分かれた記憶

第28話

 ぞろぞろと歩く、無言の集団が目立たないはずもなく。馬車の御者が怪訝そうに脇を抜けていく様子を黙殺しながら、オーヴスは黙って歩を進めていた。

 すぐ後ろにはフェブリスがいる。最後尾でリリヴェルが後衛の守備と、はぐれないように見張っているお陰で、迷わず進める事が出来ていた。

 子どもの足には長い道のりかもしれないが、立ち止まるリスクは背負えない。安全に身を休ませることが出来る場所までは、気を抜くことは許されなかった。


「……この先に、魔族集落の一つがあることを祈るしかないよな」


 そっと小声で零したフェブリスに、オーヴスは鈍く頷いた。


「最悪、アイラン湖を渡るすべを確保する。ノクトの村なら、ピピアおばあ達なら必ず、受け入れてくれる。そこまでは、僕が今背負っている責任だ」


「……オーヴスの兄貴」


 何か言いたげなフェブリスだったが、黙って視線を前へと戻す。その挙動に、オーヴスは自省が過ぎった。無茶を押し通そうとする自分を自覚する。

 だが、他に選択がないのだと、自己を叱咤するほか、今は前へ進めない。後戻りは、許されない。苦い思いを噛み潰しつつ、オーヴスは方位磁石を確認。方角と地図を照らし合わせつつ、南へと向かっていた。

この先にはヴィント地方三大河川の本流を生み出すアイラン湖がある。淡水湖のアイラン湖。湖上は霧に閉ざされ、高度の高い山脈から吹き下ろす風で、強風で湖面が荒れることもあるという。

湖畔にいくつか名もなき集落があるというが、詳細は不明。結局自分の足で確認するしかないというのが、現状だ。無駄足にならないことを祈るしかない。


「……精霊の声、か」


「ん? なんか言ったか兄貴?」


「ああ、うん。……フェブリスは、精霊の声って聞こえるのかい?」


 ぽかんとした表情で見上げたフェブリスに、オーヴスは首を傾ける。


「ちょい待て、兄貴。じゃあ兄貴はどうやって精霊術使ってるんだ?」


「え? 頭でイメージして、名前を呼ぶ」


「俺の聞き方が悪かった。契約はとっくに済んでるよな。えーっと……そういや、俺、兄貴の契約印って見たことないな」


「契約印?」


「そ。俺は、ここ」


 言って、フェブリスは軽く右腕の袖をめくり上げる。腕に刻まれた緑の入れ墨が目に飛び込んだ。描かれているのは模様ではなく、フェブリスの姓。ローランドの文字。大きくはないが、何故か目を引くのは、そこから微かに感じる精霊の気の流れか。


「……それが、契約印」


「見たことないって顔かよ……」


 苦笑を浮かべたフェブリスに、オーヴスは言葉の代わりに苦笑を返す。


「精霊との対話に基づいた契約印。……王族の系譜は、特別ってことか?」


「うーん、どうかな。僕の場合、代々受け継いでるとしたらこの円月輪だけど」


 いわばオーヴスの唯一の武器は、唯一の父の形見でもある。魔族と人間は、寿命はさして差がない。

 だが、オーヴスの父も祖父も、若くして命を落としている。病弱とは違い、ある日唐突に衰えたような、そんな記憶がある。

母親は残念ながら流行り病で命を落としたのだが、その温かさは今でもオーヴスの記憶にしっかりと残っている。

 オーヴスが哀愁に浸るのを他所に、フェブリスは怪訝そうに眉根を寄せていた。


「……声が聞こえない。血脈とも考えづらい」


「その様子じゃ、聞こえるのが普通って事かな?」


「だから契約できて、精霊に力を借りられるんだよ。……なんつーか、リリヴェルの姉ちゃんもだけど、オーヴスの兄貴も、謎が多いよなぁ」


 ため息と引き換えに詮索を諦めたか、フェブリスは捲った袖を元に戻す。

 言われてみれば、否定は出来なかった。いつから、精霊術を使えただろうか。幼い頃は、まだ父が生きていた頃は、精霊術を使えた記憶はない。ならば何時からだったか。

 記憶を遡っても、明確な線は見えなかった。


「……あ」


 不意のフェブリスの声に、オーヴスはハッと顔を上げる。

フェブリスは正面を指さしていた。薄っすらと靄に包まれた世界。その向こう。木々の隙間に、テントのようなものが見える。


「希望が見えてきたかな」


「だと、いーんだけど。……まだ安心は出来ねーぞ、兄貴」


「そうだね」


 緩みかけた気持ちを再度引き締め、オーヴスは一度振り返る。最後尾について後方を警戒していたリリヴェルと視線がぶつかった。

 リリヴェルはそれだけで悟ったか、一つ頷くだけ。

 そしてオーヴスは再度正面を見据える。その先に、希望を願って。


◇◇◇


 小さな集落だった。雨風と多少の温度を遮断する厚めの生地の野営用のテント。その数はおよそ十。人の姿は、見えない。視線だけが、周囲から突き刺さる様だった。


「……歓迎されてない、かな」


「得体が知れねーってのは確かだな」


 だからと言って素通りする余裕はない。空は赤から黒へとシフトしつつあり、伸びた影も徐々に闇へ溶けようとしている。

 すっと息を肺へ取り込み、オーヴスはあらん限りの勇気と声を振り絞る。


「突然すみません! ただどうか、話だけでも聞いてもらえませんか!」


 静寂の返答。背後に感じる、子ども達からの絶望。そのはざまで、オーヴスはそれでも怯むことなく。


「僕は、オーヴス・グリードフェルクと言います。出身はノクトの村。ヴィント・リール地方で酪農家を営んでて」


「ちょちょ! オーヴスの兄貴! 何で自己紹介なんて」


 オーヴスはフェブリスを手で制する。怯んで言葉を飲み込んだフェブリスが再び口を開く前に、オーヴスは毅然と声を張り上げる。


「今は、酪農家業は休業して、魔族の長としての務めを果たすべくヴィント総領主の元へ向かっている途中です。途中で、少し問題が発生したので、すみませんが皆さんにご協力をお願いしたく今ここに居ます」


 一気にまくし立てることに不慣れなオーヴスは、そこまで言い切ると自分の息が軽く上がっていることに気づく。一度深く深呼吸をしてみるも、心拍数は若干煩く感じた。

 周囲は変わらず、静寂を保っている。

 滑り込む絶望感に呑まれそうになり、ぐっと強く拳を握りしめた。


「全部知っていますよ」


 柔和な声が、空気を震わせた。オーヴスの右側から聞こえた声に視線を走らせると、そこには一人の姿。真っ青な長いヴェールで目元は見えない。ぞろりと長いローブが地面を擦って、一歩近づいた。


「ここはアイラン湖の畔。水の精霊に近い場所。私達アクシアの集落の安息の場所」


「貴方は……」


「ああ、ごめんなさいね。私はアクシアの巫女・ディーネ」


「ディーネさん……あの」


「分かっているわ。その子たちを頼みたいのでしょう?」


 戸惑いながら、頷く。全部知っているというのは、嘘ではないようだった。

 くすっと、小さく笑いディーネと名乗った巫女は一つ手を打ち鳴らす。強くはない、しかし明確な境界を破ったような軽快な音が静寂に包まれた集落に響く。


「皆さん、嘘を繕えない我らが長の頼みです。まずは、もてなしを」


「いいんですかい、ディーネ様。厄介事を招くようなものでは?」


 ひょいと一つのテントから顔を覗かせたのは、口ひげを蓄えた中年の男性が声をかける。たった今時間が動き出したかのような、唐突さを感じる。


「精霊がここに導いたのも一つの答えなのだと、私は思うのですよ」


「まぁまぁ、良いじゃないかい。小さなお客さんを追い出すのは、可哀想だというもんだよ」


 腰の曲がった老婆がまた別のテントから半ば足を引きずるように出て来る。その他のテントからも人がぱらぱらと姿を見せ始め、気づけば十五人ほどの大人たちに囲まれていた。


「グリードフェルクの末裔さんは、どなたかな?」


「あ、僕です。一応」


 目元に歳を重ねた老婆に、オーヴスは小さく手を上げる。


「まぁまぁ。随分と優男じゃないかい。頼りないねぇ」


「うっ」


 直球な物言いにオーヴスは反論が出ない。傍らのフェブリスは頭の後ろで腕を組み、肩を揺らして笑っていた。味方がいない。


「ふふ、では準備を終えるまで、少しこちらへどうぞ、我らが長」


 ひらりとローブの裾を揺らして促したディーネ。逡巡したものの、オーヴスは彼女を追って足を踏み出した。


「気ぃ付けてな、兄貴」


 フェブリスの言葉を背中に受けつつ、オーヴスは足を速めた。

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