第51話 王子と従者①

〈ナジィカ視点〉



 数秒前まで年相応な態度で泣いていた従者は、僕の腹の音を聞くなり冷静さを取り戻し、騎士の顔に戻った。


「ナジィカさま。命を救ってくださったこと感謝いたします」


 片膝をつき胸に手をあて頭を下げる。

 騎士の礼だ。

 幼いながらに、中々にさまになっていた。

 後、数年も年を重ねれば、年頃の娘の視線を奪って止まないだろうなと思わせた。

 王族の側に控えるものは、見目も水準以上でなければいけないなどと、誰が考えた法だろうか。真に才能のあるものを取り落とす可能性のある下らない法であると思う一方、神聖なシンボルでもあるべき王の側に控えるのだから『美しい』ことは足しにはなっても損にはならないだろうとも思う。


(偶像崇拝アイドルとはよく言ったものだ)


【僕】の記憶の中にあるそれに王室の存在も近いものがあるな、とそんな事を思った。華やかな見えるその裏側で、どろりとしたまざまざな感情や思惑が渦巻くのだ。

 王族に生まれた義務を放棄するようで申し訳ないが、平民になりたいと切望する【僕】の気持ちには大いに賛同する。

 もっともその望みは実現不可能な夢でしかない。

 所詮、僕は籠の鳥だ。

 自由は知らずとも、餓えたことの無い幼子の僕が、過酷な民の生活を成し得るとは思えなかった。

 少なくとも今すぐにというのは絶対に無理だろう。五十歩も歩かぬうちに息切れと目眩を起こして従者に背負われる軟弱な肉体では、今日を生き延びることも難しい。


「日が暮れるまでに夜営できそうな場所を探しますね」


 僕を背負ったまま、彼は颯爽と森の中を駆ける。


「……皆と合流するまで動かない方が良いんじゃないの?」


 迷ったら体力温存の為にじっとしているべきだ、とは前世の記憶だろうか。


「こちら側は、坂の下った先とは逆方向になるんです。壊れた馬車を捨てて馬で駆けたとしても、日暮れまでに将軍たちと合流できる可能性は皆無です。視界の悪い夜に四方を獣に囲まれると、正直、王子をお守り出来る自信がありません。武器も短剣これと、矢と、長剣と、暗器と、爆薬くらいしかないので、せめて背後を防げる壁際か、前方を注意すればいい洞穴や、大きな木のうろに隠れるのが理想的です」


 色々と武器を隠し持っているようだ。

 そして頭の回転も悪くないようだ。柔な鍛え方をしていないとは、デレク将軍の言葉だが、なるほどと思わせた。


「それで、いまはどこに向かっているの?」


「理想的な隠れ場所を探して南下中です。落下する時に、いくつか目ぼしい場所を記憶しましたので」


「落下中に?君はこの森に来たことがあるんじゃないの?」


「森の中で訓練をすることもありますが、ここに訪れるのは初めてです」


 迷い無く進んでいるから、てっきりよく熟知した場所なのかと思っていたが、まさかあの緊迫した状態で、地形の確認をする余裕があったなんて驚きだ。

 ぴぃぴぃ泣いていたのは、いったいどこの誰だったのだろう。

 とても目の前の人物と同じだとは思えないのだけれど、あれは幻だったのだろうか。


 一定のリズムを崩すこと無く、従者は森を走る。

 彼の背に負われて見る景色は、木々の緑と葉の隙間から差す木漏れ日だ。


「父上の庭に似ている……」


 静かな小さな森のような庭の奥に、隔離された塔の中。

 見上げる空は、塔から見上げたそれに良く似た、けれどまったく別の感情を抱かせる何かだった。

 ぴたり、と従者が足を止めた。

 もしかして走り疲れたのだろうか。

 そういえば城を出た昨夜から、彼は一睡もしていないのではないだろうか。


「ナジィカさま、ここで休憩しましょう」


 従者は背から僕をおろすと、木の根の上に上着を敷いて、そこに僕を座らせた。そして腰のベルトに吊るしてあった皮の水筒を手渡してくる。


「水です」


 受けとると、従者はにっこりと笑って立ち上がった。

 視線を上へと向け、懐から銀色の細いナイフを取り出して、少しだけ離れた場所に歩いていく。

 何をするつもりだろう。

 水筒を握りしめたまま従者の姿を目で追うと、彼は木に向けてナイフを投げた。

 ガサガサと木々が揺れて、何かが地面に落下する。

 従者が駆け寄って拾い上げるそれは、赤い色の丸い何か。

 僕ではない【僕】の記憶の中にある、とある果実に良く似ていた。


「りんご?」


 ナイフが貫通し、穴が開いたそれを手に従者が戻ってくる。


「プミラという果実です。甘酸っぱくて俺は好きなんですけど、ナジィカさまのお口に合うかな」


 目の前に差し出されたそれは、どう見てもりんごだ。塔の部屋にいたときに、食べた記憶は無い。

 思えば、随分と質素な食事をしていたのだな……。もっとも【囚人】に与えるには十分だったのだろう。なにせ、スープはあたたかかったのだから。


 差し出された果実、プミラという名のそれを僕が受け取らずにいると、従者は何かに気づいたように『あっ』と小さく声を漏らす。

 それから「失礼しました」と懐から布切れを取り出して、きゅっきゅっとプミラを磨き始めた。


「どうぞ、ナジィカさま」


 太陽の光を反射して輝かんばかり……とは、当然無理な話だが、布で磨いてピカピカになったプミラを再び差し出された。

 果実と従者を交互に見る。


「……これ、どうやって食べるの?」


「はい。そのままガブリと丸かじりです」


 にこにこしながら従者はいった。

【僕】の記憶だと、りんごの皮ははぐものだった。

 皮ごと調理したりそのまま食べることが可能なのは知っている。知ってはいるが気が進まない……文化の違いというやつだろうか。


「皮ごと……まるかじり?」


 念押しの確認。

 出来れば皮は剥いで欲しいな、と僅かな期待を言外にこめる。


「はい!美味しいですよ」


 年相応の顔で嬉しそうに笑う相手に、何も言えなくなったのは明らかに【僕】の影響だ。

 僕は王子で彼は従者だ。

 従者が主に尽くすのは当然で、僕が彼を気遣う必要は無いと言っても過言ではない。

 食べたくないなら食べる必要はない。

 いや、プミラの皮を剥げと、一言命令すればそれで事足りる。


 躊躇う僕を見て、従者は少しだけ申し訳なさそうな顔をした。


「すみません、こんなものくらいしか用意が出来なくて。弓を無くさなければウサギか鳥くらい仕留めらたのに。ナイフじゃ果実を落とすか蛙を捕まれるくらいしか自信が無いです。あ、運が良ければ蛇も」


「食べる。プミラを食べる。いや寧ろこれがいい」


 従者が差す出すプミラを取って、そのまま齧りついた。

 僅かな甘味と酸味が口の中に広がった。

 前世の記憶があっても、実際に僕が経験した体験ではないので、りんごがプミラと同じものなのかどうかは僕にはわからない。【僕】ならば、いったいどんな反応をしたのだろう。


「美味しいですか?」


「……うん」


 こくりと頷くと従者は嬉しそうに笑って「もっと沢山とりますね!」と張り切ってナイフを投げた。

 お陰で、飢え死には数日免れそうなほどの果実を手に入れることが出来たのだった。



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