第24話
「オーヴス・グリードフェルク」
「……は?」
「初代グリードフェルクの直系、全ての精霊の加護を与えられた本物の魔族の王様だ。人間なら、散々教育されたよな? 歴史の教科書に載ってないわけないもんな」
「どうやって語り継がれてるのかは、僕は知らないし興味もない。だけど」
すっと円月輪を市長へ向け目を細める。
「相手が人間族だから、魔族だからどっちが偉いとか言う世界を、僕は変える。変えるために、ここにいる。だから、この子は殺させないし、そのために必要なら、僕は……貴方と戦う事も辞さない」
毅然と断言する。ひゅう、っと嬉しそうに口笛を吹いたのはフェブリスだろう。
市長は唖然としたまま、周囲も沈黙に包まれる。唐突なかつての魔族の長の名に、驚いているのかどうかは、正直分からない。オーヴスの方が緊張で倒れそうだった。
口の中は乾く。潮風が、オーヴスの長い髪を揺らした。
「ぐ、ぅ……っ、お前の正体なんぞ、どうでもいい! 邪魔をするなら、もろとも始末するだけだッ!」
再度刃を振りかぶった市長。軽い絶望感を覚えつつ、オーヴスはその血に宿る名を呼ぶ。
「すまない、ボルテックス」
紫電が、市長の刃を弾き返した。日中にも拘らず網膜を焼く様な強い雷撃の光が周囲に残滓として微量な電流を放出する。
「な、ま……魔族が、二種以上の精霊術を使える、だと……?」
「嘘だろ、まさか、本当なのか」
ざわつきだしたのは、周囲が先だった。
だが、オーヴスは彼らには目を向けることなく、若干怯え始めた市長をじっと見据え、円月輪を構える。
「……まだ、やるのかい?」
「ぐっ……」
「申し訳ないけど、次に僕がちゃんと制御できるかは保証できない」
顔を真っ赤にして、しかし市長は身を翻して馬車へと飛び込んだ。逃げ込んだという方が正しいかもしれない。周囲を囲んでいた人間たちも、蜘蛛の子を散らすように、我先にと逃げ出した。慌てて逃げていく市長の馬車。そして残されたのは、オーヴス達と、渦中だった少女。
「……はぁ」
「やるじゃんオーヴスの兄貴! めっちゃカッコよかったぜ!」
「ない見栄張っただけだよ……」
「知ってる知ってる。でも、兄貴の紡いだ言葉は、俺にはちゃんと、響いた。リリヴェルの姉ちゃんもそうだろ?」
腕を組んで黙っていたリリヴェルに視線をスライドさせると、くすっと小さく笑う。安心したように。
「……まぁ、思っていたよりは、立派な返しだったかしらね。ほら、みすぼらしい恰好じゃなくて助かったでしょう?」
「う、うん。そこは感謝してるよ、リリヴェル。えと、出世払いでお願いします」
「はいはい。……それよりも」
つかつかとリリヴェルが歩み寄るのは、茫然と座り込む瞳を閉じたままの少女。縫い付けられたかのように、瞼は動かない。
「貴方、セイレーンじゃないわよね」
「わたし、は」
セイレーン。海の魔女。あるいは海の悪魔。海を荒らす魔物を示す言葉だったはずだ。
そしてオーヴスが感じたのは、そんな悪意に満ちたものではなく。
「私は、その……一応、人魚、です」
「人魚って、海の一族のだよね。驚いた。丘に上がって大丈夫なのかい?」
「はい。……代わりに、目が開かないんです」
「なるほど。……それはそれで、大変そうだね」
オーヴスが同情を示すと、少女はふるふると首を横に振った。
「いいえ。これは私が望んでしていたことですから」
「でも、なんでこんなもんに閉じ込められて、挙句処刑されそうになってたんだよ」
「運が悪かったのかもしれません」
「運って……」
「まぁ、待ったフェブリス。……ごめんよ、色々一度に話すのは凄く疲れると思うから、まずは自己紹介をさせてもらうね」
片膝をついて、座り込む少女と同じ視線の高さに合わせ、オーヴスはそっとその手を両手で包む。見えない相手に、自分の存在の位置を認識してもらうには、これが最適だろうとの判断だ。ぴくりと、少女の細い指先が震えた。
「僕は、オーヴス・グリードフェルク。まぁ、一応かつての魔族の長の血統を継いでるよ」
「その名は、海底にも響いていました。かつて、その座を追われたことも」
「はは……それは、何と言っていいか」
「申し遅れました。私は、ミール・アンクレーと申します。命を救っていただきまして、ありがとうございました」
頭を下げ、口元に笑みを浮かばせたミール。その笑みに、オーヴスも胸を撫で下ろす。
「それから、一緒に旅をしてる二人がいるんだ」
「ああ、人間の女性と、魔族の男の子ですね」
「分かるのかい?」
驚くオーヴスに、ミールはそっとその手を解いて、頷いた。
「海の世界は、地上よりも暗いので。見えないけれど、視えてはいるんです」
「……難しいな」
後頭部を掻て渋面を浮かべたオーヴスの肩を、ぽんと叩く手。見上げればリリヴェルが苦笑を浮かべていた。
「簡単に言えば、空気から微量な魔力を汲み取れる、みたいなものよ」
「へぇ、凄いなぁ」
「ひとつ見識が増えてよかったわね、魔王様。で、私はリリヴェルよ。リリヴェル・アンネ」
「あ。俺はフェブリス・ローランドな!」
リリヴェルに続いて、名乗ったフェブリスに、ミールはゆっくりと頷く。
「はい。皆さんも、ありがとうございます」
「ところで、これからミールはどうするの? 海へ戻るのかしら?」
「それは……その」
「そだな。折角こんな檻から出れたんだしな」
かん、と爪先で檻を忌々しげに蹴ったフェブリスをリリヴェルは咎めるように一瞥する。
ミールは不意に、両手でオーヴスの手を握りしめた。
「私も、皆さんとご一緒させていただけないでしょうか!」
「え?」
「ここには、もちろん居られない。ですが、私には地上の世界は分からないのです」
「海の世界に帰る選択は、ないのかい?」
眉尻を下げて問いかけたオーヴスに、ミールは寂しげな笑みを見せる。
「私は、海の世界から追い出されてしまったのです」
「ミール……」
「皆さんが、危険な道を歩かれようとしていることは、分かっています。先ほどの様子からしても、世界を敵に回しかねないような、とても大きなことをなさるのでしょう」
「……暴力は嫌いなんだけどね」
「でしたら、私も少しはお役に立てるかと、思います」
ミールはふっと、オーヴスの手の甲に息を吹きかける。くすぐったい微風。しかし気付く。
昨晩リリヴェルに踏みつけられた足の甲の痛みが、じんわりと熱を持って、四散していく。気になるほどではないものではあったが、違和感すらなくなった。
これは、治癒の術だ。
「ミールは、魔法が使えるのかい?」
「魔法なんて、特別な物では。海の世界にだけ伝わる、特別な魔術です」
「何の話をしてるの?」
苛立った様子で話しに割り込んだリリヴェルに、オーヴスは慌てて口を開く。
「いやあの、ミールは治癒の魔術が使えるんだって」
「失われた魔術の一つを?」
「人魚の私達の間で受け継がれている、唯一の魔術です」
「すっげ。まぁ確かに、地上に治癒術溢れてたら、今頃戦争しまくってたんだろうなぁ」
「お役に立てるとは、思いますよ」
「命を賭ける覚悟は、あるってこと?」
「貴方に救われた命です。……どうせならば、魔族の長様にお仕えしたいと思います」
ミールの言葉には、迷いはなかった。オーヴスは、逡巡する。
リリヴェルやフェブリスは自分の答えを否定はしないだろう。そして、答えを与えてくれるはずもない。決断する権利は、自分に委ねられている。
「……分かった。その代わり、今後の命の保証は、出来ないよ?」
「構いません」
「……じゃあ改めて。……よろしく、ミール。あ、ま、まだ魔王閣下とかそう言うのはナシで頼むよ」
「ふふ。分かりました。よろしくお願いいたします、オーヴス様」
「うぅ」
様、というのもこそばゆい。思わず渋面を浮かべたオーヴスに、リリヴェルから大きなため息が一つ。
「そのくらい慣れなさい。私の事は様以外でお願いね」
「俺もー」
「心得ました。よろしくお願いします、リリヴェルさん、フェブリスくん」
そうしてまた一人、無謀な目的なための仲間が増えた。
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