魔族の声

第26話

 噂という物は恐ろしいもので、瞬く間に広まる性質がある。もれなくゴート教会の耳にも入り、フェブリスの口利きをもってしても、宿泊は許されなくなった。


「……参ったなぁ」


「出立するのは朝がいいわね。それに、ミールの服も何とかしてあげたいわ」


「私の事は、気にしていただく必要は……」


「裁縫屋としてのプライドが、その襤褸を許せないのよ。悪いわね」


 くすっと笑ったリリヴェルに、ミールが驚いた様子を滲ませる。身なりこそ剣士のリリヴェルだが、本職は裁縫屋だ。久しぶりに腕を揮いたいのかもしれない。とはいえ、材料もないのだが。

 日暮れも近い。まさか街中で野宿とも行かないわけで。


「せめて、リリヴェル達だけでもどこかに泊まること出来ないかなぁ」


「それは却下。……貴方を一人にするわけにはいかないでしょう」


「そーだぞ、兄貴。何とかするしかねーんだよ。こっから先、ヤバい所に殴り込み掛けるつもりなんだからな」


 にっと笑って見せたフェブリスだが、恐らく彼の立場も危ないものだろう。下手をすればゴート教会から除名処分を受け、追われる身となる可能性もある。それを守るのも、自分の役割だ。と言って、考えた所で何も進まないのが現実で、実に苛酷だ。


「……あの」


 ふと弱い声に揃って振り返る。夕焼けの光の中、生気の薄い少年が立っていた。


「違ったら、ごめんなさい。……グリードフェルク様、ですか」


「きみ……」


 決して身なりの良い少年ではなかった。だが、確実な事が一つある。短く乱雑に切られた髪の隙間。

 そこから覗く魔族特有の尖った耳。魔族の少年だった。噂を聞いた一人かもしれない。


「……宿泊に困っているんじゃ、ありませんか」


「おー、すっげぇ。良くわかんなー」


「汚いし狭いけど、……良ければ、泊まっていきませんか?」


「有難い申し出だけど、貴方に危害が及ぶ可能性考えて言ってる?」


 リリヴェルの鋭角な質問に、少年は迷わず頷いた。むしろ、瞳に生気が宿る。


「俺たちの話を、聞いてもらえたら嬉しいなって、思うから」


 たち、という事は何人かと一緒なのだろう。だが、少年の瞳は真剣そのものだ。

 そして、正直オーヴスが一番知りたかったことを、提供してくれるという。ならば答えは。


「……世話になろう、リリヴェル。……僕も彼らの話は聞いてみたい」


「主導権は全て貴方にあるのよ。ねぇフェブリス?」


「そうそう。オーヴスの兄貴はもうちょい自立して貰わないと。……てわけで、案内してもらおーじゃんか。ミールの姉ちゃんもいいよな?」


「ええ、私は貴方がたについていくのみです」


 やや棘はあるものの満場一致の答えに、オーヴスは頷く。そして少年へ向き直ると笑顔を向けた。


「……ありがとう。お言葉に甘えて、世話になっていいかな」


 ぱ、と初めて少年の顔に笑顔が滲んだ。



◇◇◇


 狭く、薄汚れた裏路地をくねくねと何度も曲がり、すでに現在地を見失ったオーヴスが不安を覚え始めた頃、ようやく少年は足を止めた。


「ここ。天井低いから気を付けて」


 扉を押し開けながら、少年はそう忠告する。軽く頷いて、ほぼしゃがみ込むような体制で扉をくぐる。

 扉の先は、地下へ続く階段が伸びていた。最下層から漏れた灯りがぼんやりと見えるが、照明のない足元はおぼつかない。


「ルクシード」


 後方に続くリリヴェル達の為にも、オーヴスは光を纏う蝶を呼ぶ。いつもより強い光を発する蝶のおかげで、天井の状況や階段の欠けた部分までもが露わになる。


「足元、気を付けてください。見た通り、ボロボロでごめんなさい」


「ううん。いいんだ。僕は、全てを見るべき義務があるから」


「みんな、グリードフェルク様が来るの知らないから、驚くかもしれないですけど、あの」


「証明方法は何とか考えるよ」


 はい、と頷いた少年にオーヴスは笑みを返す。

踏み外さないように階段を下りていく。壁についた手のひらで、風化した煉瓦が時折欠けるのを感じながら。作られてそのままの形なのだろう。随分古い、地下道へ続く階段だった。

 たん、と最後の階段を降りると、ようやく背筋を伸ばせるだけの高さになる。折っていた膝と腰を伸ばすと、いくらか痛みが走った。


「ただいま、みんな」


 ぼろぼろの毛布にくるまった姿が、鈍く動く。もぞもぞと一つの塊が起き上がった。


「ん……まぶし……? 朝……?」


 決して広くはない円状の空間を、ひらりひらりと精霊の蝶が照らして舞う。見上げた天井には丸窓が一つ。太陽が昇れば、光が差し込むのかもしれない。


「ケフェル、誰、それ」


 目をまん丸く見開いて、その瞳に怯えがさっと宿る。自分たちが不審者なのは自明のことだ。のそのそと起き上がり、一様に不信の瞳を突きつける彼らの年齢層は実にばらばらだった。青年もいれば、フェブリスよりも幼そうな少年まで居る。そしてその誰もが、薄汚れ、疲労を背負っていた。

 軽く息を吸い込むと、汗やカビの匂いが鼻腔を刺激する。


「……ごめんね、休んでるところを起こしてしまったみたいで」


「だ、だれ……?」


「僕は、オーヴス・グリードフェルク。えーっと……ノクトの村出身で、酪農ぎょ」


「グリードフェルクって!」


 ばっと一人の青年が声を上げた。ぱちん、とルクシードの蝶が消え、光源がなくなった空間は瞬く間に暗くなる。慌てて再びルクシードに力を借りようとした刹那、ぱちんと、小さな音が響き弱いながらも明かりがつく。今にも消えそうな、オレンジ色の薄ぼんやりとした照明。


「ケフェル、お前、そいつ本物なのか?」


「ぼくは、そう信じたいから、連れてきた」


「信じたいって、お前……」


 弱い明かりの中、恐らくは最年長なのだろう。オーヴスと年齢の近そうな青年が茶色の短髪をがしがしと掻き毟って、徐に立ち上がった。

 ふぅっと大きく息を吐き出す。青年は足の踏み場もない床の隙間を器用に縫い、腕を組んでオーヴスの前に立つ。胡乱げな視線で爪先から頭のてっぺんまでを辿り、軽く肩を竦めた。


「見た目だけはいっちょ前だな」


「分かる分かる」


「私が繕ったんだから当然でしょ」


 リーダーと思しき青年の言葉に応えたのは、フェブリスとリリヴェル。それぞれ別方向な返答だったが。オーヴスとしては苦笑いしか返せない。


「仮に本物だとして、こんな場所に居る意味は何だ」


「寝床を借りるって話で」


「あ?」


「ちょっと昼間暴れすぎたせいで、人間の管理する宿と、ゴート教会への宿泊が困難になってしまって。えーっと、ケフェル? っていうのかな。声をかけてもらって助かったなぁと」


 不機嫌そうに、眉間に深い皺を刻む青年。気持ちは分かる。魔族の王と堂々と名乗れない自分がいるのは、間違いないのだ。かといって嘘も言っていないのが苦しい所だ。


「……信じてもらえないのは、重々理解してるつもりでは、居るんだけどね」


「アホか。逆にその名を堂々と紡ぐほうがよっぽど恐ろしいっての」


「そうなのかい?」


「おい。魔王の連れさん、これはどういう知能指数の低さだ。とても人の上に立つ存在とは思えないぞ」


「貴方達も良く知っての通り、教育が行き届いてないのよ」


「冗談だろ。例え魔王としての座を奪われたとしても、末裔がいるってことはそれなりの護衛も……」


「一体、いつの話をしてるの。その血脈が受け継がれていたとしても、今やもう、見てのとおりよ」


 きっぱりと断言したリリヴェルに、青年は軽く目を剥く。

 再びオーヴスに目を向けた青年の瞳は、形容しがたい感情を宿していた。


「何で何も知らないで、立ち上がったんだ?」


「まぁ、リリヴェルに半強制的に追い出されたようなものだけど……でも今は、そうだな」


 ふっと、知らず笑みがこぼれた。


「僕が立ち上がることで、世界が少しでも魔族にとって住みやすくなるような環境を作ってみたいなって、今は思ってるよ」


 ここにいる彼らは、きっと昼に見た少年と同じように人間の道具のように扱われているのだろう。安らいで眠れるような環境でもなく、ただただ日々を繰り返しているに違いない。

 そこにきっと、希望はない。希望という存在すら、抹殺されているかもしれない。

 オーヴスが知っている陽だまりの心地よさを、きっと彼らは体感したことさえないだろう。太陽は、きっと地獄の始まりの使者でしかなく。


「僕は、争う事が一番嫌いなんだ」


「……それでもあんたは、戦う事を選んだんだろ」


「最終手段としてはね」


「世界は、簡単には変われるとは、思えないけどな」


「変えるために、僕は歩いてるんだよ」


「……そっか」


 ふっと笑って、青年はすっと手を差し出した。


「悪い。随分と名乗るのが遅くなった。……エジェットだ。……汚くて狭いとこだけど、ゆっくりしてってくれ、魔王様御一行」


「ありがとう。恩に着るよ」


「そう思うなら、俺らにも夢ってもんを届けてくれよ、未来の魔王さん」


 差し出されたエジェットの手は、かさぶたとまだ新しい生傷が覗く。それが世界の現実だ。そしてオーヴスは、その手をに強く握り締める。決意を固めるように、強く。

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