらの酔象を取られると難しくなる。

 早々に獅子を打って詰ませにいく。

「投了するか?」

「その言葉、そっくりあんたにお返しするわ」

「なに?」

 瑞穂が俺の太子の前に歩を打つ。

「玉が玉の跡を継げないのなら。この手も成立するはずよ!」

「打ち歩詰めだぞ?」

 持ち駒の歩を打って玉を詰ませるのは反則だ。


桂 王

・ ・

金 ・


 玉の前に歩を打てば詰むが、それは打ち歩詰めの反則


盤上にいる歩を進めて玉を詰ます突き歩詰めは問題ない。


桂 王

・ ・

金 歩←ここから歩を玉の前に進めて詰ませるのはOK


「打ち歩詰めで禁止されているのは『歩を打って玉を詰ませること』。太子じゃない」

「な!?」

「たしかに『打ち歩太子詰め』は成立するかもしれませんね。古将棋には持ち駒制度がありませんから、打ち歩太子詰めを禁止するルールもありませんし」

「ぐ……」

 2対1。

 瑞穂1人だけなら丸め込めるだろうが、先生に援護されると痛い。


 獅子の特別ルールと同じだ。


 食い合わせが悪い。

 最初の一手で仲人や歩を食った獅子が、次の一手では他の駒を食えないように。


 桃園(もも)を食った後に鹿谷(しし)は食えない。

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