無双の武者 三

さて、どうしたものか。

客人も帰り夜も更けた黒龍洞で、粗末な寝床で横になりながら鋼治は考え込んでいた。


先の言葉の通り、黒龍洞には未だまともな家具などが揃っていない。

今も鋼治が横たわるのは重ねた茣蓙に、掛け布団は筵。

かつての生活を考えればとても寝られたものではないのだが、これが案に相違して普段はこの上ない寝心地なのだ。

身体が慣れたなどの理由もあろうが、それが霞む最大の理由は鋼治の全身にへばりつくように抱きついて寝息を立てる黒龍の存在だ。

勿論、あの、得も言われぬ女身で。

これが始まった当初はどこまでも沈み込んで、しかもしっかりと受け止めてくる女体に目が冴えて眠るどころではなかったのだが、アレヤコレヤを経て数日もすればそれが当たり前となり、いつしかお互いを掛け布団敷布団としてぐっすりと眠るようになっていた。

一度このぬくもりを覚えてしまったからには、かつての一人寝になど戻れないなと鋼治は思うほどだ。


しかし、今は己の仕事の課題が鋼治の目を閉じさせなかった。

しっかり寝て起きて、翌朝考えを巡らせたほうが効率的であることはよく分かっているのだが、気がかりが解決せぬうちはどうにもならなそうだ。

よし、仕方あるまい。

目処がつく迄考え通すとしよう

鋼治は何となしに黒龍を抱きしめてやりながら、夜闇の中で考え通す肚を決めるのだった。


そもそも何が問題かと言えば、何もかもが問題だ。

なにしろ、ここ黒龍洞にはまともな鍛冶設備などまだ無いし、自分が使える材料も一部を除いてまともにありはしないのだ。

こんな状態で良くも「任せて下さい」などと言ったものだが、あの場はそういう他無かったし、なんとかしてやりたいと思ったのは真実である。

とにかくに、まず、多少の大物も加工できるような炉を作らねば話にならないし、材料も揃えねばならない。


ここで普通なら、近くの街の鍛冶屋にでも頭を下げて設備を間借りするのが筋だろう。

鋼治自身、貸してもらえるなら工房主の小間使い程度喜んでこなす覚悟は有るし、黒龍の名も出せば全くどうにもならぬことはないはずだ。

なお、残念ながら現金などの謝礼は出せない。無いものは無い。

それはともかく、そうした心構えがあろうとも、鋼治が街の鍛冶場を借りて仕事をするというのは出来ぬ相談なのだ。


「この体はもう黒龍さんの眷属だから、黒龍さんから離れては生きていけない…か。」


今の鋼治は人間ではない。

致し方ない理由で人身から黒龍の眷属へと転じた身であり、いわば黒龍の一部なのだ。

それ故、普通の人間ならば毒となる瘴気でも全く平気であるどころか、それがなければ身を保てぬ。

そして、その瘴気は常に黒龍の周りに漂っている。

人を冒す瘴気を吸わねば生きて行けぬ身である以上、町や村に長く留まって何かをするという事は出来ない。

もちろん、そうした人里に黒龍が行ってしまえば大惨事になりかねない。

要するに、鋼治が職人仕事をしたければ、なんとかして黒龍洞に設備を整えるしか無いのだ。


勿論、道具立てなどは人里だろうと黒龍洞だろうと問題ないだろうから、運び入れて来れば良い。

だが、それをするには、金が無い。

まさか黒龍が周りを脅して奪ってくるわけにも行かぬし、お願いだけではかなり弱い。

如何せん、黒龍は人に尊敬されて崇められているものの、具体的に何か利益をもたらしているわけでもないので、何か値の張るものを持って来いというのは弱いのだ。

であるなら、謝礼を払って譲ってもらうか買い寄せるかということになるが、使える現金などはまるで無い。

そして、黒龍は宝物などを集める性質の龍では無かったので、現金代わりに渡せるものも無い。

…鋼治の考えでは、この黒龍洞に積まれているアレやコレは黄金すら霞む価値を持っているはずなのだが、現時点では誰もその価値を認識していない、と言うより扱えないので交換には使えない。

結局、まずは自分の人力と知識と、黒龍の異能で取っ掛かりを拵えるしか無いようだ。


「とにかく、まずは鉄だ。まとまった量の鉄がないと何も作れん。」


文明の発展は材質の発展とともにあり、その中でも鉄という素材はあらゆる工業分野の基礎とも言える存在だ。

高い強度を持ちながら、高温では柔らかくなり、人力で鍛造や圧延が可能になる。

様々な元素と合金を形成し、驚くほど多種多様な性質を表す。

特に炭素との合金である「鋼」は極めて有用な素材だ。

できればこの鋼鉄を、道具一式揃える程度には欲しい。

正確には鉄以前の材料、銅や青銅と言った選択肢も無くはないのだが、鉄の扱いが分かっている状態でわざわざ選ぶ話でもない。


しかし、この鉄という素材は極めて有用だけに、買うとなると中々大変だ。

鉄、特に鋼鉄が安価で手に入る様になったのは地球でも近代の話で、それまで鋼鉄というのは製造に大変手間と資源が必要な物だった。

この前、土産の小刀を渡した三吉さんと五助さんの話から想像するに、この地域ではたたら製鉄の原型がやっとというところだろう。

その状況で鋼鉄を購入するというのはかなり高くつきそうだ。

そして、さっきも確認したように、黒龍洞には資金が無い。


「鉄も自分で精錬して、そっから鋼にするか。」


しかしまぁ、そうと決めてしまえば方法には宛てがある。

今すぐ手を付けるべき工程が明確になった所で鋼治は満足し、黒龍の柔らかな身体を抱えなおして寝る体勢に入るのだった。


夜が明けて、鋼治は早速に作業を開始した。

何しろ、左兵衛には「準備が有りますので、まずは七日下さい。そこでご主人を連れて来てもらって具体的に何を作るか相談しましょう。」と自ら期限を切ってしまったのだ。

明確に日を切った鋼治に本気を感じたのだろう、左兵衛は改めて深々と頭を下げて帰っていった。

兎にも角にも、七日で最低限ものづくりが出来る環境を整えねばならない。

まごまごしている暇はないのだ。


まず手始めに鋼治がしたのは、黒龍と一緒に「赤い湖」を探すことだった。

湖底に赤い泥が堆積しているような場所はないかと問えば、すぐに心当たりが有ると返ってくる。

その赤い泥が大量に要るのだと言うと、それならこの方が良かろうと黒龍は巨大な龍身に戻り、鋼治を首に載せると凄まじい速度で地を這い出した。

黒龍は地の龍であるから空を飛ばないのだそうだ。

そうしてしばしの間、風を切り裂き木枝をかすめ、鋼治はヒヤヒヤ、黒龍がニコニコしながら地を疾走ると、程なく目的の場所が見えてくる。

木々に囲まれた一町歩ほどの池は、確かに赤茶けた泥が溜まっていた。

これなら当座は十分と思い、取れるだけ取って帰ろうと言うと、黒龍は相わかったと頷いて泥に顔を突っ込む。

一体何をと鋼治が目を丸くしていると、ずぞぞぞともごごごごとも取れる音がして、湖畔の泥が見る間に飲み込まれていく。

若干顔が引きつるのを抑えながら鋼治が見ていると、黒龍の龍身が徐々に膨らんでいき、ある所で止まる。

顔を上げた黒龍が「こんなもんで良いかえ?」と聞くが、一体どれだけの量が腹に収まっているのか不明である。

それよりも鋼治としては、腹が膨らんだ黒龍がどうにもツチノコに見えてしまい、半笑いになるのをこらえるので大変であった。


来た道を戻って黒龍洞まで帰ってくると、黒龍は先程の泥をドバドバと吐き出していった。

それが積み上がると殆ど小山のような量である。

しかも不思議なことに赤茶の泥以外は全く混じってないのだ。

これを鋼治が尋ねると、「妾は地の龍故、土に関することならこの程度容易いのよ」との答え。

「それって要するに成分レベルで見分けて選鉱できるってことじゃないか?」と内心戦慄する鋼治だが、取り敢えずそれは脇において、次の工程に取り掛かる。


次に用意するべきなのは、同じく大量の薪だ。

だがこれは案外簡単に集められた。

何しろ瘴気渦巻く黒龍洞は常に周囲の森を枯らしているようなものなので、しばし歩けばちょっとした風向きでやられた枯れ木や倒木がゴロゴロしているのだ。

囲炉裏で普段使いには鋼治が拾い集める程度でも良いのだが、今回は量が要る。

これも黒龍に運んでもらうことにした。

そうして薪を確保したら、今度はそれを燃やせる場所が要る。

と言っても今回やる方法はさして高温が必要でもない、これも黒龍に頼んで半径五間ほどの穴を浅く掘ってもらう。

さて、これで材料は揃った。


集めてきた赤茶の泥には軽く炎の吐息を吹きかけて乾燥してもらう。

そうして乾燥させた物を、浅い穴に山と積んだ薪の上に乗せる。

そして薪に火を着けたら後は同じ材料を小分けに投入しながら待つだけである。

折しも日が沈むかどうかという頃に差しかかかり、代わりのように炎が辺りを照らし出す。

火が回って轟々と燃え上がる大きな焚き火を、人身に変じた黒龍と肩を並べて眺めながら鋼治は今回の事を説明していった。


今回、鋼治が試そうとしているのは地球の古代で広く用いられた、褐鉄鉱の低温還元という方法だ。

鉄分が豊富な水が流れ込む湖や池では、鉄分を代謝して生活する鉄バクテリアがよく繁殖する。

この鉄バクテリアが水中鉄分を取り込んでは酸化し、堆積させていったのが褐鉄鉱(リモナイト)である。

褐鉄鉱は主に酸化水酸化鉄 FeO(OH) で構成されているのだが、これを薪で熱してやると、薪から出てきた一酸化炭素が酸素を奪って行き、後には鉄が残るという寸法だ。

原理そのものは砂鉄から行うたたら製鉄などと大差ないのだが、この褐鉄鉱の精錬はそれよりぐっと低温で十分に行えるという特徴がある。

早い話、大規模な炉を作らないで焚き火レベルでも出来てしまうのだ。

そうしたことを簡略化して話していくと、黒龍は感心とも驚きともつかぬ吐息をほうっと吐いてこう言う。


「確かに鉄臭い泥ではあると思うたが、こんな方法で純な鉄にしてしまえるのじゃな…まこと人の知恵というやつは面白いのぉ。」


それに鋼治は苦笑しながら答える。


「もっと設備や技術が整ったら消えていった方法なんだけどね。ただ、無い無い尽くしの俺が手をつけるにはぴったりだった訳だ。」

「それより、悪いね黒龍。あれやこれやと色々やらせるばっかで…。」


確かに人力だけでも出来ぬわけでは無い簡便な方法が褐鉄鉱の低温精錬だが、仮に鋼治の手仕事だけでやっていれば必要な量を集めるのにどれだけかかっていたか。

それだけに独りでショベルカーにダンプカーに乾燥機までこなしてしまえる黒龍の存在は有り難いという言葉も追いつかないのだが、同時に指示だけ出して居る自分に申し訳無さも湧いてくる。


「ほ、気にするでないない。あれぐらいの事など仕事のうちに入らぬわ。それにのう、妾は鋼治のために何かしてやるのが嬉しくてしょうが無いのじゃ。これからも何でも言っておくれ。」


そう言って鋼治にしなだれかかる黒龍。

その瞳にどこか切迫したものが見えるのは揺らぐ炎のせいだろうか。

そうして一人と一匹は寄り添って、夜中炎を眺めるのであった。

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