第22話 泣いたゴキブリ〜卵産むよ
「お客さん。お、落ち着いて下さい」
『最後ノ晩餐』の主人である越後さんが奇形の四本の脚をガクガクと震わせながら御器ノ介に訴えました。
「
「う、ううん」
御器ノ介は気を失った柳をその粘つく翅が蔵われた背に乗せています。
「何事だい、越後」
騒ぎを聞きつけたお蝶さんが給仕や遊女を引き連れてバタバタとお部屋にやってきました。
「お蝶、お前からも言ってやってくれ、このお客様が醜女を連れて行くと言って聞かねえんだ」
御器ノ介は「どけ、どけ」と触覚をわらわらと振り回して熱り立ち、周囲には酷い悪臭が漂っています。
「お客さん、その娘にはこの後戻ってもらうお座敷があるんです。女ならもっとまともなのがたくさんうちにはいますから。ほら、お前達、脱げ!」
「はあ、うちらが脱ぐんですかい」
「そうだ、さっさと脱いで裸踊りでもするんだよ!」
お蝶さんに睨まれ、遊女達が慌てて襦袢を脱ぎ捨て一列に並ぶと震えながら巨大な
「うごっ、あばばば」
鮮血が裸踊りをはじめた女達へ飛び散りました。それを見た女達は恐怖の余りぼたぼたと小便を漏らしました。
「ぎょああっ、越後さん」
「ひ、ひぃい」
御器ノ介の脚が頭を貫き、越後さんは白目を剥いて即死していました。御器ノ介は満足そうに巨大な身体をぶるっと黒光りさせながら触覚をゆらゆらと揺らしました。
「娘共、退かぬとお前達もこのようにして串刺しにしてしまうよ」
「こ、この蜚蠊野郎。やりがったなぁ」
お蝶さんは青筋を浮き上がらせて怒号をあげました。
「良い度胸だ。最早此れ迄、禿、禿はどこだい」
何処からともなく長身の禿さんが現れ「お嬢、ここに」と落ち着いた調子の低い声で応えました。
「この害虫を駆除しな」
禿さんは御器ノ介を睨みつけると「御意」と返事をしました。そして腰に巻いたなんでも出てくる不思議なサラシから長い刃物を取り出し、ヌラリと鞘を抜いて捨てました。
「お客さん、こんなに暴れ回ってくれたその“けじめ”、つけて貰いますよ。・・ぅむん!」
鋭い一閃が光り、ぎょん!という音が座敷に響きました。
「い、いた。いたやぁ〜」
御器ノ介の脚が一本胴体から離れると緑と茶の混じったような体液が周囲に飛び散りました。御器ノ介は「いたやぁ〜、いたやぁ〜」と涙を流しながらバタンバタンと畳の上で暴れ回り、天井のぼんぼりの照明器具はぐらぐらと揺れ、外の中庭からは
「やった、よし。禿、その調子でどんどん太刀をいれるんだ。ん?」
ふと、お蝶さんは禿さんの肌がぽつぽつと黄色く変色しだしたことに気が付きました。
「おい、禿」
「へい、なんでしょう。・・おや、かゆい」
その黄色い滲みは息を一つもしないうちに禿さんの全身に広がり、その下から出来物がぶくぶくと浮き上がりました。
「かゆい、かゆい」
それは御器ノ介の体液が身体にかかったことによる影響のようでした。出来物はどんどん膨らんでいき、身体中から膿が噴き出ます。
「女将さん、ひゃあ、助けてぇ。あたしも痒い!」
遊女に混じって裸踊りをしていた和子さんも叫び出しました。
「あーん、ばくり」
その
「ごひゃっ。いひひ、えひひひ!」
丁度髪の生え際あたりからずるんと皮と頭蓋骨を飲み込まれ、和子さんの脳味噌は剥き出しになりました。和子さんは動揺の余り笑っているかのような声を出しながらバタバタと周りの遊女にしがみ付こうとするのですが、皆気味悪がって皆距離を取ります。
「ちょっと、逃げないで、助けて。だって、ほら、あたま、あたまがぁっ!」
自分の頭に触れると、やけに柔らかい≪≪にちゃり≫≫とした手触りがします。
「あの、あの、やっぱり頭、あたひのあたま、ぶひひ、ぶ・・!」
次の瞬間、“びたん”という音と共に和子さんは無慈悲な力によって、人間の構造としては曲がってはいけない方へとひしゃげました。越後さんを刺したままの御器ノ介の脚で乱暴に畳にねじ伏せられたのです。
丁度越後さんと接吻するような形のまま、和子さんの脇腹から折れた何本かの肋骨が突き出ました。
次の瞬間、御器ノ介は「よいしょー」と声を張って和子さんの上に乗っかり、“めきめき”と枝が折れるような音を響かせると、露わになった和子さんの脳味噌に尖ったお尻を乱暴に差し込み、卵のようなものをたくさん産みつけはじめました。
「・・!?・・!?」
和子さんはもう声も出ません。御器ノ介が苦悶の表情で瞳を閉じて「んんんっつ!」といきむと、よりたくさんの卵が出てきます。ふと部屋中から蒼ざめた視線を集めていることに気付いた御器ノ介は頬を赤らめて少しだけ恥ずかしそうに、視線を泳がせました。
「ぎゃー!!」
「ひぃいぃ!!」
御器ノ介がお尻を和子さんの脳味噌から抜くと、和子さんの顔中の穴という穴からどっと小蟲が湧き出ました。
「ゴぶェッ!!」
脳味噌の内側に産み付けられた小さな卵達が直ぐに孵化したのです。和子さんは脳味噌の組織をたくさんの小さな口でチクチクとついばまれ、だんだんと意識が穴だらけになっていく気持ちがしました。
「やや、ふぅむ。どうやら
御器ノ介は腕が一本無くなったことなど忘れてすっかり元気一杯になっています。
「お、お助け〜!」
部屋から飛び出そうとしたお蝶さんも御器ノ介に引きずり込まれ、ほんの数分の間に宿の中は蜚蠊地獄と化しました。
そんな中、いつの間にか畳の上に投げ出されていた柳の髪の毛を引っ付かんでそろりそろりとその場から離れる影がありました。
「おや、火事ですかね」
拳銃を持った全裸の警官が遠くの方で赤く光る空を険しい眼差しで見つめながら言いました。
「もし、そこの。もし、もし。今本官はあなたを呼び止めていますよ、もし!」
「・・・」
「こら!無視すると警察官おこるよ!!」
「な、なんでやんすか。怪しいポリ公でやんすね」
裸の警官は銃口を金夫の額に突きつけて「大変申し訳ございませんが、ひとつお尋ねしたいことがあります」と微笑みました。
「ひ、ひぃ。撃たないで」
金夫は何やらたくさんのものが入った風呂敷と、汚いゴミのようなものを引きずっている様子でした。
「自己紹介遅れました。わたしは警察官です。早速ですが、あれは火事ですか」
「そ、そうなんじゃないですかね。あれは多分民宿『最後ノ晩餐』の辺りでやんす。ぴゅ〜、ぴゅ〜」
金夫は何か後めたいことがある様子で、口笛を吹いて心を落ち着けようとしています。
「何ですか、そのふざけた名前は。馬鹿にしているのですか?いや、馬鹿にしているに間違いありません。だから撃ち殺してしまうよ。私は鉄砲を撃ちたいのだ」
警官は回転式銃の引き金をガチリと引きました。
「ひ!け、警察を呼ぶでやんすよ」
慌てた金夫の様子に、警官は思わず嬉しくなってにんまりと微笑みました。
「うふふ、冗談ですよ。本当に撃ったら事件じゃない」
「ひひ、あの、あっし、忙しいんで、もう行っていいでやんすか」
「暫し待たれぃっ!」
「うっ!」
金夫は思わず俯き、脂汗が身体中から吹き出るのを感じました。
「あなたが引きずっているその札束の入った唐草模様の風呂敷はまあ良いとして、もう一方の手に引きずっているその臭い少女。さては、たいへんよく寝ていますね」
「う?うん、よく寝てるでやんすね」
「しっかりと休ませてやりなさい。大分疲れている様子ですから」
「は、はぁ。そりゃあもう!大切な仕事上のパートナーですから。では、あっしはこれで」
金夫はそのまま髪の毛をひっつかんで柳をずるずると引きずって夜の闇の中に消えて行きました。
警官は満足そうにその背中を見送りました。
「ふう、しかし退屈だなあ。何か事件でも起きないかなあ」
そう言って裸の警官は拳銃を指先でくるくると回しながら、土手に座り込んで火事で赤くなった空をぼんやりと眺めました。
それから数時間後のこと。里では見慣れぬ黒塗りの高級車がお土産屋さんの並びの通りを走り抜けました。寺地くんと羽識さんの乗った車です。車は郷の色々な名所には目もくれず、真っ直ぐに民宿『最後ノ晩餐』に向かっていました。
「坊ちゃん、もうそろそろ着きますよ」
「だいぶんかかってしまったな。早く、早く柳さんを助けださなくては」
寺地くんは逸る気持ちを抑えられぬ様子で、窓の外を食い入るようにして眺めていました。
「む」
ふと、少し気になる風景が視界の先に見えました。
「・・・」
やがて、その気になる風景はどんどんと距離を縮めて近付いてくると共に、寺地くんの心のざわつきは強く強く増していきました。
(厭な予感がする。まさか・・・)
寺地くんが感じた予感のままに、羽識さんはアクセルを緩め、ブレーキをゆっくりと踏み込み、そこで車は停車しました。
「・・羽識、何故車を停めた」
「着きました」
「・・宿など、ないぞ」
「そ、そのようですね」
「羽識、本当にここで合っているのか」
「はい。その筈ですが」
動揺した様子で地図を開いた羽識さんを置いて寺地くんは車から降りました。目の前には真っ黒焦げの木材が散らばっており、未だところどころ煙が上がっています。
「・・火事?」
「坊ちゃん、どうやらここで間違い無いようです」
呆然と立ち尽くす寺地くんへ車から降りた羽識さんが沈んだ声の調子で言いました。
「・・そんな馬鹿な。あ、そこの者!そうだお前だ」
「へい、某ですかい?」
周囲にたまたま歩いていた村人に尋ねたところ、そこは確かに『最後ノ晩餐』があった所で、丁度今朝方頃火事があったばかりということが分かりました。
「・・・」
「では、某は此れから大根を抜きに参るが故、失礼仕り候」
(柳さん・・)
寺地くんは真っ黒焦げの木の破片が散乱する焼け跡の中へ入り込むと、炭を掴みぽいぽいと投げ始めました。
「坊ちゃん、何を・・」
「柳さんを捜すのだ!未だ死んでいると決まった訳ではない」
「そんな一人で、無茶な」
寺地くんはそうして柳を探し回りました。しかし探せども探せども出てくるのは人間の顔をした小さな蜚蠊の死骸ばかりでした。
「くそ、何だこれは。どうなっているのだ」
寺地くんは薄気味悪いもののけの死骸を掻き分けながら柳を探し続けました。
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