3章 小池さんと記者Bの署名

 悪戯いたずらが悪戯として成立する条件には、後に尾を引かないということがまず第一で、また、それがユーモアに富んでいたりウィットに富んでいたり、とにかく有意義なる比喩表現に富んだものであることが第二の条件だ。

 人を不快にさせた途端、悪戯は『嫌がらせ』に変わってしまうからだ。

 そこまで嫌に感じることでなくても、無意味な悪戯は『悪趣味』とか『意味不明』とよばれる。

 以上の私的意見を踏まえた上で、人を失笑させる程度には意味を持つ行為、それを『悪戯』だと、ここでは定義してみたいと思う。


 さてその上で、この行為は『悪戯』か、『嫌がらせ』か……。

 或いは、何らかの『メッセージ』か。

 私の主観からすれば、『宣戦布告』以外の何物でもないわけだけど。


 …………くそ。


「それで……このよく分からないラクガキは、この中の誰が書いたものでもないと」


 文化祭1日目、午前8時34分、新聞部室。

 昨日の前哨会の明るい空気は、ボールペンの落書き一つに汚された。

 文化祭のプログラム進行に合わせて作られた、18回ぶんの壁新聞。その最初の1回ぶん、『1日目・午前9時台号』の山の、表面の1枚にだけ、あるがされていた。

 新聞のタイトル・『週刊タイセイ文化祭版』を塗りつぶす勢いで、雑だが誰にでも読めるでっかい太字で、『記者B』と走り書きされている。落書きに対してこう言うのもなんだが、キレイにデザイン化されているサインだと思った。

 というか……昨日見たサインと一緒だ。例の、『奇跡のシュート』記事のやつ。


「見つけたのは?」

「あ……私です」


 空乃が控えめに手を挙げる。


「今日いちばん早く部室に来たのも、空乃だったわよね?」

「そのときの部室の状況、覚えてる?」


 柿坂先輩に尋ねられて、空乃はこくりと頷いておもむろに新聞の山が並べられた長机に向かう。少し迷うように手をぷらぷらとさせてから、散らかった新聞を重ねてトントンと揃えて、置き直した。

 左から順番に、文化祭1日目9時台号~15時台号、文化祭2日目9時台号~15時台号、文化祭3日目9時台号~最終号。それぞれ対応する時間帯のイベント予告や、各クラスの出し物インタビューなどが載っている新聞だ。これらは文化祭中、対応する時間が来たら、校内の各掲示板に貼りだしたりする。

 そんな計18種類の新聞の山が、きちんと揃った状態。それを示して、空乃はもじもじと手を組み合わせた。


「……えっと、この状態でした。1日目9時台号の、1番上の1枚に、記者Bって署名してある以外は……昨日、設営の最終確認をした時と、同じです」

「空乃が入った時、鍵は……?」

「開いてた。すでに誰か来てるんだと思って、気にもしなかったけど……」

「あの、念の為に言っとくけど、昨日かけ忘れたってことはないよ! 何回も忍ちゃんと一緒に確認したし!」

「ええ。私と先輩が保証します」


 ……スマホに、状況を整理して書き込む。


 昨日、文化祭で掲示する新聞の最終チェックを終えた私たちは、部室の真ん中に長机を並べた。そこへ、左から順番に、順番通りに18種類の新聞の山を並べた。

 昨日の施錠は、渡良瀬先輩と忍の確認の元に行われ、鍵のかけ忘れというセンはまず考えられない。

 そして、今日。一番乗りしてきた空乃によると、部室の鍵はすでに開いていた。そして、空乃は1日目9時台の新聞の山、その1番上の1枚だけに、記者Bの署名がされているのを発見する。

 他に異常はなく、何かを盗まれたなどの痕跡は今のところ見つかっていない。


 2日目に控えた水泳部のパフォーマンスに向けての朝練を終えて、まだ頭の乾いていない下邨が、机をまじまじと眺める。

 そして、署名がされている新聞を持ち上げて、その下の新聞を観察する。


「裏写りはしてねぇみたいだな」


 署名は、山の上に重ねた状態で書いたものではないようだ。特に重要な情報であるとも思えないが……。

 むず痒い空気が、部室を飲み込む。

 誰が、何のためにこんなことを? 不可解な悪戯は、悪趣味でも無意味でもなく、私にとっては、これから新聞部の妨害を行うという、犯人からの宣戦布告に感じられた。

 キヨも同じ意見のようだ。


「わざわざ、1日目の初っ端の新聞に書き込むってことは、このあとの新聞にも何か細工をする気でいる……ってことじゃないですか?」

「ああ。それに……『記者B』の名前を使うのも、なんだか計画めいたものを感じるよ」

「……新聞部のOG、備後先輩ですよね」


 東大正高校の生徒達にとって、カリスマ的存在であった備後先輩。彼女が卒業して、1年が経とうとしている今、この名前を使うということ。


「記者B……備後先輩は、有名人です。とりあえずの偽名で使うことは、十分考えられるんじゃないでしょうか」

「記者Bの名前を知ってる人は多いし、そこから犯人を絞ることはできないってことだね」

「……俺の考えすぎかな。……そうだよな、備後先輩が、来てるわけないもんな……」

「備後先輩のフェイスブックでは、たしか、今頃ロンドンで『第2のシャーロック・ホームズ』として君臨してるはずだもんねー」

「……何者ですか、備後先輩……」


 備後先輩、もとい記者Bは、在学中名の知れた生徒だった。去年在学していた2・3年生はもちろん、1年生の一部にまで名が知れている。

 誰でも騙ることのできる有名な名前だったということだ。


「……しかし、新聞部の中に犯人がいないとすれば……この部室の鍵を自由に扱える先生たちか、もしくは何らかの手段で施錠を突破した生徒、ってことになるよな」

「先生がこんなことするとは思えないけど」

「…………」

「備後先輩って、たしか、勝手に作った部室のスペアキー持ってたよね? 100本ほど」

「……ホント何者ですか、備後先輩……」


 備後先輩がもし帰国しているのであれば、犯人たり得るということか。でも、フェイスブックがアリバイになってるんだっけ。

 いちおう手がかりになるかもと、渡良瀬先輩から、備後先輩のフェイスブックアカウントを教えてもらった。旅先の写真と、ありとあらゆる民族衣装を着た備後先輩らしき人物の写真ばかりだ。

 最新の投稿は本日の午前2時で、『ロンドンでは珍しい晴天!』という本文に、備後先輩がビッグベンと共に自撮りしている写真が付いている。いいね数は92。


 一通り状況確認を終えたところで、柿坂先輩はおもむろにホワイトボードの前に立った。

 そのまま、お綺麗な字で『署名事件対策本部』と大きく書き、注目せよとホワイトボードを叩いた。


「新聞は完成させたから、文化祭当日は思い切り楽しもうと思っていたが……状況が変わったね。申し訳ないけど、みんなにも、俺たちの『最後の記事作り』を手伝ってもらう」

「この事件。絶対に文化祭2日目までに解決しようね! 最終日は思い切り遊びたいし!」


 もちろんだ。

 私の計画は……2日目に柿坂先輩に告白して、3日目、柿坂先輩と二人きりで文化祭を回るというものなのだから。

 だからこそ、この大事な時にヘンな事件を起こしやがった犯人は、私の手で捕まえなくてはならない。私の、私と柿坂先輩の邪魔をするというのなら、それはまごうことなきである。


「文化祭中の作業内容は、これまで言ってた通り行う。

 俺と翼が、各時間ごとの新聞貼り。

 小池さんと黒部さんは、出し物を回っての取材と撮影。渡良瀬は独自で取材回りしつつ、小池さんたちのフォローを。

 キヨと源さんは、交代で部室の番をしてくれ。源さんは風紀委員との掛け持ちで忙しいと思うけど、どうしてもって時には、どうせヒマなキヨとか、俺たちの誰かを呼んでくれ」

『了解です!』

「そして……新聞貼りや取材班は、仕事で校内を回るついでに、今回の事件について積極的に調べてみること。今回も期待してるよ、小池さん」

「あ、ありがとうございます!」

「よし、それじゃあ……」


《おはようございます。ただいま、8時57分です。9時10分より、開会式を始めます。皆様、体育館にお集まりください。繰り返します……》


 新聞部の方針が固まったところで、放送が鳴った。


「たしか、開会式では、ダンス部の予告パフォーマンスと実行委員会の人らの漫才が見れるんだよな!」

「見れるっていうか、私たちはそれをカメラに収めなきゃいけないんだけどね」


 空乃がカメラを持って、私の肩を叩く。忍も、私の新聞部腕章を手渡して頷く。


「応援してるよ」

「何かあったら協力するから」

「…………ありがとう」



 こうして……記者Bと、1年前の新聞部を巡る事件は、幕を開けた。


 だけど、この時には、すでに色々遅かったのかもしれない。

 後から思い返してみても、この時の私がそれに気付けたとは思えないし……自分を責めるつもりも、後悔するつもりもないけれど。

 11月3日・金曜日……文化祭1日目。

 事件は始まり、そして終わっていたのだと。


 そのことに気付くのは、まだまだ、先のことだ。


 名探偵・小池咲の最後の事件。そして、いちばん長い3日間。

 東大正高校第67回文化祭は、吹奏楽部の盛大なファンファーレと共に始まった。

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