第12話 海老になれたよ
柳の手が後手に縛られグッと背中の中央に上げられます。
「ぎゃ……、あひゃ、あひゃひゃ、いたいっ!」
「こんなのが痛いのなら多分もっともっと痛くなります。しかし、進化するということは痛みが伴うものです。即ち我慢したまえ、
「ふ、ふぇッ! へ、ぶへ、ぶへへ、う、我慢ずるぅ!!
柳は泣いているのか笑っているのか分からない風に顔を歪ませました。
「全く薄気味悪い、こいつの名前を忘れていましたよ。ほんのひと時だけ、手に触れていたと思うだけで悍ましい」
「名前ってのはその人間の本質なんです。
伸宏くんは鎮太郎くんの肩を掴んで言いました。
「そ、そうか。ワトスン、見直したよ。なかなか良いことを言うね。名前はその人間の本質か、哲学的です、ところでワトスン」
「な、なんだい」
鎮太郎くんは柳を改めて眺めました。
「君の言うことが正しいのであれば柳には本当はもっと別の名前があるんではないだろうか」
伸宏くんは表情を曇らせました。
「……というと?」
「この女、醜女ではないのでは?」
「ぶぎゃあああ!?」
突如柳は涙を流しながらガクガクと震えだしました。
「た、耐えられない!! 恐い!! やめて、私は、私は
柳は涙を流しながら自分の顔を引っ掻き、皮膚が破れて血が出ます。
「ほらっ! ほらぁッ!!」
「ふ……、ふむ。そうか、やはり勘違いか。
柳と伸宏くんは安堵のため息を吐きました。
両手が背中の高い位置で固定されたまま、縄はぐるぐると柳の細い身体に巻き付けられ、生成りのワンピースに食い込んでいきます。
「ワトスンくん、どうだい、次はどうすれば良いの」
伸宏くんは縄で人を物のように縛る方法が書かれた猥褻な本を読みながら「もう一回後ろに回して」「脇の下に通して引っ張って」と指示を出します。
柳はげばげばと笑いながら自分が縛られていく様子を眺めています。
「うへ、うへへ」
不意にキュッと上半身全体に巻きついている縄が締まります。
「ひ、ひひッ! ご、ごべ! ぐる!ぐるじい!」
柳の口から飛び散った唾がかかった木が萎れるようになって腐りました。
余りの醜さに周囲の首吊り死体やグロテスクな花々は思わず柳から顔を背けます。
「鎮太郎くん、わたしを見て! ほら!
「もう、うるさい! 黙れ!!」
鎮太郎は柳の顔を思いっきり殴りつけました。
柳はぼこっと内出血で膨らんでいく顔で笑い続けています。
「げひひげひ!」
縛っていく行程が進むにつれ、上半身はどんどんと苦しくなっていき、柳はある瞬間から腕が全く動かない位に固定されていることに気がつきました。
「ひ、ひい」
上半身を搾り上げるように縄が上にギュッと締まります。
「それが基本らしい。後手縛り、というみたいですね」
「そうですか。ほら柳、どんな感じですか。縄を取ろうとしてみて下さい」
鎮太郎くんは柳の体をどんっと押しました。
柳は押された方へふらふらと倒れそうになります。
「息が、息がし辛い」
柳はぎちぎちに縛られている自分に何故か少し安心感を感じていました。
「物みたい。ひ、人じゃないみたい」
その後うつ伏せにさせられた柳の後手の周辺で、複雑に絡んでいる縄に引っ掛けた別の縄が丈夫そうな太い木の枝に投げかけられます。
「さあ引っ張るぞ、ワトスン」
鎮太郎くんと伸宏くんが枝に掛けられた縄の端を引っ張ると、ギシギシという音を上げて柳の足が地を離れ、靴がコロンと落ちました。
「うごっ!」
上半身に柳の体重が掛かり、縄を食い込ませながら柳の身体は宙に浮かんでいきます。
「苦しい、息が、血が止まる! 死んじゃう!!」
「おい、お前の名前はなんだ。文句を言えた身分か!」
「ぶ、ぶ、
ある程度まで柳の身体が宙に浮かぶと鎮太郎くんと伸宏くんは引っ張っていた方の縄の端を柳の足首にくくりつけました。
「ぎ、ぎぇええ!?」
両脚は後方の空の方へ反り返り、柳は空中で海老反りになりました。
「やった! やったぞ! 柳!!」
鎮太郎くんと伸宏くんは少し離れて宙で海老反り状態で揺れる柳を汗を拭いながら眺めました。
「海老だ! 海老女だ!」
二人は拍手しました。
柳の表情がぱあっと明るくなりました。
「ひゃは! やったァ! 遂に、遂に私海老になれたのね! ありがとう、ありがとう!」
鎮太郎くんと伸宏くんはマッチで煙草に火をつけると、プカプカと蒸して満足そうに暫く二人で作り上げた海老女を眺めました。
「良かったな醜女海老。間違いなくお前は新種です。感謝して下さいね。では僕らは帰るから」
隣の木で首を吊って死んでいたおばさんが、堪らず「ぶふっ」っと吹き出しました。
「え?」
念願の海老になれた筈の柳の喜びは、あっという間に萎れてしまいました。
「なんです?」
「……う、あう」
柳の周辺の木々の枝や草花がいっそうグロテスクな形にグニャグニャと伸びました。
「ねえ、鎮太郎くん。わた、わたし、マシに……、ううん、もっと
「ああ、そうですね」
鎮太郎くんは緊縛の教本をリュックにしまいながら言いました。
「じゃあ、達者でやるんですよ」
「う? うん……、でも、あの」
伸宏くんは満面の笑みを浮かべて二人を眺めました。
「海老として残りの命を謳歌してね」
伸宏くんの声は全くそこで響くことはなかったかのように柳の心をすり抜けていきます。
「ま、ま、待って、鎮太郎くん、苦しい。このままだと、ねえ、ねえーッ!」
二人は元来た方へと歩きだしました。
人の内臓のようなヌメヌメとした蔦が木々へ、そしてそれ同士が絡み合って柳を閉じ込めていきます。
その牢の向こうへ小さくなっていく二人の後ろ姿へ叫ぶ柳はふと何かに気付きました。
「一言だけ、一言だけ言わせて!」
遠くで鎮太郎くんが振り向きました。
“本当に死んじゃうって思ったら、死ぬ前に、一つだけ、してみたいことがあるなぁって”
“醜女、次は首を吊ってみなさい”
“う、うん。でも、あの、やっぱりね、好きな人に好きって言いたいの、本当に死ぬのはそれからでも良いですか”
「わたし、鎮太郎くんのことがね、す、す、す……、す……」
そこまで叫ぶと柳は頭をがくりと垂れました。
「何ですかーっ! 何もないならもう僕は行きますよ!」
ああ、私は嫌われている。こんなことを最期に伝えても困らせるだけだ。だって、私は柳
柳が吊るされた木の周辺の草花が爆発という言葉を連想させるような勢いで一気に伸び、ざわざわと
「元気でねーッ、ありがとうーッ!」
その声に遠くの二人は名残惜しそうに手を振りながら木々の闇の中へ消えていきました。
真っ黒な光が樹海に降り注ぐ巨大な無音の中に、耳鳴りが小さく浮かびあがり、そこへ柳の目から涙がポタポタと落ちて消えていきます。
「げんきでね」
丁度その頃、遥か遠くの学校の焼却炉の中から休日の誰もいない校舎の側に向く女の子の顔は、少し寂しそうに「可哀想な柳さん」とポツリと呟いたのだという。
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